若さを失った先に待ちうけるのは——。
「肉体は中年ではあるが、精神はおばさんではない」というある種のパラドックスを抱えたお年頃に起こる悲喜こもごも。逆転する親子関係、加速する老化、いよいよクライマックスを迎える更年期……と、中年時代はなにかしら騒がしい。
そんな茨の中年道を正しく楽しくナビゲートしてくれる名案内人・酒井順子さんの新刊『中年だって生きている』を、「迷える中年女性のバイブル!」と絶賛するのは、アートディレクター佐藤可士和さんの妻であり、『SAMURAI』のクリエイティブマネージャーを務める才色兼備の佐藤悦子さん(一児の母でもある)。実はこのふたり、かつて勤務していた博報堂の先輩後輩でもあり、可士和氏と酒井さんは同期入社だったという間柄。
中年真っ只中のふたりが“酸いも甘いも”“幸も不幸も”語り合う。
☆三十代前半の違和感が、いよいよ中年初期症状
佐藤 | 実は博報堂ではちょうど入れ違いで、お会いしていないんですよね。3歳下の私が入社したときに、サカジュンさんは辞められて。佐藤(可士和)は2浪してるから、同期ですが、年齢はサカジュンさんより2歳上になるんです。 |
酒井 | 可士和くんも50(歳)かー。でも彼は全然変わらない。体型もなにもかも変わらないですよね。 |
佐藤 | と、まー、大人はそう言ってくださるんですけど、でもじわじわきてますね。 |
酒井 | 大人はね、そう言いがちですが(笑)。でも、本当にビシっとスマートです。 |
佐藤 | 今日も「俺、太ってる? 太って、悦ちゃんに嫌われたらどうしよう(笑)」と、言ってました(笑)。 |
酒井 | 妻にそんな恐れを抱いている?(笑)。可士和くん、若いなあ。 |
佐藤 | サカジュンさん、博報堂にいらしたのは3年くらいですか? |
酒井 | そう。悦ちゃんが入社したときは、バブルが終わった年ぐらい? |
佐藤 | (バブル)はじけた翌年ですね。だからそれこそ、「89(年、入社)くらいの人たちはいいよね」と。タクシーで帰って、経費でご飯食べてなんていうことはパタっとなくなって…… |
佐藤 | バブルのときは学生時代だったので世間の浮かれた空気というのは感じていましたが、その恩恵にあずかることはなかった世代です。 |
酒井 | わずかなズレで、ね。92年あたりでバシっと世の中変わりましたから。なんかすいません……(笑)。でも仕事は忙しかった? |
佐藤 | 忙しかったですね。でもタクシーで帰宅するっていうことはあまりなかったです。終電までに仕事を終わらせて、大慌てで帰る日々。 |
佐藤 | もちろん電車ですよ。営業1年目で大手の食品メーカーを担当していたんですけど、かなりの数の雑誌広告を出している会社だったので、30冊くらいの掲載誌を持って行かなくちゃいけなくて。女性誌って重いんです(笑)。 |
酒井 | そんな苦労の時代があるとは……。私はまさに『バブルと共に去りぬ』だったので。 |
佐藤 | 私が(会社に)入ったときにバブルが終わり、なんか「酒井順子も辞めたらしい」……と、あちらこちらで噂になっていました。 |
佐藤 | でも学生の頃からサカジュンさんのエッセイは愛読していたので、お顔はその頃から写真で拝見してましたが、本当に変わっていらっしゃらないですよね。 |
酒井 | そんなわけがない(笑)。それこそ、「大人はそう言ってくださる」んです。ところで、悦ちゃんは今おいくつに? |
酒井 | いや、私は40代後半になってすごく老いというか変化を感じたので、悦ちゃんは年齢的に、まだぎりぎり、その変化がきてないのかもなあ、と。30代のときも35才過ぎてやっと「あ……私、中年だ。四捨五入したら40だし……」って思ったんですね。その中年感というのをひしひしと感じて書いたのが『負け犬の遠吠え』だったんです。そうしたら40代でもやっぱりそうで。5を過ぎたら体調にきまして、あそこが痛い、ここがかゆい、あ、内臓が変なことに……って、どんどん出てくる。それですごーく年をとったと思ったんですね。 |
酒井 | でも生きている…(笑)と。そんな中年ならではの変化を感じることはありますか? |
佐藤 | 30(歳)になったときは何も感じなかったんですが、33〜34歳で、徹夜が厳しくなったりとか。その頃、金髪に近いぐらいに髪を明るくしていたんですけど、似合わなくなっちゃったんですね、金色が。そんなふうに今まで普通にやってきたことに違和を感じるようになったのが33〜34歳のときで。金髪といえば、サカジュンさん、若いときはガングロで茶髪の水上スキーヤーだったんですよね?「言っとくけど、サカジュン、ああ見えてサーファーだったから」と、今朝、佐藤に言われました。 |
