『漂砂の塔』 刊行記念特別対談
大沢在昌✕柚月裕子

一気に読まないと我慢できない小説。それがエンターテインメント。

貸しとエール

柚月

今回の対談、私にお声がけいただいた理由は二つあると思うんです。一つは以前大沢さんに『検事の本懐』の文庫解説を書いていただいた〝貸し〟を──

大沢

貸しを返せと。まあ、それは正しいね。

柚月

やっぱり! あの解説では、いつも厳しく批評する大沢さんに、褒めていただきました。

大沢

俺は褒めるときはすごく褒めるよ。いじめるだけじゃなくて。

柚月

解説で、柚月には不公正なことに対する怒りがある、と書かれた一文を読んだときは、大沢さんにすべて見抜かれている、と思いました。ばれちゃってるなあと(笑)。もう一つの理由は、『漂砂の塔』を読み始めてすぐにわかりました。「柚月、これを読め」ということだろうと。

大沢

そんな偉そうなことは考えてない(笑)。

柚月

本物のハードボイルド、ミステリを目の前に突きつけて「柚月、お前にこれが書けるか」と。そういう意味でしょう?

大沢

深読みし過ぎじゃないか、ちょっと。で、自分も書けると思ったんだろう?

柚月

書きたいな、と思いましたけど、そう簡単に書けません。その後のストーリー展開も含めて、最後のページをとじるまで、「こんなふうに書けるか、お前」って言われているような気がしていました。絶対そうでしょう?

大沢

いや、全然そんなこと思ってない(笑)。対談相手になっていただいたのは、新刊を出すに当たって、今、旬の作家にエールをもらおうじゃないかと。やっぱりここは『孤狼の血』が映画化されて、その続編の『凶犬の眼』が好評の柚月裕子先生に来ていただいて、ちょっとでもこの『漂砂の塔』にエールを頂戴したいと。

柚月

とても嬉しいお言葉ですが、褒められている感じがしないのはなぜでしょう(笑)。

閉鎖空間でのミステリ

大沢

『漂砂の塔』は俺の中でも割と気に入っている作品なんだ。うそ八百だから、全部。舞台から何からね。

柚月

私、調べたんですよ。春勇留島という島が実在するのか。

大沢

あるわけない。全部頭の中でこしらえたうそっぱちだから。そんな島はないし、あのあたりでレアアースが採れるという事実もない。ましてや北方領土の中に、ロシア、中国、日本で合弁企業をつくるなんて政治的に無理。そこで近未来に設定して、そういう枠組みをつくった上で猟奇的な殺人事件が起きる。被害者は日本人。日本の警察官が捜査権も何もないのに、たった一人で乗り込まなきゃいけないという。こういうアホみたいな話を考える人はあまりいない。でも俺はこういう話を考えるのが好きなんだよ。

柚月

密室殺人と同じですよね、ある意味で。

大沢

閉鎖空間だよね。実は島を舞台にした小説が前から好きで『海と月の迷路』は昭和三十年代の軍艦島、『パンドラ・アイランド』は小笠原諸島の先にある架空の島。そういうぎゅっと閉鎖された場所の話が好きなんだよね。絶海の孤島というと本格ミステリっぽくなりがちだけど、それは狙ってない。こういう舞台設定にワクワクするんだね。

柚月

島に行く前の冒頭の書き方についてなんですけど、私──というより、本作を手に取る読者全員に、「これからすごい面白い話がはじまるぞ。黙って俺についてこい!」という意志を感じました。次々に人が出てきて一体この人は誰なんだろうとか、とくに説明がないまま進んでいきますよね。語り手でもある主人公が警察官であるということが、オープニングの終わりでやっとわかる。どういう場面で、どういう状況なのかわからないまま、冒頭から引きがすごく強い。

大沢

あなたが、ということじゃなくて、今の若い作家って説明が多すぎる。たとえば冒頭で「私は警視庁の組織犯罪対策第二課の潜入捜査官だ」みたいなことを書くわけじゃない。ロシアマフィアと中国マフィアが人身売買の相談をしているところに通訳のふりをして入り込んでます、と。そんなつまらない書き方するなよ、といつも思うわけ。さくっと書け、さくっと。さくっと書きながら、読んでいるうちに、あ、実はこういうことかってわかればいいじゃないかと。だから、途中でサラリーマン風の男二人が入ってきて店の人が「貸し切りです」と言っているのに、入り込んで「貸し切りなの?」といいあっているところにどどっと警官隊が入ってくる。そのほうが面白いじゃん、読んでて。「何々? どういうこと、どういうこと?」と、完全に読者の意識と登場人物の意識がシンクロするでしょう。

