──福田さんといえば、サイバー攻撃やセキュリティの攻防戦を描いた作品が多いですが、『怪物』をはじめ今回の『緑衣のメトセラ』は科学や医療の分野への意欲的な挑戦ですね。
はい。他では書いてないものをということで、『怪物』路線のような科学ネタで、思いもよらない方向に話が転がっていくという変なシリーズをやりましょうということになりまして(笑)。
──確かに読者の予想を裏切る展開が相次ぎます。主人公・アキの弟分の感染症による不審死や老人ホームでの異常に高いがん発生率など、恐ろしい生体実験かと思いきや、じつは……。
そうですね。殺人やパニックものよりも、より美しくダークな方向に舵を切っていくというか。読者によっては期待通りに話が進んでいく方がすんなり読める人もいるかもしれません。その意味では、わかりにくくないかとちょっと心配は心配なんですけど。
──いえ、人間臭い人物背景がしっかり描かれているので、奇想天外な院長の研究内容にリアリティを感じます。がん細胞の増殖と不老が実は裏表の関係にあるという不破院長の説も面白いですね。
はい、そういう研究をされている方が各地にいらっしゃいまして。たとえば、『がんとテロメア・テロメラーゼ』(井出利憲・檜山英三・檜山桂子著、南山堂)という本など読むと、正常な細胞では一定の回数だけ分裂すると細胞が死ぬのに、がん細胞の中には永遠に分裂し続けるものがあることがわかります。あくまで一部のがん細胞だそうですが、不死を獲得しているようなのです。がんの研究と、老化の研究が密接にかかわっているなんて、とても興味深いですね。
──物語の中には、ゲノム編集(ヒトの受精卵の編集)やDNA操作の話なども頻繁に登場しますが、そういう専門知識も取材で?
ええ、今回は書籍を中心に取材しました。難しいので、完璧に理解できているかどうかは自信ありませんが、へえ、そんなこともあるんだと好奇心の方が先に立って、すごく楽しかったですよ。私、こういう取材大好きなんです。書くのも好きですけど、どちらかといえば私は取材をしているときが一番好きですね(笑)。iPS細胞の講演会に行ったり、専門書で調べたり。人間の細胞ってどうなっているんだろうとか、人間のことを知るのが最高に面白いですね。
ネタバレになりそうなので控えめにお話ししますが、シャロン・モアレムという進化医学研究者の『迷惑な進化』(NHK出版)という本に、面白い話が出てきます。ウイルスに感染することで、人間は新しい性質を獲得し、進化してきたというのです。私たちのDNAのうち、細胞をつくるのに使われているのは、3パーセント以下にすぎないとも。残りの97パーセントは、非コードDNAと呼ばれ、タンパク質合成には直接関与していないのだと。使われていないDNAは、何のためにあるのか? 興味深くないですか?
──それは面白いですね。福田さんは大学は理系、その後のシステムエンジニアのお仕事も今の創作活動に役立っていそうですね。
それはありますね。大学での専門は化学工学で、化学プラントの設計などの職業に就く人が多いんですが、私はあまり勉強しなかったもので、バブルの終わりの頃の波に乗ってスルッと金融関係のシステム屋になりました(笑)。でも、一応理系の基礎知識はあるので、取材がやりやすいというか、取材相手から専門用語で話しても理解できる対象として接してもらえるのがありがたいです。
じつは私、SF小説を書きたくて理系に進んだんです。小学生のころからお話をつくるのが好きで、中学生のときは大学ノートに小説を書いて、一番いいところでお話を止めて、「はい」と友達に回覧していたんです。
──連載ですね。
ええ。「続きは?」とノートが返って来るのが快感で(笑)。高校の時はSFにはまって、SF小説を書くにはやはり理系の知識が不可欠だと思って、大学は理系に進んだんです。
──『緑衣のメトセラ』には、院長の右腕で、肉嫌いの草食系で汗をかかない非常に感覚鋭敏な研究者が登場しますね。そういえば『怪物』の青年科学者・真崎亮も同じタイプ!?
ああ~、そうです、そうです。この二人は、私の好みのタイプなんです(笑)。
肉嫌いといえば、私は中学生のころ、あることがきっかけで、とくに肉類が食べられなくなったんです。
──どんなことがあったんですか?
兵庫県の中学校に通っていたのですが、学校の廊下に、広島や長崎の原爆の写真や原爆のことを書いた詩がいくつも張り出されていた時期があったんです。その中に、ある男の子が書いた衝撃的な詩があって、原爆で焼死したお母さんのほかほかの肝臓を泣きながら食べるというシーンが出てくるんです。あとでフィクションだったとわかるんですが、その詩を読んでしばらくは、まったくお肉を受け付けなくなってしまった。親は何で食べないのかと心配するんですが、その理由を言うのも嫌で……。今は、お肉大好きですけど、そのときはどうして他の生き物を殺して食べるのかと真剣に考え込んでいました。何とか食べずにいられる方法はないのかとずっと考えていて、ああ植物みたいに自己完結して生きていければいいのにと思った。それが今作の発想にもつながっています。
──そんな思春期の体験がこの作品のベースにあったんですね。
はい。作家デビューする前にもファンタジーでそんな話を書いたことがあって、どこかでこのネタを使いたいなと思っていたんです。
何かを意識して食べないでいると、不思議な変化があったのをよく覚えています。味覚とか五感が妙に鋭敏になるんです。昔から願掛けのときに、よく塩を断つとかいうでしょう。何かを断つって、感覚を研ぎ澄ますというような側面があるんですよね。そういった経験もこの草食系研究者の設定に反映しています。
──そんな研究者と対するアキの人物設定が、ステレオタイプの正義感溢れるヒロインではないのがいいですね。
アキは生活苦から、取材相手にゆすり・たかりみたいなこともやってしまう。やがて糾弾すべき不破院長に感化されてゆくという展開は、前作の『怪物』に通じる部分もありますね。
──ネタバレになるのでそれ以上は明かせませんが、福田ミステリーの醍醐味は決してわかりやすい善悪では語りきれないところにあると思うのですが。
そういう作品の傾向は、私自身が悪に対して魅力を感じているからでしょうね。今、私は「ハンニバル」にはまっているんです。映画ではなく、アメリカのテレビドラマ版なんですが、レクター博士をマッツ・ミケルセンという北欧の俳優がやっているんです。最初はやっぱりレクター博士はアンソニー・ホプキンスでしょと思ったんですが、今はもう逆転しちゃって(笑)。肉を食べられなかった私も変わったものです。人肉を食べるなんて究極の悪ですけど、このレクター博士がかっこいい。悪なんですが、悪は魅力です。「スター・ウォーズ」だって、一番カッコいいのはダース・ベイダーでしょう。やっぱりダークサイド側の方が断然面白いし、魅力的ですよね。
ダークサイドとの境界線には、人間の葛藤や物語がたくさんあるし、またいろんな分野を取材して、その境界線で揺れる人間を面白く描けたらいいなと思っています。