国立自然史博物館に預けられていた「呪いのルビー」が狙われた。 最近、頻発している鉱物標本盗難事件と関連が? もしや呪いのルビーこそ<幻の宮沢賢治コレクション>なのか? ―60年にわたり増改築が繰り返され「迷宮」と化した博物館の旧館に棲みついた、 変人博物学者・ファントムことみつくり箕作 類(みつくり るい)。 「何も捨ててはならぬ」が口癖の彼と、片付け魔の女性新人分類学者・池之端 環(いけのはた たまき)のでこぼこコンビが 解決のために動き出す―! (「呪いのルビーと鉱物少年」)他、全6編の連作短編集。 新感覚サイエンスエンタテインメント! |
伊与原新(いよはら・しん)1972年、大阪府生まれ。神戸大学理学部卒。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。専門は地球惑星科学。『お台場アイランドベイビー』(角川書店)で第30回横溝正史ミステリ大賞を受賞。著書に『プチ・プロフェスール』(改題『リケジョ!』2014年2月文庫化予定/角川書店)、『ルカの方舟』(講談社)。 |
「捨てない男」の 迷宮へようこそ! 間室道子 (代官山 蔦谷書店コンシェルジュ) |
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長沼 『博物館のファントム』は、ミステリーという形をとっているけれど、実に新しいタイプのエンターテインメントですね。
伊与原 ありがとうございます。
長沼 まず博物館が舞台というのが新鮮ですよ。そしてなんといってもディティールがいい。各章の謎解きの肝となる専門知識が他の追随を許さないのはもちろんですが、それだけではなく、登場する博物館職員たち、研究者たちが「人間として」ものすごく生き生きしています。これは、単に博物館で多少取材したといって見えるものとはまったく異なる、いってみれば当事者として経験しないとわからない細やかな描かれ方で、これが実に面白かった。このヴィヴィッド感はまさに元・科学者である伊与原さんの独壇場といっていいんじゃないかな。
伊与原 僕も専門の地球科学以外のことについては素人同然なので、どの章でも専門知識については一から調べ直さないといけないことがほとんどでした。だから、資料はけっこうな量になりましたね。僕だけに書けることというのは本当にそんなに多くはなくて……研究者の生活や研究に対する思いについて、それなりのリアリティを持って想像していくこと、くらいじゃないでしょうか。
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長沼 そもそも何で博物館を舞台にしようと思ったんですか?
伊与原 実は、そのときはまっていたノンフィクション『乾燥標本収蔵1号室 大英自然史博物館 迷宮への招待』がきっかけなんです。三葉虫の研究者としても知られるリチャード・フォーティが、三十年間を過ごした古巣である大英自然史博物館のことを個性豊かな同僚たちの超絶エピソードとともに語るというもので……。
長沼 刊行時、話題になっていた本ですね。個性的な研究者たちのエピソードがいかにも大英帝国らしい、と。『博物館のファントム』は、その“マニアックさ”において、フォーティの本の面白さと共通するところがあるんじゃないですか?
たとえば植物学を扱った「ベラドンナの誘惑」をはじめ、どの章でも事件の犯人にあたる人物が実にマニアックな動機でコトをしでかすわけで。未読の方のために話すワケにはいかないので読んでいただくとして、「犯行」への思いに潜むマニア臭がたまらない魅力でした(笑)。これは、ほかのミステリ作家にはちょっと考えつかないと思いますね。ちょっとしたオタクや収集家くらいじゃこんなことやらないよねっていう面白さ、科学者の生態についての真実があります(笑)。 伊与原 犯罪の動機は大別するとお金か異性関係か、とよくいわれますが、博物館を舞台にしちゃったんで。あそこではそうそう殺人事件も起きないでしょうし(笑)
長沼 現職の博物館職員たちがこの小説を読んだら、おそらく自分たちの「仕事」というものを深く見つめなおすきっかけになるでしょうね。博物館というのは要するに「標本」を陳列している場所ですが、実に19世紀的でつまらないという印象があると思います。古臭いものが並んでいて、小難しい説明があって……という。けれど本当は標本ひとつひとつに物語があるわけです。その、秘められた物語を展開してくれる人が学芸員なり職員や研究者ですから、その力量が非常に問われる仕事なんですね。
『博物館のファントム』で描かれている標本たちはみんな動き出すかのような生き生きとした感じじゃないですか。本来、博物館の展示というのはそうあるべきなんだけれども……。 |
伊与原 今は博物館の現場にも迷いがあるんじゃないかと感じることがありますね。誰に向けて展示を構成しているのか、集客のためにはテーマパーク化もいとわないのか、客には媚びず深いものにしたいのか……日本だけではなく世界中の、たとえば大英博物館とかでも、テーマパーク化する流れと、もっと学術的なバックグラウンドをきちんと押さえた昔ながらの媚びない展示にしたい、という両方向のせめぎあいがあるんじゃないでしょうか。
長沼 そういう意味では、これからですよね。僕は、DNAバーコーディングのような新たな形も含めて、博物館の本来持っていた役割や使命というものが、21世紀の今、蘇るんじゃないかなと思っているし期待もしているんですが、それを生かすも殺すも現場の学芸員さんたちの度量・力量が非常に問われますよね。でも、この小説を読んでもらったら、すごく前向きに「がんばろう」っていう気になるんじゃないかなと思う。
伊与原 長沼さんがやってらっしゃるような研究のスタイル――生態系、地球科学なども含めたジャンルで地球や生命がどのように共進化してきたか――が横断的に理解しやすいような展示をする博物館は、まだ少ないですよね。本当に伝えたいメッセージがあればもっと自由な並べ方もありだと思うのですが、「分類展示」が基本なので。
長沼 そうそう。上野の国立科学博物館も、恐竜の間、哺乳類の間、って分かれているけれども、必要に応じてジャンルを組み換えなおすような「間」があってもいいと思いますね。もちろん本当にクラシカルな「オーソリティの間」があってもいいんだけども。でも、こっちの部屋は未来的でかつリアリスティックに、というように臨機応変で楽しい構成の展示室があっていい。
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伊与原 そういう意味では、今こそ「博物学者」が必要とされる時代とも言っていいのでしょうか?