柚月

そう、大沢さんがおっしゃったように、説明ではなくて、ずっと話が進む中で自然と、あ、そうか、こういうことだったんだとわかってくるんですよね。

おおさわ・ありまさ ◆ '56年愛知県生まれ。'79年『感傷の街角』でデビュー。'91年『新宿鮫』で吉川英治文学新人賞と日本推理作家協会賞を、'94年『新宿鮫 無間人形』で直木賞を、'04年『パンドラ・アイランド』で柴田錬三郎賞を、'10年、日本ミステリー文学大賞を、'14年『海と月の迷路』で吉川英治文学賞を受賞。

ストーリーを決めずに書く

柚月

『漂砂の塔』は最後までプロットを決めて書かれているんですか。

大沢

決まっているわけない。

柚月

どこまで決めていたんですか。

大沢

どこかの島に工場があると。そこに日本を含めた複数の国が作業員を派遣している。そこで殺人事件が起きて捜査に行くんだけど、かつてその場所で非常に猟奇的な殺人事件が起きた。それだけ。

柚月

えっ、それだけですか。あ、ごめんなさい、それだけなんて(笑)。

大沢

それだけなんだよ。それだけで、書いちゃった。猟奇的な殺人を起こそうと考えたときに「いけるな」と思った。島で殺人が起きました。主人公がロシア語、中国語堪能だから、行って捜査します、というだけじゃあんまり面白くない。かつてこの島に日本人が住んでいたときに猟奇的な殺人事件が起きて、それと同じような状態で死体が発見された。片や最新の科学技術が使われている工場のある現代、片や、貧しい寒村だった時代。違う時代に起きた二つの殺人に共通点があるとすれば、これは面白いなと思ったわけ。

柚月

犯人は決めていたんですよね。

大沢

決めてないよ。俺も途中までずっとわからなくて書いていたから。

柚月

えー! それ、どの作品もそうなんですか。

大沢

大体そうだね。決めないで書いている。

柚月

それはデビュー当時からというか、割と早い時期からそうなんですか。

大沢

ずっとそう。頭で最初にかちっとしたものを組み上げると、どうしてもそこをなぞるほうに意識が行っちゃうから、話が膨らまなくなるんだよね。本当はこっちに行ったほうがもっと面白くなるかもしれないということに気づかなくなっちゃう。考えないで書いていれば、あれ? こうしたらもっと面白くなるんじゃないの? と可能性が広がっていく。

柚月

極寒の閉鎖された孤島で、誰が敵で誰が味方かわからない。ある意味で、人間の極限状態ですよね。主人公の石上のドキドキも伝わってきて。

大沢

気候も大事だよね。寒いとか、風が強いとか。

柚月

取材はどこまで行かれたんですか?

大沢

どこにも行ってないよ。

柚月

えっ、行かれてないんですか。

大沢

嫌だよ、寒いところ行くの(笑)。

柚月

じゃ、風景描写は想像ですか。

大沢

こしらえた。

柚月

信じられない。すごいですね。島の地形も工場の中も想像なんですね。私、片仮名の名前とか、建築物のどこに何があってっていうのが覚えづらいんですね。でも、自然に頭に入ってきました。わかりやすく書くテクニックってあるんですか。

大沢

あるわけない、そんなもの。島の地図はつくったけどね、書く前に。途中でどんどん修正していったけど。

柚月

レアアースの採掘場なんて想像もつきませんけど。

大沢

まず何が採れるのかを考えなきゃいけなかった。今ならレアアースだろう。レアアース自体はやっぱり世界中の九割以上が中国で産出されているから、精錬技術は中国がナンバーワン。実効支配しているのはロシア。日本はどうするか。いろいろ調べると採掘には必ず放射性廃棄物が出る。廃棄物のトリウムを使った原子力発電技術を日本が提供することにすれば、日本人がそこにいる理由ができた。これで三国の共同出資の企業ができる。そこまではスタート時に考えていた。

ゆづき・ゆうこ ◆ '68年岩手県生まれ。'08年『臨床真理』でデビュー。'13年『検事の本懐』で大藪春彦賞を、'16年『孤狼の血』で日本推理作家協会賞を受賞。著書に『慈雨』『合理的にあり得ない 上水流涼子の解明』『盤上の向日葵』など。

ホームズ・シリーズの魅力

柚月

大沢さんにしか書けない小説だなと思いながら読んだんですが、お話をうかがってさらにそう思いました。

大沢

確かにこんなアホな話、俺ぐらいしか考えないだろうな。でも、それが一番楽しいじゃない? これ、私しか書けないでしょうと思うのを書いているときって楽しいでしょう?

