第22回 小説すばる 新人賞受賞作 子供でいられない子供たちと大人でいられない大人たちの孤独が作り上げる新しい世界。| 白い花と鳥たちの祈り
対談 金原瑞人×河原千恵子 「大人になりきれないことのリアルさ」
新人離れしたための部分
金原 とてもおもしろかったです。最初は普通の青春小説かなと思って読んでいたら、途中からいきなり「おや」という展開になっていく。そこまでは割と落ちついて読んでいたんですよ。ああ、こういう話だから、こういう内容の対談をすればいいのかなと思っていたら、三分の一を過ぎたあたりで、主人公のあさぎの同級生の千夏ちゃんがパフォーミング・アーツか何かの同好会をつくるというのが出てくるでしょう。あそこら辺がまずピクッとアンテナが動いたところなんです。
 そして、そのしばらく後で郵便局である事件が起こる。一体この話はどう進んでいくんだと、その辺から不安になってくると同時に、物語が一気に動き始める。読み終わって全体を振り返って気がついたんだけど、事件が起こるまでの部分がかなり長いでしょう。
河原 そうですね。
金原 それまでのかなり長い部分、我々は、よくための部分といいますけれども、ための部分がこんなにきっちり書かれているのは、新人賞の受賞作としては珍しいと思いましたね。あのための部分があってこその郵便局からの展開じゃないですか。ああいう構成は最初から考えていたんですか。
河原 大体の構成というか、プロットのようなものはありましたが、最初からきっちり書いていくというのではなく、どういうふうに進めていったらいいのかよくわからず、一歩一歩進んでいくやり方しかできなかったんです。
金原 いつごろから小説を書き始めたんですか。
河原 小学校から高校ぐらいまで、小説ではないんですけど、いろんな話を書いていたんですけれども、大学で文芸科に入って本格的に勉強し始めたら、その四年間でもう小説を書くのは絶対無理だと思って、卒業とほぼ同時にやめたんです。その後、普通に就職し、結婚してみたいな感じで、子供が大きくなったので、何か書いてみようかなと。
スポーツものに挑戦
金原 頭の部分は、最初から同じでした?
河原 最初の十枚ぐらいは、ずいぶん前に書いたものがあったんです。でも、その後がすごく行き詰まってしまって。
金原 どこで行き詰まったの?
河原 最初の十枚以降、郵便局の事件のところまでがすごく苦しかったですね。行き場所は見えているのに、どうやってそこまでたどり着いていいのかわからなくて。
金原 郵便局の事件以降は、すんなり書けました?
河原 そこまでで一年半ぐらいかかって、残りは数カ月で書きました。
金原 事件以降のプロットは大体頭にあったんですか。
河原 プロットという形ではないんですけれども、ほとんどの場面がノートに散在する形で書いてあったので、それをつなげていったんです。
金原 じゃあ、とりあえず全体像は頭にあった?
河原 はい。でも、単行本にするときにかなり手を入れましたから、最終的な形までは頭になかったんですけれども、応募した段階の構想というのはできていました。
金原 受賞したときの気持ちはいかがでした?
河原 ほかのところでもいったのですが、まず、すごく困ったなと。
金原 えっ、何で?
河原 内容というよりも、すごく私的な気持ちみたいなものを込めて書いてしまったので、それが公になると、自分が書いたラブレターをだれかに見られてしまったような恥ずかしさがあったのと、二年かけてやっと書いたのに、それ以上いっぱい書けといわれても困るなと。
金原 でも、次の作品は書いているんでしょ。
河原 いくつか書いていますが、一つは、アイスホッケーが好きなのでアイスホッケー部を舞台にした青春ものというか。
金原 高校生? 大学生?
