2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

閉じる

第二話 はがねと宝石

9. STEEL VERSUS JEWEL

 欅舎けやきしゃが楠見から二セット連取したという報がもたらされた。

 次に試合を控えて廊下で身体をほぐしていた八重洲の選手陣に「ほう」と軽いどよめきが広がり、アリーナの熱戦の様子を七割ほど刈り取って響かせている分厚い鉄扉に視線が向けられた。

 八重洲の出番は第一試合の欅舎・楠見戦の直後、同じコートの第二試合だ。

 相手は──慧明けいめい

 全体集合がかかると越智がノートパソコンを抱えて二階スタンドから駆けおりてきた。座ってストレッチをしていた浅野も立ちあがった。

「仕事中にお疲れ」

「欅はスト勝ちをもぎ取る気迫や。本気でまだ優勝狙ってる」

 声をかけると、越智が常ならず興奮して食いつくように言ってきた。立ったまま胸の前でノートパソコンを開き、

「セット落とさんで楠見に勝ったら欅は一敗キープ。失セットもうちに負けたぶんの3入れても全部でまだ6や。まだ優勝争いから脱落せんと最終日まで残る」

 早口で続ける越智の声がなにかに憑かれたみたいに熱を帯びてうわずってくる。画面に表示されているのは表計算ソフトで作られた星取表だ。文字が読めないほど細かな表の縦軸と横軸それぞれに十二チームが並べられ、終了した対戦の結果のほか、セット率や得点率も書き込まれている。

 パソコンを閉じて胸にぎゅっと抱え、

すばるが……八戦目からずっとスタメン取ってる……」

 筐体きょうたいの角を掴んだ指が震えていた。

「け、慧明戦に集中せんとな。天王山や。気ぃ抜いてかかれる相手やねえな」

「越智はさ、三村と戦ったときって、どうだった?」

 はっとして表情をしかつめらしく切り替えた越智に、話題を引き戻すようなことを浅野は訊いた。

「どうっちゅうんは、どういう意味で?」

 越智が訝しげに首をかしげた。

「ああ、そうだな、あいまいな訊き方しちゃったな……」自嘲気味に笑って視線を逃がし、「できればやりたくないって思ったとか……手をゆるめたくならなかったか……ってことなのかな……」ああ、なんだろうこの歯切れの悪い言い方は。事象をきちんと言語化して誰にでもわかるように伝えようと浅野は平素から心がけているが、今の気分がうまく言語化できない。

「──ゾクゾクした」

 という答えに、視線を引っ張り戻された。

 普段ローテンションな印象の一重まぶたが見開かれ、瞳が明るく輝いていた。

「やりたくないなんて、試合中は考えもせんかったわ。統が敵にいるんに興奮した。統と戦えるんが誇らしいような気持ちやった」

「……だよな」

 と、浅野は微笑んで頷いた。

 仲いい奴とあたったときこそこいつ絶対叩き潰して参ったって言わせるって思う、と越智に言ったのはほかでもない自分なのにな。

「直澄? なんかあったんか?」

 越智が気懸かりげに訊いてきたが、堅持けんもちが歩いてくるのが見えて周囲の空気が引き締まった。

「集合!」

 太明たいめいの号令で各々のペースで準備をしていた部員の意識が一つに束ねられた。リノリウムの床にシューズの足音が何十も響き、堅持と太明を中心に黒のチームTシャツで揃えた部員が集合する。浅野と越智も立ち話をやめてそこへ合流した。

「礼! よろしくお願いします!」

 太明の声がこのリーグ中でも特に強く響いた。

「よろしくお願いします!!」

 同じように気合いが入った声が唱和した。

 なおれ、と指示したが緊張感をゆるめず太明が本題に切り込んだ。

「弓掛サーブには四枚レセプションで入れるローテをあてる。昨日話したとおりバンチ基本から弓掛が来たらライトにデディケート。トス伸びたらストレートにぶっ込んでくる。直澄──」

