2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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第二話 はがねと宝石

18. WILD-GOOSE CHASER

 ネットの下から差しだされた手があった。手のひらが平たく広い、鋼の板を思わせる手だ。ネット越しに正面に顔を向けると弓掛の目線の高さには鉄黒のユニフォームの布地がぴたと張りついた厚い胸板がある。その上に乗った相手の顔を弓掛は睨みあげた。

「今日あんたに勝って、明日優勝もして完全勝利するけん。侮っとうと東日本も勝たせない」

 鋼線で編まれたように硬い表情筋は昔から弓掛の剥きだしの敵愾心に特段の感情を表すことがなかった。ちっぽけな弓掛など意に介さず一瞥してくる冷たい色の瞳をいつものように弓掛は挑発的に跳ね返したが、

「侮る? 弓掛篤志というプレーヤーは、おれがバレーをやってきて一番最初に戦うのが怖いと思った相手だ。今もそれは変わらない。避けて八重洲が優勝できるなら避けて通りたいのが慧明の弓掛だ。侮ったことなんて一度もない。いつもおれの前に立ちはだかるナンバーワンのエースを、今日初めて認めたとでも思ってるのか?」

 驚いたことに破魔はまが弱音を吐露した。まるで負けた悔しさを紛らわせるみたいに破魔がこんなに長い台詞を弓掛に喋ってくるのは初めてだった。

 達成感が胸に衝きあげてきた。

 六年間挑み続けてきた高い山をとうとう乗り越えた。

 ネットの下で握手に応じたとき、素直な気持ちで頭が下がった。

「──今日はありがとうございました」

 破魔があいた手で弓掛の肩を軽く叩いて勝利を称える意を示した。長い握手はしなかった。離れた破魔の手が視界から去った。

 頭を起こした弓掛の目に見えた景色は、山の頂から見下ろす絶景ではなかった。凍てついた地面のところどころから岩山が突きだすだけの、荒寥こうりょうたる氷原ひょうげんが果てまで広がっていた。

 ここまで登ってきた道のり以上に過酷な世界を弓掛は見晴るかした。

 まだ最終戦を残しているが慧明はこれでリーグ単独一位に抜けだした。明日このまま関東一部王者を決めたとして、アンダーエイジの強化選手の選考に影響することはないだろうと、うすうすわかっていた。それが評価基準になるならば、去年すでに大学二冠の実績を作った弓掛が今年の合宿の招集から外されてはいまい。

 どんなに国内で勝ち続けてもなにも変わらないなら、浅野が言ったように、自分はゴールのない戦いをしているのかもしれない。

「今日は負けたが慧明に二度目をやることはない。東日本と秋リーグと全日本は八重洲が勝つ」

 破魔が無骨に今シーズンの残りの大会を全部列挙してリベンジを宣言した。

 破魔はもう大学のカテゴリでプレーする必要も意欲もないんじゃないかなどと、界隈で口の端に上っているのは弓掛も耳にしていた。今や日の丸を背負う日本のトッププレーヤーが、所属大学で学生の仲間とともに勝利することにも本気で執着していることを、そういう連中は知らないだろう。

 慧明とて八重洲に勝利を収めながら総合優勝を逃すような愚は犯せない。

 残すは一戦。一ヶ月半にわたり首位をってきた慧明と八重洲の雌雄が決する最終戦は“間接対決”となる。

 コートがあくのを待ちかねている第三試合の二校が追い立てるような圧をかけてきていた。ネット際で挨拶を終えると慧明・八重洲両チームとも手早く引きあげにかかった。

 Bコート第三試合のカードは二敗の横体大と三敗の東武。総合四位をめぐって競りあう両校が部旗を先頭に気合い十分の雄叫びをあげてなだれ込んできた。

 総合ベスト3を確定させているのが慧明、八重洲──あと一校が、欅舎。

 明日の最終日のオーラスとなる第三試合では、Aコートで八重洲・横体戦、Bコートで慧明・欅舎戦が並んで進行する。八重洲は横体大に勝って一敗を守ることを絶対条件とし、慧明対欅舎の結果に懸けることになる。万一慧明に土がつけば慧明も一敗に落ち、セット率で慧明と八重洲が再び競る。ただしそうなった場合、同時に欅舎も一敗をキープ。セット率での優勝争いに三校が絡む。