河原 いま考えているのは高校生です。何かスポーツものを書きたいなと。
金原 主人公は男の子でしょう。
河原 チームに女の子が一人だけまじっていてキーパーをやるという、ちょっと変則的な。
金原 その女の子が主人公? それはおもしろいかもしれない。三、四年前からずっと気になっているのは、佐藤多佳子が『一瞬の風になれ』を書いて、その後すぐに三浦しをんが『風が強く吹いている』を書き、その後を追うように桂望実が『RUN!RUN!RUN!』、あさのあつこがやはり走る話を書いたんですね。みんな走る話ばかり書いてどうするんだと思っていたら、最後は森絵都までが『ラン』を書いた。森絵都は女の子が主人公だけど、ほかは全部女性の作家が書く男の子を主人公にした走る話なんです。何なんだこれは? と思っていたら、万城目学が『鹿男あをによし』で剣道部の女の子の話を書いて、誉田哲也が『武士道シックスティーン』で剣道する女の子を書くといったように、今度は男性作家が女の子が剣道する話を書いてきた。だから、河原さんがアイスホッケーを書くなら、主人公は男だろうと思ったんだけど、意外と真っ当なところに落ちついて、ホッとしました(笑)。
 アイスホッケーは昔から好きなんですか?
河原 ちょっとアメリカにいたことがあるんですけれども、そのときにNHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)というプロのアイスホッケーリーグを見て、スピード感、躍動感みたいなものに魅せられまして。
金原 アイスホッケーって、ぶつかるときの音とかすごいよね。
河原 そういうのがたまらないというか。もうなぐり合いはするし、流血騒ぎもあるし。
金原 そういうのが好きなんだ。
河原 見るだけで、自分ではやりませんけど(笑)。
大人の視点、子供の視点
金原 主人公は十三歳の女の子。中学一年生ですね。ぼくはこういう作品を読んでいつも気になるのは、描写も含めて、中一の子の言葉ですべてが語られているわけじゃないじゃないというところ。そこがいつもおもしろいんですね。去年出た有吉【玉/たま】【青/お】さんの『ぼくたちはきっとすごい大人になる』という短篇集があって、どれも小学生が主人公なんです。ところが全部一般小説の、大人向けの小説の言葉で語られている。もう一つ、去年出た大島真寿美さんの『すりばちの底にあるというボタン』。すり鉢状の敷地に建っている大きな団地があって、すり鉢の真ん中には秘密のボタンがあって、それを押すと願いが叶う、いや世界が滅びるという、小学生の間で流れている都市伝説みたいなのがあって、それを題材にした話なんですけれど、これは全て小学生の視点で書かれている。
 だからジャンル分けすると、大島さんの作品は児童文学になるし、有吉さんの作品は、同じ小学生を主人公で書いていても一般書になる。この二つは両極端なんですけれども、河原さんのはその中間的な感じがしますね。中学一年生の主人公を描くのに、考え方も感じ方も十三歳の女の子の視点で書かれている。けれども、河原さんの描きたいものは中一の言葉では語りきれないから、そこは大人の言葉で書いていく。そこら辺のギャップというか、ジレンマというか、もどかしい気持ちってなかったんですか。
河原 すごくありました。
金原 こういう作品を書くとき、そこがじつに難しいですよね。
河原 最初に書き始めたときは、児童文学賞に出そうと思っていまして、そのときはもっと平仮名が多く、言葉づかいももう少し中一っぽく書いたんです。
金原 そうなんだ。
河原 でも、書いている途中で内容が違ってきたんですね。で、これは児童文学じゃないなと思って、それで結局「小説すばる新人賞」に出したんです。
金原 大人と子供の視点のバランスをうまい具合にとるというのは大変だったと思いますが、そこもうまくクリアできている。逆にいえば、河原さんは、子供向けの本も書けるし一般書も書ける。どちらにでも行ける。その柔軟性がこの作品で十分に示されているような気がして、今後がとても楽しみですね。
素敵なフレーズがいっぱい!
