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登場人物ひとりひとりに心をもっていかれてしまいました。 私もちょっとだけでも誰かを守れるようになりたいなあと 未来とか可能性とか、目に見えない大切なものを守ってあげられる 不器用だけどあたたかい人たちと前向きに生きていく翔に 豊かな感情表現と細かな背景描写にページをめくる手が 毎日毎日会社と家とを往復しているだけの人(私!?)に キラキラしていてやさしくてとても素敵な人たちがたくさんでてくる。 |
人は誰しも強さと優しさを持っていて、 読んだらきっと元気をもらえるはず。翔くんの優しさが心に沁みます。 生きていく途中でくじけそうになっても、誰かの優しさが誰かを 翔のやわらかな心は傷つけられてボロボロだけれど、 目には見えないハンディキャップを抱えた翔と、周囲の人々の 生きることの難しさといのちの尊さを教えてくれる 弱かった人がいつか守る側に、強かった人が守られる側に、 |
――『ぼくの守る星』はディスレクシア(読み書き困難)の少年・夏見翔(なつみ・かける)と周囲の人々を描いた、心に響く群像劇です。障がいを抱えた中学二年生を物語の中心にすえたのは、どういう思いからだったのでしょうか。 神田 ずっと同世代の女性の話を書いてきたので、年代も性別も変えて「少年ものはどうだろう」と最初考えました。当時中二だった長女が高校受験に向かい始めた頃で、「生きるって何?」「自分はどういう仕事につけるのか」と具体的に考え始めるのがこの時期なんだ、という実感もあったんですね。翔は私の想像上の人物ですが、身近にディスレクシアの少年がいたこともきっかけのひとつです。彼と話をしたり、遊んだりするのがすごく面白くて。本人はいろいろ困っていたけれど、愛すべき存在だし、実際周囲から愛されていたんです。そして彼と接していて気づいたのが、「私もディスレクシアだったのかもしれない」ということでした。 ――作家であり講談師の神田さんが、と思うと驚きですが、読み書きで苦労されてきたのでしょうか。 神田 検査をしたわけではありませんが、昔から読み書きのスピードが遅くて、テストの成績がすごく悪かったんです。漢字を何度も書いても覚えられなかったり、鏡文字になったり、字を入れかえてしまったり。今はそれほどではありませんが、例えば“おこと”を“おとこ”と間違えてしまう。父親が小学校の教師だったこともあって、周囲からは「勉強ができないのはなまけているから」と思われていました。そのうちに勉強ができないことがコンプレックスになっていって……。だから試験と関係のない世界でずっと生きてきました。小説にも講談の世界にも試験はありませんから。書くことに関しては、人に伝えるためではなく自分の気持ちを確認して吐き出すために、子どもの頃から詩や日記という形で表してきました。時間はかかったけれど、精神安定になりましたね。まさか小説を書くようになるとは思ってもみませんでしたが、パソコンがあるおかげでやれています(笑)。 |
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――翔は心根のやさしい少年ですが、学校での自分に自信が持てなくて、「また失敗したらどうしよう」とおじけづく。そんな彼を励まそうと、教育熱心な母親の和代はトム・クルーズを例に挙げて「あなたもそっち系だと思うな」と。これが逆にプレッシャーになるんですね。 神田 母親って、子どものことが自分のことよりつらいんですよね。だから和代の気持ちはよくわかるんです。周囲にわかりづらい障がいの場合「母親のせい」みたいに言われがちで、自分自身どこかそう思う気持ちもあるから、よけいに頑張ってしまう。和代は生きがいだった新聞社の仕事も辞めたし、同期入社だった夫は海外赴任中だし、実母に責められると八方ふさがり。そんな事情から、いつの間にか自分を追い詰めてしまいますが、実は翔は和代が思っているより子どもじゃなかったんですね。 ――五話の「山とコーヒー」では父親の尚人が海外赴任先から戻り、東京本社勤務になりますが、和代とは翔に対する考え方にかなり温度差があるようですね。 神田 一般的に、母親に比べて父親は子どものことがわからないと思うんです。どう扱い、どう育てればいいのか。