『じつは子猫を殺してなどいなかった坂東眞砂子さんのこと』
 待ち合わせの飲み屋に行くと、坂東眞砂子は和服姿で待っていた。店の女性と談笑している様子はとても楽しそうで、私は少し安心した。とても世間を敵に回している人物には見えなかった。
 当時彼女はタヒチに住んでいたので、会うのは久しぶりだった。挨拶を交わし、再会の乾杯をしてから本題に入った。
「しかし、えらいことを書いたもんやなあ」私はいった。ふだんは使わない大阪弁を使うのは、高知出身の彼女が関西系の方言で話すからだ。
「うん、こんな大ごとになるとは思わへんかった」坂東眞砂子は目を細めて笑った。
 我々が話しているのは、有名な「子猫殺し」についてだった。知らない人のために説明すると、それは彼女が日経新聞に載せたエッセイだ。飼っている猫からセックスの悦びを奪いたくない。だがそれを許せば子猫が生まれる。彼等もまた子供を作るだろうから、忽ち猫だらけになり、地域に迷惑をかけることになる。社会的義務から、それは避けたい。悩んだ末に彼女は、生まれた子猫をすぐに始末するという道を選んだ。その方法は、家の裏の崖から落とすというものだ。そしてエッセイに、「私は子猫を殺している」と書いた。
 掲載された途端に大騒ぎになった。まずネットでバッシングが始まり、ほかのメディアも取り上げだした。私も最初はびっくりした。坂東眞砂子は数少ない女性作家の友人だ。その実力を高く評価していたし、意識の高さ、聡明さを尊敬していた。こんな、どこの誰にでも簡単に反論が思いつくようなことを彼女が書くわけがないと思った。
 真意は何なのか。何度もエッセイを読み返してみた。やがて彼女の狙いがわかってきた。
 人間がほかの動物にしているすべての行為は、この子猫殺しと変わらない──坂東眞砂子は、どうやらそういいたいらしい。自分たちの都合だけで動物を家畜とペットに分け、家畜はいくら殺しても構わないがペットは殺してはならない、などというルールを勝手に作っている。そしてペットにとって繁殖行為を奪うことのほうが、生まれた子供を殺すよりも残酷ではないと勝手に決めつけている。
 この論を『週刊文春』に書いてみた。案の定、ネット上では反発されたが、坂東眞砂子本人は喜んでくれた。今度帰国するから会おう、という連絡があった。こうして冒頭の再会となったわけだ。
 彼女は、エッセイの意図を正しく汲んでくれたのは東野さんだけや、といってくれた。
「人間が動物の肉を食べるなら、その動物は自分の手で殺すべきやと思うんよ。生きていくために大切な命をもらってるということを自覚するために。それで最近になって、ようやくニワトリを絞められるようになった」
 牛や豚はさすがに無理なので、極力食べないようにしているとのことだった。
 例のエッセイは、そんな思いの延長上から生まれたものらしい。
「それにしても、崖から落として殺すというのは、方法として残酷すぎるやろ」
 私がいうと坂東眞砂子は手を横に振り、笑った。
「違うんよ。崖というと断崖絶壁を想像する人が多いけど、実際は二メートル程度の段差。下は草むらやから、落としたぐらいでは死なへん。つまり正確にいうと、子猫を裏の草むらに捨てた、ということやね」
「なんや、それやったらただの捨て猫やないか。うちの猫も、家の裏に捨てられてた。殺すやなんて、過激な表現を使わんでもええやろ」
「母猫と引き離されたら、誰かに拾われんかぎりは生き残るのは難しいと思うよ。つまり、殺すも同然ということやね。けど、私は子猫を殺してるも同然である、と書いたのでは意図が伝わらへんと思た。そこでひとつ、子猫を殺している、と」
「あほか。インパクト強すぎや。それで誤解を招いた」
 彼女はケラケラ笑い、「ほんま、ちょっとやりすぎた。あんなにまともに受け止められるとは思わへんかった。日本人は純粋やね」と明るくいった。
 坂東眞砂子とはそういう女性だった。短いエッセイひとつでも軽く流したりしない。常に問題提起し、読者を甘えさせない人物だった。
 このたびの訃報に接し、無念に思うことが三つある。あの屈託のない笑顔をもう見られなくなったことが一つ。溢れる才能を注ぎ込んだ作品が生み出されなくなったことが一つ。そしてもう一つが、たった一本のエッセイのせいで作られた誤ったイメージを、とうとう彼女が生きている間には払拭できなかったことだ。
 いつかまた、「坂東眞砂子ってこんなに素晴らしい小説を書く人だったんだな」と世間から再認識される日が来れば、と思う。
 冥福を祈ります。
東野圭吾
レンザブロー連載の坂東眞砂子氏の絶筆原稿『眠る魚』は2014年5月19日に刊行する予定です。

閉じる