昭和18年、日本軍は上ビルマに侵入した英印軍を討伐していた。若い新聞記者の美濃部は後藤軍曹が指揮する宣撫班についていたが、ビルマ人との親睦を取材するだけの日々に物足りなさを感じていた。
しかし、後藤班が英印軍捜索の任に組み込まれたことで状況は一変する。強引に同行を申し出た美濃部は、兵隊とともにビジュー山系へ分け入っていく。
現地人の協力やビルマ人密偵の働きもあり、後藤班はようやくイギリス人将校・コーンウェル中尉とその部下であるインド兵を捕らえることに成功する。だが、捕虜を輸送しながら美濃部の脳裏に様々な疑念が湧く。彼らが人質にしていたというビルマ人たちはどこに消えたのか? なぜコーンウェル中尉は捕虜となりながらも毅然とした態度を崩さないのか? すべての謎が解けた時、美濃部は"戦地の真実"を突きつけられる。
現地人を巻き込みながらぶつかる、それぞれの正義と信念を圧倒的な筆力で浮き彫りにした傑作長編。
『ニンジアンエ』の世界がさらによく分かる! 昭和十八年当時のビルマの地図とビルマ独立までの歴史年表
(なお、地名は戦時中に使われていたものです。河川は一部を省略しています)
1885年(明治十八年)
第三次英緬戦争が勃発
1886年(明治十九年)
ビルマ王がイギリスに降伏
イギリス領インドに併合され、植民地支配が始まる
1937年(昭和十二年)
インドから分離、自治領となる
1941年(昭和十六年)
太平洋戦争勃発
1942年(昭和十七年)
アウンサンがビルマ独立義勇軍を率いて日本軍と共に戦い、イギリス軍は撤退
日本軍によるラングーン(現在のヤンゴン)占領が始まる
1943年(昭和十八年)
日本の後押しでビルマ国が建国される
一方で抗日地下組織が拡大するなど、日本軍への反感高まる
1944年(昭和十九年)
3月、インパール作戦開始(インド東北部の都市・インパール攻略を目指した作戦)
1945年(昭和二十年)
3月、抗日一斉武装蜂起
8月、日本の敗戦
英領へ復帰する
1947年(昭和二十二年)
7月、アウンサンが暗殺される
1948年(昭和二十三年)
ビルマ連邦共和国として独立
他国を舞台とした戦争は現地の住民次第で結果が変わる――『ニンジアンエ』に通底するテーマを一言で表現すればそれになるだろう。実際、このことは物語の早い段階から終盤に至るまで、複数の登場人物によって言葉を変えながら指摘されている。
昭和18年にビルマで起きていた日本軍と英印軍の争いの鍵を握っていたのは、現地住民であるビルマ人だった。本書は、戦いを有利に進めるため、現地住民を味方に引き入れるための宣撫工作(占領地において、占領軍の目的や方針などを現地人に伝えることで人心を安定させる軍属のこと)に焦点をあてた物語である。美濃部という新聞記者を読者と同じ「傍観者」として置くことで、最初は滑稽なプロパガンダにしか見えない宣撫工作に大きな意味があることが徐々に明かされていく。人心に揺さぶりをかけることで、人々の感情が変わり、それがリアルな戦況に反映される。丹念な資料精査・取材を経て描かれるその過程は実にスリリングだ。
一方、この物語は「有事における報道とは何か?」という、極めて現代的な問題を我々に突きつけてもいる。
「報道を自称しながら取材では商業主義が優先する」
「いざ取材にかかればより劇的な場面を拾おうとする。そうしてできあがった記事は、取材対象の実体から大きくかけ離れている」
「ことの単純化が扇動の基本」
「主旨を絞り込むと事実を偽ることになります。不要なものを排除するといえば聞こえはいいですが、要不要の判断が作る側にあるのですから」
これらは全て、物語の登場人物たちによるモノローグか台詞である。これらのフレーズだけ取り出してみると、とても昭和18年のビルマを舞台にした小説とは思えない。
