目次
- プロローグ スイングバイ
- 第一話 砂漠を進む英雄
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第二話
鋼 と宝石
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
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沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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第二話
7. FIRED
「なん寝言言いようと!? 自分で言うとったやん、福岡に未練ないって! なんいつも気まま勝手に決めて好きなようにどっか行きようと!?」
大学卒業後は福岡に帰ると佐々尾から聞いたとき、七年前に東京の高校へ行くと佐々尾が言いだしたときと同じテンションで弓掛は激怒した。
福岡で新しく立ちあげる地域クラブの初期メンバーにかなり前から誘われていたというのだ。
「高校は正直やり残した気持ちもあったけど、大学はやり切って終われた」
満たされた顔で言われると、食ってかかった弓掛は怒りのぶつけ先がわからなくなって口ごもった。笑うと佐々尾の顎の左寄りにある古傷が突っ張る。七年前に取っ組みあいの喧嘩になったときに弓掛の頭突きを食らってできた縫い痕が、わりあい彫りの深い造作に
「だって、日本一は獲らせられんかったやろう」
「優勝杯二つ持たせてもらえばまずまずだろ」
そう言う佐々尾の中にはさらに次のカテゴリで一番を目指す渇望がなかった。……ないことが見て取れてしまった。
「次は福岡に恩返しに帰る」
佐々尾が福岡への恩を口にしてくれた嬉しさもあったが、急に恩返しなんて柄にもないことを言いだした
「……あんたはそうやっていつもおれの予想外の進路を選びよる。おれは歳じゃ絶対追いつけんのに、ずるか奴や……」
「社会にでたら二コ差なんてすぐあってないようなもんになるさ」
佐々尾が四年になったこの年度、慧明は春季リーグで初タイトル、東日本インカレで東日本王者タイトルと二冠を獲ったが、秋季リーグは十勝一敗が三校並ぶ中で八重洲、横体大に得点率でかわされて総合三位に沈んだ。最終日の横体戦で二セット以上取れば総合優勝が確定していたが、チーム全体としてそれを意識してしまい、1-3で試合も優勝もどちらも逃した。八重洲との直接対決では勝っていただけに悔やまれる結果だった。
シーズン最後の大会となる全日本インカレは準決勝で横体大に勝って挽回したが、決勝では“大魔神”こと
タイトルは二つ獲ったが、フルメンバーが揃い万全を期した八重洲との直接対決はすべて負けていた。
「おれはまずまずだなんて思っとらんよ。大魔神をきっちり倒しててっぺん獲らんと満足せんもんね」
ふんぞり返って言い放った弓掛を佐々尾が妙に真顔になって見つめてきた。
「なあ篤志。福岡に……」
「福岡に? なん?」
「……いや。あげはの面倒頼むわ。あっちはまだガッコ一年あるだろ。なんかあったら篤志呼べって言っといたから」
「おまえの女の面倒押しつけんといて! ほんともう、あげはが東京でてきとうのに、なんで広基が福岡帰るとよ……」
あげはというのは佐々尾がまだ福岡にいた中学時代につきあっていた彼女だ。佐々尾の一つ下、つまり弓掛の一つ上だが弓掛は中学が違ったため“面識はある”という程度だった。佐々尾はわかりやすい面食いなので当時からめっちゃかわいいことで有名だった。めっちゃギャルだったけど。
佐々尾は福岡を
というわけで佐々尾とヨリが戻ったのに、あげはが来てから一年後、佐々尾は大学を卒業して福岡に帰ったのだった。
あげはが佐々尾を追って東京に来たのかどうかは知らないが、もしそうならかわいそうやん……と弓掛はあげはに同情的だった。
“ねーねー今日の夜ヒマ? 渋谷でやるコンパの頭数足らんけん来てくれん?”