佐藤 | それもあって、『中年だって生きている』は相当、衝撃だったみたいです、佐藤は。「あのサカジュンが? 中年?」と。 |
☆生年月日の数字にたじろぐ
酒井 | ちなみに可士和くんは、自分の中年感って認めてるのかな? |
佐藤 | うちはふたりとも年齢を隠したくないと思っているんですね。サカジュンさんと以前、女性誌の対談でご一緒させていただいたとき「私は自分がいくつか知っておいてほしい。だから生年月日を公表している」と、おっしゃっていたじゃないですか。私もそう思います。 |
酒井 | でもあらためて自分の生年月日を数字で見ると、「うわー、1966年って、すごい昔だな」と。びっくりします。 |
佐藤 | 私は69年。公表しているのでプロフィールに書いたりするのは全く抵抗ないんですけど、お店で服を買ったときに書かされるショップカード。あれはちょっと、「うっ……」とくるときが(笑)。45歳でこのお店の服買っていいのかな、とか。年齢の欄を書かなければいいんですけど、そこだけ書かないというのも、すごく意識しているみたいで(笑)。 |
佐藤 | 40代に入ったときもやっぱり43〜44歳のときに、変化がきましたね。今度は服で、サイズが変わっているわけではないのに、ある日、似合わなくなっていたんです。ちょうどそんな時、某女性誌に「若い頃と体重やサイズに変化はなくても、肉質が変わってきているので、その頃と同じ服を着てはいけません」という記事を読んで、肉質!? そうか肉質だったのか、と。選ぶ服が変わりましたね。 |
酒井 | それもめちゃくちゃハードなことしてるんだよね? |
佐藤 | それは動いてるほうが気持ちいいのと、忘れもしない去年の2月4日、ミュウミュウのピンクのスカートをはこうかなと思ったら、膝のあたりにボーっと肉が付いていて、「最悪だ、こんな脚でははけない! なんとか春までにミュウミュウのミニスカートをはけるようしたいんです!」と、ジムに駆け込んだんです。 |
佐藤 | そうしたら「じゃ、有酸素サーキットをやりましょう」ということになりまして。 |
☆中年にとって危険な衣類とは?
佐藤 | 最近、佐藤と「Tシャツが似合わない」という話になったんですね。佐藤の正装は以前はTシャツにジャケットだったんですが、「ジャケット着てもなんか首の辺りが微妙に違う気がする」「そしてポロシャツ一枚というのも腕のあたりが……」「なんだろね、これって」って。そうしたら『中年だって生きている』に解答が(笑)。 |
佐藤 | 「若者は肉体に張りがあるから張りのない衣類を着こなせますが、張りのない中年が張りのないものを着てしまうとヨレた印象になる。洗いざらしの綿のTシャツはもっとも危険な衣類です」と。うわー、これだったんだー。私たちのもやもやはこれだったのね、と。それで「そっか、中年だからなんだね。じゃ、しょうがないか」と納得したわけです(笑)。 |
酒井 | 服に関しては私も去年今年で、一気に「着るものがない!」という状況に陥りました。今まで着ていた服を着てはいけない感じが、すごく漂ってきて。なんか本当に中年ぽいものを着なければ、と。私もけっこう短い丈が好きで短めのスカートやワンピースにタイツなんぞをはいていたんですけど、さすがにダメだ!って。 |
佐藤 | それは年齢を考えるとですか? それとも似合わなくなったということ? |
酒井 | 本当に似合わない。着たいけど似合わない。何か大きく変化してしまったというより、微妙で微細なギャップなんですね。襟ぐりとか。 |
佐藤 | わかります。すごくおしゃれなママ友がいるんですけど、小柄な方なので「首が詰まったトップスに短めのスカートというここ最近の流行は厳しい」と。「こうしておばさんは流行のステージから降りていくんだと思う」と言っていたのが衝撃でした。 |
酒井 | ファッションの領域って老けの感じ方がビビッドなんですよね。文筆の世界はもっとマイルド。もちろん言葉使いとか若者っぽい流行はあるけれど、それでもベーシックなものはまだこちら側(非若者)にあるという感じで、そんなに若者のほうにすり寄らずにすんでいる気がしますね。 |
☆おふくろ、姉御、天然……中年女子の立ち位置