 太明の視線が集まった部員の顔を軽く一望し、越智と一緒に後ろ寄りにいた浅野に向けられた。

神馬かんばと半々で弓掛にぶつける。基準大事だからきっちり作って。頼むな」

「はい。──微力を尽くして、潰します」

 淡々と応えた浅野の横顔に越智がそっと斜め上目遣いをよこした。

「弓掛に対してはとにかく前衛後衛全員で防衛する。あの恐竜に好きなように暴れられたらたまらない」

 いつも明朗な太明の声も険しく引き締まっている。慧明と八重洲とは去年のタイトル四つを半分ずつ分けあったが、破魔はま、神馬、大苑おおぞのが出場した二大会では八重洲がしっかり勝っている。慧明を、そして弓掛を抑えたフルメンバーが今日の試合も揃っているが、油断が入り込む隙間はなかった。最大レベルの警戒をもって慧明戦にあたらんとしている四年生の気迫が三年生以下の気のゆるみも許していない。

「──大学ナンバーワンのサイドだ」

 黙って太明の指示を聞いていた破魔が口を開いた。バリトンの中でも最低音のバス・バリトンが重量感をともなって部員たちの足もとに長い波長で広がった。八重洲のサイドにはシニアの日本代表経験者でもある神馬、大苑がいる。しかし二人も異論がなさそうに破魔のほうを見て顎を引いた。

「大学ナンバーワン・サイドが執念でうちに勝ちに来る」

 と太明も破魔の言葉を引き継いで続け、凄みのある声色で言い切った。

「ただ、今年は慧明に一勝もやらない」

 小さな電流が走るような感覚が浅野の皮下をぴりぴりと這った。

 篤志……。聞かせたいよ。おれたちの学年にとって偉大な、畏れるべき存在だった人たちが、篤志のことをこんなふうに言ってるんだ。

 そして、弓掛に不遇を強いている人々に声を大にして喧伝けんでんしたい。

 大学ナンバーワンのミドルが破魔であることは万人の疑いようがない。大学ナンバーワンのサイドは神馬や大苑ではなく、かつて全国大会決勝で六度、自分たちの手で退けた箕宿みぼし高校の弓掛だと、当人たちが兜を脱いで評価している。弓掛が何度も立ち向かい、そのたび跳ね返されてきた強大な壁が、弓掛篤志が脅威だ、、、、、、、、と、率直に認めている。

 ──そのうえで、意地と自負をもって、今年は一度も勝たせないと決意している。

3-0さんぜろで第一試合終わりそうです!」

 アリーナの出入り口から一年生が飛びだしてきて声を張りあげた。

「スト勝ちか。欅も振り落とされないな」

 太明がそちらに頷き、

「これでどうなんの?」

 と裕木ゆうきに訊ねた。手もとのクリップボードをめくる裕木に越智が駆け寄った。二人で顔を寄せて手短に確認の会話を終えると、クリップボードから目をあげた裕木が堅持のほうを一度見てから、滔々とうとうそらんじた。

「欅が一敗で失セット6。失セット増やさなかったのはでかい。昨日の終了時点での単独三位は今んとこ変わらない。0敗はうちと慧明。セット率で上位に立っておきたいとこだったけど、失セットも3で並んでる。欅に一セットくれてやったのが微妙に響いたな。

 で、万一だけど、今日慧明に負けたら一敗・失セット6で欅に並ばれる。最終日の慧明・欅戦で欅に勝ってもらわないとうちは優勝の可能性がなくなる。もちろんうちも横体戦を残してるから気は抜けない」

「最終日に慧明の負け待ちするんじゃ秋リーグと同じだ。自力優勝したい──」

 太明がそう言って破魔とアイコンタクトを交わした。

「今日慧明を全勝から引きずりおろして単独首位に立つ」

 ピ────!

 鉄扉の向こうで試合終了を告げるホイッスルが響き、くぐもった歓声がわき起こった。越智がはっとして鉄扉を振り向いた。「勝った」と唇が小さく動くのが読み取れた。

「入場!」

 太明の号令が響いた。

 廊下の端と端の鉄扉から八重洲・慧明それぞれの旗持ちが一番槍でアリーナへと躍りでる。慧明の旗持ちは一年生の上一うえいちである亜嵐あらんだ。褐色の長い腕で竿を掲げて「イエ──ッ!」と甲高い雄叫びをあげ、野山を跳ねるカモシカのように軽やかに走る亜嵐とともにターコイズブルーの大きな旗が空を駆ける。そのあとを青い宝石色のTシャツの部員たちが水しぶきが噴きだすように飛びだしていった。

