2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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第二話 はがねと宝石

17. EUPHORIA

 なにやってんだあいつは……?

 灰島が立つコーナーとエンドラインを隔てたもう一方のコーナーから黒羽がなにかオーバーなジェスチャーを送ってきた。フラッグを持っていないほうの手で自分の頬をつつき、かーお、かーお、と口パクするのを読み取って灰島は自分の頬に触れた。

 ラインズマンがにやにやして立っていてはならない。しかし真顔を作るのが難しく、どうしても吊りあがってくる口角を意識的に引き下げねばならなかった。

 コートチェンジにより第四セットの灰島は八重洲陣地のライト側コーナーでエンドラインを担当している。黒羽はレフト側コーナーでサイドラインの担当だ。

 期待以上に慧明が仕上がってきた。こんな慧明を見せられたら明日の直接対決が楽しみでしょうがない。

 けれどこの試合が終わってしまうのも惜しいという気持ちも、同じくらい強くあった。

 慧明25-24八重洲。デュース突入を境に八重洲が慧明を追う側にまわった。慧明が先にブレイクすればその瞬間試合終了となる。いつ、どのプレーで試合が決するかわからない。一瞬たりと目を離せない。

 主審がサーブを促すホイッスルを吹くのを合図に、コートの四隅のラインズマンも構えを取って集中する。足を軽く開いて中腰になり、フラッグを素早く指せるよう構え、自分が判定を預かるラインを注視する。

 弓掛のサーブが続くが八重洲はここを絶対に切らねばならない。あわやエースとなる強烈なサーブに太明たいめいが横っ飛びで手をあてた。後方にはじかれたボールに浅野が走る。ボールが飛んでいく先に目を転じると板張りの壁が迫っている。

 浅野が素早く一度コートを振り返った。むやみにチャンスボールを返して慧明に攻撃権を渡したが最後、ほぼ間違いなくそれが慧明の決勝点になる。

 目の前に壁が迫り、頭からダイブはできない。壁に激突する寸前のボールに浅野がなりふりかまわず足をだした。あとがない八重洲だ、あまり見ることのない浅野の荒っぽいプレーもこの大詰めに飛びだす。

 浅野がコートに蹴り返したボールに神馬かんばが助走を取った。なりふりかまわずただ蹴ったわけではない──あれはトスだ。足でのロングセット!

 神馬が慧明のブロックを吹っ飛ばすスパイクでさっき食らったどシャットを取り返した。しかしここを決めれば試合をものにできる慧明も落とさない。ワンタッチで跳ねたボールに向かって弓掛が思い切りよく身を投じ、宙に鮮やかな弧を描くフライングレシーブで繋ぐ。弓掛が後衛にいるとフロアの守備も固い。

 弓掛は攻撃に戻れない。亜嵐あらんがセンターで踏み切る。灰島は山吹の一瞬の視線の動きに気づいた。ジャンプセットに入りつつ白帯越しに八重洲側をちらっと確認し、目の前で跳んだ亜嵐にあげると思わせて左手で自らスパンッと打ち込んだ。

「ツー!」

 八重洲の意表をつく奇襲になったが、ツーにアンテナを張っていた浅野がフロントゾーンに落とされたボールにダイブした。紙一重でボールと床の隙間に差し入れた手の甲の上でボールが跳ねた。「くそっ、やりづれえ!」山吹が悪態をついた。

「直澄! ナイス!」

 低くあがったボールに太明が潜り込んでコート上に打ちあげた。八重洲は今度こそ決めて窮地を凌ぎたい。大苑おおぞのが強打を叩き込む。ブロックを抜けてきたスパイクをフロアで受けた豊多可ゆたかが吹っ飛ばされたが、ボールはあがった! 慧明の攻撃力はすでに言わずもがな、八重洲に引けを取らない守備力にスタンドのどよめきがやまない。

 スピードをともなって跳ねあがったボールを見あげながら山吹がサイド側の壁際まで懸命に走る。長いラリーになった。息をつく間もないファインプレーの連続に観客のボルテージは最高潮に達し、熱い視線がボールを追う。

 放物線を描いてくるボールの落下点を見極めて山吹が急ブレーキをかけた。オーバーセットの構えを取った山吹の頭の上で──。

 ────ざんっ!

