貴族探偵 召使が推理 貴族が解決 本格愛好家へ贈る ディテクティブ・ミステリーの傑作! 麻耶雄嵩、五年ぶりの最新刊!!

麻耶雄嵩氏インタビュー 聞き手・構成 小池啓介 (75年生まれ、書評ライター)
▼推理しない探偵?▼各収録作品について▼日常/非日常▼貫きたいスタンス▼「著者のことば」
推理しない探偵?
『神様ゲーム』からおよそ五年ぶりの新作『貴族探偵』が刊行になります。今作ではあらたな探偵キャラクター「貴族探偵」が登場するわけですが、探偵が「貴族」とは実に奇抜な設定ですね。しかも、彼にとって推理、謎解きは雑事であることに衝撃を受けました。
麻耶 推理しない探偵っていうのを考えたときに、その設定が一番うまくはまるのが、貴族のような存在ではないかなと思ったんです。単なるお金持ちだと、ちょっと別の嫌みが出てくるかなと。
これまで、メルカトル鮎と美袋、木更津悠也と香月というふた組のコンビを書かれています。読者が深読みすることが可能な批評性を備えた探偵とワトソンの関係ともいえるわけですが、今回はそれも超越してしまった印象を受けました。
麻耶 それでも、探偵のあり方についての延長だとは思うんです。
具体的にはどういうことでしょう?
麻耶 すべてをワトソンが面倒見てくれるっていう(笑)。
推理も含めてというところがすごいですよね。麻耶さんはこれまでのインタビューで、探偵は推理をするというよりは、事態を完結させる人間だと語っています。その究極の形が、貴族探偵なのでしょうか?
麻耶 同時期に神様探偵(『神様ゲーム』に登場する鈴木君)も考えていたので、必ずしも究極とかではありませんね。あくまで一つの方向性で。
『貴族探偵』はキャラクターの側面から読んでもたいへん愉快な小説です。メルカトルと美袋、木更津と香月は、関係性に屈託やひねりがあります。それに比べて今作はきわめて明朗な印象を受けました。神様探偵をつくったことで、その反動で貴族探偵が生まれたのでしょうか?
麻耶 同時期なので、特に反動というのではないんです。タイプが異なるアイディアが二種類生まれたということでしょうか。貴族探偵の場合は、まず最初に、性格はともかく探偵そのものには何の色も属性もつけないようにしようという考えがありました。探偵が少しでもいいところを見せると、ほんとうはできる人間なのにふだんは召使いにやらせているととられかねないですから。
実は何もできないということを強調しようと?
麻耶 いや、逆にできないっていうのも見せない。できるかどうかは不明ということです。何の属性もつけずに、あくまで抽象化された、探偵という名目だけで存在しているつくりにしようというのがあったんです。
純化された探偵像という感じでしょうか。
麻耶 ある意味、純化されていますね。本編の探偵役は、あくまでも貴族探偵なんですよ、召使いじゃなくて。一応、物語は貴族探偵が完結させているわけです。(推理は別の者にゆだねて)最後の締めを貴族探偵がもっていくことによって、貴族探偵が名探偵であるということをやりたかったんです。偉そうな物言いになってしまうのですが、名探偵ってこういうものだよ、という自分にとっての一つの答えが貴族探偵なんです。ただ、あくまで答えの一つでしかないので、まだまだいろいろやってみたいですね。
何か新たな探偵のアイディアがあるのですか?
麻耶 アイディアというよりも、もっと突き進めたらどういうことになるんだろうっていう好奇心ですね。答えは今のところ全く見えていないのですが、もっと掘り下げていきたいと考えています。
神様と貴族の続きがあるなんて、ワクワクしてきますね。
麻耶 ただ、オーソドックスな探偵を創ってこなかったせいで、普通にミステリーを書こうとした時に大変なんですよ(笑)。
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各収録作品について
ここからは個々の作品についておうかがいします。短編の作品名はいずれも、ヨハン・シュトラウス二世(作曲家/指揮者)の作品からとられています。まず、二〇〇一年に本書の第一話となっている「ウィーンの森の物語」が書かれたわけですが、ヨハン・シュトラウス二世の作品名を短編のタイトルにするのは最初からのお考えですか。
麻耶 それは二作目からです。一作目は、もともと「貴族探偵」というタイトルでしたから。二作目を書く際に、「貴族探偵」のほうを総タイトルにして副題を新たに考えることにしました。
すんなりとタイトルは決まりましたか?