『玉磨かざれば光なし 慧明大学』

 スタンドの手すりに結びつけられた横断幕が掲げるスローガンは、智慧ちえの「慧」の字を冠する大学名と宝石色のカレッジカラーにふさわしい、全学生・職員に求める慧明大学自体の理念でもある。その横断幕の下を溌剌はつらつとした歓声とともに駆け抜けた部員たちがコートに集合し、旗を囲んで円陣を組んだ。

 一方の八重洲側では一年生の旗持ちが鉄黒の大旗を頭上でぐおんっと振りまわした。八重洲の旗持ちに受け継がれるおごそかな旗さばきが布地の旗を硬い板金のように錯覚させる。旗の重量に引っ張られるように旗持ちがドンッという一歩を踏んだ。

 旗持ちが露払いをしたあとを太明が歩きだす。黒いTシャツに映える金の髪が鉄扉をくぐった途端、アリーナの照明を反射して光の粒を振りまいた。そのあとを破魔、神馬、大苑、他の部員たちが連なる。黒の布地に白抜きの筆文字でスローガンが躍る横断幕が張られたスタンドの下を整然とした列をなし、キュ、キュ、キュ、キュ──と、シューズの音を一歩一歩故意に高く響かせて進軍する。

『剛にして柔 八重洲大学体育会バレーボール部』

 八重洲が追求するバレーを掲げた横断幕の真上のスタンドでは控え部員がプラスチックのメガホンをずらりと並べ、校歌の斉唱で選手陣を迎える。メガホンを通した低音の合唱がフロアの床を震わせる。

 対照的な二校の入場を迎えるスタンドは、リーグ最終日の一日前にもかかわらず満員に近いギャラリーで埋まっている。テレビ放送もなければ華やかなゲストが来るわけでもないので大学のリーグ戦の会場が満員で埋まることはそうそうないが、全勝を守る二校の直接対決──事実上の今日が頂上決戦だ。ネット配信のほうにも多くの視聴者がアクセスしているだろう。

 欅舎がストレート勝ちし、最終戦に優勝の可能性を繋いだ直後だ。前の試合の興奮さめやらぬ会場に現れた八重洲の物々しい進軍にギャラリーがどよめき、昂揚したまなざしが注がれる。

 四年生に続いて主力の一翼として行列に加わる浅野もまたシューズの底が床を鳴らす音を意識的に顕示して歩く。

 テレビ放送でおなじみのカラフルなタラフレックスシートのコートよりも、八重洲大学の威容は板張りの体育館にそぐう。

 両チームのウォーミングアップ中に第一試合を終えた欅舎、楠見の下級生たちが審判を務めるためばらばらとフロアに現れた。フル出場した直後の灰島と黒羽も白いポロシャツとネイビーのロンパンにすぐに着替えて走ってきた。一ヶ月半のあいだほぼ毎週末、五セットマッチを十試合経験するうちに、一年生二人にも欅舎大のカラーがすっかり馴染んだように見える。

 一ヶ月半前の開幕日にはわりあい軽い気持ちで言っただけだったが、自分の言葉がまるで言霊になったように的中し、今大会の“台風の目”となった欅舎が初優勝を狙える位置につけている。

「三分後からプロトコル! 着替えてない奴急いで着替え行って!」

 公式練習の時間が近づくと八重洲のベンチ入りメンバーに裕木の声がかかった。

 慧明側でもベンチ入りメンバーが順次コートを離れて廊下に姿を消していく。両チームとも練習Tシャツからユニフォームに着替えた選手たちが再びコートに集まってくる。

 一九一センチの浅野は上二うえに──身長順で三年生の中で二番目だ。鉄黒の地にシルバーでプリントされたナンバーはこの春から11番。同じ三年生で正セッターとして一緒にコートに入る早乙女は一八五センチで17番だ。

 関東一部の多くのチームでは四年、三年、二年、一年の順にナンバーが割り振られ、そして主将が1番をつけるのを除き、各学年内では身長順に若い数字をもらうのが定型化している。ルールが明確なので数字の大小をチームメイト間で比較してわだかまりが芽生える余地がない。大所帯の横体大などは一年生が50番台まで下るが、だいたいどの大学もユニフォームのナンバーで学年がわかる。

 弓掛のナンバーは15番。慧明は八重洲より部員が少ないので数字は早乙女より若いが、リベロや事務方をあわせても弓掛が三年の中でしんがりの数字を背負う。胸のナンバーの下に付されたアンダーラインはコートキャプテンを表している。