 見事、壁から突きだしたバスケットゴールにボールが飛び込んだ。

 熱気で限界まで膨らんだ空気が破裂するようにスタンドでどっと笑い声がはじけた。

 と、赤いリングの真ん中を綺麗に通って落下してきたボールを山吹がロングセットでコートに戻した。「打て打て打て! 亜嵐!」後ろでんぐり返りして起きあがった豊多可が亜嵐をけしかけた。亜嵐が「ほあっ」という気合いを発してスパイクで打ち返したが、

 ピピッピピッ!

 審判台から慌ててホイッスルが吹かれた。

 主審が慧明側を手で制してプレーの続行をとめた。ちょっと笑いそうになっているようにも見えたが無表情を貫いてアウトのハンドシグナルをだし、八重洲の得点を示した。

「勝ったー!」と万歳した山吹、豊多可、亜嵐の三人が「ちぇ。やっぱだめか」としれっとして手をおろした。

 煙に巻かれたように八重洲側は一時呆気にとられていた。しかし太明が一番に笑いだし、

「ナイッシュ! も一本入れてー!」

 と慧明に向かって冷やかすと、他の選手たちにも笑いが広がった。スタンドの他大学の部員たちも「ナイッシュー!」とはやしだし口笛が吹かれた。

 弓掛も笑うしかないような顔をしていたし、浅野も後輩組のやんちゃな行為に苦笑していた。

 灰島の笑い顔をたしなめたくせに黒羽もまわりにつられて噴きだし、野次に乗っかってナイッシューと口パクした。

 双方から最大の敵と認めあう二校が大学頂上決戦と呼ぶにふさわしい試合を積みあげてきた結果、敵味方を超えて会場中が楽しげな笑いに包まれるという珍事が──奇跡が、起こった。意地と気迫が激突し、スーパープレーが連続する凄絶な鍔迫りあいが、みんなを清々しい笑顔にする最高のエンターテインメントに昇華した──その瞬間をコート際で目の当たりにし、身震いが抑えられなかった。

 ああ、バレーボールは世界一面白い。

 慧明25-25八重洲。珍プレーで慧明についたマッチポイントが消え、デュース継続。八重洲がフルセットへ持ち込む望みをまだ繋げる。

 ラインズマンは無論公平に試合と向きあわねばならない。けれど心情的には八重洲が第四セットを取ってフルセットまで続いて欲しいという思いに傾いてしまう。この試合が第四セットで終わるのは惜しい……。あと一セット、どうかまだ見せて欲しい。

 サイドアウトが一往復し慧明26-26八重洲となってサーバーには浅野がまわってくる。破魔はまが前衛に戻るまであと一つ。どこかでサーブで仕掛けてブレイクしない限り八重洲は永遠に前にでることができない。

 低いサーブが白帯をガッと削った。浅野には珍しい打ち損じだが、浮きあがったボールが慧明側にぽとりと落ちた。一番近かった山吹が「まじか!」とつんのめりながら手を伸ばしてネット際に落ちるボールをすくいあげた。山吹に取らせるために前を狙ったのか! 後輩に容赦なくえげつない、と灰島はにやりとしてしまう。

「篤志さん篤志さん!」

 転がって起きあがりながら山吹が指をさした。フロントゾーンに飛びだしてきた豊多可がアンダーで弓掛に送る。

 バスケットゴールにインしたあの珍プレーの裏に、あそこで試合を決めたかった山吹の本音があったのが灰島にもわかる。第二セットから今のスタメンが入り、第四セットも終盤だ。三セットぶんのデータが八重洲側に積みあがっている。山吹が組み立てのキーにしている亜嵐を八重洲のブロックがほとんど通さなくなってきた。どシャットを食らう恐怖に山吹は神経を磨り減らしながらどうトスを振り分けて攻撃を通すか腐心しているはずだ。

 デュースに入ってからの連続失点は絶対に避けねばならない。攻撃態勢が整わない中でボールを返さねばならない苦しい状況ではどうしても弓掛の決定力に託すことが増える。

 だが弓掛がそれに応えて決める!