麻耶 いやもう、全然です。二作目「トリッチ・トラッチ・ポルカ」は構想の段階から決まっていたんですけど。
ヨハン・シュトラウスの作品でもモチーフとなっている女性のおしゃべりが印象的な作品ですね。
麻耶 そういうドタバタ感を意識しました。でも、三作目以降は主に、作品を書いてから考えましたね。シュトラウスの作品リストを眺めて、どれが合うのかなみたいな。ある程度、有名な作品じゃないといけませんし。タイトルに合わせて後でちょこちょこと手直しをしたり。
楽しい作業でしたか?
麻耶 締め切りに余裕があれば楽しかったんですけどね(笑)。
この作品も含め、麻耶作品にはよく死体の切断が登場しますが、切断ネタに目覚めた、直接影響を受けた作品はあるのでしょうか?
麻耶 島田荘司さんの『占星術殺人事件』と、クリスチアナ・ブランドの『ジェゼベルの死』です。読んだ当時、死体を人間のパーツとして非人間的に扱うことが、とても衝撃的でしたね。
やや間が開いて――二〇〇七年の「こうもり」はアリバイ崩し風に途中まで進み、最後に違う角度からのトリックがあって決着するという構成です。アリバイといえば、麻耶さんもお好きな鮎川哲也作品を思い出します。アリバイものにする意識があったのでしょうか?
麻耶 メタ的なトリックのアイディアが最初にあって、そのトリックを有効に活かすため、結果的にアリバイものになったという感じです。むしろ「トリッチ・トラッチ・ポルカ」のほうがアリバイものにしようと最初から意識してつくりましたね。
四話目は「加速度円舞曲」。ヨハン・シュトラウスの作品では蒸気機関車の加速を意識した曲です。冒頭に出現する岩が転がるイメージと合わさります。
麻耶 それもありますし、小さなものから、だんだん大きくなって、最後、岩にまでいって車にぶつかるというニュアンスが、加速度という言葉に結びついています。これは珍しくトリックと一緒に思いついたタイトルですね。冒頭が運転シーンで、運転手が登場するというのも含めて、この中ではまだしっくりくるほうじゃないでしょうか。
二〇〇九年に「春の声」が掲載されました。ヨハン・シュトラウス二世の作品によると、余興とか結婚の幸福感を描いたということですね。最終話という意識が強く感じられます。大団円を前提につくられた状況、トリックですね。
麻耶 全員を捌き切ろうとして煩雑になってしまいました。手間暇だけはやたらかかりましたね。
今後、続編というのはあり得るのでしょうか。
麻耶 そうですね、別にそれは問題ないと思います。
長編でも大丈夫ですか?
麻耶 長編で貴族探偵を出ずっぱりにするのは難しそうですけど。捜査しませんしね。かといってあくまで探偵が主役なので、最後にだけ出すとか、お座なりな扱いはできないですし。
麻耶さんは以前、短編ミステリーにも、まだまだ可能性は開けているという発言をされていましたね。
麻耶 短編のほうが冒険はしやすいと思います。
それはどういう意味での冒険ですか?
麻耶 他人が面白いと思うかどうか不安なものへの挑戦ですね。単純に、長編でそれこそ一年かけて――まあ一年で済まないんですけど――冒険するよりは、短編で試したほうが、失敗したとしてもすぐにリカバーできて、ダメージが少ないですよね。チャレンジする意欲が持続すると思います。
核心となるアイディアが生まれるまでに苦しむほうだと思いますか?
