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レンザブロー インタビュー

作家 古谷田奈月さん

自分の生き方は自分で決める

 日本ファンタジーノベル大賞で2013年にデビューし、衝撃的な近未来社会を描く『リリース』で三島由紀夫賞候補になるなど、いま小説界で熱い注目を集める作家・古谷田奈月さん。
 新作となる長編小説『望むのは』は、15歳の少女・小春と、誇り高きバレエダンサーの少年・歩(あゆむ)のふたりが過ごす一年間を描く、きらめくような青春小説だ。

望むのは 古谷田奈月

『望むのは』
新潮社/1,500円(本体)+税

 

古谷田奈月さん

【プロフィール】
古谷田奈月(こやた・なつき)

1981年千葉県生まれ。2013年「今年の贈り物」で第25回日本ファンタジーノベル大賞を受賞。同作を『星の民のクリスマス』と改題し、デビュー。著書に『ジュンのための6つの小曲』、『リリース』がある。

撮影/藤沢由加

 主人公の小春は、年をとることに怯えている15歳の女の子。世界の「色」を集めることを日課としていて、桜の花びらの色などを記憶しては自宅の地下室で絵の具を調合し、色を再現したりしている。高校入学を控えたある日、小春の隣家に同い年の少年が引っ越してくる。歩というその少年は色白で背が高く、バレエを習っている。

 小春は、人のイメージや場の雰囲気を「色」で知覚する。彼女の独特の感受性を通して見ると、世界は果てしなくカラフルだ。ちなみに、2014年に刊行された『ジュンのための6つの小曲』では、世界のすべてを音楽として感じる男の子が登場した。古谷田作品の随所にあるこういった独特の「感じ方」は、小説の大きな魅力の一つになっている。



ダムの決壊を思わせる激しさで笑い始めた歩くんの、その力強い笑い声が、色々な色になって庭に舞い始めたのを見て驚いた。よく見れば、それは蝶のかたちをしていた。(中略)この蝶は珊瑚色、あちらは青碧と、できるかぎり色を目に焼き付けておこうとするが、空へと舞い上がった幾匹かは、もう太陽に溶け出していた。(本文より)


 「いわゆる“共感覚”といってしまうと特殊能力みたいな感じがしますけど、目に見えていることだけではなく見えない感覚まで描写しようとすると、視覚とほかの感覚が絡まっていくのは、自然な感じ方なのではないかと思います。人は視覚や聴覚だけでなくて、同時に風やにおいなどいろいろ味わっていますよね」

 『望むのは』を読むと、いままで「五感」が、いかに定型的な表現に頼って描写されてきたかに気づく。情景のディテールが驚くほど丁寧に、独自の言葉を使って書かれていて、一文一文目が離せなくなる。具体的な事物を描いていても、まるで抽象画のような印象がある。

 「実は私自身は、色や季節にあまり関心がないんです(笑)。そういう情緒に敏感な人になれたらいいなと思ってはいるのですが…。憧れがあるものを取り上げがちなんだと思います。音楽もそうで、楽器を演奏できないからこそ憧れがある。文章を書くのはいつもすごく苦労します。一行書くごとに、老ける!と思うくらい(笑)」

 『望むのは』が、以前の小説に比べて短く、軽やかなボリューム感でまとまったことには、言いしれない満足感があるそう。目指す小説のかたちについて聞いてみると…。

 「いままで主に海外文学を読んできたためだと思いますが、外国語から翻訳された日本語、というものにとても安らぎを感じるんです。書き言葉って、普段こうして使っている話し言葉からはすごく遠いものですが、翻訳という作業がそこに入るとさらに距離が広がりますよね。それが私には心地良くて。日本語を母国語とした人の日本語は、読んでいて距離が近すぎるように感じてこれまでほとんど読めずにきたので、自分の作品にもそういう距離感、読者から距離を取ろうとする動きは自然と出ていると思います」

お母さんが「ゴリラ」!?

小春と歩、ふたりが出会うシーンから小説はスタートするのだが、冒頭から読者は、一風変わった設定に驚かされることになる。それは、歩の母親が「動物」だということ。



 歩くんの母親、安藤秋子さんに小春が初めて会ったのは、もう十年も前になる。
 その春、隣に越してきました松浦ですと小春の父がインターホン越しに告げると、中からエプロンを着けた大きなゴリラが現われて、「まあまあ」と笑顔で――たぶん、笑顔で――出迎えてくれたのだ。それが秋子さんだった。小春は声も出なかった。(本文より)


比喩表現かと思いきやそうではなく、言葉を話せる動物がそのまま「母」として登場するのだ。かといって、それは物語のメインストーリーにはならず、あくまで登場人物の個性のひとつ。きっと読者は面食らいながらも、先の読めない展開に釘付けになるだろう。