酒井 | でも最近、齢不相応の、自分を俯瞰できていないファッションや生き方の中年のどこが悪いのだろう、とも思うんです。客観力なんかゼロで、やりたい道を突き進んでいくって、幸せな年のとり方のひとつだと言えるのではないかと。中年のあり方というのも人によって様々で、本にも書きましたけど、おふくろさんタイプの人もいるし、姉御っぽい人もいるし、いつまでも可愛い天然系の人もいるし。それで言うと、私は迷走してると思うんですね、自分の立ち位置を。 |
酒井 | うん。だって絶対おふくろタイプじゃないし、姉御無理だし。 |
酒井 | でもこんな年で甘えん坊ちゃんはしていられないし。だから、がんばって大人の顔をしなくっちゃな、と。 |
佐藤 | でも文筆業界って、上には大御所がいらして、下には若い方がどんどんデビューされて入ってくるから、自分のポジションって年齢とともに実感されやすいんじゃないですか。 |
酒井 | そうなんですよ。それで気がついたら最近じゃもうすっかり中堅の……。 |
酒井 | とんでもない。でも若い人に怯えられている感触はあるんです。特に仕事で若い人に相対したりすると、「あ、この子、手が震えてる……そんなに怖いか私……」ということとか。インタビュアーの方に、「緊張してるんです! 緊張してるんです!」って、会うなり連呼されたり……。 |
佐藤 | サカジュンさんは学生のときにデビューされてるから、キャリアもあるし、賞の選考委員、書評員、審議員もされていて、重鎮と言わずしてなんというんですか? |
佐藤 | 甘えん坊の重鎮って、めんどうくさいじゃないですか(笑)。 |
酒井 | 悦ちゃんは仕事をする上で、大人としての自覚を意識的に表面に出すときってある? |
佐藤 | あります。博報堂時代は、なにもわかってないダメ社員で、一度、上司に「すいません、何もできなくて」と謝ったら、「いいんだよ、そこにいるだけで」と、言われちゃって。「そっか、私の存在価値って若さだけだ…」と愕然としました。でもそこで仕事がんばろう! とは思わず、「じゃ来年ぐらいに結婚して仕事やめなくちゃ。存在価値がなくなる前に。だって私から若さを取ったら、何も残らないんだから」と、ディープに落ち込みました。だから若さを失うことへの恐怖は本当に強かったんです。でも佐藤と結婚して、外資系の化粧品会社に就職したら、40代どころか50〜60代の「若くない」女性たちが、生き生きと仕事をされていたんですね。結婚も出産もして、なおかつ大好きな仕事に就いている。しかも、「いつまでも若くいることに価値がある」のではなくて、「年を重ねるほどにキレイであることに価値がある」と、いう生き方をしている方ばかりで、私もそうありたい! と。だから、若くあることより、年相応の大人でありたいと、いつも思ってます。目指せ重鎮です(笑)。 |
☆広く深い豊潤の世界は、中年力の賜物
佐藤 | これが結構あるんです。やはり意識せずとも年齢を重ねるぶんだけ経験を積めているってことですね。見える世界が広がったぶん、理解できること、深く味わえることがうんと増えている気がします。今、『風姿花伝』を読み直しているんですけど、「秘すれば花」って、若い頃は正直わかりませんでした。でも今なら、意味もわかるし、それを実感できたりもします。 |
酒井 | そうですよね。「無常」という言葉すら、30代の頃はわかってなかったと思うんですよ。本当に変わらないものは何ひとつなく、肌は張りがなくなり、服だって似合わなくなる(笑)。そしてやがてみな死んでしまう。“常”というものは無い、ということが、中年になって実感としてわかってくるというか。なぜ日本に無常文化が栄えているかの理由も、身体で感じる気がします。
それから、本にも書きましたけど、本当に緊張しなくなった(笑)。どこかの感情が磨耗しているのだろうと思うんですけど、若い頃の繊細さや自意識が日々、薄れている気がします。博報堂にいたころは、必要以上にドキドキする性質だったので、プレゼンも大嫌いで、明らかにつまらないプレゼンをしては負けることの繰り返しだったんですけど。中年となった今、無駄なドキドキは一切なくなりましたね。 |
佐藤 | 私もなくなりました、ドキドキ。それは感情の磨耗というより場数による慣れじゃないかと思うんですけど。 |
佐藤 | 中年のドキドキしたプレゼンなんか聞きたくないですよね、クライアントも(笑)。 |
