2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

閉じる

第一話 砂漠を進む英雄

6. RUSTY KNEE

 大学一年か二年は棒に振るかもしれん。ほやけどおまえはまだ高三や。これから先の選手生命のほうがずっと長いんやで、そっちを大事に考えろ──と、中学時代から地元で親身に診てくれていた整形外科医に言われた。

 福蜂の監督のはたが信頼している友人でもあり、三村も信頼している主治医だ。しかし正直に言って、これから先の選手生命のほうが本当にずっと、、、長いのかどうか、そのときの三村にはよくわからなかった。

 小学校三年生でバレーボールをはじめ、高校三年でまるまる十年。仮に言われたとおりに一年か二年休んで二十歳かそこらに復帰したとして、そこから同じ十年プレーしたとしたら三十歳だ。

 三十歳を過ぎてからどれくらい現役を続けられるんだろうか。十七や十八からしたら三十なんて普通におっさんなのでどうにもイメージがわかなかった。

 そう考えたら、十八、九から二十歳という、骨格が伸びる成長期が終わっていよいよ体力的に成熟する時期を迎えるであろう年齢の「一年や二年」は、棒に振ってもたいしたことはないと簡単に割り切れる時間ではなかった。

 キュ、キュ。

 左右のシューズを一度ずつ後ろに蹴りだすと板張りの床とオレンジラバーが小気味よい音を立てた。胸が高鳴り、それが喉をくすぐって上ってきて、抑えようとしても笑みが浮かんだ。

 ソール全体を床につけてぐっと腰を落とし、アキレス腱が伸びるのを感じながら屈伸する。両膝を両手で包んでしゃがんだところで、膝の奥で骨が鳴る低い音がした。

 ぴくりと三村はそこで動きをとめた。

 その部分だけ皮膚が再生してから日が浅いことがわかる手術痕が古い手術痕を上書きするように両膝に走っている。──大丈夫。これは中学時代の手術後から聞こえる音だ。今は痛みをともなうものではない。

 東京の大学病院で両膝の手術を受けたのが高三の一月。同期から約一ヶ月遅れの三月末に欅舎大の練習に合流した。四月からすぐ春季リーグがはじまったが、十センチのジャンプすらまだできなかったので試合にでるのは問題外だったのは無論のこと、部員とは別メニューでリハビリに費やす日々だった。

 やっとみんなと同じ練習に加われるようになったのは春季リーグ、東日本インカレを経てシーズン前半が終わり、大学生の醍醐味である長い夏休みに入ってからだった。

 足首に通していたサポーターを膝まで引きあげ、膝蓋骨の上下をマジックテープできつく締める。圧迫感の不快さを上回る安心感が両膝を包む。腿とサポーターの隙間に指を入れ、ぴんっとはじいて指を抜く。頼んだぞ相棒、と念じるように両膝を叩いて身体を起こし、元気よくコートに入った。

「三村統、今日からスパイク練も入りますっ!」

「おっ、“悪魔のバズーカ”復活か」

「どっから聞いたんですかそれ。地元でしか通用せんやつですよー。おれ自分で言ったわけやないですし」

 ひさしぶりに人からその二つ名で呼ばれたのが面映おもはゆく、はにかみ笑いで訂正した。

 先に並んでいる上級生たちが打つのを待ちながら何度か手もとのボールを頭上にオーバートスし、膝を曲げて軽いジャンプでキャッチする。待ちきれないような仕草にまわりから苦笑され、「先行けよ」と順番を譲られた。

「おなしゃっす!」

 正セッターとまともにあわせるのは今日が初めてだ。持っていたボールをアンダーでセッターにパスし、セッターから一度戻ってくる。一往復してきたボールをオーバーでもう一度セッターに返し、タッと助走に入った。

 ネット前で最後に右足、左足と踏み込みながら膝を沈め、床を蹴って踏み切る。セッターの手を離れたボールがあがってくる。

「……!?」

 空中で焦った。ボールが、

 ────遠い。

 右手にあてはしたがネットの向こうに打ちおろせず、ばちんと打ちあげた。

「悪い、トス高かったな。次はすこし下げよう」

 セッターに声をかけられ、しゃがんだまま呆然としていた三村は顔をあげた。「あ、いえ」とっさに首を振ってしまったが、「……はい」

「もう一本統入れて!」

 セッターがスパイカー陣に言ってもう一本続けて打たせてくれる。

 またコートの後ろまで助走を取る際、何気ないそぶりで──内心ではおそるおそる、慎重に屈伸してみる。膝の奥で骨が鳴る音を体内で感じる以外は違和感や痛みがないことをもう一度たしかめてほっとする。

「も一本!」

 と手をあげて助走スタートした。

 二本目。さっきより低いトスがあがったが、今度もうまくあわせられなかった。打ったボールが白帯はくたいにばすんっと突っ込んだ。

 想像以上に……ジャンプ力が落ちていた。

 “統、スパイク練復帰したんやろ。おめー。どやった?”