 八重洲は2番という若い数字をつける破魔がキャプテンマークを持つのに対し、慧明のキャプテンマークを持っているのが15番の弓掛だ。主将は四年の七見ななみだが今リーグはリリーフサーバーとしてベンチ入りしておりスタメンでコートに入らない。三年生にして弓掛がこの春からキャプテンマークを預かった。

 “八重洲ブラック”対“慧明ブルー”。フロアを挟んで向かいあう二色の横断幕が睥睨へいげいする下、それぞれが背負った横断幕と同じ色のユニフォームを着た二校のスターティング・メンバーがコートに散った。

 ベンチに残った裕木が慧明のスターティング・ラインナップを目視し、コートの太明・破魔と視線を交わした。まずは想定内。見込みどおりのマッチアップだ。両チームとも「S1」スタート。セッター(S)がバックライト(コート・ポジション番号1)にいるローテーションが「S1」と呼ばれる。セッター対角である弓掛はフロントレフトからスタートする。

 同様に八重洲もセッターの早乙女がバックライトでサーバー。サーブ順にフロントライトに神馬、フロントセンターに破魔、フロントレフトに大苑と、S1では最強の三人が前衛に並ぶ。

 前衛にいる三ローテをサーブ側、レセプション側の局面に分けると六つのターンがあるが、このマッチアップだと弓掛が前衛にいる六ターンのうち五回、破魔もまた前衛で弓掛を押さえることができる。慧明も破魔になるべく多く弓掛をぶつけて打ち抜く作戦なのだろう。

 各セットの相手チームのスターティング・ラインナップは実際にメンバーがコートインするまで知り得ない情報だ。相手チームの作戦を予測して有利なマッチアップを組むという駆け引きが発生する。

 浅野はバックレフトのスタート。一つまわって前衛にあがってから三ターン弓掛とマッチアップする。

 五月二十日、土曜日。横浜体育大学蟹沢記念体育館。屋外は風薫る陽気の五月の週末に迎えた春季リーグ第十戦。Bコート第二試合。

 十三時──試合開始のホイッスルが鳴った。

 八重洲のサーブを受ける慧明が最初の攻撃権を持つ。このローテのレセプション・アタックでは弓掛がレフトから打つため、攻撃力が下がるライト側にトスがあがる確率が低いことはアナリストからデータが提供されている。大苑・破魔の二枚が余裕をもってレフトにブロックにつく。身長一九〇後半の二人だ。ブロックジャンプにおいても高さ三メートルを優に超す壁を成す。

 しかしその壁の、上!! 引き絞られた強弓ごうきゅうのように大きく弓なりに反ったテイクバックを完成させた弓掛の上半身がふわりと空中に現れた。

 一拍、頂点で浮遊するあいだに肩胛骨を大きく使って右腕が回旋し、身体がくの字に折れると同時にボールが火を噴いた。大苑の外から、アンテナとのわずかな隙間を逃さずストレートを突っ込む! ライン際の守備に入った早乙女が一歩も動けず。床板を貫くような威力のスパイクが右足の前で高く跳ねあがり、ディグの構えで固まっている早乙女の頭上を越えていった。

 先制点は慧明。

 弓掛は味方に向かって拳を軽く見せただけで、シナリオどおりの先制点にオーバーなよろこびは示さなかった。すぐに拳をおろして次の展開に意識を移す。一年生の頃からコートに立ち続け、三年生にして慧明の精神的支柱たる立場も確立している。

 サーブ権を取った慧明がローテを一つまわす。ここから弓掛が本来のライトプレーヤーになる。

 八重洲は左利きの二人、大苑・破魔が前衛のためライト側からの攻撃が増えるローテだ。慧明もデディケートシフト──ブロッカー三人がセンターに寄るバンチシフトに対し、一方のサイドに比重を置いて三人がそちらの側へ寄るブロックシフトを敷いている。

 だが無論これは逆サイドの攻撃が通りやすくなるということでもある。ブロックがライトに引きつけられたところで、早乙女からレフトの神馬に長いトスが飛んだ。

 キキュッ!──

 その瞬間、慧明側でシューズの摩擦音が高くこだました。

 センター付近まで位置をずらしていた慧明ライトブロッカーの弓掛が素早く足を返してサイドへ走る。思い切りのいい大股のステップから踏み切ると、空中をさらに横に流れながら身体をひねってネットと正対し、ネットの上に両腕を突きだす。