酒井 | 若者のドキドキは初々しく可愛く見えたりもしますけど、中年のドキドキは挙動不審に見えます。この間ミュージシャンの方と、ステージで緊張するのはありかなしか?みたいな話をしたときも、「演者の緊張した舞台を見せられたら、お客としては金返せって話ですよね」と。ミュージシャンに限らず、中年はドキドキしてはいけないんですね(笑)。 |
佐藤 | サカジュンさんは中年になって、変わってきたことってありますか? |
酒井 | やたら人にものをあげたくなるという感情。あめ食べる? とか(笑)。なんなんでしょうかね、あれ。おせっかい欲が沸いてくる。 |
佐藤 | サカジュンさんに、おせっかいなイメージってないですよね。 |
酒井 | 本当はもっともっと、あげたくてあげたくて(笑)。 |
酒井 | ただ人様に差し上げるものは、若干気を使います。あきらかに迷惑になるものを差し上げてはいけない、と。そういう迷惑なものを他人にあげた経験があるので……。 |
酒井 | だからまずは迷惑にならないもの。喜ばれなかったとしても、迷惑にならないものを考える。不要だったら友人知人ご近所に配布できるものをと。 |
☆健康第一!で、中年期をパワフルに生きる
佐藤 | 本の中で「中年はお稽古の季節」っていう話がありましけど、サカジュンさん、中華料理を習ってるんですね。 |
酒井 | はい、かれこれ10余年ほど。先生ももう80才で、こうなったら先生を看取るまでやるかなと。 |
酒井 | いえいえ。中華料理が好きだというのと、おいしいものを食べられるというだけで。家でも作りますけど、基本的に揚げ物はしないし、ちまきを蓮の葉に包めと言われても、たいていの家に蓮の葉はないので、メニューは限られてきますね。悦ちゃんはお茶? |
佐藤 | ちゃんと続けているのはお茶ぐらいですね。先に着物から入ったんですけど、お茶事に呼んでいただく機会があって、「見えないコンセプトをみんなで探り合っていくこのゲームはすごい!」と感激しました。お茶は本当に深くて、なにもかもが勉強になりますね。これも若い頃だったら、このたくさんのびっくりを見つけられなかっただろうなと。 |
酒井 | お茶をはじめると、日本文化の色々なものが派生してわかっていくらしいですね。 |
佐藤 | サカジュンさんはこれから新たにやってみたいことってありますか? |
酒井 | そうですね、お稽古だったら、楽器かな。ウクレレとか弾けたらいいなと思うんですよ。あとはボクシング的なものも楽しいだろうな、と。 |
佐藤 | 私は今、フルマラソンを走りたくて。子どもと2〜3キロの親子マラソンには出ているんですけど、ゴールしても、ぜんぜん足りない(笑)。「もうちょっと走りたいんですけどー」ってなっちゃうので。 |
佐藤 | ホノルルマラソン、出てみたいんです。サカジュンさんは走るのは……。 |
佐藤 | 拒否、早い(笑)。あとは習い事ではないんですけど、大自然の旅に出たいですね。もともと旅行が趣味だったんですけど、大人同士だとついついリゾートに行きがちじゃないですか。でも子供が生まれて、5才のとき「ヌーの大群がみたい!」って言ったことがきっかけでケニアに行ったんです。その後はタヒチで鮫と泳ぎ、去年はナイアガラ、冬はオーロラを見に行きましたが、圧倒的な自然の迫力には本当に感動します。で、この夏はついにアマゾンに行くことになり……。 |
佐藤 | 子どもと一緒に自然を巡る旅をしたいという思いがなかったら、きっとアマゾンに行こうと考えなかったと思うんです。でもリゾート地やヨーロッパは子どもが巣立ってから夫婦でいくらでも行けるかな、と。だから今は子どもと大自然を旅したくて。それには、何より健康が大事。 |
佐藤 | 「美容より健康が大事」というより、中年以降は「美容って健康」だと思います。この間、ジュースクレンズをやってみたら、とてもよかった。3日間ジュースだけ飲んで過ごすんですけど、思ったより辛くないし空腹感もなく、なにより体がスッキリ。「代謝が落ちる更年期の女性にオススメ」のフレーズに、妙に惹かれ(笑)、やってみましたが、こんなにスッキリしたのは2年ぶりくらいでした。 |
酒井 | あと悦ちゃんは早起きしてるでしょ。それが健康によさそう。 |
酒井 | やっぱり早起きの人って、幸せそうな気がします。あと、女性誌を読まないとか、ブログ、フェイスブックは見ないことが、精神面の安定には一役買うと思います。要するに他人様と比較することをやめるっていうことですね。 |
☆花も嵐も、幸も不幸も50代なら楽しめる!?
