風吹く谷の守人 天野純希

 

作品紹介

風吹く谷の守人 天野純希 2012年1月26日発売 定価:1,500円(本体)+税

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戦国期の越前地方。ある事情のため加賀を出奔して越前へ流れてきた有坂源吾は、放浪の途中、盗賊に襲われていた美しい姉妹に出会う。深手を負った姉はまもなく息絶え、源吾は、記憶を失くした妹・結衣を引き取り育てることにする。
数年後。朝倉家滅亡から数ヶ月を経た越前では、織田信長の支配に対する一向門徒の反発が高まりつつあった。源吾と結衣が流れ着いた、多くの人々が一向宗を信仰する村も、やがて血腥い戦に巻き込まれていく。信仰の名の下、兵として駆り出され命を落とす罪なき村人たち。織田軍によって蹂躙され尽くす、のどかだった村々。
混乱の中、結衣と源吾も戦いに身を投じていく。
大切な仲間を守るため、己の封印された過去を乗り越えるために――。
戦国期を駆け抜けた少女の、過酷な運命を描く歴史長篇。

 

書評

歴史小説の救い佐藤賢一

 久々のカタルシスだった。天野純希の新作、『風吹く谷の守人』である。
舞台は戦国の越前、一向宗門徒を根絶やしにするべく、織田信長が乗りこんでくる。とはいえ、信長も、秀吉も、あるいは朝倉や下間とて、脇役でさえない、ただの記号だ。
主人公は結衣という十六歳の少女である。結衣は越前の山々に隠れるかの小村、中津村に暮らしている。狩猟を主な生業とする、なにということもない山里だが、それでも戦乱に巻きこまれてしまう。結衣も戦わざるをえなくなる。実は中津村に流れつく以前に、ある特殊な技能を身につけていた。しかも仲間たちのなかでも、群を抜く技量だった。
この力を頼りに、結衣は乱世に挑みかかる。とはいえ、再び断りを入れるなら、信長を討つというような話ではない。前線の秀吉には傷を負わせたりもするが、それも恨みや憎しみからではない。ただ戦乱に巻きこまれただけの民草に、英雄たちの感覚はありえない。信長をどう思い、秀吉をこう思えるのは、せいぜいが坊官までだ。いや、越前の狂信的な門徒たちは好戦的で、念仏を唱えながら誰もが喜んで死んでいった? そんな紋切り型の話があるわけはない。が、それをそれとして書ける作家は、それほど多いわけではない。

 思うに、歴史小説には大きく二つの方法がある。「上からの視線」で歴史を捉える方法と、「下からの視線」で歴史を受容する方法である。前者は信長、秀吉、家康をドンと据える、御馴染みの王道スタイルである。多く書かれるというのは、実は簡単だからだ。それこそ英雄気分の大づかみで、指の間から零れる歴史は偉そうに切り捨てればよい。反対に後者においては、その零れた歴史のほう、すくいとるのに難儀なばかりの、煩瑣で、混沌とした事象に、いちいち沈潜しなければならない。これは難しい。想像力だけでは足りないからだ。異常な世界にどっぷりと浸かろうとも、なお正気を失わないでいられるバランス感覚、生半可な勉強などでは身につかない天与のセンスが、シビアに要求されるのだ。
デビュー以来、ほとんどの作品でこの「下からの視線」を貫いてきた、あるいは貫いてこられた天野純希は、それだけで稀有な作家といわれなければならない。話を『風吹く谷の守人』に戻せば、織田信長の天下布武は、英雄的でも、悪魔的でもなく、ただ巨大な不条理でしかない。軍兵による問答無用の殺戮、落人や野伏せりの跋扈、坊官の搾取と恐喝──渦中の結衣は何のために戦うといって、ひとえに中津村の人々を守るために戦う。兵太、六郎、幸、糸という仲間たちと力を合わせ、ひたむきに奮闘する姿たるや清々しいほどで、ときに現代の若者たちと変わらないかに感じられる。いや、違うか。それは血みどろの戦いだ。殺伐として、やはり今とは別世界なのだ。いや、いや、思えば今の世も殺伐としている。地震に、津波に、原発事故に、今こそ絶望するしかないような巨大な不条理に見舞われている。

