2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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第二話 はがねと宝石

8. TIPSY ALONE TOGETHER

 浅野が酔っている顔を初めて見た。

 十五名ほどが入れるカラオケルームのコの字形のソファに浅野とあげはを含む男女がまざって座っていた。女性陣はあげはと同じ雰囲気の、長い髪をハーフアップにしたりした綺麗な女の子たちだ。男性陣には学生っぽいカジュアルな私服の者のほかに社会人なのか就職活動中なのかスーツ姿の者もいたが、いずれも二十代前半だろう。

 そのグループに浅野が意外と違和感なく融け込んで、ウーロンハイのジョッキを傾けながら男性陣の談笑にまじっていた。テーブルに並んだ空のグラスや皿の数を見るに宴もたけなわといった頃合いだ。

 疎外感に戸口で怯んだ弓掛に浅野が顔を向け、

「あ、篤志来た」

 と、ちょっととろんとした目で言った。長い指が持つジョッキの中で、からん、と琥珀色の氷が涼しげに崩れた。

 “篤志、お願い! 今からでいいけん来てくれん?”

 リーグの試合会場で見たメールのあと、寮に帰り着いた頃にもまたあげはからメールが届いた。だけんリーグ中やって言っとうやろ……。通知を無視して寮で夕飯と風呂を済ませてから既読にするためにようやく本文を開き──その直後に寮を飛びだしてきたので、メールに書かれていた渋谷のカラオケ店に弓掛が駆けつけたのは夜九時を過ぎていた。

 電車で移動中もしやと思って浅野にメールで確認すると案の定、既読がつかない弓掛の代打で浅野が呼びだされていた。行かないよ、と体育館で話したときには躊躇なく切って捨てた浅野が茨城から呼びだしに応じ、弓掛より先に渋谷に着くところだった。

 最初に送ってきた浮かれぽんちなメールとは事情が変わっていることを浅野も察知していた。

 友だちと一緒におるんやけど、二次会からずっとわたしたち挟んで座ってくる男二人おって、ちょっとキモいんよ。

 さっき友だちとトイレ立ったとき廊下で待たれとった。キモい。

 どうしよう。帰るときもついてくるかも。

 ねえ、怖くなってきた……。

 メールを送ってくるごとに逼迫ひっぱく感が増していった。

 “あげはの面倒頼むわ。なんかあったら篤志呼べって言っといた”──佐々尾の言葉を信じて頼ってきたからには無下にするわけには当然いかなかった。
 
 

「ほんとありがと、篤志も直澄くんも。今度お礼するけんご飯食べいこーね」

「いいよ、そんなん。はよう家まで送っちゃり。おやすみ」

「うん。おやすみ」

「あんま気易くコンパとか行かんとき。まあ……おらん広基が一番悪かとやけど」

 あげはの友人の女の子が住む東急線の駅まで送り、タクシーに二人を乗せたところで弓掛と浅野の任務は一応完了した。

 特にしつこく絡んできたのが友人のほうを狙っていた男で、あげはは友人が一人にならないようずっとついていたようだ。あげは自身も恐怖を感じていただろうが友人を守るようにぴたりと寄り添って腕を組んでいた。

 佐々尾の彼女はめっちゃかわいいけどめっちゃギャルだと福岡時代は弓掛のまわりでも有名だった。しかしそれだけではない。佐々尾が惚れた女の子なのだから──芯が強くて優しい、“福岡の女”だ。

 この時間でも街灯りがまだきらびやかな東京の駅前から宵闇の中へ遠ざかっていくタクシーのテールランプを見送り、「ふあ……」と弓掛はあくびを噛み殺した。口を閉じて呑み込んだ呼気がアルコール臭かった。

 弓掛もあげはの後輩という立場で席に割り込んで三十分ほど飲んだ。三次会に移動しようかという話になりトイレに立つ者が増えたどさくさに紛れてあげはたちを連れて抜けてきたのだった。弓掛一人だったら着いた矢先に正面切って連れ帰ろうとして男とトラブルになっていたかもしれない。大学やバレー部の名前がでるようなトラブルは絶対に起こせなかったが、いざとなったときに自分の思考がそこに至ったかは自信がない。大事にならなかったのは浅野の計画的な立ちまわりのおかげだった。