 「最初は、“日常生活に、なにげなくゴリラの人がいる”というシチュエーションを思いついたんです。実生活の中で、思わず注目してしまうような個性の人がいると、じっと見てしまったり、逆にそこばかり見すぎると失礼なんじゃないかとか、差別なんじゃないかと思って、自分の中の正義感でスルーしたりしますが、その揺らぎを書きたかった。動物についての物語ではなくて、あくまでも、それに対してどう振舞うかのお話です。変だな、と思う気持ちは自然なものだから、それを封じ込めることに対する違和感もありました」

 小説のなかで、動物の姿は「変わっている」という意味合いだけでなく、「すごく美しい」、「親しみやすい」「かっこいい」など様々な価値として描かれ、その人の個性(魅力)として機能している。

 「小春ははじめ、“歩くんはお母さんがゴリラであることを悩んでいるに違いない”、と思い込みます。でも実際に歩くんの家庭内の価値観を見ると、歩くんにしろ秋子さん本人にしろ、誰も悩んでいないんです。ネガティブさゼロ。それで小春も、物語そのものも、いつの間にかそちらに馴染んでいる。何かのきっかけで価値観がひっくり返るという展開ではなく、グラデーションのようにゆるやかに変化しながらすべてが共存している、という状態を書きたかったんです」

 バレエダンサーであることを周りの男子たちに奇異の目で見られながらも、自分の道を貫き通す歩と、集めた色で絵を描きはじめる小春。高校生ふたりの日常生活を淡々と追いつつ、空の色が移り変わるようにじわりと、小春や歩の価値観が変わっていく様子が描かれる。

 「人は主観でしか世界をとらえられないけれど、それ自体はちっとも悪いことじゃない。いろいろな人のいろいろな主観がある、そのおかげで世界は豊かなのだということを、知っていればいいんだと思います」

近未来を描いた衝撃作『リリース』

 前作『リリース』(光文社)では、生殖が精子バンクによって行われ、同性恋愛がマジョリティになっている国を舞台に描いた。精子バンクへのテロ攻撃、というドラマティックなストーリーで多様な性の可能性を読者に突きつけ、フェミニズムの潮流に対しても大きな問題提起を果たした衝撃作だ。

 「フェミニズムについては、問題意識を持つ作品が多いし、いま表現をする人がそこに無関心だったら見下されるくらいの空気がありますよね。私も多くのフェミニストと同じ方向を向いているとは思うんですが、そのころ書いていた別の長編小説がたまたま男性の登場人物ばかり出てくる作品で、いわゆるベクレルテスト(ジェンダーバイアス測定のために用いられるテスト)にかけたら失格になるようなものだったんですね。そのことが、自分で窮屈になってしまって。『リリース』を書いたのは、この先自由に作品を作っていくために一度ジェンダーについて正面から取り組んでおこうと思ったからです。ミソジニー(女性嫌悪)に対する怒りというより、“ミソジニーに対して怒っている人への(同族嫌悪的な)ストレス”で書いたともいえます。自分の中にも怒れる女は存在しますから、私自身に対するストレスだったのかもしれません。性差別への怒りと同じくらいの強さでそういう葛藤や自己批判を詰め込んだので、混沌とした小説になりましたが、その混沌こそが作品の主題になっています」

 『リリース』では、異性愛者はマイノリティになり、肉体を使った生殖は前時代的な行為になっている。その状況下では男女平等を訴える必要はなくなっているが、一方であらたな抑圧が発生している。人間の多様性について、読み手の想像力の可能性を試すようなパワフルな作品だ。

創作の原動力は「怒り」

 「創作のきっかけは作品ごとに違うのですが、根底には、一般的なものの見方に対する違和感があります。あとは、そこから来る怒り。ネガティブな感情は私にとって一番の宝です。自分を知る手立てになるし、人生をより良くするチャンスをくれるので」

 そう語る古谷田さんと、周りに迎合せずに体を張って自分なりの生き方を貫き通そうとする登場人物たちの姿とが、一瞬重なって見える。少女時代はどんな子だったのだろう。

 「私は昔から、“受験”とか“就職”とかいろいろなことのシステムや手続きがよくわからなくて、割と早い段階で“その手の人生”を諦めちゃったんです。小学校のときに、将来のライフプランを書きだす授業があったんですが、学校を卒業した後の未来が一切想像できなかったんですよね。皆が自然にわかる道理が自分には全く分からない。そういうことが怖くて、あまり学校には行きませんでした」



わかってないね、心を尊ぶってどういうことか。何があっても後悔しないってことだよ。常に全力で判断する、そしてそのとおり行動する。この生き方は僕の誇りだ。逃げてきた自分が好きなんだよ(本文より)


 歩が絞り出すように語るシーンには、体当たりの決意が表れている。

 「小説を書いて生きていく、ということだけは子どものときから自然とわかっていました。そこに行き着くまでの道筋は例によってあまり考えていなかったのですが…。その頃からデビューまでの、読む人もいないのに真剣に、正直に書いていた気持ちを、ずっと忘れずにいたいと思っています」


 
 

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