目次
- プロローグ スイングバイ
- 第一話 砂漠を進む英雄
-
第二話
鋼 と宝石
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
-
沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
閉じる
第二話
12. SAVAGE PLAYMAKER
「誠次郎、トスも余裕持て! 浮かせる意識して!」
わかってんだよっ! 簡単にできたらもうやってんだよ!
怒鳴り返したいのを腹の中だけに収め、ベンチからの指示に山吹はただぎりっと歯軋りした。下げられたくはないのでできないと言えるはずもない。
弓掛がトスを急かすような突っ込んだ助走をしてくる。するとクイッカーも弓掛より早く跳ぼうとして助走を取らなくなる。レフトもまわりに遅れないよう開ききらなくなる。これでトス浮かせたら空振るだろ!
こっちだって不本意なトスをあげてるんだ。結果的に交代前の亀岡とやり方を変えられていないのがもどかしい。
懸命に頭を巡らせながらいつ交代のホイッスルが聞こえるかと焦りを募らせていた。せっかくチャンスが来たんだ。なにもできずに下げられてたまるか。
おまえには解決方法がわかってるのか?──チカ。
天才セッターはなにを考えてこの試合を見ているのか。あの不貞不貞しい顔に打開策が書いてあるんじゃないかと、コートの角でフラッグを手に提げて立っているラインズマンの顔を見たい衝動に何度も駆られた。
──いや、あいつの顔に打開策なんか書いてない。
なぜなら仮に灰島が入っていたら起こっていない問題だからだ。
打とうとしたところに一センチのブレもない精度のトスが
それに比べて自分は灰島より一年先に大学に入っておいてなにをやっていた? リザーブでは実戦でスパイカーとあわせる回数も多くないっていうのに。灰島のようにユース代表セッターという看板もない自分が、丁寧にスパイカーとの信頼関係を築くことを最優先にしてきたか?
一度下がったトスを修正できないのは、おれの信頼度の問題だ。
じゃあスパイカーにあわせて低いトスをあげ続けるのか? それじゃ負のスパイラルから抜けだせない。
第二セットは修正に苦慮している最中で終わった。
コートチェンジが慌ただしく行われるベンチに引きあげてくるなり山吹はまっすぐ監督のもとへ駆け寄った。
「第三セットもおれを使ってください」
次のセットに提出するメダマ(スターティング・ラインナップシート)とエンピツを手にしていた監督の
「ついでにもう一つお願いします。あそこの二人を使わせてください」
直訴ついでに図々しくさらに要求し、コートの端で活発に声をだしながらアップをしている二人の一年生のほうへ目配せをする。「佐藤
「リベロはディグで? レセプで?」
「両方で。攻撃に繋がるワンをリベロにあげてもらわなきゃいけないのはどっちも同じでしょう。第三セットで必ずトス修正します。おれを使ってください」
「ふーむ……第三セットまるまる預ければ修正できる?」
「まるまる?」
自分から言っておいて拍子抜けしたくらいで、思わず復唱してから山吹は慌てて顔を引き締めた。
「できます」
「OK。第三セットは下げない。もし取られてもまだ1-2だから大丈夫」
選手たちは焦燥を滲ませているのに対して天安は悠長な口ぶりでそう言った。
天安には学生時代バレー部でプレーしていたといった経歴はないという。試合中は他のベンチスタッフと揃いのターコイズブルーのチームポロシャツを着た姿だが、腹まわりの肉がポロシャツに段を作ってベルトの上に乗っかっている様子はスポーツマンというより接待ゴルフのサラリーマンという印象である。
生粋のバレー人である八重洲の
しかし天安のもとでチーム作りをはじめてから慧明は年々順位をあげ、去年はとうとう関東一部タイトルと東日本タイトルを獲った。それはたしかな手腕だ。