酒井 | 私、20代でも30代でも、年齢が後半にくるとその年代に飽きちゃうんですよ。今48歳ですから、とっくに40代に飽きがきていて、もう気分は50代。 |
酒井 | 自分の年齢を説明するときも「50ぐらいです」と、ざっくりで。なので、もうすでに50代の気分だったりするんです。そう思うと、50代ってそんなに今と変わらないのでは? と。先ほども言いましたが「5」のときに、「はっ!」と、やっと気がつく習性があるので、55歳になったら、この長い中年時代を卒業し、60代という高齢者の世界が見えてきて、なにかを感じるのかなと思うんです。 |
佐藤 | はっ!と気づくのが「5」で、飽きるのが「8」……。 |
佐藤 | 実質3年しか世代を生きてないですよ、サカジュンさん。 |
佐藤 | クリスチャン・ディオールの伝説のPRだった方がいらっしゃるんですけど、私の憧れの女性です。初めてお会いしたとき、すでに50代でいらしたと思いますが、美しくて、教養も豊かで、何より圧倒的な存在感があって。そんな女性になりたい! という思いが、私のモチベーションになっているんです。だから50代も悪くないどころか、きっと今より人生、楽しいかもしれないな、と思ってもいます。サカジュンさんは憧れ人とかいらっしゃいますか? |
酒井 | 全くないかも……。私、「人生とは実験である」という意識が強くて、その実験を必ず成功で終わらせなきゃいけないという思いもなくて。それは物書きという職業のいいところでもあると思うんですが、不幸があってもそれが糧となる、という。どちらかというと、不幸のほうが糧になる。幸福ばかりだと面白いものは書けないと思うと、何かこうアクシデントとか大変なこととか、人生における嵐を待ち構えているようなところはあります。 |
酒井 | すでに、人生にはとても色々なことが起きるというのはわかってきている……となると、予想をはるかに超えるすごいことって、あまりもう起きなくなっている。ストレスはやっぱりストレスですし、悲しみは当然悲しみとしてあるのだけれど、だいたいの対処の仕方がわかるようになっているんです。あとはそれらを自分の中でどう料理するかな、と。中年になって、あまり不幸を恐れなくなった気がします。朝、窓を開けたときに、雲ひとつない快晴だとつまらないと思う感じですかね。 |
酒井 | なんかこう、暗雲を見たときに、きたきたきたー、と(笑)。物書きに限らず、中年ともなればそれぞれに、対処法みたいなものを自然と身につけて生きているんじゃないでしょうか。死についてもそうですよね。この年になると、亡くなる方も周囲に増えてきます。うちはもう両親が他界していることもあって、変な話、人の死に慣れてつつある、というか。人は絶対に死ぬし、死はごくごく当たり前のことで、そんなに特別なことではないという感覚になってきていますね。 |
佐藤 | 去年、母が亡くなったんですけど、父がひとりになってしまい、今はまだお互いその変化にとまどっている最中なんです。父は典型的な昭和のワンマン家長タイプで、「俺を誰だと思っているんだ」的な言動も多く、「もう会社の役職はないんだから……」と思っても言えない(笑)。ものすごい頑固者なんです。「パパが死んだら、ママと暮すことになるのかな」という想像は、なんとなくしてはいましたが、まさか母が先に逝くとは考えてもいなかったので。 |