 言わずもがな慧明は欅舎を下し、単独全勝で文句ない総合優勝を飾るつもりだ。

 明日の欅舎の仕上がりが最終結果を左右する鍵になる。まさに“台風の目”になった。

 スタンドのチーム応援席の前に整列して挨拶を済ませ、顔をあげてスタンドをざっと見渡すとやはり、十ばかりの欅舎のポロシャツが視界に入った。どこかで見ているはずだとは思っていた。

 灰島、黒羽の大型ルーキーコンビを迎え、今年の欅舎は順位をあげるだろうと予想はしていたが、ベスト3まで食い込んできたのは思った以上の出来だった。一年生二人が加わった効果だけではここまでの躍進の理由は説明できない。

 ──三年、三村統。弓掛にしてもリーグ開始前は完全に眼中の外だった選手が欅舎の三人目のキーマンになった。

 一年生は今の試合の審判だったので灰島や黒羽はいないが、三村は他の三年の何人かとともにアナリスト席の近くに陣取り、欅舎のアナリストの染谷の席に身を乗りだして喋りかけていた。

 アリーナ内ではなんとか体裁を繕っていたが、這いずるように廊下にでるなり山吹はくたくたと座り込んだ。

 続々と引きあげてきたチームメイトが歩き過ぎながら手のひらを向けてきた。

「お疲れ、誠次郎」

「よくやった。ご苦労さん」

「最初試合ぶっ壊す気かって思ったけどなー」

 片手を持ちあげるのすら億劫だったが、「どうも」と応えて顔の前を次々に通り過ぎる手とタッチを交わした。

 豊多可ゆたか亜嵐あらんは第三試合の審判の仕事があるため「急げ急げっ」とばたばたとポロシャツとロンパンに着替えている。

「亜嵐」

 アリーナへ取って返していく豊多可に続く亜嵐を山吹は気だるい声で呼びとめた。

「待っててやるから、帰りになんか奢ってやる。豊多可にも言っとけ」

 亜嵐が大きな口の両端をにいっとあげて真っ白な歯を見せた。「アイアイサー」と敬礼し、跳ねるように中へ走っていった。

 クールダウンをはじめたチームメイトのざわめきを頭の隅で聞きながら廊下の壁にもたれて目を閉じる。しばらく動きたくもない。

「っし……」

 と、床にだらりとおろした手を一人密かに握りしめた。

 リリーフセッターで満足してる場合じゃねえぞ。正セッターに定着できるかはこれからだ……自分を律しながらも、八重洲戦勝利というでかい仕事ができた満足感はあった。明日も使ってもらうためのアピールもできたはずだ。

 明日、欅舎戦。絶対にフルで試合に関わりたい。

 チカに勝つ──。

 多少回復してから着替えてスタンドにのぼってきた。今日の日程も終盤となる第三試合の観戦者は第二試合に比べると減っていたが、それでも普段のリーグを知っていればまだ多くの人々が残っていた。