 神馬が打ち込んだボールがネットを越える前に弓掛の手に捕まった。

 ドゴンッ!と八重洲側にボールが叩き落とされた。

「一枚で!」

「神馬をどシャット!」

 滑りだしの展開を昂揚して見つめていたスタンドの観客がどよめいた。

 八重洲コートにもざわりとした空気が吹き抜け、選手間で視線が交わされた。

 開始直後に慧明が二連続得点。

 サイドアウト(レセプション側の得点)で単発の一点を取られるのは気に病まずともよいが、ブレイク(サーブ権がある側の得点)で連続得点をやるのは避けねばならない。しかも八重洲のローテはここが一番強い。敵からしてみると早くまわしたほうが楽になる。その八重洲の最強のスターティング・ローテーションを慧明が未だまわさせず、連続サーブをたたみかける。

 八重洲のレセプションがレフトへ逸れた。早乙女がレフト側に詰まった位置まで走ってボールの下に潜り込む。ニアサイドに神馬、ファーサイドからは大苑が入ってくる。慧明は大苑のマークに一人を残し、弓掛を含む二人が神馬をマークしてレフトへ寄る。

 神馬にあげると思わせて早乙女が身体を反らしてバックセットをあげた。すぐ後ろで破魔がCクイックに跳んでいる──と、そこにブロックが現れた。弓掛!

 左腕さわんが電光石火の速さで打ち抜いたボールに弓掛が指を引っかけた。ビッ!という音が空気を引き裂き、ボールが角度を変えて吹っ飛んでいった。「さわった!」と会場がまたどよめく。

 ブロックアウトになり助かったものの八重洲側は肝を冷やした。ライトブロッカーの弓掛が神馬のマークから瞬時に切り返して破魔のクイックに手をあててくるとは。

 まだネット前に張りついたまま弓掛がぎらついた光がたぎる双眸を破魔に向けた。左手の中指をパンツの脇で一度こすると、ターコイズブルーのパンツの左裾に入った白い“15”のプリントの上を掠れた血の筋が横切った。

 破魔を睨み据えたままネットに背を向ける。身体に遅れて最後に自陣側に首をまわすとき、瞳から溢れる光がふた筋の残像をゆらりと引いた。

 八重洲1-2慧明に至って八重洲がこのセット初めてローテをまわす。神馬が下がって浅野が前衛にあがる。ネットを挟んでマッチアップした弓掛と視線がぶつかった。

 異質さを感じるほど見開かれた瞳がひたと見つめてきた。

 コートの外で喋るときにはたしかに寄せられている友愛の情は、そこには一滴も混じり込んでいなかった。

 高校時代から弓掛はもちろん強かったし、試合ではいつも互いに本気で倒そうとしてきた。だが高校の頃とは格が違う今日の弓掛の凄みに、浅野は正直呑まれそうになっていた。

 レセプションを引き受けてから攻撃に移るウイングスパイカーと違い、レセプションを免除されたオポジットはひたすら得点を叩きだすことが仕事のポジションだ。サーブが飛来したときにはオポジットはもう攻撃準備に入っている。

 慧明側ライトから打ってくる弓掛を八重洲側レフトの浅野が正面で防ぐ。ストレートまで伸びないか──と浅野はトスの軌道を判断してクロスを締める。浅野が取った基準にあわせて破魔がさらにインナーを締める。鉄の塊が横からぶつかってくるような破魔の強いヘルプに吹っ飛ばされそうになりつつ浅野は空中でなんとかこらえる。

 弓掛の右肩までトスが伸びきらない。が、唇をすぼめて気を吐きざま強引にストレートに打ってきた。

 並のスパイカーではこの角度からストレートを打ってもアウトになるだけだ。しかし精度の高いコントロールで浅野の手の端にわざとあてて外にはじきだし、ブロックアウトを取った。

 大学トップクラスの最高到達点から叩き込む強打だけではない。テクニックも冷静さも一級──。

 本気で……この無二のプレーヤーが、アンダーエイジの強化選手から本気で外されたっていうのか……?