 八重洲はもちろん最大の弓掛対策をしてきている。にもかかわらず後半に入ってギアが一段階あがった弓掛を止めあぐねている。

 八重洲のブレイクならず、慧明27-26八重洲。また慧明が半歩前へ。

 破魔を欠いている八重洲はかわりに後衛に残っている大苑のバックライトですぐに同点に戻す。会場のどよめきがやむ暇もない打ちあいに、スタンドの手すりがちりちりと鈴が鳴るような音を立てている。

 気合いの咆吼が八重洲ベンチで響いた。

 学生選手としてはとりわけ逞しい、くろがねの鎧のような上半身を起こして破魔が立ちあがり、コートサイドへと歩を進める。禍々しいまでの気迫をまとった威容で空間が押し歪められ、まっすぐに引かれた白いサイドラインが曲がって見えた。

 デュースに入ってから初めて破魔がコートに戻る。

 八重洲がここからの三ローテでブロックポイントに懸けているのは間違いない。

 対する慧明も弓掛が破魔を意地で突破しようとしてくるだろう。

 第四セット──天王山だ。

 緊張感に耐えかねたように豊多可が「任せろ任せろ!」と声を張りあげてそんのフローターサーブの前に自ら入ったが、オーバーハンドで受けたボールが後ろへ逸れた。

 山吹がネット際からコート後方まで走らされる。弓掛が山吹とすれ違って助走に入りながらトスを呼ぶ声をかけた。神馬、そして破魔が弓掛につく。山吹がコート外からトスを送ってくる。

 フルスイングでブロックと勝負する──刹那、弓掛がスイングスピードをわずかにゆるめた。ボールの軌道がふわっと浮いて浅い山なりでブロックを越え、ブロックの裏に落ちた。

「……!!」

 強打に備えていたディガー陣の誰もフェイントを予測していなかった。コーナーで中腰で構えていた灰島までディガー陣と一緒にタイミングを外され、危うくつんのめって膝をつきそうになった。

 ……なんてプレーヤーだ、弓掛篤志。

 観客、プレーヤー、チームスタッフに審判まで、会場中が昂ぶって没入しているこの名勝負の佳境で、俯瞰の目を失わず一番冷静に試合を運んでいるのが、弓掛だ。

 慧明28-27八重洲。慧明が一つまわす。そして、弓掛がフロントに戻る。サーバーは第二セットから出場して以降好サーブで魅せている山吹。この試合で慧明のビッグサーバーとして確実に認知された。

 サービスゾーンに立った山吹が力みをコントロールするように肩を一度上下させ、すぼめた唇からふっと息を抜いた。表情が険しいか?

 ライト側の奥いっぱいを狙う。レフトからバックライトにまわり込んできた大苑が身をひねって見送った。入った、と灰島はサービスエースを確信した。しかし最後にラインに吸い寄せられるように異様に落ちるはずの山吹のサーブがいつもより落ちない。灰島は中腰でボールの着弾地点を見極める。着弾の寸前、最後の最後で軌道がぐんっと落ちた──が、間にあわず、着弾地点はエンドラインを割った。

 予測と反する結果を目視したことに灰島自身驚きながら、フラッグをぱっと真上に振りあげた。

 ドライブのかかりが弱かったようだ。山吹が悔しそうに歯噛みし、シャツの袖口で顔を拭った。いつもスカした顔にびっしり浮かんだ汗とともにさすがに憔悴が張りついている。そうだろう、今日の慧明の功労者だ。疲労が限界に近くてもおかしくない。

 慧明28-28八重洲。慧明振り切れず、八重洲にまだチャンスが残る。

 八重洲がローテをまわす。S1ローテ、早乙女がサーブに下がって対角の大苑があがる。

 大魔神……

 大魔神……

 大魔神……

 不吉な怪物の名がちまたの口づてに伝播するような、低いざわめきがスタンドで起こった。

 大苑、破魔、神馬。黒塗りの装甲車が壁をなすように三人が横並びになる、八重洲最強の前衛ローテ。

 早乙女のサーブが効果的に入って攻撃態勢を崩されたら慧明は百パーセントに展開した壁と勝負せねばならない。まずはレセプションを高く返して選択肢を増やし、壁の展開を削りたい。

 注目される早乙女のサーブ。ネットすれすれを越えようとしたボールが白帯に嫌われ、ネット上に跳ねあがった。またしてもネットイン──「んだよっ!」後衛からあがってくるところだった山吹が飛び込んで拾おうとしたが、足が滑ってぐしゃっと潰れた。届かない……!!