東日本大震災とそれによる原発事故を経て、我々日本国民は原発・放射能という厄介な「敵」を抱えることとなった。見方を変えれば、戦後以来初めて「有事」が日常化したとも言えるわけだが、それに伴い、「有事」を伝える報道のあり方も改めて問い直されている。
福島第一原発の1号機が水素爆発を起こして以降、全国紙やテレビ各局は政府と東京電力、原子力安全・保安院による「大本営発表」を垂れ流す一方で、放射線への恐怖と、「絵にならない」ことを理由に原発の北に位置する南相馬市から早々と撤退した。彼らは20km圏内という政府が発表する危険区域より広め(各社とも40km~60km程度)に取材禁止区域を設定し、記者を立ち入らせないようにしたのだ。これはつまるところ、マスメディアが大本営発表を「信じていなかった」という何よりの証明なのだが、このことは読者に伝えられることはなかった。当時、マスメディアの報道人たちにこのおかしなダブルスタンダードについて問いただしたが、返ってくる答えは皆判で押したように「煽った情報を流すことで、国民がパニックになることは避けなければならない。我々にはその責務がある」といったものだった。
マスメディアが臆病なくらい慎重に情報を流したことと裏腹に、インターネットにはマスメディアには決して載らない、劇的で、扇動的で、主旨を絞り込み、ことを単純化した情報があふれかえった。原発がイデオロギー問題化していたことに加え、近年表面化してきた国民のマスメディアに対する不信感が混迷に拍車をかけ、かくして原発・放射線をめぐる情報は錯綜を極めることとなった。マスメディアで情報発信する者も、インターネットで情報発信する者も、どちらも自分の信じる「大義」の下に国民に対して宣撫を行っている。現在の日本国民は、日本軍と英印軍の間で揺れるビルマ人のような状況に置かれているのだ。
そして、現実は紙芝居のように「悪い敵を倒せば万事解決する」という単純なものではない。利害関係者がかつてないほど増え、それらが複雑に絡み合っている現代は、戦争時よりも問題解決が困難になっている。2011年11月20日に投開票が行われた福島県議会選挙では、原発を推進してきた自民党が現有議席と同じ26を確保した。福島県民にとって、放射線は気になる存在でありつつ、同時に目の前の生活をしなければならない現実もある。復興に向けて山積みになった問題を処理する存在として、苦々しく思いつつも地縁の深い自民党の政治家を選ばなければならなかった事情があるのは想像に難くない。
『ニンジアンエ』は、「宣撫」という行為を丹念に追うことで、戦地の真実を浮き彫りにした。3.11以降原発・放射線という大きな命題を抱えることとなった日本は、それぞれの個人がそれぞれの立場から思い思いに宣撫を行う「内戦状態」に入ったとも言える。ソーシャルメディアの発達、デジタルデバイスの普及により、急速に情報社会化が進む日本において、改めて「宣撫」の持つ意味、そして「宣撫への対抗策」が問われている。
津田大介(つだ・だいすけ)
ジャーナリスト/メディア・アクティビスト。1973年東京都生まれ。IT・ネットサービスやネットカルチャー、ネットジャーナリズム、著作権問題、コンテンツビジネス論などを専門分野に執筆活動を行う。また、3.11後は被災地の取材を精力的に行い、ライブイベント「SHARE FUKUSHIMA」を開催するなど、独自の切り口から地域の復興に関わり続けている。主な著書に『Twitter社会論』『未来型サバイバル音楽論』など。2011年9月より週刊メールマガジン「メディアの現場」の配信を開始。
https://www.neo-logue.com/mailmag/index.html
古処誠二(こどころ・せいじ)
著書に『ルール』『七月七日』『線』『ふたつの枷』などがある。2010年、第3回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」受賞。