目次
- プロローグ スイングバイ
- 第一話 砂漠を進む英雄
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第二話
鋼 と宝石
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
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沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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第一話 砂漠を進む英雄
11. TAKE A CHANCE
セット終盤に入るまでに追いついて前にでたかったがそう簡単に綻びを見せる八重洲ではない。
欅舎21‐23八重洲から、やっと決定率があがってきた黒羽が決めて欅舎22‐23八重洲。一点差までは詰め寄っているが、八重洲が三セット目を取りきるまであと二点に迫っている。
負ける空気が味方コートをじわりと侵しはじめていることを三村は感じていた。
たった一点差だ。しかし終盤の同じ一点が八重洲にとっては安全圏のリードであり、欅舎にとっては彼方に遠い。こういう場面で勝てるビジョンを描いて勝ち切ることができるのが八重洲のようなチームだ──逆にこういう場面で勝ってこられなかったのがBチームの面々だ。負け癖がついていると競った試合で勝つビジョンが描けなくなる。
第一セット、第二セットと違って逆転可能なセットだ。絶対に取りたい。ここを取れば必ずこのチームの自信になる。
「次、スロットどこでもいいからフロントゾーンにレセプ入ったら破魔にコミットいこう、だそうです。このローテはC一本は必ず打ってます」
サーブ権を取り池端とかわってコートに戻ってきたディグリベロの江口がベンチからの伝言を携えてきた。
「スロット」とは九メートル幅のコートを縦に一メートルずつ九分割し、セッターにボールが返る場所やスパイカーがスパイクに入る場所を表す。
「コミット」はブロック戦術だ。コートの幅を使って複数のスパイカーが同時に入ってくる攻撃に対応するには「リードブロック」というブロック戦術が基本的に有効だ。トスがあがるのを見てから素早く移動してブロックを揃える。それに対して「コミットブロック」はトスではなく敵のスパイカーにあわせて跳ぶブロックなのでトスを振られる危険性があるが、あえてコミットを使う機というのも試合中に何度かはある。
「おっけ、健司とおれで破魔に仕掛けよう。セッターに入るまでは読まれんようにステイ」
と三村は辻と視線を交わした。
三村が前衛にあがりスパイクを決めた黒羽がサーブに下がる。サーブミスを怖れては攻められないのは無論だが、サーブが入らなければ無条件で八重洲にマッチポイントを渡す局面だ。サーブで削ってなんとしてもブロックでとめる必要がある。
外すときは豪快に外すが入れば強烈な黒羽のサーブがサイド際にぎりぎり入った!
破魔の踏み切りにコミットして三村・辻が跳ぶと同時に、早乙女のバックセットが電光石火の速さで破魔の左手に入った。うまく嵌まった──と確信したとき、破魔が腹筋から吐きだすような強く短い気合いを発し、そのまま豪腕を振り抜いた。
コミットで二枚の壁を作ったにもかかわらずスパイクコースが広い。銃弾で撃ち抜かれたかのような強烈な衝撃が左手の端を通過した。ワンタッチ、拾えるか──だが振り返ったときにはサイド方向に跳ねとんだボールが
破魔をとめられない……!