「さてっと、どうしようか」

 駅前に二人で残されると浅野がすこし困ったように言った。

「とりあえず渋谷まで一緒に戻る?」

「ん……うん」

 弓掛も態度を決めかねてあいまいに頷いた。

 次は来週、コートの上で対峙する心づもりで昼間別れたのに、その日のうちに夜の街中なんていうシチュエーションで二人きりになるなんてもちろん想定外である。試合で倒す相手と一度定めた気持ちの持って行き場に困る。

 弓掛は寮で着替えてきたが浅野は試合会場での恰好のままだった。バスが大学に着くと寮まで戻らず都内にとんぼ返りしてきたのだろう。

 チームの服装で部外の酒席に出席することに浅野の大学は特に厳しそうではあるが、関東の名門国立・八重洲大学の校名と校章が刺繍された黒いポロシャツはあの場の年代の参加者に睨みを利かせるのに一役買ったはずだ。

「篤志、終電大丈夫? まだ寮まで帰れそう?」

「余裕はないけど、十一時半までに渋谷に戻れれば大丈夫やろ」

 でてきたばかりの改札へUターンする前にスマホで時刻表を調べた。慧明大は東京都は東京都だが、東京と聞いて想起される二十三区からはかけ離れた東京西郊に所在する。渋谷からだと井の頭線、京王線と乗り継いで小一時間だ。

「って、直澄は?」

「終電はまだ大丈夫だけど、バスはとっくにないから歩いて帰るよ」

 さらっと浅野は言ったがあの大学の最寄り駅から大学寮まで徒歩だとかなり距離がある。弓掛も試合で行ったことはあるがなにしろあそこはばかでかい大学都市だ。

 この時間帯、逆方面は都心から郊外へ帰宅する人々で溢れているが都心に戻る方面は空いていた。ドア付近に立つと浅野がちょっとだるそうにドアの脇の手すりに背中を預けた。

 トラブルなくあげはたちを帰すことができるよう周到に立ちまわっていた浅野の様子を見ると酔ったふりだったんじゃないかとも思っていたのだが、本当にけっこう飲んだようだ。浅野がどれくらい酒に強いのかも、普段どんな仲間とどんなふうに飲むのかも弓掛はよく知らない。

「巻き込んでごめん。広基のかわりに謝る」

「広基さんはおれの先輩でもあるよ」

「そっか……」

「それにちょっと……クサクサしてたから飲みたかったっていうのもあったし……。滅多にないけどね」

 浅野がぽろりと打ちあけ、きまりが悪そうに後頭部のやわらかい髪を掻きまわした。

 そつのない行動の裏でそんな内心を抱えてたのか。感心したし、浅野もそんな感情を持つときがあるのかと驚いた。

 車内アナウンスがまもなく終点・渋谷に到着することを告げた。ドアの上部を流れる電光掲示板の文字に二人の目が何気なく向く。弓掛にとっては首をもたげる高さにあるそれは浅野にとってはほぼ目線と同じ高さにある。

