2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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第一話 砂漠を進む英雄

10. OASIS

 しゃがんで両腕をバックスイングした体勢から、腕の振り込みと下肢の伸展の感覚をしっかり意識し、助走はつけずに跳びあがる。一メートル高のボックスの上にしゃがんだ姿勢で着地する。丸十年の競技生活の中で意識せずとも当たり前にやっていた全身の連係を一つ一つ確認して繋げなおす作業を地道に続け、ボックスの高さも段階的に一メートルまであげてきた。

 十二月──東京で生活しはじめて一年目の冬が来た。一月に受けた手術から丸一年が近づいていた。

 負荷をあげられるようになったトレーニングメニューをこなし、文句を言わずにプロテインに口をつける。うっすらと結露した板張りの床に脚を投げだして座っていると腿裏とふくらはぎから熱が奪われ、火照った身体が冷めていく。

 顎を反らして最後の数口をぐびっと呷った。飲みづらいのは相変わらずだったが無心になれば飲み干せるようになった。

 ボトルをおろして口を拭った三村の隣に二年生の先輩が自分の名前が書かれたボトルを手に腰をおろした。

「一年みんなそのまま飲んでんの? よくぐびぐび飲めるよなあ。おれ牛乳で割ってもらわないと不味くて無理だわ」

 ……なんやってか!?

 思わずばりばりの福井弁で素っ頓狂な声をあげそうになった。

 数ヶ月前の三村同様に食傷した顔でボトルの中身を減らすのに悪戦苦闘していた他の一年も目を剥いた。ひえっという悲鳴をあげた者までいて夏合宿でもないのに先輩に強制的に怪談を聞かされた合宿所みたいな空気になった。

 みんな同じココア味の粉末を溶かした乳褐色の液体だが、言われてみれば二年生のボトルの中身は乳褐色の“乳”の割合が多い色をしている。

「そんなカスタマイズサービスあったんすか!?」

「マネージャーに言ったら牛乳割りにできるぞ。牛乳苦手じゃなければ味も栄養価もあがるし」

「いいことづくしやないですか……」三村ががくっと脱力する傍らでさっそく一年生たちがマネージャーを探して我も我もと挙手しはじめた。

「……そういえばタケトさん、埼玉ですよね。高校のツレが上京してくるんで今度池袋で会うんですけど、どっか待ちあわせしやすい場所ないですか」

 会えないかと越智が言ってきてから一ヶ月以上たっていた。あれきり考えようともしていなかったのに、ふと気が晴れて訊いていた。

 ごく些細な、人から見れば他愛ないようなきっかけだったろうが、そういうものを這って探しては一滴ずつすすって喉の渇きを凌いでいるような時期だった。

 十二月二十五日の池袋駅はクリスマス気分の残滓ざんしにすがる人々を年の瀬の用をせわしなく済ませる人々が呑み込んで狂乱のような大混雑だった。

 教えてもらった定番待ちあわせスポットは池袋駅の地下コンコースにあり、想像より小ぶりのふくろうの像が台の上に鎮座していた。地下道の上流と下流から絶え間なく押し寄せる人々が小さなふくろうの前を交錯していく。

 流れの中洲にでかい奴が立っているとどうにも目立っていることに気づき、中洲から川辺へ移動した。大学に行くときの私服と変わりばえしない、アウトドアブランドのダウンジャケットにアディダスのスウェットパンツという恰好で地下通路の壁を背にすると景色にそれなりに融け込むことができてひと息つく。三村の目線ならここからでもふくろうの像は見える。

 壁と一体化してぼうっとしていると、

「統!」

 と呼ぶ声が聞こえた。しかしきょろきょろしても声の主の姿はまだ視界に入らない。大波小波を立てて流れていく人々の頭の向こうにふくろうの像が見えるだけだ。

「統!」

 さっきより近くで声が聞こえ、横合いから腕を引かれた。振り向くなり人ごみから身体を引っこ抜いて現れた越智がジャンプして頭をわし掴みにしてきたので横に向けた首を下にひねられるという技をキメられ、

