■人と人を断絶させるもの
―― センセーショナルに受け止められた『蛇にピアス』の芥川賞受賞から、十年が経過しました。この間、表現を受け入れる場の変化は、具体的に感じますか?
金原 いま思えば、十年前はなにも考えずに書いていたなって。私が何も知らなかったのもありますが、もはやあのようには書けない。いまはツイッターとかのツールがあり、いろんな人が無自覚に言葉を発信しています。しかし小説を書く以上は、そうした無自覚の言葉とは一線を画して、さまざまな視線に意識的に書かなければならない。それは私だけじゃなく、多くの作家の方が感じる変化じゃないでしょうか。
炎上って、学校内のいじめを思い起こさせます。ひとりを標的にし、みんなで一斉に飛びかかってもOKだということにしちゃう。消費しつくすとつぎの標的へ。それを避けるためにあたりさわりのない、安全なテンプレートを作って、報道でもバラエティでもそれを繰り返していく。つねになにかを模しているという感覚がぬぐえないんです。こういう状況を描いた小説は、日本人の間ではすぐ了解されても、翻訳するとなると文脈の説明が難しそうです。フランス人には「なんで?」と言われそう。
―― いまの金原さんから振り返ると、その「なにも考えずに書いた」という『蛇にピアス』はどういう作品ですか。
金原 すごくたくさん読まれたし、たくさん翻訳されたし、自分が外側に開かれるひとつのきっかけとも言えるものになったので、やっぱり特別な作品ですね。例えばいまフランスで「小説を書いている」と言えば、「じゃあ、あなたの小説買える?」と聞かれます。そのとき、Amazonに在庫があれば、と答えられるのはありがたいです。海外からいまだに、読みましたという読者の声が届いたりしてびっくりします。
作品には必然性というか、その時々にしか書けないものが宿ります。クオリティは別としても、それぞれの作品に意味があったと思いますね。
―― 金原さんは、身体改造から子供のネグレクトまで、世間というものとは折り合いの悪い「私」の衝動をずっと描きながら、人と人はなかなか理解し合えないし、人は孤独なものであるというテーマを持っていらした。私は優れた小説家は二方向に突出すると考えていて、一方は、自分の実感や意見から出発しながら「私小説」の枠組みを振り切ってしまうタイプ、もう一方は作品を完全に実感とかから切り離しコンセプトで構築して、そのコンセプトよりはるかに作品の強度をあげてしまうタイプがいるのではないかと。金原さんを前者の代表と捉えていますが、世間的に問題なしとされる領域がどんどん狭まってきて、すぐに排除の原理が働くいまの風潮は、小説が書きやすいですか。それとも逆ですか。
金原 つねに自分のなかで違和感のあることだったり、怒りが発動されたりすることは抱えていますね。愛するものにせよ、憎むものにせよ、自分の感情がぐいっと動くことに焦点を当てて小説を書いているというのは確かだと思います。心が動かないとなにも書けない。
『マザーズ』であれば、家庭という小さい単位のなかでもいろんないさかいがあり、相反するものが共存することは難しいということを書きました。今回は、それまで属していた共同体から、えいっと飛び出して新しい世界を切り開くことの困難、移動ですね、そのことをわりと初めて書いた気がします。
住んでいる場所やいま目に見えているものの影響力って、やっぱりすごく大きいですよね。先進国なんてどこも変わらないなんて言いますけど、そんなことはなくて、それぞれで社会にフィットするには努力が必要です。そうした現実の強烈さをフランスへの移住などから自分自身が体験したことで、とくにエリナと朱里の視点が得られた。これは絶対に書かずにはいられないと思いました。
―― 外国に居場所を持つことの困難という意味で、すごく印象的なシーンがあります。千鶴はフランスで子供が急病に見舞われる。そのときに、おぼつかないフランス語で医師に「私の息子は何パーセントの確率で死ぬんですか」と直截的に聞きます。そして「ソワットサントプーソン」と答えを聞いたときに、
〈現実に生きている気がしないほど、言葉が分からないというのは訳の分からないことだった。でも今、私の息子は六十%の確率で死ぬという医者の口から出た言葉を聞き取った私は、ようやく今の自分の状態を現実として受け入れることが出来た。私は、この言葉を聞き取るために、フランス語を勉強してきたのだろうとすら思った〉
と、実感します。言葉の違いによって断絶されていた世界との関係が、もっとも皮肉なかたちで取り結ばれた瞬間ですね。
金原 でも、あそこで、息子が死ぬという絶望的なものではあるけれど、答えを聞き取れたことがすごい救いになるというのはやっぱりあると思うんです。なにもかもがわからない状態で生きていると、相手の言わんとしていることが一〇〇%理解できることへの強烈な希求がある。一〇〇%の自信で確信を得られたときに、どこか救われて、そこで初めて現実が現実になるんです。輪郭がぼやけている状態こそが最もつらくって、絶望がはっきりと見えたことに救われるという。
―― ここは、この作品のひとつの感動的なシーンであると同時に、金原さんのテーマが顕著に表われるところでもあります。断絶と理解、孤独と連帯……。
金原 私はフランス語が全然しゃべれない状態で行ったので、最初はすごくつらかったです。事前に、在仏経験のある作家の方に相談したら、もちろん勧めてくれたんですが、自分たち作家にとって言葉が通じないことがいかにつらいかということを、メールで返信してくれた。「私はべつに言葉に依存した人間じゃないし大丈夫」と思ってたんですけど、ほんとにぜんっぜんダメでした。自分が三歳の子供と同レベルか、それ以下の言語力であることの絶望感と焦燥感というのが強烈にのしかかってきた。今日食べられるだけ、寝られるだけでも神様に感謝したくなる、生きている実感にすごくさらされる毎日です。翻訳アプリをいくつもダウンロードしましたが無意味でした。
でも言葉が通じて、同じように空気を読み合っているつもりでも、相手がなにを考えているか決定的にわからないことってありますよね。同じ言葉で表現しながら、全然べつの方向を向いている、ぞっとするような体験です。この言葉を介した関係の、いい面と悪い面を、いまもずっと探っている感じがします。