 渋谷で弓掛は井の頭線に、浅野は山手線の秋葉原方面に乗り換える。

「今からもう一軒行かん?」

 光の点で描かれる『渋谷』の文字を目で追っているうちに名残り惜しいような気持ちが増してきて、弓掛から誘った。

「直澄と、二人で飲みなおしたいっちゃけど……終電までちょっとは時間あるし」

 至近を流れる光の点を映していた浅野の瞳がぱちりとまたたいてから、こちらを向いた。赤味が残る目尻を下げて微笑み、

「じゃあ一緒に帰らない?」

 意味を掴みかねて弓掛はきょとんとした。

「おれの実家に。なんか帰るの面倒になってきたし。そっちに帰るかもって家にメールはしといたんだ」

 なるほど、実家。もし終電に乗り遅れても浅野には都内に避難先があるのだった。

「けどおれは終電乗らんと……」

「泊まってかない? 部屋飲みにしようよ。寝たくなったらすぐ寝れるしね。篤志ももうけっこう眠そうだ」

 高校どうしは交流があって合同合宿を重ねる仲だったし、選抜の合宿にも二人とも選ばれてきたので宿舎で一緒に夜を過ごしたことは幾度となくある。しかし双方の家に来る来ないの話になったことは一度もない。言うまでもなく東京と福岡とでは海を越える距離があったからだが、大学進学で弓掛が上京してきてからも、前よりずっとよく会っているような気がするわりには考えてみると試合会場でばかりだ。

 ずっとチームが違ったから。

「行きたい。直澄んち。一緒に行ってよか?」

「もちろん」浅野が頷き、悪戯っぽくくすりと笑った。「あげはさんたちが連れて帰られるのを阻止しに来たのにな」

「っていっても高校以降はずっと寮だからこっちの部屋には生活感ないんだけど。家族の物置にされて──っと」

 弓掛を先導して二階の部屋のドアをあけた浅野がその途端閉めた。

「なん?」

 首を突きだそうとした弓掛の視界を背中で塞ぎ「三十秒待ってて」とにこりとスマイルを残して弓掛をとめおくと、ドアの隙間から中へ身を滑り込ませた。

 初めてあがった家で一人にされ、廊下の壁にかかった馬の絵を眺めて手持ち無沙汰な時間を潰していると、ぱたぱたと階段を駆けあがってくる足音が聞こえた。

「もー、直ちゃんなんで直接二階にあげちゃうのー!」

 弓掛がそちらへ顔を向けるのと同時にぴょこんと廊下に飛びだしてきたのは、オーバーサイズのトレーナーにショートパンツという恰好の女子だった。

「お邪魔してます。凜奈りんなちゃん?」

 二つ下だという妹の話はちょくちょく聞いていたが直接対面するのはこれまた初めてだ。まだ高校生にしか見えないが四月に大学生になり都内の私大に自宅から通っていると聞いている。

「弓掛くん!」

 妹だと言われれば腑に落ちる、浅野と共通点がある顔がぱあっと輝いた。浅野よりも幼いがすっきりした目鼻立ちが爽やかで好ましい印象を持った。

「おれのこと知っとうと?」

「直ちゃんが高校のときはいつも大会観にいってたから。直ちゃん一回も連れてきてくれないからほんとに友だちなのか疑ってたんだよ」

「遠かったけんね。普通に気軽には来られんよ」

「凜奈あー」

 弓掛の横合いでドアがあき、片腕に洗濯物の山を引っかけた浅野が顔をだした。外ではあまり聞かないちょっとぶっきらぼうな口調で「メールしただろ。おれの部屋に置いてあるものあったら引きあげといてって」

「あっ直ちゃんってばっ」浅野に駆け寄った凜奈が「もーっ、無神経」と怒って洗濯物を奪い取って抱え込んだ。浅野が無神経とは……およそ外では浅野に対して投げかけられない言葉だ。

「弓掛くんも連れてくるっていうメールは直前だったんだもんー。乾燥機にかけられないものしか干してないよ」

「おれ一人で帰るにしても凜奈と母さんの洗濯物は取り込んどいてくれたほうがいいね……」

「直ちゃんが取り込んでくれたほうが早いじゃんー」

「聞いた? これが“便利な高枝切りばさみ”の扱いですよ」

 兄妹のやりとりを所在なげに見ていた弓掛に浅野が冗談めかして目配せしてきた。弓掛にも弟を挟んで一番下に妹がいるが、歳がかなり離れているので関係性はずいぶん違う。

「はい、未成年は退場。おれも篤志も明日は大学戻らないとだし、そんな遅くまで起きてないから」

 追い立てられた凜奈が「はーい……」と頬を膨らませつつ素直に頷いたが、「ね。直ちゃん」と浅野の手を引っ張った。背伸びをして耳打ちしようとする凜奈が届く高さまで浅野が頭をかなり下げてやる。なんだかんだ言うが慕われてるんだろうと、浅野の腕に腕をからめて口を寄せる凜奈の様子から見て取れた。そりゃあ浅野みたいな兄だったら自慢じゃないわけがない。