金原 主人公のあさぎのキャラは、ある状況の中でいつのまにか周りからずれてきてしまうんだけれど、現実的によくいそうな女の子ですね。それに対して中村君という郵便局員は、最初からかなりずれてしまっている。その二人の視点から世界を描いていくという発想は、最初のころからあったんですか。
河原 最初はすべてあさぎの一人称でいくつもりだったんですけれども、そうすると、あさぎのわからないこととか、知らないこととかが書けなくて ……。
金原 で、中村君の一人称の部分もちょこちょこ間に挟んでいる。全体の構成としては、それできれいに決まっていますよね。これを読んだとき、森絵都の『つきのふね』という作品を思い出しました。主人公はやはり中学生の女の子。そしてもうひとりスーパーか何かでバイトをやっていて、ひたすら人類を救う宇宙船の設計図ばかり書いているという、ちょっとずれた感じの青年が出てくる。その設定がよく似ているし、もう一つは、手紙がとても効果的に使われているんです。河原さんの作品でも、あさぎのお父さんの手紙が驚くほど効果的に使われていて、並べてみるとすごくおもしろいなと思って。あの手紙は、最初からプロットに入っていたんですか。
河原 お父さんと話すというのは決めていたんですけれど、直接話すとか電話とか、いくつか選択肢があって、どれにしようかと ……。
金原 お父さんの話す、あるいは書く内容は決まっていた?
河原 いえ、それだけ最後に残ってしまって、締め切り直前にガッと書きました。
金原 ぼくが一番印象的なのはあそこかもしれない。
 中村君もそうだけど、あさぎのお母さんも継父の冬木さんも、ここに出てくる大人たちはみんな大人になりきれてない大人みたいなキャラですよね。そういうキャラは、河原さんの中では自然に生まれてきたんですか。
河原 金原さんの『大人になれないまま成熟するために』を読ませていただいたんですけれども、自分もまさしくそうというか、大人になったという自覚がないんです。周りの同年代の友達とか見ても、どこか大人になりきれてない部分を維持しながら大人をやっているような人がすごく多くて、それが自分にとってはリアルなんです。だから、ここに出てくる大人もそういうふうに書いたんですけれど、ちゃんとした大人が書けてないという批判もきっとあるだろうなと思います。
金原 逆に、いま現代を書こうとすると、こういう小説にならざるを得ないし、現実に大人らしい大人はいない。そういう意味では、まさに現代だなという説得力がありますよ。
 そういうリアルさに裏打ちされているからだと思うんですけど、実は、この本の中には、あちこちにぼくの好きなフレーズがあるんです。たとえば、「言葉を重ねれば重ねるほど、遠心力で振り放されるみたいに中心から遠ざかって」とか、そういう、おやっという、芝居の決め台詞みたいな文章が、とくに後半いきなり増えてくる。それは意識的?
河原 ちょっといやらしいんですけど、あらかじめ使いたいフレーズがあって、そこに行き着くために書いたみたいなのはあります。
金原 そこが妙に素人離れしていて恰好いいんだよね。「世界は、あなたが考えていたよりはやさしいのかもしれない」「僕にできるのは、一緒に途方に暮れることだけだ」「過去のことは、過去に考えさせておきましょう」とか、付箋を貼ったり、線を引きたくなるようなフレーズがあちこちにあって、後半は読む速度が落ちてしまいました。
 ああいうフレーズは自然と頭に浮かんでくるの?
河原 ぽかっと浮かんだものを書いておくんですけど、それをうまく使えないときもいっぱいあって、使えたときはすごくうれしいです。
金原 登場人物の心情に台詞がピタッとはまったら、うれしいだろうな。それはわかる。
 そういう主人公のあさぎが感じている、周りとずれているという居心地の悪さ、あるいは中村君の置かれている状況の切なさというのは、河原さんの中ではとてもリアルなものとしてあるんですか。
河原 かつていたところという意味では、とてもリアルです。
金原 かつてっていつごろです?
河原 ほんの二、三年ぐらい前まで感じていたことですね。
金原 そのリアルな気持ちというのがこの作品を書く原動力にしっかりなっている。
河原 自分でもそう思います。多分その状況のただ中にいたら書けなかった、脱け出たからこそ書けたかなという気はします。
金原 それがとてもいい形で作品になりましたね。そういうものって書きづらいと思うし、なかなかいい形で書けないことが多いんだけど、その意味ではとてもラッキーな作品です。
河原 そうですね。本当に運がよかったと思います。
(構成・増子信一)「青春と読書」3月号掲載
金原瑞人
翻訳家、法政大学教授。1954年岡山県生まれ。訳書にロバート・ニュートン・ペック『豚の死なない日』、著書に『翻訳のさじかげん』等。
河原千恵子
1962年東京都生まれ。「白い花と鳥たちの祈り」で第22回小説すばる新人賞を受賞。
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