 慧明の焦点はもう明日あたる欅舎だけなのでチームは解散となっている。最後列に空席を適当に見つけ、リュックを足もとに放り込んで腰をおろした矢先、

「あのっ、山吹くん?」

 と声をかけられた。慧明大生か他大生かわからないが大学生と思しき女子の観戦客が座席の脇に立っていた。

「お疲れさまでした。これ、よければ持って帰ってください」

 そう言って小ぶりの紙製の手提げ袋を差しだされた。ちょっといいスイーツのブランドのものであるっぽいロゴを山吹は目の端で素早く確認すると、

「いただきます」

 と爽やかに受け取った。がつがつしすぎず、ただし嬉しいことは伝えてまた来てくれるように、くらいの自然な態度で。「明日も応援よろしくお願いします」

 女子が小走りで離れていってからファスナーをあけていたリュックに手提げ袋をしまうと……、

「っしゃあ!」

 試合後よりでかいリアクションで握り拳を作った。

「誠次郎ー」

 間をおかずにまた呼ばれたので「はい?」つい上機嫌でにっこりして応対しようとしたとき、

「ハグさせてー」

 とかいう甘えた声とともに背後からにょきっと現れた色白の、ただ残念ながら筋肉が詰まった硬い腕が首に巻きついてきた。「はあ? 嫌ですっ……ってちょっと! 直澄さん!」断ったがかまわずぎゅうと抱きすくめられて山吹は喚いた。見なくても声と腕の主はわかる。

「酔っ払いの抱きつき魔かよ。懐かないでくださいよ」

「誠次郎はやりすぎるところもあるけど、最終的にはちゃんと正しいほうに進む」

 耳もとで浅野が囁いた。試合後なのでさすがに浅野からも汗の匂いがした。

「そうですかね……」

 冷めたテンションで山吹が答えると「ん?」と浅野が腕をゆるめた。首の自由が戻り、黒のポロシャツに着替えた浅野をじろっと半眼で振り返る。階段状のスタンド席の後方通路に立っている浅野の背後をバレー部員や一般の観戦客がまばらに歩いている。

「白石台中での話、直澄さんも知ってますよね」

「“山吹伝説”?」

「って呼ばれてますね」

 浅野が一歩横にずれた場所で膝を折ってしゃがんだ。隣の座席の背もたれに上腕部を預けて耳を傾ける姿勢に、山吹は話を続ける。

「あのときおれが辞めさせた三年、全員もうバレーはやってません。一人もです」

 あの一件後、数年は意識にとめてアンテナを張っていたが、鬼塚おにづかをはじめあの代の誰一人、高校でまたバレー部に入りなおした者はいなかったようだ。校外のクラブやサークルでやっているという情報を誰かがキャッチすれば山吹にも伝わっていたはずだがそんな話もなかった。山吹が知ったら潰しに来るとでももしかしたら思われていたのかもしれないが。

 やりなおしたいと懺悔ざんげした鬼塚も他の連中も、結局誰もやりなおさなかった。

「後悔してるってこと? 気にしてなければアンテナは張ってないよな」

「感情的になったとは思ってます。鬼塚がやったことを今でも擁護する気はいっさいないけど、まだたかだか中坊の残りの人生からバレーを奪う権利がおれにあったわけじゃないっていう意味では、後悔はしてるし、恨まれる覚悟はしてます」

「あはは。責任感強すぎだよ」

 と、浅野がからっと笑った。むっとして横目で睨んだが、気にしたふうもなく曰く、

「バレーがなくなったら人生終わるわけじゃない。単にバレー以外に楽しんでることがある可能性だってあるし、恨まれてるとは限らないだろ。全部憶測でしかないんだから誠次郎がそこまで責任感じることじゃない」

「直澄さんって優しいかと思えばドライなとこありますよね……」

 まわりは十代の大半の時間をバレーに注ぎ込んできて今に至るバレーバカばかりである。浅野のような考え方をする人間は少数派だろう。篤志さんにそれ言えるんですかと意地悪く切り返してやろうとしたが、湿度の低い、ともすれば冷淡にも取れる微笑を浅野がふいに消し、真面目な声になった。

「……ただ万が一だけど、誠次郎が追い込んで、たとえば自分自身を傷つける行動にでる人間がいたら、誠次郎のほうが一生引きずる過去を負うことになったかもしれない。だからもうちょっと軟着陸させる方法が採れればよかったとは思う。正しい人がみんな報われる世界だったらいいんだけどね」