「豊多可、亜嵐! 召喚するぞ!」
山吹が呼びつけるとディグ練をしていた豊多可、パス練をしていた亜嵐がぱっとこっちに顔を向けた。すぐに意味を悟った二人が「しゃっ!」と顔を見あわせ、はずむように駆け寄ってきた。
「ワンも下がってるから高くしろ。おれの時間稼げ」と豊多可に指示し、続いて亜嵐にも「マイナステンポになってるけど引きずられるな。ファーストテンポ保って入ってこい。とにかくこっちで一回全員の手綱を引きたい」
「合点」「承知」
二人が血気盛んに応えた。豊多可は高校のあいだに一八五センチまで伸びて山吹よりもだいぶでかくなったリベロである。亜嵐はウイングから大学でミドルに転向した一九九センチ。
「フレーム小さくして速い攻撃しないともっとブロックに捕まるんじゃないか?」
と、三年の
「なに言ってんですか。ワン低くしたって意味ないです」
ちょっと苛立って山吹は言い返した。
「攻撃の余裕がなくなって逆に有害です」
断定された波多野がむっとして黙ると、同じく三年でウイングのレギュラーである鳩飼と鶴崎が波多野に加勢するように会話に加わってきた。
「あっちにもブロックの余裕をやることになるだろ」
「ただでさえ八重洲はでかい。速い攻撃はある程度必要だ」
「“でかさ”の対抗策は“速さ”じゃありませんよ」
山吹も引き下がらない。上級生三人と意見が衝突し睨みあいになる。「あ、山吹さんキレそ……」豊多可がこそっと亜嵐に囁いた。
剣呑な会話が離れた場所でドリンクを呷っていた弓掛の耳に入ったようだ。
「誠次郎。やめろ」
弓掛が表情を険しくし、ボトルを掴んだまま大股で歩み寄ってきた。
「今は言いあってる場合じゃなか──」
「でかけりゃいいだけなら牛や馬にトスあげても一緒なんですよ!」
と、山吹は突然矛先を変えて弓掛にブチ切れた。
弓掛の顔から精悍さが一瞬抜け落ち、びっくり顔になった。目を丸くした弓掛と鼻先を突きつけんばかりに山吹は凄みを利かせた。
「忘れてませんか──“でかさ”に対抗するのは“高さ”です。“九州の弩弓”が小さいバレーしてんじゃねえよ」
*
慧明の失速に灰島は口を尖らせてぷりぷりと不満を募らせていた。もっと面白い試合になるはずだろうと、フラッグをコートに突きつけて発破をかけたい気分である。
第一セットの滑りだしこそ両者凄まじい気迫でぶつかって一気にヒートアップした。しかし第二セットは途中から慧明に本来のダイナミックさが欠けてきた。
第三セットがはじまったが、まだ慧明は立てなおしに苦労している。
「コンビミス……!?」
ざわっとした空気が会場を駆け抜けた。
山吹のバックセットがあわず、弓掛が空振り──!
はっとしてボールを仰いだ弓掛の頭上をボールが虚しく横切る。プレーヤー全員が自分の行動を一瞬見失った。
間が抜けた空白後、弓掛が真っ先に反応してリカバリーしようとした。指先がボールに届いたが、軽くはじいてネットサイドのアンテナにあたった。
ラインズマンについている欅舎一年四人が四つのコーナーから当該のアンテナを指さし、フラッグを頭上で左右にひと振りした。風をはらんだフラッグがバッ、バッと鋭い音を発した。ジャッジをだすとバサッと大きく半円を描いてフラッグをおろし、次のプレー開始のホイッスルまで直立姿勢に戻る。大学ならではの様式美に従って同じエンドライン上のもう一方のコーナーに立つ黒羽と動作が揃った。
慧明において弓掛が占める役割は絶大だ。弓掛の調子がチーム全体に影響する。第二セット以降、弓掛の焦りに全体が引きずられてきたことを灰島は見て取っていた。
第三セットは慧明がローテーションをずらしてスタートしている。第二セットより二つまわして弓掛がフロントライトからのスタート。これで弓掛と
ファーストタッチもやはり焦りに引きずられて前に突きだすような軌道になっていたが、このセットから豊多可がリベロに入ったことでやっと上にあがりだした。ただ山吹とスパイカーとのあいだがまだ修正されるに至っていない。