柚月

そうですね。

大沢

今年作家になって四十年になるんだけど、当然、最初の頃は憧れた作家の真似だったよね。少しでもその世界に近づきたいと一生懸命やっているうちに、徐々に自分の世界みたいなものが生まれてきた。

俺はよくハードボイルドは塗り絵だと言うんだよ。ハードボイルドを書くやつはみんな、チャンドラーだったり、ハメットに憧れて書き始める。たとえば「ドラえもん」の塗り絵があるとするじゃない? ここは青でとか、ここは白でとか最初は本物にそっくりに塗るわけじゃない? だけど、青を緑にしたらどうなるんだろうとか、白をピンクにしたらどうなるんだろうとか、色を変えて、そのうちはみ出したり、うまくいけば、オリジナルになっていくわけだよね。だんだん自分の色使いや自分の筆使いが出てくる。

柚月

私の場合は『シャーロック・ホームズ』から小説に入ったんです。

大沢

君は知っているか? 俺がシャーロック・ホームズの『バスカビル家の犬』を超訳して出しているの。

柚月

えっ、知りません!

大沢

講談社文庫で出てます。ホームズを書いていてわかったのは、ホームズ・シリーズの絶対的な魅力だね。とくに男の子にとっては、すばらしい魅力が一つあるんだ。

柚月

それは何ですか。

大沢

男同士の二人の親友関係。ご飯はハドソン夫人がつくってくれる。ホームズは面白い冒険があったらすぐ出かけていく。するとワトスンに手紙が届く。「ピストルを忘れず持ってこい」。さあ、冒険だ。ワクワクするよ。まさにこれ。女に邪魔されない、好きなことができる幸せ感。あれが男性読者にとって最高の魅力なの。

柚月

じゃ、私、男性読者かもしれない(笑)。私もあの二人の関係性が一番の魅力だと思いますから。ホームズってクールで、なかなか感情を表に見せないけど、ワトスンに関しては、ちょっとしたときに、ふっと心配げな表情を見せるんですよね。それがたまらない。

大沢

ホームズはワトスンのことをいつも上から目線で見ている。けど、やっぱりいないと困る的な感覚がいいんだよな。

柚月

そうなんです。なれ合いではなくて、本当に必要なときにがちっと組めるという関係性が好きですね。だから、今でも、中一のときに最初に読んだ鮎川信夫さん訳のホームズはずっと持っているんです。

へなへな女とヘタレ男

柚月

『漂砂の塔』にタチアナという女性が出てきますけど、大沢さんの作品の女性って、きりっとした、勝ち気な女性が多いように思うのですが。

大沢

俺のタイプだもん。

柚月

やっぱり!(笑)。

大沢

「あなたがいなきゃ私生きていけないわ」というへなへなした女、俺だめなんだよ、昔から。

柚月

ご経験からですか。

大沢

経験しなくたってわかりますよ。へなへなって女ほど怖い女はいないよね。

柚月

そういう女性がかわいらしいと思う男性のほうが多いと思いますよ。

大沢

あなたのことなら何でもやってあげる。困ったらいつでも助けてあげる。ご飯もつくる。洗濯もする。肩もんであげる……。

柚月

パーフェクトですね!

大沢

パーフェクトでしょう? そういう女性がやきもちを焼いたら大変なことになるから。あなたは私のものでしょう、となるわけ。

柚月

あー! なるほど。

大沢

ほかの女とつきあったらどうなるかわかってる? という話だ。だから、俺はパーフェクトな女は要らないと。

柚月

自立している女性がいいんですね。

大沢

そうそう。君といる時間は君のものだけど、君といない時間は僕のものだと。

柚月

逆に、女性に尽くす男性もいますよね。そういう男性もへなへな女みたいに大変なことになるんですか?

大沢

わからない。俺、女性に尽くさない男だから(笑)。ただ、尽くす尽くさないとは関係なく、「お前は俺のものだ」と言いたがる男は多いよね。口説いたらその子が一晩つきあってくれたと。女の子のほうはたまたまちょっと物寂しかったり、肉体的に欲求があったからついていっただけ。だから、次に誘ったら断られる。あるいはほかの男といい感じになる。そうすると「あの女は淫乱だ」と言うやつがいる。それはばかな考えなんだ。お前だって、やりたくて誘っているんだろうと。女だって、やりたくて誘ったり、誘われてうんと言ったりすることがある。それがわかってない。

柚月

一度寝たら自分のものだと思い込んじゃう。

大沢

女の子だって、選ぶ自由もあれば、ほかの男とやる自由もあるってことを理解できないんだ。

柚月

石上はそういうタイプではないですよね。

大沢

石上はヘタレ。タチアナみたいな美人が俺一人のものなわけはないと思いながらも、やきもちに身を焼くわけよ。そういう男もいるんだ。こんなきれいな子が、俺一人のわけないじゃないかって思っても苦しい。俺だって何回壁に頭を打ちつけたことか。

柚月

そこで女性を責めないんですか?