 夜、高校の元チームメイトで作っているグループメッセージに昔の仲間からメッセージが来ていた。

 昨日はしゃいで報告しなければよかったなと後悔した。返信しづらいものの読んでしまったからにはなにか答えねばならない。普段は既読スルーなんか気にする間柄ではないが、返信しないと変に勘ぐられて気を遣われそうだ。

 苦楽をともにしてきた連中だ。正直に報告すればいい。

 “いやー聞いてくれや。やってみたら自分で引くくらいジャンプできんかったわ。トレーニングして戻してかんと完全になまってんなー!”

 正直に、ただし明るく伝わるように書いた。

 すぐに既読がいくつもつき、ぽこぽこと返信が届いた。

 “ほーなんかー。やっぱ統でもブランクきついんやな”

 “おれも今筋トレひっでしんどいわー。ほやけど最初のうちだけやっていうでな”

 “今度飯でも食おっせ。おれそっちまで行くわ”

 懐かしいイントネーションが仲間それぞれの声で頭の中に鮮明に聞こえてくる。地元に残った者は少ないのにここでは全員の連鎖反応でみんな福井弁に戻る。

 “おう、飯いこっせ潤五じゅんご。合宿いつ終わる?”

 福蜂の同期で関東に進学したのは三村と高杉たかすぎ潤五の二人だけだった。福井は交通事情においては西日本に属する。進学先としては関東よりも名古屋や京都や大阪、近いところなら同じ北陸圏の金沢へでる者がまだ多いのだ。

 既読の数からすると読んでいるはずなのに、一人だけなにも言わない者がいるのが少々気になった。

 “越智ー?”

 名指しで呼ぶ。既読は人数分ついたがやはり返信はない。

 “心配しすぎんなって。人のことよりおまえ唯一の浪人なんやぞ”

 “この流れにおれの浪人関係ねえやろ”

 と、今度は即座に越智からの返信が画面に届いた。

 “おまえらがバレーの話できゃっきゃしてる横でおれは夏季講の復習してんやっちゅうの”

 一度口を挟んでからは越智も普通に会話に加わってきた。

 喋っているうちにスマホを握ったまま寝落ちしていたようだ。つけっぱなしだった電気がまばゆくて目が覚めた。「眩し……」掠れた声で喘ぎ、枕もとに落ちていたスマホを手探りで掴んだ。

 “絶対寝落ちしたわ統”

 記憶が途絶えてからもしばらく続いていたやりとりを遡ると正確に言いあてられていた。

「あー……風呂入ってちゃんと電気消して寝んと……」と独りごちはしても起きないのが独り暮らしというものだ。

 七畳ほどの一人部屋だ。入寮時に備えつけられていた家具類は勉強机と収納棚とシングルベッド(フレームのみなので寝具は持ち込まねばならない)、それにエアコンと照明器具類。ドアの近くにつや消しのアルミ製の松葉杖が倒して置いてあった。もう使う用はないが、福井で通院していた頃からの物なので貸しだされているのか購入したのかもわからず処分できずにいた。

 起きる気にならず寝転がったままだらだらとスマホを眺めていると、さらに遡ったところにあった越智の発言が目についた。ここから読んだ覚えがないのでこのへんで寝落ちしたのだろう。

 “ほーやって報告できてるうちは大丈夫やろし、今は心配してえんわ。なんも言わんくなったときが心配や”

 ピピピッと床の上で電子音が鳴った。バランスボールからどてっと転げ落ちつつ残り0秒を表示しているストップウォッチを掴み、

「痛てて……つら……」

 手の中でとめたストップウォッチを持ったまま床に突っ伏した。浅く息を吸うだけで腹筋が締めつけられ、しばし呼吸もまともにできずに体育館の端っこで一人腹這いになっていた。体育館の真ん中で行われているスパイク&ブロック練の振動がここまで響き、腹筋を余計にじわじわ蝕んでくる。

 床に片頬をつけ、床の上から練習の活気を虚ろに眺める。

 ソールに貼りつけられたオレンジ色のラバーが特徴的なバレーボールシューズが視線の先をひっきりなしに駆け抜け、ダダンッと力強く床を踏んで跳びあがる。スピード感ある景色の端をバランスボールがゆっくり転がっていって壁の近くでとまった。

 別メニューに逆戻り、だ。

 一歩ずつでももとの状態に近づいていると信じてきたので精神的なダメージはさすがにあった。一年や二年どころかたった半年でもう巨大なロスを痛感している。もとの状態までいつ持っていけるのか……高校時代のレベルまで戻したとして、そのうえで大学で通用するレベルに引きあげるのにどれくらいかかるのかと思うと途方もなく遠く、努力の意味を見失いそうになる。