佐藤 | 先日もちょっとした行き違いで父が怒ってしまい、そのあり得ないようなひどい態度に私も、カッチーンときていたんですけど、ちょうどこの本を読んでいたときで、「中年になると、親子の主従が逆転する」「子も親も慣れぬ役割を背負っているが故のイライラやぎくしゃく」という分析に「まさにこれだ!」と。それで、「ならばしょうがないよね。新しい役割になれていくしかない」と気持ちを立て直せました。ちょっと前だったら、大喧嘩になっていたと思いますが、「ごめんね、大丈夫だった?」と折れて丸くおさめられました(笑)。 |
佐藤 | 本当にありがたかったです。今はそんなこんなで、自分の「死」にはリアリティはないのですが、この間、父が銀座にスーツを作りに行ったんですね。そのとき何気なく「これが最後だな」ってポロっとひと言……。特に深い意味や感慨はなかったと思いますが、「そっか……父がスーツをオーダーすることは、この先もうないんだ」と、人生の終わりというのを意識させられました。 |
酒井 | 悦ちゃんは、まだお子さんが小さいから、しみじみ「死」なんて感じてる場合じゃないですよ。 |
佐藤 | そうですね。でも子どもを怒るとき「パパもママも先に死んじゃうのよ! そのときひとりで生きていけなかったら困るでしょ!」と、つい本心からそう言ってしまったりしてるんですけど、若い親だったらこんな怒り方はしないだろうな、と思います(笑)。 |
佐藤 | 『中年だって生きている』は私のような世代には、本当にありがたい本だと思います。最初タイトル見たときは衝撃でしたが。「……だって生きている」ですよ! |
酒井 | そうですか。頭の中には♪オケラだーって、アメンボだって……っていう歌が響いていたんですけど。 |
佐藤 | 佐藤も「サカジュンいいの? 本当にこれ、いいの? 『負け犬』に続き、サカジュンらしいね」と、軽くうろたえてました(笑)。 |
酒井 | 最近いろんな部分が鈍感になっているらしく、これに刺激があるのかすらわからなくなってきていて。 |
佐藤 | ものすごーく刺激的ですよ。『負け犬の遠吠え』もすごかったですが、負け犬は同じ30代でも立場によって共感度が違うじゃないですか。勝ち犬もいるわけですし。でも「中年」はもう、だれもかれも生きていれば、もれなく中年になるわけですから、染み方が違います。この本は中年のバイブルというか参考書ですよね。 |
酒井 | あ、なんかきれいにまとめていただいちゃって、ありがとう、悦ちゃん。この年になると同年代でも、それぞれ異なる立場にあるわけですけど、「中年」という共通項でまたみんながピューっと集まれますよね。で、みんなでここが痛い、どこが痺れる、いや節々がきしむとか、そういう若者が嫌がるような愚痴を言い合うというのがまた楽しいひとときで。堂々とさえしていれば、中年って案外楽しい時代ですよ、と。 |
(了)
構成・文/稲田美保
撮影/露木聡子
中年お遍路道の指南書!?