 自分の妹はまだ小学生だが、私大なんか当たり前に行かせてやれるのかなと、る方ないことがふと頭をよぎった。

「明日帰る前に写真撮ってって頼んで、だって」

 凜奈が離れると浅野があきれた顔で通訳した。

「ああ、うん。ぜんぜんよかよ」

「おれ通す意味あった? そのくらい直接言えば?」

 家族に対してはやはり少々ぶっきらぼうだ。浅野は誰の前でもだいたい自然体だが、それでも完全に素ではないのだろう。

 生活感がないと言っていたが、部屋に通されてみて感じたのは、とあるはっきりした時点で時間がとまっているということだった。

 本棚に差さっている教科書類は中学三年までのものだ。バレー雑誌の付録と思しきカレンダーつきのポスターの西暦も自分たちが中三だった六年前で、ポスターに写っているVリーガーはたしか去年引退している。ボールが一つ床に転がっていた。自分たちの高校時代まで現役だった、旧モデルのミカサのボールだ。……が、そういうものたちの中で天井付近に張られた物干しロープが唯一現役の生活感をひしひしと主張していた。

「直澄が兄貴やっとう顔って初めて見たけど、豊多可ゆたかや誠次郎の扱い方に慣れとるわけやんねって納得した」

「あー。たしかに一コや二コ下の面倒みさせられてきたね……慣れたくもなかったけど」

 物干しロープを撤去しながら浅野がげんなりしたように答える。易々と天井に手が届くので凜奈の言い分もわからなくもない。弓掛は本棚の前まで踏み入り、バレー雑誌の何年も前の号の背表紙をひととおり眺めた。バレー雑誌を毎号買える小遣いがあったという、些細なような大きいような自分との違いをふとまた思う。

 どっちかが寝たくなったらすぐ寝ようと、一階から布団を運んできて就寝準備も万端にしてから二人で飲みなおしとなり、床に差し向かいで座った。

 道中のコンビニで買いだしをしてきたが、缶のアルコール飲料を一本ずつと食べ物を軽く見繕ってきた程度だ。酔い潰れたいわけではなく話をしたい浅野の目的を弓掛もそれで察した。冷蔵ケースからレモンサワーを一本取ってカゴに入れた浅野に「篤志は? なに買う?」と訊かれ、一本買うならこのメーカーのこれなのか、と浅野の嗜好しこうを一つ知った気分で弓掛はハイボールを一本取り、浅野が持ったカゴに入れた。「一本買うなら篤志はこれなんだ」浅野がカゴを見下ろしてどこか楽しげに言った。

 こんなふうに浅野とサシで飲むのは初めてだ。けれどまるでちょくちょくそうしているみたいに肩肘を張らずに思い思いのタイミングでプルタブを引いた。プシュッ、と小気味よい音が二つ続いた。

 カラオケ店では成功させねばならないミッションがあったので抑制していたのか、店での飲み方より大胆に浅野が缶をあおり、音を立てて喉仏を上下させた。

「直澄が荒れとうとこ見るのは貴重やね」

 弓掛はハイボールをひと口呷ると、あぐらを組んだ右膝に缶を乗せて片手で支えた。床に転がっていたボールにもう一方の手を伸ばしてたぐり寄せる。最近はもう触ることがなくなっていた旧モデルのボールの感触が懐かしい。回転をつけて軽く投げあげたボールを中指の先でくるくるとまわす。

「たぶん篤志が思ってるほど、おれは潔白じゃないよ……」

 缶を持った手をあぐらの真ん中におろして浅野が長息した。いつも浅野のそばにいると清涼な水辺に立ったような空気に触れるが、今日は不透明な呼気がふわっと漂った。

「春高だって……みんなが聖地だって思ってるみたいには、おれには思えなかった。優勝したとき、ざまあみろっておれは思ったんだよ。あの大会に対して、ざまあみろって」

 高校の頃には聞かなかった話を浅野が吐露した。

 小学六年の全国大会で出会ってから、数えてみると今年で十年目だ。十年目にして今まで知らなかった浅野の面に今日いくつも触れた。身近で学校生活や練習をともにするチームメイトだったらきっととっくに知っていたことばかりだ。