……考えすぎだった。
佐々尾と関係なく単に東京に来たかっただけっちゃろ、この女。
試合を終えて廊下で着替えようとするとスマホにメールの通知が来ているのが目に入った。まだ引かない試合の昂ぶりを抱えてメールを見た途端脱力感に襲われ、膝から崩れそうになった。
冷眼冷耳 冷情冷心
高校時代のスローガンを胸中で唱えて努めて冷静に返信した。
“リーグ中やけん行けるわけなかろう”
“じゃあよかー。直澄くんに頼むけん”
「直澄もリーグ中に決まっとうやろ!」
音速で来た返信に思わずスマホに唾を飛ばして怒鳴った。あのデコデコした爪が貼りついた指でどうやってこんな速さで入力できるんだ。
ベンチの荷物を運んで引きあげてきた山吹誠次郎、佐藤
「直澄さんだったらさっきスタンドにいましたよ。挨拶したとき八重洲の連中と一緒にいるの見えました。最後まで見てたみたいですね。あっちにとってもうちとの直接対決が正念場ですからねー。そりゃ真剣に見るでしょうね」
一年生リベロの豊多可が小生意気に鼻を鳴らし、
「控えがイキがんじゃねえよ。八重州戦出番なかったら今のおまえダセェからな」
二年生セッターの山吹がすげなく切って捨てた。
五月十四日、日曜日の今日は春季リーグ第九戦が行われている。慧明は第二試合で楠見大に勝利して全勝をキープし、来週の土曜、第十戦で八重洲戦を迎える。
その八重洲は第一試合で東武大を下し同じく全勝をキープ。リーグ後半になると無傷のチームが一校、一校と脱落していく中、全勝で残ったのが慧明と八重洲だ。
黒いチームポロシャツで統一した行列が二階スタンドからぞろぞろと降りてきた。廊下にまとめてあったリュックや荷物をめいめい担いで一階玄関のほうへと移動していく。チーム全体で慧明の試合を視察し、これから茨城までバスで引きあげるのだろう。
壁際でリュックを持ちあげる浅野の姿が目に入った。待機画面の通知を確認するように浅野がスマホに目を落としたが、すぐにリュックのポケットに放り込み、リュックを担いでチームのあとを歩きだした。
弓掛は汗で身体に貼りつくユニフォームを引っこ抜くように脱ぎ捨て、着替えのTシャツを掴んでその背中を追いかけた。
「直澄っ」
Tシャツに頭と腕を通しながら呼ぶと浅野が少々驚いて振り返った。破魔たち四年勢はもう先へ行っていたが、近くを歩いていた八重洲の部員がぎょっとした目を向けてきた。次戦であたる敵のエースである。リーグ前半は会場内でも気にせず話していたが、ゴールデンウィークがあけて直接対決が近づくとどちらからともなく会場内で親しくすることはなくなっていた。
「あげはからなんか来とう?」
「ああ、メール? さっと見ただけだけど、なんか夜ヒマかっていうのは来てた」
廊下で立ち話になった二人の脇を他大学の部員たちが追い越していく。第一試合で負けた八重洲からあえて間隔をあけて移動を開始したのだろう、東武大の面々だ。
「行かんでよかよ」
「篤志が言うなら行かないよ」
浅野がやわらかく微笑みつつすっぱり断ち切るように言った。用件の詳細も見る前の即断に逆に弓掛がちょっと怯んだ。たとえば浅野に真剣に告った女の子にもこんなふうに湿度の低い風がからりと吹くように断るのだろうかと一瞬想像してしまった。
「直澄、もしおれが」
ふいに訊いてみたくなった。
「八重洲なんか行かんどってって、もし言っとったら、篤志が言うなら行かないよって、言ったとや?」
冗談半分だったが、浅野が虚を衝かれたように一瞬絶句した。予想外に真に受けられ、言った弓掛のほうが戸惑った。
「二人ともお疲れ」
と、ちょうど二人に気づいて歩みをゆるめた東武の部員がいた。廊下の天井にもっとも脳天が近い二〇二センチ、川島
「ああ、お疲れー賢峻」
弓掛も浅野もはっとして互いから視線を外し川島に応えた。二人とも川島との対戦は終わっている。小中学生の頃から大会で顔をあわせてきた同学年だし、同じ選抜ユニフォームを着たこともある仲間だ。試合が終われば緊張感はゆるむ。
「次は合宿だよな。よろしく。ひさしぶりに参加できるけど、遅れを取らないように力を尽くす」
川島なりの静かだが確固たる自負を内に秘めて言い、完全には足をとめずに
「あ、うん。よろしく」
とその背中に応えた浅野の肩を見あげて弓掛は首をかしげた。
「合宿いつやっけ?」
「え? もう今月末だよ。篤志……」答えた浅野の声色が途中から低くなった。舌に
「うん……あれ?」
自分の声が変に調子っぱずれになった。
ユニバーシアード世代とU-23世代を中心にメンバーが選抜されるアジアカップという国際大会が夏にある。その選考と強化を兼ねた合宿がたしかにそろそろあってもおかしくない。今月末となれば参加者にまだ連絡が来ていないということは考えられない。
浅野のところにはもう来ているようだし、川島にも──腰痛に苦しめられて試合にでたりでなかったりしていた川島がアンダーエイジの合宿に呼ばれるのは高二の冬以来になるはずだ。