夏見家の場合“かなりわかっていない”父親ですが、母親と一緒になって暗くなっているより救いがあるのかもしれません。ただ夫婦のコミュニケーションがとれていないので、その問題は大きいですね。 ――翔の言い間違いを「面白い」と評価してお笑いコンビを組もうと誘うクラスメイトの山上強志も、そうは見えないけれど悩みを抱えています。 神田 山上君はクラスの人気者的存在ですが、心は繊細で傷つきやすい。わりと典型的な十四歳だと思います。彼は自分が半人前で、人のために何かやらないと天国に行けないと考えている……そこには姉が亡くなったなどの家庭の事情が反映していますが、彼が思いついたのが人を笑わせるということ。私自身もそうですが、“笑いは人生にどうしても必要なもの”と信じ込んでいるんです。 ――神田さんにとって笑いにはどういう意味があるのでしょうか。 神田 とても大事なものであり、常に身近にあるものであり、生きる目的であり……。根が暗い人間だからか、笑ってもらえると開放感を味わえるんですね(笑)。小説を書くときも講談のネタを作るときもいつもとっかかりは笑いで、「このギャグを生かしたいから話を作ろう」と思うほど。最終話の「ぼくの守る星」でも、「おまえはストーカーか」と言うべきところを「おまえはスクーターか」と私が実際に言い間違えたことから話をふくらませました。 ――翔や周りの人たちを素直に応援したくなるような感動的な物語なので、笑いが創作のとっかかりというのはちょっと意外です。 神田 私は小説を仕上げるのにものすごく書き直しをするんです。登場人物の気持ちをもっと考えなきゃと思って、何度も何度も書き直すうちに、だんだん彼らの声や本当に言いたかったことが聞こえるようになってくる。イタコになって聴き取る作業が出来るようになる、みたいな感じです(笑)。『ぼくの守る星』の場合、書き直しを繰り返していった結果、自然と感動的な話になった、という感じですね。 |
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――翔がごく自然にまほりに抱く「さわりたい」「守りたい」という気持ちには、ふだん臆病になりがちだった彼だけに、変化の兆しを感じました。 神田 翔はいつのまにかいろんな人に愛されていたし、大事なことをちゃんと考えられる少年になっていたんです。母親から見れば心配でたまらなくても、まほりという守りたい存在に出会えたことで彼は生きる力がわいてきて、いろんなことが一気に解決してしまう。自分の子どもを見ていてもそう思うのですが、本当に子どもは勝手に育っていく。親がどんなことをしてあげても、生きる力になるものや家族以外の大事なものを自力で見つけられなければ、どうしようもないのではないでしょうか。 ――翔の成長がうかがえる反面、一生懸命やってきた和代が置き去りにされたようで、ちょっとかわいそうな気もしますが……。 神田 私もそう思いました(笑)。でも、いいんです。母親はしょせんそういうもので、息子が巣立っていったほうが幸せなんですから。翔には希望があって人を笑わせる力もあるのだから、それを自分で美点ととらえられれば、きっと人生が開けていくと思います。 ――この作品もそうですが、神田さんの小説は会話も文章の流れもとてもリズムがよくて、物語が自然とからだに入ってくるような感じがします。 神田 私は語彙力がないし、文学少女だったわけでもないけれど、二十数年間人さまの前で自分で作った話(講談)をしてきました。だから、話のリズムがいつの間にかからだにしみついているんでしょうね。そのリズム感はこれからも大切にしたいと思っています。いつもお客さまの顔を思い浮かべて、「ここで飽きるんじゃないか」「ここはわかりにくいんじゃないか」などと考えてきたので、小説でもそういうことを自然と気にしているのかもしれません。 ――今後はどういうものを書いていきたいとお考えでしょうか。 神田 普通の生活をしていないと普通の生活をしている人の声がわからないので、これからも子どものお弁当づくりから始まる暮らしを大事にしていきたいですね。それから、とても大変なことですが「いかにいいイタコになるか」(笑)。小説には年の功を生かせるので、これからも自分が面白いと感じたことをいろんな形で広げていければと思っています。 |
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