「痛ぇ! 首グキッちゅうたわ!」

 夏休みの前半に帰省して以来会うのは五ヶ月ぶりだったが、五ヶ月ぶりに顔をあわせた越智への三村の第一声は抗議の声になった。

 三村の顔を両手で挟んだまま越智が鼻先を突きつけんばかりにして凝視してくるので文句のやり場を失って三村も口をつぐんだ。福井弁で大声をだしたので周囲で人待ち顔でスマホをいじっていた人々がちらほらと目をあげていた。

 いかにも浪人生然とした紺のダッフルコートにチノパン姿だが、いかにも運動部然とした直方体のエナメルバッグを担いでいるのが少々ちぐはぐだ。同じものを三村も三年間使い込んだ、『福蜂工業』とプリントされた深紅に黒ラインのエナメルバッグ。バッグに詰まった講習の教材の重みのぶんか、三村のほうが体重はあるが越智のほうに重心が持っていかれる。

「どんな顔してる?」

 越智の顔を見つめ返して三村は訊いた。

 自殺志願者を捜索に来たみたいな深刻さで三村の顔の隅々まで目を凝らしてから、越智がちょっと気抜けした声で答えた。

「……思ったほど酷い顔はしてえんな」

「安心したやろ?」

 と三村は得意げに相好を崩した。越智が両手をゆるめたので「いてて」と拘束を解かれた首を起こす。

「連絡、ようおまえからしてくれたな……あわせる顔ないとか思ってるんかと思ってたわ」

「おれのせいで受験に身ぃ入らんくて二浪させるわけにもいかんしな。来年越智がこっちの大学来たら、あわせる顔あってもなくても嫌でもあわすしなって思いなおしたわ。さてっと、飯行きたいけどおれも池袋ぜんぜん知らんし、潤五も呼んどいた。あいつ急に当日呼ぶなやって文句言ってたけど、のこのこ来てから呼ばんかったら許さんかったぞって絶対言うわ。スタバのフラペチーノ賭けてもいいけど。まじで賭けてもいいけど。今やってるクリスマス限定のチョコづくしのやつ今日までしか飲めんのやってー」

 我ながらわざとらしいくらいぺらぺらと軽薄に喋っていたが、むしろわざとらしさを察してもらっていいと思った。越智ならなにも気づかないふりをしてあわせてくれる。

 という期待に反して、越智が怒ったような顔を崩さず上目遣いに睨んでくるので調子よく並べていた言葉が空まわりして尻すぼみになった。

「今はおまえのかっこつけにつきあう義理はねぇぞ。顔見て腹立ったわ。なんや、まあまあちゃんとした顔しやがって……。このっ……あほがっ!」

 五ヶ月ぶりの再会の矢先に本気の罵声を吐き捨てられた。越智の剣幕に三村は目をみはってあとずさったが、逃げ場を与えまいとするように越智が踏みだしてきて壁際に追い詰められた。

「今はマネージャーやねぇでな。チーム守るためにおまえに無理さす立場やねぇでな。一対一の……親友やろ……? って思ってんのは、おれだけなんか? 親友として、おまえの本音が聞きたいんや……。いいか統……しんどいときは、ちゃんとしんどい顔見せろ」

 しわがれた声で言い募る越智の瞳に、涙が透明な膜を張った。

 自分が塞いで出口を失った感情が、かわりに越智のほうに流れる支流でもあるのだろうかと、頭の隅に常にある冷静な部分で不思議に思いながら、

「しんどい……」

 越智が耳を澄ますくらいの声で、ぼそりとこぼした。

「……日もある。けど、それ過ぎたらちょっといい日もちゃんとある」

 越智が怒気を収めてやっと表情をゆるめた。

「そんでいいんや。人間なんやで浮き沈みあって当たり前や。ほんでも腐らんし爆発もせんし、おまえはよう自制してる。どん底んときは人にあたらんように黙って感情殺してやり過ごしてんやろ。ほんで、ちゃんと自分できっかけ見つけて浮上してくる。ほんとその自制心はすげぇわ。尊敬するし、そこまですんのにあきれるわ」