欅舎22‐24八重洲。二セットを取って王手をかけている八重洲にマッチポイントが灯った。ストレート負けを免れるには次で必ずサイドアウトを取り、さらにブレイクしてデュースに持ち込むことが必須になる。最後に残しておいたタイムアウトの権利を欅舎が使う。
『一本打たせたからもう破魔は切っちゃおう』
主務の久保塚がスピーカーモードにしたスマホがアナリスト席からの声を伝えた。息を切らせてベンチ前に集まったメンバーがさすがに無責任に聞こえる提案に
『早乙女がA1(Cクイック)あげる本数は今ので使い切った。うちの天才くんと違って早乙女は数字ほとんど一定なんだよ。勝負にでていいっしょ』
「ヤマ張れる状況か? 賭けが外れて破魔に打たれたら試合終わりだぞ」
辻が切羽詰まった顔に難色を浮かべた。ミドルブロッカーにしてみれば破魔のマークを外すのは相当の勇気がいる。
『数字踏まえたうえで勝負にでるのはヤマ張るのとは違うっしょ。オッズも参考にするけど最終的にはパドック見て勝負にいく馬決めるわけでしょ。それで勝つことも負けることもあるのは馬もバレーも一緒だけど、それをヤマカンとは言わないわけよ』
「競馬とバレー一緒にして語るな、クズアナリスト」
辻の悪態が胸にこたえたふうもなく染谷の声が続く。『浅野のストレートとめたいんだけどね。破魔は置いといてここもずっと抜かれてんだよな……』
「レフトに仕掛けましょう」
と、一年生ながら
破魔を切ってレフトに狙いを絞る。染谷の意見の支持を意味している。
「レフトに絞ればラインに寄り切れます。クロス打たせてとめましょう。ストレート締めれば浅野ならクロスに打ち分けてきます」
最終的な意見はまとまらないまま三十秒の時間いっぱいが過ぎた。副審に促されて慌ただしくコートに戻る。
ブロック戦略はサーブ権を得たあとの話だ。とにかくまずこのレセプション・アタックを決めてサイドアウトを取らないことにはなにもはじまらない。浅野が前衛にあがってサーバーは神馬。レセプションがあがらなければその時点で試合終了だ。レセプションを担う三村、池端、黒羽に最初のプレッシャーがかかる。
前に突っ込んできたサーブに三村が大きく一歩詰めて右手にあてた。AパスにはならないがBパスの範囲にあがった。レセプションのプレッシャーをクリア……! 灰島がダダッとボールの下に走ってくる。つんのめりながら三村はその足で助走に入るが、レフトまでまわり込むのは苦しい体勢になった。
「チカ、ショート!」
三村の声が耳に入るか入らないかというタイミングで灰島が瞬時に対応し、要求どおりのショートセットをあげてきた。
目の前に破魔・大苑の分厚い二枚ブロック。短い軌道であがったボールを身体の軸よりかなり右で捉えてブロックを躱す。押し潰すように頭の上に突きだしてくる四本の腕をかいくぐって破魔の脇の下から八重洲コートにはたき込んだ。
ホイッスルを聞いてからほっと息をついた。
まずサイドアウト……首が繋がった。
「……っし! ドンピシャ、チカ!」
笑顔で灰島にタッチを求める。まったく本当に、気持ちがよすぎて逆に悪魔に魂を抜かれるんじゃないかと思うくらい欲しいところぴったりにボールが届く。
「まだ勝負させられるトスはあげられてません。一番いいトス決めさせます」
灰島のほうはまだ物足りないような顔でタッチに応じた。
欅舎23‐24八重洲。依然として八重洲にマッチポイントを握られている。八重洲にとっては着実にレセプションから攻撃してサイドアウトを取れば勝てる状況だ。
破魔とマッチアップするミドルブロッカーには福田があがる。福田の肩を引き寄せて三村は囁いた。
「破魔は切るぞ」
目をみはってこちらを向いた福田の顔に自分が吐く湿った息の輪がかかった。福田が気負いで顔を強張らせつつも腹を括って頷いた。灰島に視線を送ると、こっちは最初から合点しており平然と頷き返してきた。
辻のサーブからレセプションが早乙女に入るやリードブロックより早いタイミングで灰島と福田がぱっとレフトへ走った。ほぼ同時に早乙女の手から離れたボールがレフトへ飛んだ。やはり破魔には来ない。染谷の好判断だ。もう一枚、最後に三村も福田を追ってネット沿いを走る。距離があいたまま福田と三村が同じタイミングで踏み切った。空中を流れて福田との残りの距離を詰めながらネットと正対して両手を突きだす。三村から福田、福田から灰島へと玉突き事故を起こしつつ、一番端の灰島がアンテナとの隙間を埋めた。
ストレートを厳しく締めて三枚ブロックが並んだ。ボール一個通る隙間もない。灰島が言い切ったとおり浅野がクロスに打ち抜いた。