 一度も所属チームが同じになったことがないのだと再認識させられた。

 それでいて、まだぜんぜん浅野のことを知らなかったという寂寥せきりょうを感じたわけでもないのだった。新しく知った要素がどれもこれまでに弓掛が知っていた浅野にしっくりとなじんだ。弓掛の中にあった浅野の像はどこもぶれてはいない。

「今のアンダーエイジをずっと先頭で引っ張ってきたのは篤志だ。賢峻けんしゅんが復帰したからって急に、なんで……」

「理由ははっきりしとう。わかっとろう? そしたらおれは、そのハンデがあっても有用なプレーヤーやってことを証明するしかない。試合にでたら貢献できるってことを」

「ずっと証明してきただろ! 十分すぎるくらい証明してきたし貢献してきた」

「まだ大魔神に勝っとらん」

「勝てばゴールがあるものならいいよ。でもこれには篤志がっ……」

 思わず感情が噴出したように浅野の語気が強くなった。ぎゅっと唇を噛みしめ、やりきれない感情を飲み込んで声を絞りだす。

「……篤志が報われるゴールは、どこにもないかもしれない……。篤志に起こってることは理不尽なんだ。怒っていいんだ。理不尽な目に遭ってるのに気づかないふりしなくていいんだ」

 川島にかわって弓掛が外れた理由は明白だ。

 身長の足切り──綺麗事を言ったところで現実に存在する。

 テクニックであれジャンプ力であれ、あるいはメンタルの強さであれ、最初はぱっとしなかったとしても正しい方向性をもって時間をかければ伸びる可能性が誰にでもある。弓掛が評価されてきた武器はどれも、他の誰にとっても後天的に伸びる余地があるものだ。

 ただ、身長は最大の“天性”だ。将来性を鑑みれば大きい選手が優遇され育てられるのは仕方がない。

 川島賢峻は中学生の頃からそうやって期待をかけられてきた。途中の故障が何年に及んでも見切られず、大切に守られてきた。川島自身も腐ることなく、その実直さで自分の身体を大切にケアしてきて今の復調がある。川島がいい選手なのは間違いない。川島を簡単に切らなかった“上の人々”の目が濁っているとは弓掛は思わない。

「気づかんふりはしとらんよ。おれは今までもずっとその理不尽な条件でやってきた。腹くくっとうってだけよ」

 結局弓掛が頑なに押し通し、浅野に説得を諦めさせた。浅野が沈痛な顔で目を背けた。

「……来週、おれは篤志の力にはなれない。それだけじゃなくて篤志が勝つのを阻止しなきゃならない」

「うん。それでいい。直澄の気持ちはわかっとるけん……それで十分」

 片手でもてあそんでいたボールを掴む。腕を伸ばして浅野の目の前にボールを突きつけると、はっと目をあげた浅野の顔が脊髄反射のようにきりりと引き締まった。

 ネットをあいだに挟んでいるときと同じ、強い視線がぶつかった。浅野と向かいあうとき、二人のあいだにはネットがあることのほうが多かった。

「同じ側のコートで力を貸すんじゃなくて、自分の側のコートで一人前の──一人前以上の戦力になるために、直澄は強くなってきたとやろ?」

 高校で対戦するたび、ネットの向こうの浅野が強くなっているのを弓掛は毎年実感していた。やがて景星の主将にもなり、八重洲大学から声がかかるほどの存在になり……弓掛が参加しない今度の合宿のキャプテンは浅野が任されるだろうと思っている。

「ニコイチで補いあうんじゃない。それぞれの場所で、それぞれ自分の力でずっと戦っとる。それでよかとよ──おれと直澄は」

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壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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