 しばし山吹は言葉を失い、背もたれの上で腕に顎を預けて伏し目がちにコートを眺めている浅野の横顔を凝視した。やっぱりこの人には敵わないような気がして言い返すのはやめた。

「景星に行ってからもし同じようなことがあったら、もっと融通きかせて収めてましたよ。直澄さんの下で丸くなった、ってこれでも言われてますからね、おれ」

「そんなこと言って八重洲に来てくれなかったくせにー」

 と浅野が冗談めかした感じで口を尖らせた。

「同じとこ行っても面白くないでしょ。高校の勢力図がシャッフルされるのが大学の面白さじゃないですか」

 何度もやりあった宿敵と味方になって四年間力をあわせることもある。力をあわせて戦った仲間が今度は宿敵になることもある。引き続き一緒になって長い相棒関係を築く者たちもいる。高校トップレベルを戦った選手がシャッフルされて結成されるドリームチームに、さらには力があっても高校ではチームに恵まれなかったり、まだ目立った力のなかった選手がワイルドカードみたいに食い込んでくるので、毎年のように強さが変動し勢力図が書き換えられる──それが大学バレーだ。

 高校までの関係の蓄積の上に新たな関係が築かれ、因縁が複雑に絡まりあう。

「意地でもあいつやあのチームに勝ちたいって思うし、負けたら本気で悔しいのも本心だけど……」

 浅野がなにかに気づいて斜め後方に首を巡らせた。山吹もいったん言葉を切り、浅野の陰から同じ方向に首を伸ばした。

 ターコイズブルーのポロシャツに着替えた弓掛が一階におりる鉄扉からでてきたところだった。

 しゃがんでいた浅野がはっとして立ちあがったが、声をかけずにその場に立ち竦んだ。

 浅野の背中を振り仰いで山吹は小さく苦笑し、続く言葉をかけた。

「……けど、そいつの苦楽もずっと見てきたから、おめでとうって心から言うのも矛盾してないし、罪はないでしょ」

 弓掛はまだこちらに気づいていなかった。鉄扉のそばに佇んだまま、どこか遠くを見渡すようにすくと背筋を伸ばした弓掛の視線の先にあるものを浅野は探した。

 広い体育館の天井の下を突き抜けてその視線は向こう側のスタンドまで届いていた。

 対面のスタンド席の頭上からは関東学生連盟の大会旗に並んで国旗が吊り下げられている。弓掛が視線を向けたのはその国旗だった。遠く掲げられた──弓掛から遠ざけられた日の丸を。

 試合を終えたばかりだというのに再び厳しい戦いに挑まんとするかのように、まばたきのすくない瞳と引き締まった表情には強い決意が宿っていた。

 破魔、大苑おおぞの神馬かんばを擁した八重洲に勝っても、身長の線引きは歴然として弓掛の前に横たわっている。

 勝っても評価が変わらないのなら、弓掛にとって悲願だった今日の一勝は、弓掛をより辛い境遇に突き落としただけなのではないか?

 なのに、また乗り越えちゃったんだな……。

 もうすこし弱ければ楽だったのかもしれない。

 逆境に屈せず、自分に甘えず、必ず乗り越えていく弓掛の強靱な精神力と反骨心が、かえって弓掛を痛ましいほうへと向かわせているように思えて、浅野はやるせなくなる。

 それでも歯を食いしばり、氷のつぶてをはらんで吹きすさぶ逆風にあらがって未開の氷原へと踏みだしていく姿しか、浅野の脳裏には浮かばなかった。

 突っ立って見つめている浅野の姿を弓掛が視界の端にとめた。日の丸から視線をはずし、こちらに身体を向けた。

 力を抜いて浅野は微笑んだ。

「おめでと、篤志」

 コートの上で双方から思いはぶつけきったような気がして、今交わす言葉が逆になくなっていた。

 弓掛の精悍な表情がやわらぎ、十年来の親友に向けて屈託のない笑みを返した。

【第二話 了】

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

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