「あ、けど監督が伝え忘れとうだけかもしれんしね」
「そんなわけない、篤志」
浅野が即座に否定してきた。
「……わかっとう」
と弓掛もすぐに真顔に戻った。
「そんなわけなか。つまり賢峻が呼ばれたけんおれが外された」
「なんで……?」
浅野が漏らした疑問形は目の前の弓掛にではなく、もっと上の誰かや組織に向けられていた。U-23世代の代表監督はこの数年は横体大の監督が引き受けている。
「だって篤志は……」
「どっちにしても本チャンは来年のユニバとU-23の世界選手権やけん。また賢峻から取り返すよ。オポは枠が少ないし、賢峻とポジション争いするのはわかっとったし」
「篤志、けど」
「直澄」
口を挟もうとする浅野に釘を刺すように強い声で呼んだ。浅野の肘を掴んでこちらに正対させ、自分も浅野に身体の正面を向ける。物言いたげに唇を噛んで見下ろしてくる浅野の目をひたと見あげる。
「直澄とはフェアでいたい。わかっとろう?」
浅野も弓掛の目を見つめ返し、頷いた。
「うん……わかる」
弓掛は浅野とずっと同じ目線で歩いてきたつもりだし、物理的な身長差があっても浅野も弓掛を“見くだした”ことは一度もない。誰にだって同情なんか向けられたら腹が立つが、他の誰よりも、浅野にだけは憐れまれるのは嫌だ。
「……わかったよ。大丈夫だよな」
「うん。チームのバスに遅れよるよ。行かんとやろ」
「うん。じゃあ、来週」
来週の土曜が直接対決だ。
心を残しながらも浅野が目を切って身をひるがえした。八重州の部員も東武の部員ももう先へ行った廊下を駆けだしかけたが、肩越しに一度振り返り、
「さっきの、もしもの話さ。八重洲に行くなって、篤志がおれに言った可能性ってちょっとでもあった? なかっただろ。実際言わなかったし」
「そうやね。時間が巻き戻っても言わんと思う」
「じゃあ、意味ない
すらりとした後ろ姿がチームリュックを揺らして遠ざかっていき、一人になると溜め息が漏れそうになった。息をとめて半ばまででかかった溜め息を飲み込んだ。
「……」
こんなに簡単にクビになるものなのか。
という思いはどうしてもあった。高一でユースに招集されて以来弓掛はアンダーエイジの代表から外れたことはなかった。ユースとU-21では主将も任され、同期の選手やチームスタッフからの信頼も得ていると思っていた。
それが川島が復帰した途端呼ばれなくなるとは……川島が復帰するまでの繋ぎだったという、これは明白な宣告だ。
廊下の先から視線を外し、弓掛ももと来たほうへと戻ろうとしたが、きびすを返したところで足をとめた。
慧明の部員が壁に背中を預けて立っていた。
「……誠次郎」
とめていた息を吐きだして名前を呼んだ。
「二番手じゃ駄目なんですよね。わかります」
横顔をこちらに向けたまま山吹が
山吹は景星学園の“高校七冠”の大記録の二冠目から四冠目の年に主将を務め、一つ下の灰島と正セッターを争った間柄だ。
思えば山吹もアンダーエイジ代表の選考に恵まれない奴だった。
ウイングスパイカーとミドルブロッカーは同ポジションどうしで対角を組んでコートに二人ずつ入るが、オポジットは「セッター対角」を意味するポジション名だけあってセッターと対角を組み、コートに一人ずつしか入らない。
国際大会にエントリーされるのは最終的に十二名。リベロを含めた七名がスタメンとすると控えですら五名しか選ばれない。各ポジションの世代トップのプレーヤーしかほぼ選ばれないのだ。
アンダーエイジはU-19、U-21、U-23と二年ごとに区切られ、世界大会は隔年で開催される。育成世代は学年による力の差がまだ大きい。年齢制限内で学年が上の者のほうがどうしても有利だ。山吹の学年は世界大会の開催年に最高齢となる学年の常に一つ下にいるという不運を抱えている。そのうえセッターとしても一つ下を“天才”灰島、一つ上を選抜では長身セッターとして重用されている浅野に挟まれている。合宿に参加しても最後の十二名になかなか残れずにいるセッターだ。──“二番手じゃ駄目”なのだ。
山吹の腕を軽く叩いて戻る方向へ促し、
「おれは“一番”を証明する」
決意をこめて弓掛は言った。
選抜に呼ばれてアピールすることができないのなら、国内の大会で結果をだすしか再び呼ばれる方法はない。そう──未だ果たしていない、大魔神の三人を倒すことでしか。
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
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沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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