 白帯の上に一秒間だけ乗ったボールが、わずかな運の差で、八重洲側に転がってネットをつたい落ちた。

 腹這いで顔をあげた山吹の目と鼻の先でセンターラインの向こうにボールが落ちた。山吹がほっとして床に突っ伏した。

 弓掛に手を貸され、立て続けに攻められた山吹がしんどそうに立ちあがる。慧明一年のモッパー二人がすかさずワイピングを手にして走ってきた。ひざまずいて床を拭くモッパーに山吹が汗で濡れた場所を指さして細かく指示する。

 サーブミスどころか好サーブの連続だと灰島は興奮していた。双方ぎりぎりを攻めねばこの均衡状態を破れない。ミスの増加は観客を飽きさせるものではなかった。見逃した瞬間幕切れになりかねないデュースの結末にスタンドの人々が刮目している。

 モッパーが走ってコートを離れ、試合再開。

 慧明29-28八重洲。最低でもどちらかが三十点に乗る。双方の意地が第四セットを終わらせない。

 早乙女のバックセットから破魔の左腕がCクイックを振りおろした。だが慧明のブロックもコミットで仕掛けている。タイミングもドンピシャだったが、破魔がひと声吼えて目の前のブロックをぶち破った。スパイクとブロックの激突音に格闘技でも観に来ているような熱狂的な歓声で会場がわく。

 まだワンタッチボールが生きている。後衛でへばって膝に手をついていた山吹が力を振り絞って飛びついた。なんとかボールに手をあてたが後方に逸れ「追え追え追え豊多可!!」山吹が床に滑り込んで怒鳴った。すぐさま反転した豊多可が追っていく。

「戻せ!! 豊多可!!」

 弓掛が力強く呼びかけ、返ってくるボールを信じて助走に開く。

 豊多可が浅野を真似るように壁際でボールに足を伸ばした。思いきり蹴り返したボールが慧明コート上空を斜めに越えてコートサイドまで達する。残り一打で返せたとしても八重洲のチャンスボールだ。

 ──と、弓掛がアプローチを変え、コート外に落下してくるボールに向かって助走に入った。あれを打つ気か!

 ボールが落ちてくるまでに八重洲には弓掛にブロックを寄せる余裕があったが、「ステイステイ!」後衛から飛んだ太明の声でバンチシフトから動かず待機する。

 自陣のベンチを蹴倒さんばかりの至近を弓掛のシューズが駆け抜け、座っていた主務らが慌てて足をあげた。翼を広げるようなフォームで大きくバックスイングしながら膝を沈め、監督席のほぼ鼻先で踏み切る。あんなところから本気で打ってくるのかと、ちょうど対角となる八重洲側のコーナーから灰島は目を凝らした。ボールの落下地点はサイドラインから二メートルは外れている。ネットに対する角度は相当狭い。アンテナ内から八重洲コートに入れることが可能なコースはほんのひと筋だ。

「ゴー!」

 太明の号令でブロッカーが動いた。神馬、破魔、そこへファーサイドから大苑もつく。キュキュキュッ! 神馬の足を破魔の足が、破魔の足を大苑の足が輪唱のように追いかけ、摩擦音が床の上で厚く重なる。三枚ブロックがさらにコースを塞げば八重洲コートに入れられる角度などはっきり言ってないに等しい。

「フェイント!」

 太明が警戒を発し、ディガーの重心が前に移った。

 だがスイングスピードは落ちなかった。百パーセントのスイングでボールを捉えた右手が最後まで一気に振り抜かれた。

 弓掛個人の因縁に固執せず、個人の勝負よりチームの勝利にこだわったのが先ほどのフェイントだった。

 けれどこの一本は、高校時代から六年の苦杯を喫し続けてきた北辰時代の三人に、弓掛が執念の勝負を挑んだ。

 コート外から三枚ブロックの壁を抜いて対角線上のコーナーに突き刺さるなんていう、誰も打とうと思わないような信じられないスーパースパイクだった。あそこから直線でコートに入れるには難攻不落の城壁の外から、、、たった一つの銃眼に撃ち込むくらいのコースしかあり得ない。そのひと筋の道を恐るべき精度で貫いてきた青と黄色のボールが灰島のシューズの先でワンバンした。一瞬でボールが視界の端に吹っ飛んでいってから床板を叩き割るような震動が脛を駆けのぼってきた。

 関東一部の大エース、、、、、、、、、以外、こんな凄まじく、美しいスパイクは誰も打てない。

 灰島は大仰な仕草でフラッグを一度振りあげた。ばさんっ、と頭の上から弧を描いてフラッグを振りおろし、足もとのコーナーにその柄の先を向けた。

 慧明30-28八重洲。第四セット終了──同時にセットカウント3-1で勝敗が決した。

 この試合の決着のジャッジを自分のフラッグで振るったことに鳥肌が立つほどの歓喜を覚えた。その一方で、フルセットを見ることができず第四セットで八重洲が敗北したことを、かなり本気で残念にも思った。

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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