ブロックを削ぎ取るような鋭いコースで三村の左脇をボールが抜ける。通すか、と左手の五指をいっぱいに開く。小指と薬指がボールを引っかける感覚。捕まえた──! 逃さず手首を固めて叩き落とした。
ドパンッ!と八重洲側にボールが沈んだ。
ネットから腕を引いて着地するなり三村は両手を広げて灰島と福田の首に抱きついていった。
「ぅお──っし!!」
後衛の仲間やベンチからも「うおおおお!!」「ナイスブロックー!!」と歓喜の雄叫びが続いた。
欅舎24‐24八重洲。八重洲に灯ったマッチポイントが消え、デュースに引きずり込んだ。次の一点を取ったほうが俄然有利になる。
「前でるぞッ!!」
一気に吹きはじめた追い風に煽られて全員で粘り、ワンタッチをもぎ取ると「ここ取るぞ!」「まくれまくれ!!」とコート内で気合いの入った怒号が飛び交う。攻守が入れ替わるやいなや灰島が助走に下がる三村と風を起こしてすれ違い、ボールの下へ猛然と走っていった。
三村はサイドへ大きく膨らんで再びネットに向かって助走に入った。十分な助走が取れた。最後の右足、左足の二歩を余裕をもって踏み込みながら、両腕をバックスイングして膝を深く沈める。
今日のこの短時間でもう何十回と全力のジャンプを繰り返している。しかし膝への不安も違和感もなかった。激しい試合に耐える力は戻っている。このセットで終わらせたくない。次のセットがあってもまだ思い切り跳べる。────好きなだけ跳べる。
自身の身体に全幅の信頼をおき、膝に溜めたエネルギーを爆発的に燃焼させて宙へ飛びだした。
高度をあげながら右腕を引き、身を反らしてテイクバックを完成させるあいだに灰島のトスが右目の端から飛んでくる。放物軌道の頂点でふわりと柔らかくとどまった瞬間、青と黄で構成されたパネルの柄と表面に刻印されたミカサのマークがくっきりと目視できた。ここで打てと言わんばかりの引力に打点をぐんっと引きあげられるような感覚で、自然と右腕が伸びてボールに届いた。
ブロックはまた破魔・大苑の二枚。だがブロックの“上”に道が見えた。
「!!」
ブロックの背後にレシーバーの影を認識した。もう腕は思い切り振っている。そのままインパクトするしかなかった。
八重洲コートを斜め真っ二つに分断して対角線上の奥いっぱいにボールが着弾する。そこに太明が待ち構えていた。ドゴンッと濁音が
普通リベロはブロックの脇や隙間を補完するためブロックの後ろにはいない。一抹の疑問が残ったがとにかくすぐに攻守の逆転に備える。一点先行されれば再び八重洲にマッチポイントが点灯する。
破魔が短く吼えるようにトスを呼んでCクイックに入ってくる。数字上は平均スパイク本数は打ち切っているとはいえここは早乙女がそれを超えて破魔を使う。
コミットでついてすら一度もとめることができていないクイックだ。どうにか最低でもワンタッチを取って後ろに繋ぐ執念で、ネット上で火を噴くような威力で打たれたボールに指を引っかけた。「ワンチ!!」繋がれ……! 祈る思いで振り返ると、高く跳ねとんだボールに黒羽がバックステップしながら飛びついた。頭上でボールをはたき返した途端黒羽はひっくり返ったが、コート中央付近にボールが浮いた。「ナイス祐仁!」
黒羽が欠けてスパイカーは三人だ。サイドのスパイカーにハイセットが託される場面だが、灰島の手からネット前へ縦にトスが飛び、福田のタテB!
豪胆なトスワークにも
ボールが繋がれば欅舎側がまた守りにまわる。一本一本必死で凌いでいる欅舎側に緊張感が衝きあがる。次を守りきれる確率は決して高くはない。ラリーが続くほどこっちの精神力が八重洲の倍のスピードで磨り減っていく。
「我慢我慢! 集中切らすな! ここ取るぞ!」
三村は手を叩いて味方を鼓舞した。
二年間の我慢を思えば、こうしてコートに立てている以上これくらいのことで気持ちは切らさない。
太明がコート外で滑り込んで繋いだがコート内まで返らない。カバーに走っていた早乙女の目の前でボールの方向が変わり、早乙女が身をひねってさらに繋ぐが、まだ返らない。神馬がさらにカバーに走る。三打目となりこの時点でスパイクでは返せない。ひとまず危機を凌いだ欅舎側に安堵が広がった。
神馬が打ち返すだけになったボールが八重洲コート上空を越え、欅舎のチャンスボールとなって返ってくる。
「行ける! 叩け!」
ネット前でボールを仰いだ福田に三村は怒鳴った。
福田がはっとしてその場で跳んだ。いかに破魔でも手をだせないボールだ。福田がダイレクトで八重洲側に叩き込んだ。
たまらず雄叫びをあげて拳を突きあげた福田に仲間が押し寄せた。福田の拳に四方から飛びつくようにみんなの手が伸びた。
欅舎25‐24八重洲。初めて前にでる!