「ラストー!」

 という声がコートで響いた。

 スパイク側もブロック側も今一度気合いが入る。ネット上で激しくぶつかってはじきだされたボールが三村がいるほうへ飛んできた。ちょうど四つん這いから起きあがるところだった三村は反射的にそのまま床を蹴ってダイビングレシーブしようとした。

 ──その瞬間、膝を打つ恐怖が頭をよぎった。飛び込みきれず中途半端に床を滑った三村の頭の一メートルばかり先でボールが壁にぶつかった。

 膝をかばったら不必要に胸を打ち、けほっと咳がでた。

「あーくそ、ダセェ……初心者か……」

 ダイビングレシーブもできない不甲斐なさについ拳で床を叩く。

「統ー。大丈夫か?」

 壁に跳ね返ったボールを拾いにきた部員に声をかけられるとしかし、「いや、腹筋死んでるだけですー」とおどけた笑顔を作ってむくりと頭を起こした。

 一人だけ別メニューをこなしたあとはプロテインの粉末を溶かしたボトルを手にし、蒸した体育館内で気休め程度にまわっている扇風機の風にあたりながらちびちびと飲む。

 なんかどんどん不味くなってくるな……。粉末変わったわけじゃないよなあ? 喉を通っていかない液体に顔をしかめて乳褐色のボトルを見直してしまった。疲れ切っているときはプロテインすらがぶ飲みできるものだが、今はぜんぜん身体に染み込んでいかずにずっと喉が塞がれているような気がする。

 一日でも早く練習にフルで参加したい──と待ちきれなかった夏までの半年は気持ちに反して時間の進みが遅かった。スパイク練に復帰できたときにはやっと時間が大きく進んだ感覚だった。

 ところが時間というやつは底意地が悪い。

 復帰してから自分で期待したパフォーマンスがあがってこず、一日でも早くパフォーマンスを戻したい──という段階になると、逆に時間が待ってくれなくなった。思うような成果が得られず、もうちょっと時間が欲しいと思っているうちに毎日が過ぎていった。

 二ヶ月もあった夏休みが飛ぶように終わり、九月上旬から秋季リーグがはじまっていたが、この大会でも未だ三村はスタンド応援だった。背番号のついたユニフォームに袖を通す機会はまだ一度もない。

 “潤五、今日デビュー戦で初得点やったな”

 土日の試合を終えた夜、グループメッセージに三村が送ったメッセージにすぐに次々と返信が来た。

 “おお、まじけ潤五”

 “関東一部デビューおめでとさん”

 “ほうか、今日欅舎と臨大りんだいがあたる日やったな”

 という発言は越智だ。関東リーグのスケジュールをチェックしているのか。

 “んーああ。まあなんとか貢献できたな”

 当の高杉はそんなもったいぶった返事をよこしたが、三村は高杉の会心のガッツポーズを現場で見ていた。

 セット終盤でリードした臨海国際大がワンポイントブロッカーに高杉、リリーフサーバーにも高杉の同期の一年生を投入した。気を吐いてレギュラーと交代した高杉がブロックタッチを取り、自ら作った反撃のチャンスでトスをもらってスパイクも決めた。これ以上ない会心のデビュー戦だったろう。

 “それより統じゃ。統が敵のスタンドにいるときのやりにくさ、みんな想像したことあるか? 声でけぇでうるせぇわ、コートチェンジしたらこっちの頭の上越えてあっちまで声飛ばすでこっちの意思疎通しづらいわでひっで調子狂わされるんじゃ”

 “ひひひ。計画どーりじゃ。下で貢献できんぶんスタンドで仕事せなあかんしな”

 重いニュアンスで書いたつもりではなかったが、

 “統。はよ降りてこい、、、、、よ。おまえが上にいるのなんかに見慣れたないでな”

 という高杉からの返信がちょっと重くて次の返信に困った。

 “あせらすようなこと言うな、潤五。まだ一年たってねぇんやぞ”

 と越智まで生真面目な口を挟んできた。越智に関しては字面で受け取れるとおりのニュアンスで間違いない。

 “焦らされてえんって。おまえが気ぃ遣いすぎや”

 とがめたつもりはないのに越智に“すまん”と謝られてなんだかもうめんどくせぇ、という気になってくる。高校三年間、家族以上に時間を共有したメンバーなので気心は知れているのに、その仲間内ですら文字だけのやりとりはこんなにもニュアンスが伝わりづらいものか。

 別にホームシックになったわけではないが、顔を見て喋りたいなと思った。

 “なんも焦らんと、こっちはマイペースでやってるって”

 と送ってからなんか息をするように見栄を張ったなと我ながら思い、やっぱり顔をあわせなくて済む距離でいい気がした。文字だけのほうが楽に繕える。

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

閉じる

  • twitter
  • facebook
  • CX^O