 慧明のサイドアウトで弓掛がフロントライトまでまわってくる。弓掛の前衛はあと一ローテだ。あと一ローテでまだなにを見せるのかと、スタンドからの視線の圧をはっきり感じる。

 浅野と弓掛のマッチアップもあと一ローテ。弓掛を相手にするサイドアウト一往復の時間感覚が異様に長い。呑まれないよう自分を奮い立たせ、神経を研ぎ澄ます。

 破魔・大苑がまだ前衛のため慧明のブロックはライトに対してデディケートする。自分の前が開けると浅野は「レフト!」と大きく助走を取りながらトスを呼んだ。

 開けていたネットの向こうに弓掛の影が滑り込むのを認識した。

 クロスを打つ向きからとっさにストレートに打ち抜き、横から塞ぎにくる弓掛の脇を抜き去った。

「直澄! ナイスキー!」

 ふっと息を抜き、コート内やベンチからの声に笑顔を作って応えた。

 滑りだしで慧明にブレイクを許したものの序盤は互角の競りあいが続く。八重洲は破魔の前衛が終わりサーブに下がるローテだ。

 左利き独特のスピンがかかった強烈なスパイクサーブが慧明のレセプションを崩した。

 この状況では慧明は必ず弓掛で切り抜けてくる。浅野・そん・大苑が三枚で弓掛につく。

 極限まで視野を拡げた弓掛の瞳が三枚ブロックを捉え、狙いを定めてボールを叩きつけた。孫の手をはじいて高くあがったボールが大きな山なりで慧明側へ戻る──慧明のディガーが落下地点に入るも、そのままボールを見送った。

「アウトー!」

 慧明コートのライン外に落ち、八重洲のブロックアウト。

 試合開始から両チームあわせてまだ六点だ。六点のあいだにどれだけのものを出し惜しみせずに見せてくるのか……。弓掛一人がレベルの違うハングリー精神で序盤から凄まじいスパートをかけている。まるで本当に生死が懸かった戦いに臨んでいるかのように。

 八重洲が取ったレセプション・フォーメーションに気づいた会場の一部がざわついた。

 八重洲の後衛のフォーメーションはもともと変則的だ。一般的には後衛でもレセプションを担うウイングスパイカーの神馬がこのローテではコートを離れ、かわりに破魔が残っている。浅野、太明、破魔、そして普段はレセプションに入らないオポジットの大苑──弓掛のサーブに対して四枚レセプション。

 その大苑が守るライトサイドいっぱいに弓掛がサーブを入れてきた。大苑が体勢を崩しつつボールに手を伸ばしたが膝をつかされた。

 神馬、破魔、大苑と、シニアの日本代表に選ばれたメンバー一人ずつを相手に、アンダーエイジの代表候補から外された弓掛が意地と気迫で互角以上に立ち向かっている。生き延びるためにはこのメンバーに勝って証明しなければならないことがある──鬼気迫る姿が凄絶ですらあった。

 サイドに逸れたレセプションに早乙女が追いつけず、近い破魔が取りに行く。これで大苑と破魔の攻撃が消え、孫のクイックも消された形だ。

「レフト! 決めます!」

 破魔に向かって浅野はボールを呼んだ。

「直澄行け!」

 スパイクカバーに入った太明の援護を受け、破魔からあがってきた二段トスを打つ。慧明の三枚ブロックが揃う──ただ弓掛は後衛に下がっていることに、正直ほっとしていた。

 自分の気持ちを認めるしかなかった。

 おれは今日、嫌なんだ……。篤志と戦うのが。

 サーブから戻った弓掛はブロックの後方でディグについている。

 スイングの最後で力を抜いてスピードを落とし、指の腹でボールを押した。虚を衝かれた目の前のブロッカーの手の先をボールがゆるく越え、ブロックの真裏に落ちる。強打の応酬が続いたあとのフェイントに慧明のプレーヤーが金縛りにあったように硬直した。

「直澄ッ!!」

 と、慧明コートで怒鳴り声があがった。後衛からダイブした弓掛が腹這いでボールの下に手の甲を突っ込んだが、その指先すれすれでボールがバウンドし、ピィッとホイッスルが響いた。

 床に這いつくばった弓掛がネットの下から上目遣いにこちらを見あげてきた。

 直澄と戦うの、ばり楽しみにしとう──

 いつも対戦するときにはそう言って溌剌と目を輝かせていた、あの弓掛の明るい目の光ではなかった。

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

閉じる

  • twitter
  • facebook
  • CX^O