「チカ、ナイスセット!」歓喜の輪をすり抜けて三村は灰島に手を差しのべた。「……勝負できたぞ。あげられたけどな」
「またあげます。勝ってください」
汗が光る顔をぎらぎらさせて灰島が
欅舎が我慢の末にセットポイントを掴んだ。八重洲ベンチからタイムアウトの申請はない。
今や流れは明白に傾いている。欅舎が粘ってラリーに持ち込んだ末に八重洲のトスが乱れ、浅野が打ち切れずプッシュで突っ込んだ。金城鉄壁の八重洲の城塞にほんのひと筋の綻びが見えた。江口が拾って欅舎のトランジション・アタックのチャンス。
「時間使って! このセット絶対勝てます!」
勝ち急ぐ気持ちが伝播して前に突っ込みかけていたコート内の空気に灰島の揺るぎのない声がブレーキをかけた。
ひと呼吸つかせるような高いパスが江口から灰島にあがり、スパイカー陣が互いの位置を確認しあってあらためて攻撃に入った。
まったく、一年生にしてこの強靱なメンタルだ──心強いわけだよな、と三年越しでやっと知った。この可愛げがないくらいのセッターを同じコートに置いて戦うチームはこんなにも心強かったのかと。
八重洲のブロック三枚に対し欅舎の攻撃四枚で優位に立つ。黒羽のバックセンターもあたりだしているため、ブロッカーはぎりぎりまで動かず灰島からあがるトスの行方を待つ。三人の中心で床をどっしりと踏みしめハンズアップしたまま微動だにしない破魔の瞳だけが細かく左右に動いて灰島とスパイカー陣の動きを捉える。
「レフトレフト!! チカ──!」
頼む、もう一本欲しい。もはや呼ぶというよりもトスを切望した。さっきの感覚が薄れないうちに、今ここで刻みつけたい。
再生された映像を見ているのかと錯覚するほどさっきとぴったり同じトスがあがってきた。前後のラリーが脳内で錯綜し、逆に一瞬現実感が遠のきそうになった。
より色濃く記憶と身体に感覚を塗り重ねるように空中でボールを捉えにいく。ネットの向こうでも同じプレーが再生されるかのように鉄黒のユニフォームが動く──五つの鉄黒の中で唯一、光り輝くゴールデンイエローのユニフォームがまた同じ場所に現れた。
間違いない、あっちのリベロはなにかしら確たる情報の上であそこに動いている。
おまえか──越智!!
目の前の六人の敵の他に、外からコートを俯瞰して情報を提供しているもう一人の見えざる敵の視線をはっきり感じた。
関東の大学でアナリストになるという告白を聞いて驚かされた日のことが、その視線とシンクロして脳裏に蘇った。
“おまえがいるチーム倒せるようなチーム作るんに貢献できたら、その経験ひっさげて、五年後とか十年後とかに、またおまえの力になれるはずやって思う”
待たせてすまんかったな……。
ひっで心配かけたけど、ずっと黙って見守っててくれてありがとな……。
あらためてほんと、腐るほど心配かけたよな……。
今日は目ぇ開いてそこからよう見とけや──やっと、この土俵でおまえと戦える。
文句のつけようがない打点でボールを捉え、力を乗せて振り切った。彗星が尾を引くように足の長い軌道で八重洲コートを斜めに突き抜ける。対角線上で構える太明の右を掠めてコーナーいっぱい──太明が身をひねりざま右手を払うように振りあげたが、前腕ではじいたボールが角度を変えて高々と吹っ飛んだ。脚を開いたまま一歩も動けず振り向くだけになった太明の視線の先で二階スタンドの手すりに激突した。
コートの真後ろの席の目の前だ。鈍い金属音を響かせて跳ねあがり、二階席に飛び込んだボールをそこに座っていた者がとっさに頭の上でキャッチした。
ノートパソコンを膝に置いたまま万歳してボールを掴んだ越智が目をみはっていた。この距離でもわかるくらい目もとと鼻の頭が真っ赤になっているのを見て、試合中だぞと三村はあきれつつ、くしゃっと破顔一笑した。
欅舎26‐24八重洲。第三セットを取っただけだが試合に勝ったかのような歓喜に欅舎コートがわいた。
味方を振り返って三村は拳を突きあげた。
「第四セットいくぞ!
大学が四年間あることを幸いに思った。まだラストイヤーじゃない。あとまるまる二年ある。
やっとこの土俵に立ったばかりだ。──
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
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沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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