麻耶 こねくり回すタイプですね。ぽっと出た発想がすぐ満足できるものだったらいいんですけど、ぽっと出るだけあって、いまいちなところもある。そこを何とかカバーしようという方向で考えていきます。ぽっと出たやつって、どうも信用ならないんですよ。出てきたときは、すごくおもしろく感じるんですけど、これって冷静に見てみたら実はそんなに大したことないんじゃないかとか、ちょっと疑心暗鬼になるんです。
産みの苦しみを通過するからこそ、完成度は高まるのですね。
麻耶 ただ、どうしても複雑化する方向になってしまって。ある人が、「たとえ三〇%の人に解っても七〇%の人に解らなければ、そちらのほうがいい」と言われていて、もっともだと思ったんです。一〇〇%の人に解らない作品というのは、どうしても間口を狭め受け入れられづらくなる可能性がありますから。
だれ一人として最後まで犯人がわからないミステリーですか。
麻耶 ものすごいアイディアならいいんですが、多くの場合、捻りすぎてもう単にごちゃごちゃしてるだけということになりかねない。そうはいっても、三〇%に解られてもいいというには、覚悟というか割り切りがないと難しいんですよね。マニア上がりなので余計に。
結構、勇気が要りますね。
麻耶 そこは悟りに近いものだと思います。
分刻みのアリバイ崩しで読者を卒倒させた『木製の王子』を書いてしまった麻耶さんは、まだその悟りの段階にいたるのは難しいですか?
麻耶 そうですね。悪あがきして、まだまだ悟れない(苦笑)。
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日常/非日常
麻耶作品には独特の世界観がありますが、『夏と冬の奏鳴曲』や『鴉』などの長編に比べると、短編の世界観はそれほど現実世界から離れることはありません。メルカトルや木更津ものも、短編になると日常的な世界が舞台になっていきます。長編と短編とで作品世界に差がある理由は何なのでしょう?
麻耶 実際にその世界観なり何かを短編に書き込んでいたら、枚数が足りなくなるか、本格の部分が薄くなるからです。短編では特に純粋に本格の部分だけをクローズアップしたものを書きたいという欲求もあるので。
長編なら、ある程度余裕をもって世界観までも描けるわけですね。
麻耶 そのはずなんですけど――逆にプレッシャーになるときがあるんですよね。そういう(非日常的な)要素のない作品は書いていないので、そういうのを入れないで長編ができるのか不安みたいなものがあって。
完全な日常世界における市井の犯罪を扱った内容で長編を一本書くのは難しいですか。
麻耶 物語のテンションを維持するのが難しいかもしれないなと。短編の場合だったらできても長編となると、だらだらと話が流れちゃうだけなんじゃないかという気がするんですよ。
たとえば山口雅也さんは、現実とは全く違う異世界を構築する本格ミステリーの書き手です。麻耶さんの作品の場合、日常がありつつ、突然異世界の中に入り込むかたちが多いですよね。
麻耶 まず自分の好みとして、ある程度、日常にアクセスできる部分があったほうが、読む際にうれしいというのがあるんです。SFミステリーとかは、もちろんおもしろい作品はたくさんあるんですけど、つい手に取るのが後回しになる。書くときもなるべく、一応、今の日本の話ですよみたいなノリは維持したいなと思っています。全くのパラレルワールドではなく。
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貫きたいスタンス
作家としての成り立ちについてお伺いしたいと思います。本格ミステリー小説との出会いはいつ頃になりますか?
麻耶 小学校のころですね。やっぱりシャーロック・ホームズのジュヴナイルものが原体験としてあります。でも、一番好きだったのはルパンなんですけど。
他のジャンルの作家などは?
麻耶 人並み程度です。最近は本自体、読まなくなっていますね。
何をごらんになっているんですか。映画とか?
麻耶 映画は見ないですね。ゲームもそんなにしてないです。何してるんですかね(笑)。(目下、麻耶さんは鉄道にはまっているそうです。いわゆる「乗りテツ」とのこと)
お好きな作家として横溝正史の名前を挙げられることが多いですよね。麻耶さんにとってどういう存在なのでしょう?