「そんだけわかってるんやったら……それ以上言うな」

 と、突き放した言葉に「統……!」と越智がまた目を吊りあげた。

「かっこつけさせてくれ。おれのアイデンティティーを、他の誰でもないおまえが崩そうとすんな」

 スウェットパンツのポケットの中でスマホがメールの着信を伝えていた。時間的にたぶん高杉だろう。視線を落としてポケットに手を入れようとしたが、ダウンジャケットの上から越智に肘を押さえられた。

 目をあげると越智が悲痛な顔で唇を噛んで見つめてくる。目を逸らし、肘を張って越智の手を押しのけてスマホをだした。

「やっぱ潤五や。駅ついたけどいけふくろうってどこや、って言われてもおれも説明できんって。っちゅうかあいつも池袋わからんのけ」

 物言いたげな越智の視線を無視して軽い口調でメールを読みあげているうちに、改札のほうから流れてくる人波の中に川面から突きだした岩みたいにやっぱり人より頭一つ突きだしている高杉の顔が見えた。まだ距離があるうちから高杉のほうも三村を見つけて手を振り、そのまま人波に押し流されて近づいてきた。

「潤五とやとお互い見つけやすくて助かるわ」

「急に今日呼ぶなっちゅうの。自分勝手な奴やなまったく。おれこっちまででてくんの遠いんやぞ」

「すまんすまんー。声かけんほうがよかったか」

「あほか。呼ばんかったら許さんかったぞ」

「ほらな?」と三村がしたり顔を越智に向けると「なにがや」と訝しみつつ高杉も三村とほぼ同じ高さから越智に目を移し、

「よ、越智。東京こっちまで来て冬講お疲れ」

 気易く言いかけて、「げ」と迷惑そうな声をだした。

「あ、ああ……潤五もひさしぶりやな」

 越智が目を拭って体裁を繕ったが表情も声もあきらかに暗い。「統てめぇ……修羅場の緩衝材におれ呼びだしたんやねえやろな」「別にそういうわけやねえって」高杉とぼそぼそ言いあってアイコンタクトを交わし、鼻を赤くして涙ぐんでいる男友だちを仕方なく長身二人で死角に隠す位置に立った。

 仏頂面で俯いている越智を見下ろして三村は溜め息をつき、

「……なあ、越智」

 軽薄な調子を収めて呼んだ。「潤五も聞いてくれ」高杉にもちらと目をやる。越智が唇をへの字にしたまま上目遣いをよこした。

「おまえはおまえで今やらんとあかんことやって、黙って待っててくれんか……信じて待っててくれんか。本音聞きたいっちゅうなら、これが本音や──おれは福井で終わる気はない。絶対に這いあがって、戻る」

 こんなふうに心から心配してくれる友人を得た高校時代は今でも宝だと、これも本音で思う。

 高杉が微笑んで強めに肩を叩いてきた。三村もはにかんで高杉の肩を小突き返した。目線の高さで交わされるそんなやりとりに越智が体裁が悪そうに涙ぐんだ目を泳がせて口を尖らせた。