大沢

責めたら格好悪いじゃん。「ばーか」と言われて終わり。何の対談だかわからなくなってきた(笑)。

柚月

石上とタチアナの関係を理解する上で重要な話ですよ(笑)。二人の関係性は潔いと思いますけど。

大沢

それは女性の見方だよね。俺は、石上が完全にタチアナにたらし込まれただけだと思っているから。呼ばれればへこへこしながらすぐに行くわけじゃん。

柚月

はい。それで自分を責めるんですよね。呼ばれたら俺はすぐに行くのかと。

大沢

完全に俺だよ、俺。こういう情けないところは。男の本能だね。好いた女の子に誘われたら、へこへこ行くのが男ですよ。

読み始めたら止まらないエンタメ

柚月

大沢さんの小説を読むときいつも思うのはリーダビリティの高さ。『漂砂の塔』も、かなりの厚みがあるのに、すらすらと読みやすい。

大沢

いつも自分の書く小説はそういうふうでありたいと思っているから。大沢在昌の小説は、読み始めたらもう止まらないと。「あした朝早いのにやばいやばいと思ったけど、結局読み切っちゃいました」って、言われるものを書きたいと常に思っている。

柚月

それはいつごろからですか。

大沢

デビュー以来ずっと。俺は自分の書いた小説が後世に残るとかはまったく考えてなくて、とにかく読み始めたら止まらない、一気に読まないと我慢できない小説を書きたい。それが俺にとって最高の褒め言葉。エンターテインメントというのはそういうものだと思っている。

柚月

そうですね。私も至福の読書体験というと、夢中になって朝方までとか、徹夜してしまったことですね。

大沢

そういうものを提供できる作家になりたいってずっと思っていたし、今でもそういう作家でありたいと思っている。だから、こんなアホな話、俺しか書かないだろうなと思って書いているものが圧倒的に多いけどね。

柚月

大沢さんはアホだとおっしゃるけど、スケールが大きい小説を書ける方というくくりでは、大沢さんがボスですね。

大沢

ボスって(笑)。いやいや、柚月先生にこれからはお任せしますよ。

柚月

恥ずかしい。勘弁してください(笑)。『漂砂の塔』を読んでいて、エンターテインメントってこう書くんだなと。すごく勉強になりました。

大沢

『孤狼の血』は映画化とともに、文庫が売れたろう?

柚月

今までの中ではそうですね。『孤狼の血』で柚月裕子という名前を知ってくださった方もいたのかなと思います。

大沢

まさにこれからが正念場なんだよね。つまり、『孤狼の血』で柚月裕子を初めて読みました。じゃ、この人たちが次も読もうと思ってくれるかどうか。だから、『凶犬の眼』の評判が気になるというのは、そういうことなのよ。君はネットの評判を見てないだろうから教えてあげるよ。

柚月

怖くて見ていません。

大沢

すごく評判がいいよ。

柚月

本当ですか!

大沢

本当だよ。これは三部作だから、もう一作出るんだよねと書いている人もいて、非常に評判がいい。俺は『孤狼の血』に関しては厳しい評価をくだしたけど、『凶犬の眼』は違うんだなと思った。

柚月

それなら嬉しいですね。

大沢

だから、成功だねといいたい。

柚月

良かった。頑張って書いて本当に良かったです。

大沢

いじめるばっかりじゃないだろう?

柚月

はい。でも、まだ何か裏があるんじゃないかって思ってます(笑)。

大沢

まだ疑ってるよ(笑)。

構成=タカザワケンジ
撮影=松田嵩範

 「小説すばる」2018年9月号掲載

『漂砂の塔』

『漂砂の塔』
大沢在昌・著
9月5日発売・単行本
ISBN:978-4-08-771157-8
本体2,000円+税

北方領土の離島で発見された、日本人の変死体。
捜査権もない、武器もない——
圧倒的に不利な状況で、警視庁の潜入捜査官・石上(イシガミ)が真相を追う!
大沢在昌、作家生活40年目の記念碑的ミステリー巨編!!
650ページ一気読み!怒涛のエンターテインメント!!

『凶犬の眼』

『凶犬の眼』
柚月裕子・著
KADOKAWA
本体1,600円+税

                                    

このページのtopへ戻る
Copyright© SHUEISHA Inc. All rights reserved.