麻耶 小学校低学年のころに、ちょうど角川映画等による横正ブームがありました。そういう意味ではすり込みですよね。有名な「祟りじゃーっ」とか、佐清の逆立ち死体とか。そのせいか渥美清の金田一も、自分の中では全く違和感がないんですよ。ジュヴナイルとしてはホームズや乱歩とかだったんですけど、映像作品としてではあれど大人のミステリーに接したのは横溝正史が最初だったかな。そのためどうしてもそこから抜けられません。
今でも読み返したりするのですか?
麻耶 たまにしますよ。長編ばかりが有名ですが、短編にもすぐれた本格がいくつもありますし。また最後は動機で攻めてくるような作品でも、ダミーの推理にさえきっちりと枚数を割いて詰めてくる。少々流れが悪くなったり構成が歪になっても。そんな手を抜きがちな部分をちゃんとやっているところが、さすが「本格の鬼」と言われるだけのことはあるなぁと。そこはこだわりの人なんだなというのはすごく感じます。そういうスタンスを自分も貫ければいいですね。
現実離れした舞台における謎解きミステリーを追求したピーター・ディキンスンなど、麻耶さんのバックボーンといわれるような作家と出会ったのは、大学に入ってからになるわけですか。
麻耶 ディキンスンは大学に入ってからですね。中学の頃にもしディキンスンを読んでいたら、微妙だったかもしれないですね。ディキンスンは、ちょっと斜に構えた部分がすごく気に入っているので、まだ自分の中で本格の骨格ができていないころにそういうのを読んでも、ぴんとこなかった可能性もある。そういうのが理解できる年になるまではちょっと無理だったかもしれないですね。
それは新しい若い読者などが、いきなり麻耶さんの本を読んで、どこを受けとめるかというのとすごく似ていますね。たとえば、メルカトルと美袋のお笑いコンビのような関係性のみを楽しむ読者も想像できます。
麻耶 それはまあ、仕方ないかなと。
良い悪いではなく、仕方ない。
麻耶 いったん自分の手から離れた以上、どう読むか、どこを面白がるかは、最終的に読者の自由ですからね。伝えきれなかった自分が力不足だったとしか。「俺の作品はこう読むべきだ」と押しつけがましくなるのも嫌ですし。実際、楽しんで書いている部分もありますからね。ただ、そういう反応を意識しすぎると作品のバランスが崩れかねないので、あくまで副産物ということに自分の中でしているんです。
あくまでもミステリーへのこだわりを追求していかれると。
麻耶 これからもそうしていきたいですね。
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「著者のことば」
以前は、一番気に入っている作品は短編集『メルカトルと美袋のための殺人』とのことでしたが、『貴族探偵』が出た現在はいかがでしょう。
麻耶 『貴族探偵』ですかね。『メルカトルと美袋のための殺人』もそうなんですけど、結構話ごとにバリエーションをつけられたかなという気がするので。長編はいつも書き終えたあとに力不足を感じて不満が残るんです。もっと面白く書けたんじゃないかって。その点、短編のほうがある程度自分が描いたとおりに書けたという達成感が強いので、フェイヴァリットという意味ではどうしても長編より上に来ます。
『貴族探偵』は、今年のミステリー界の話題をさらうことは間違いありません。
麻耶 だといいですが(笑)。
今年の予定ですが、もう一冊、長編『隻眼の少女』は確実に刊行されるのでしょうか?
麻耶 最後の追い込みにかかっていますから、きっと出ることでしょう。
最後に、無理なお願いになりますが、ノベルスの著者のことばが、読者にたいへん好評を博しています。本作はノベルスではありませんが、ここで『貴族探偵』にも著者のことばをいただけませんでしょうか?
麻耶 わかりました。(少し考えてから)――「これぞ名探偵」
(平成二十二年四月十五日)
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