これは、「中年とは何か」「おばさんとは何か」についてさまざまな切り口から考えてみた“中年自分さがし”の書である。
「へっ、何言ってるの?中年ってのは40代以上でしょ」「白髪とハラが目立つようになったらどんな美人でもおばさんだよ」などと即答する人は、本書を読まなくてもよろしい。今日日「中年」も「おばさん」もそんなに単純に引かれたラインで決定されるわけではないのだ。
たとえば著者は、「おばさん」とは「中年期のチヤホヤ不足」に苦しむ人なのではないか、という仮説を立てて実例をあげながら検証する。また「老化をひた隠しにしなければならない人」「若い娘にそこはかとないくやしさを感じる人」「身体の不調の話をするのを楽しめる人」なのではないか、などと仮定して「中年」や「おばさん」を縦横無尽にメッタ斬りにするのである。
とはいっても、著者は自らも昭和世代、バブル世代の「中年」だと自覚しているので、その刀は無惨にも自分をも斬りつける。最近、キャラクターの魅力にはまっている著者だが、中年女性のガーリー趣味は「赤の他人からしたら、常軌を逸した行動」と自覚しており、大人買いしたスヌーピーやムーミンのTシャツを着て外に出てしまうのは、「人込みの中で喫煙するのと同じこと」と厳しく自分を戒めている。
そんな様子を見て「ワハハ」と笑っている私も、今日買い物をしたドラッグストアで「サンプル入れておきますね」と「白髪が染まるトリートメント」をわたされたのである。おそらく来年にはいくら流行のリップグロスを買っても、膝の痛みを取るサプリや尿漏れパッドのサンプルを袋に入れられるだろう。まわりから見れば、立派に“中年してる”のだ。
「おばさんって何?」と悩まなくても、みんなどうやら「あなたは中年…以外の何だっていうわけ?」とわかっているらしいというのはくやしいが、当事者としてはもう少しの間、中年お遍路道をしみじみしたりスキップしたりしながら巡ってみたい。本書はそんな“迷える中年”にとっての絶好のガイドブックである。
(「青春と読書」2015年6月号より)
酒井順子(さかい・じゅんこ)
1966年東京生まれ。広告会社勤務を経て執筆活動に専念。
2004年『負け犬の遠吠え』で、婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞を受賞。
『おばあさんの魂』『もう、忘れたの?』『下に見る人』『地下鉄!』『裏が、幸せ。』など、著書多数。
酒井順子さんが高校時代に書いていらしたエッセイを読んでいたのが30年前。
そんな私が20代半ばで文芸誌の編集部に異動した際、真っ先に浮かんだのは、酒井さんに原稿をお願いしたいということでした。
当時の文芸誌は、中高年読者層に向けた執筆陣でしたが、今は亡き編集長(その頃は、ものすごく年上のおじさんとして見ていたが、現在すでに我が身がその年代)が、若年女性読者対象の企画を通してくれたため、三省堂神田本店の喫茶店でお会いしたのが、酒井さんとお仕事をご一緒した始まりです。
あれから幾星霜。
酒井さんはベストセラー『負け犬の遠吠え』の他、次々に話題作を発表する中で、ご両親、お祖母さまを見送りました。そして、ここ数年は共通の友人知人を亡くすことが重なり、献杯を交わすことも続いています。
本書中「中年女が緊張していても、良いことは一つも無い」とあるように、酒井さんは弔辞を読むときも、インタビュー取材でも(時おりインタビュアーをビビらせていますが・笑)、堂々としていらっしゃる上、ウケるネタまでお披露目する余裕もおありですが、失礼ながら30代前半だったらこうはいかなかったことでしょう。
中年は、公私ともに悲喜こもごもの様々な経験を積んでいます。そのため、いやがおうにも肝が座るとも言えますが、「かっこよく見せたい」「面白いことを言いたい」はたまた「可愛いと思われたい」などの自意識過剰期から解放される時期(個人差はあれど)であることが、緊張しなくなる理由のひとつなのではと思います。
人生の折り返し地点である40代半ばは、その先の老境と死を見据える年代。他人に迷惑をかけなければ、たとえ「イタい」と思われようが、好きなものを着て、好きなように生きていこうではないかと思う人も多くなるでしょうし、逆にいつまでも他者の目線を気にしすぎるのも辛いものです。
趣味嗜好もはっきりしてくる上、周囲で死が続くので、己の残存時間を意識しながら習い事などにも力が入ります。会いたい人、付き合いを継続したい人もより明確になってきます。
容貌の衰えや体力の減退と引き換えに、中年期にはそのようなどこかふっ切れた楽しさと充実が待っている。
そんなことをこの本は、具体的に教えてくれます。
老いは誰もが等しく迎えるもの。
開き直るのではなく、若さにしがみつくのでもない。ならば、私たちはどこを目指せばいいのか----。
本書は、宙ぶらりんな気持ちを抱えた初老未満の女性に、多くの示唆を与えてくれることでしょう。
作家と編集者は、家族や友人とは違う立ち位置で、互いの公私の経年変化を見つめ続ける間柄です。
執筆者としても人間的にも魅力ある酒井さんとは、今後も「こんなことがあった、あんなことがあった」とお話しできる関係でいられたらと思っています。
そして、私の弔辞はぜひ酒井さんにと願う昨今なのでした(笑)。
(編集K)
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