レフトの鳩飼がハードヒットできず、ぱちんと手にあてただけで八重洲側にボールが渡った。打ち損じは素人目にはスパイカーの責任に見えるが、山吹のトスが高いため短い助走で入ると届かないのだ。
八重洲側もブロックの気勢を削がれて戸惑い気味だった。
スタンドで見ている他大学の部員から「セッターどうした?」「大荒れだぞー」「スパイカー見ろー」と失笑混じりの野次が口々に飛んだ。バレーは野次が少ないスポーツだが、それでも野次が飛ぶほど山吹のトスがあっていないのだ。
野次は山吹の耳にも入っているだろうがおかまいなしに──弓掛以下ほとんどが上級生なのもおかまいなしにスパイカー陣に声を荒らげた。
「今の高さキープするからな! そっちであわせろ! もっと助走取れば打てんだろ!」
慧明側コートのラインズマンに立っているとはっきり聞こえるので黒羽はその暴言に怯んだ顔をしている。コートの角と角で目があうと灰島は肩をすくめてみせた。──豊多可が言ってたとおり、おれよりよっぽど強烈な逸話を持ってんだよ、あの人は。目で語る。
“山吹伝説”──白石台中学の二年時、山吹が当時のバレー部の三年を全員退部に追い込み、以降山吹の卒業まで監督よりも山吹が発言力を持って部を仕切っていたという話である。白石台中は灰島が二年の秋までいた
第三セット一周目、山吹は独りよがりなトスをあげ続けた。
スコア上はスパイカーにエラーがつく失点が響いて八重洲に水をあけられ、慧明7-11八重洲。このセットからミドルブロッカーに投入された亜嵐が二周目に前衛にあがってきてから、灰島にも山吹の思惑が見えた。
亜嵐はミドルにコンバートして日が浅い。クイッカーとしては未熟だが、サイド時代を含めると山吹のトスを打ってきた本数は慧明のスパイカー中ダントツなので最初から息はぴったりあっている。
豊多可と亜嵐がライフラインってことか──。
面白くなるという確信に、にわかに血が騒いだ。
亜嵐はもともとサイドだ。豊多可から高いワンがあがっているあいだにアタックライン後方まで大胆に下がり、サイドばりに十分な距離を稼いで助走に入った。クイッカーの亜嵐を追い越して突っ込みそうになったサイド陣がブレーキを引かれ、自然とひと呼吸生まれた。
八重洲の守備はこのセットも弓掛を警戒したデディケートシフトを敷きつつのリードブロックだ。センターの破魔はど真ん中のスロットから二スロット(二メートル)ばかり左に位置をずらしている。
亜嵐のタイミングにあわせる形でレフト、ライト、バックセンターと、四枚の攻撃カードが綺麗に揃った。
灰島の脳内にアドレナリンが溢れた。「ビッグボーナス来たあ!」スタンドで聞き覚えのある自チームのアナリストのでかい声があがった。
歯を食いしばって傍目にサディスティックな高さをキープし続けていた山吹の顔にも満足げな笑みが閃いた。汗が流れる頬が不敵に吊りあがった。「行くぜ!」
豊多可から山吹へと渡ったボールが鮮やかに亜嵐にあがった。リードブロックを徹底する破魔が二スロット離れた場所から素早いステップで踏み切ってブロックにつく。
決まる──亜嵐のほうが打点に届くのが早い。フラッグを中腰で構えた灰島は思わずぐいと前のめりになった。
ユースの合宿では同ポジションのライバルとして黒羽といつも垂直跳びを競っていたほどの跳躍力を持つ亜嵐だ。破魔と比べればまだまだ華奢だが、長い腕がムチのようにしなやかにしなって力強くボールを叩く。
破魔の鉄壁のブロックが通過点を塞ぐ前にかわした。山吹がキープしてきた高い打点から、破魔の真正面で──ズドンッ!! 痛快に八重洲コートを打ち抜いた。
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
-
沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
閉じる