「……おれが潤五より統のこと信じてねぇみたいやげ。マネージャーやのに……」

 マネージャーじゃないからなと言った矢先のくせに、いつまでたってもやっぱり自分たちのマネージャーなのがおかしくて、頼もしい。

「ほんなら賭けはおれの勝ちやで越智がスタバで注文する係なー」

「なんや賭けって? 飯行くんでねぇんか?」

 ころっと軽薄な調子に戻って三村が言うと話が見えていない高杉が眉をひそめた。

「飯と別腹でフラペチーノの一番でかいサイズのくらいおれは飲めるぞ?」

「おまえの中身女子高生か。っちゅうかスタバどこにあるか知ってんけ」

「地上でればどっかにあるやろ。池袋やぞ」

 地上階にあがる階段のほうへと越智を目で促し、高杉と肩を並べて歩きだした。

 その途端、

「ちょっ、おまえらちょっととまれ」

 と背後で越智が突然声を高くした。豹変したテンションに高杉と揃ってぎょっとして振り返ると、前を行く二人の肩の高さに越智の視線が釘づけになっていた。

「統、おまえもしかしてまだ背ぇ伸びてるんけ?」

「待てや、まじけや!?」越智以上に声を高くしたのは高杉だ。

「ん?」と三村は自分の脳天に手をやった。「ほーなんかな……春リーグのプロフ用のやつ提出したっきりちゃんとは測ってえんで……」

 越智が三村の脇を追い抜いて階段を駆けあがった。一段目でくるりと振り向き、

「ここ来て背中あわしてみ」

 と階段の下に二人を立たせて背中あわせにさせる。蹴上けあげ約二十センチの階段を一段上ってやっと越智の身長が二人とだいたい並ぶ。二人の肩を両手で押さえ、踵を浮かせて二人の脳天の高さに目線をあわせる。三村はおとなしく直立したまま越智の真剣な顔と自分の脳天とに横目と上目を交互にやった。

「統のほうが絶対でけぇ……」

「う、嘘や! 靴の厚さやろ!」

 高杉が断固として信じないのでその場で二人ともスニーカーを脱ぎ、ソックスでコンクリの通路に立って背比べのやりなおしになった。混雑する駅構内の通路の真ん中でどう考えても通行の妨げになっている。人の流れが二手に割れて迷惑そうな目も向けられるが「おっきー」「でけー二人。いいなあ」「なにか撮影?」などと面白がって呟いていく人々も存外に多いのが幸いだ。

 高校最後の大会前の計測で高杉は当時のチームで最長身の一九〇センチ。三村はそれに一センチ足りない一八九センチ。計測と記録をしたのが他でもない、当時のマネージャーの越智だ。中学時代の三村は大きい選手ではなかったが高校に入ってから伸びはじめ、昔から背が高かった高杉にぐんぐん迫った。しかしさすがに高三までには伸びがとまったのでぎりぎりで追いつけず、高杉にしてみればぎりぎりで逃げ切った……のだが。

 最終的には越智がスマホの計測アプリまで起動して二人の脳天にあてがった。

「一・五……ほぼ二センチ、統のほうがでけぇ」

「二センチ!? 統、一九二!? 待てや、嘘や、こんだけ十分育った奴がいくらなんでもまだ三センチも伸びんやろ!?」

 背中をくっつけたまま高杉がもはや悲鳴じみた声で喚いた。

「ほーいや夏ぐらいから寮でなんべんか頭擦ったと思ったら……」

 自分たちくらいの背丈の者は建物の戸口は頭を下げて通るのが癖になっているが、それでもなにかにつけくぐり損ねて頭を打つのはあるある話だ(凄絶せいぜつな激突音をさせておいてなんでもないふりをしなければならないのもあるある話だ)。

「怪我したアスリートがリハビリ中に背ぇ伸びたって話は聞いたことあったけど……」

 越智も信じがたそうに呟きつつスマホをしまった。

 いい加減通行の邪魔をするのも限界だったのでスニーカーを拾い、「まじか……嘘や……まじか……」と放心状態でずっとぶつぶつ言っている高杉を押してそそくさと通路の端に退避した。

 しゃがんでスニーカーの紐を結びなおすとき、吸い寄せられるように膝頭に目が行った。

 スウェット生地が若干せた膝の位置が穿きはじめた頃より迫りあがっているのは、独り暮らし一年目の洗濯の失敗談とは関係なかったらしい。

 シビアな話だが日本人選手の中では一九〇台に乗るのと乗らないのとでは大きな違いがある。第一に実力次第なのは当然にしても、一九〇センチ台に乗ればトップクラスでプレーできるスパイカーとして期待される。

「統……」

 傍らで見下ろしている越智の、またこみあげてきた涙をこらえて震えた声が頭の上に聞こえた。

 スウェットの上から膝に触れると、皮膚を継ぎあわせている新旧二種類の手術痕の感触がはっきりとわかる。

「……」

 ふいに、折りたたんだ脚を抱え込んでうずくまり──

 地下通路を交錯する年末の喧噪けんそうの片隅で、醜い手術痕に口づけるように頭を垂れた。

 この縫い痕は手術で開いた皮膚と骨を継ぎあわせているだけではなかった。この一年は無駄な空白ではなく、五年後、十年後へと繋がっていた。

 水をたたえた大きなオアシスが目の前に現れた。もう一滴ずつ水を求めて這いずりまわらなくてもいい。これをしっかり掴んでまだ進んでいける。

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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