物語のラスト、若者たちはついに新天地を求める。旧約聖書の「出エジプト記」さえ思わせるカタルシス──この歴史小説は今を生きる我々にこそ、救いなのだと思った。

歴史・時代小説のニューウェーブ熊谷達也

『桃山ビート・トライブ』で第二十回小説すばる新人賞(二〇〇七年)を受賞してデビューした天野純希は、歴史・時代小説におけるニューウェーブの旗手であるのは間違いない。なにせ、安土桃山時代の舞の一座の物語を、インディーズ・パンクロック・バンドのサクセス・ストーリィに仕立て上げてしまったのだから恐れ入る。歴史・時代小説の新たな可能性を感じさせる痛快なデビュー作だった。本書『風吹く谷の守人』は、その著者の最新作である。期待せずにはいられない。

 結論から述べると、その期待は裏切られることがなかった。文句なく面白く、エネルギーに満ち溢れた物語となった。

 本書の内容を少々乱暴に要約すれば、織田信長による一向宗攻め、いわゆる越前侵攻を背景に、ひとりの少女が、仲間を守るため、また、封印された忌まわしい自身の過去と向き合うために、命を賭して運命と闘う物語である。同時に、加賀一向一揆の渦中、時代の流れに翻弄される小さな村で必死に生きようとする人々の物語でもある。深い業と宿命を背負った結衣という少女が、物語が進むほどに魅力的で愛おしくなる。そして、彼女を取り巻く人々の、ひとりひとりの生き死にが、深く胸を打つ。

 ここで、天野純希が創り出す物語の何がニューウェーブなのかといえば、戦国時代の話にもかかわらず、歴史に名を残すことのない市井の人々の生きざまと死にざまのみが関心事で、信長や秀吉は完全に脇役以下、誤解を恐れずに言えば、時代や歴史の解釈すらも、瑣末なこととしてあっさり斬って捨てていることである。これは実は、大変困難で、勇気のいる作業だ。

 たとえば、元禄時代を中心とした安定期にある江戸を舞台にするのであれば、市井の人々を描きやすい。とりあえず平和な時代に生きている我々読者の感覚を物語に投影しやすいからだ。実際そうした小説は、いわゆる「時代小説」として数多く書かれてきた。
一方で、死が日常になっているような動乱の真っ只中にある戦国時代となると、なかなかそれが難しい。書き手、読み手ともに、いわゆる戦国武将を中心とした名のある者の人物像や、歴史や時代の斬新な解釈が主な関心事になるのが普通だ。勢い、庶民の生き死には「○万の軍勢~」といった具合に簡略化せざるを得ない。そうした作品群が、とりあえず「歴史小説」と呼ばれてきているのだろう。

 天野純希の作品は、それは違う、と訴えている。既存の手法にまったく頓着しないことで、人知れず生まれ、生きて、そして死んでいく、ごく普通の人々こそが歴史の担い手なのだと暗示している。だからあくまでも、名もなき少女や百姓たちが主人公でなければならないのだ。まさにインディーズ・パンクロックの精神そのもの。天野作品において最も大事で爽快なこの部分が、本書『風吹く谷の守人』でも大いに堪能できるのである。

著者プロフィール

photo chihiro.

天野純希(あまの・すみき)

1979年名古屋市生まれ。愛知大学文学部卒業。
2007年『桃山ビート・トライブ』で第20回小説すばる新人賞を受賞。
元寇に翻弄される若者たちの青春と描く2作目『青嵐の譜』、長宗我部元親の興隆と滅亡までを描く3作目『南海の翼 長宗我部元親正伝』ともに、歴史小説に詳しい書評家を中心に話題となる。次代を担う実力派歴史小説家の一人。

 

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