長沼 本当にそうです。私はなにより「博物学者」を名乗れる人がうらやましい! すんごいかっこいいじゃないですか!
伊与原 「博物学者」が成り立つような研究体系が今はありませんもんね。長沼さんも著書で辺境生物・極限生物の博物学というのがやりたくてもできなかった、と書いてらしたのが印象的でした。
長沼 日本の生物学は「死物学」でしたからね。そうはいっても今となっては、ちゃんと勉強しておけばよかったって思いますけど。
伊与原 僕が学生のころも長沼さんと同じようなことを思ってましたね。今さら岩石学とか鉱物学を研究してどうするんだ、そんなのは時代遅れの博物学じゃないか、と馬鹿にしてたんです。当時は、「地球システム科学」といって、地球を一つのシステムとしてとらえましょう、地球内部から大気・海洋までひっくるめて相互作用を研究しましょう、というのが流行りで、あちこちの大学に地球システム科学講座というのが出来つつあった時代でしたから。でも、いざ実際に研究を進めようとすると、「この時代のこういう岩石が欲しい」という場面が頻繁に出てくる。そんなとき、必ず助けてくれるんですよ。「だったらここへ行け」とパッと示してくれる研究者が。自分が研究の現場に立って初めて、そうした知識がいかに貴重で、そういう科学者の存在なしには研究がまるで成り立たないかということが身にしみてわかって、何を自分は生意気なことを言っていたのかと……。
長沼 学問というのは地球システム科学も生物学も同じですが、より少ないルールや原理原則でより大きなことを説明したがるんですね。生物学もまさしくそうで、セントラルドグマとか、DNAから始まってタンパク質ができるとか、たった一個の唯一のルールで生命現象が説明できます――というのが生物学や地球学、いわゆる理科第二分野の20世紀後半を席巻しました。ところが実は生物学なんて例外の集大成のようなものだから、例外をいっぱい知っている人の勝ちなんだよね、ほんとのところ。それがようやく21世紀になってわかってきた。例外の学問というのは、いってみればまさしく「博物学」。そこにルールはない。より大きなルールを、より大きい法則性を自分が打ち出したいのだったら、それこそいろんな例外を包含したような骨太の新しい理論を考えるしかない。そういうふうに21世紀に入ってようやくみんな意識が変わってきたんです。
だから、主人公の箕作なんて、過去の遺物どころか時代の最先端をゆく科学者ともいえるわけです。伊与原さんがどう思われていたかわからないけど少なくとも私にとっては(笑) |
伊与原 本質的には、分野にとらわれず網羅的に羅列的に物事を見ていくというアプローチをしようという学者なのかもしれないですね、箕作という人は。まあ、半分くらいは、雑多なものがただ好きなだけだとも思うんですけど(笑)。
現代は、かつて博物学者が抱いていた「世界を丸ごと理解したい」という妄想みたいなものを、細分化された現場でそれぞれの学者が考えている時代なんじゃないかと思うこともあるのですが。一昔前に比べれば分野間の垣根も低くなっていて、ほとんど融合しようとしている現場もあるし、実はすごい変革期だともいえるのではないですか。 長沼 「そのものを創らなければ、そのものを理解したことにはならない」とある物理学者が言っていますが、生物学でいうならば我々は生命を作らなければならない。生命を作るとなると、「生命とは何か」を考えなくてはいけないんだけど、なんとなく、より少ないルールや原理原則で複雑なことを解明したがるんですね。ある意味「複雑系」という学問分野もそうですが、そのような流れの中で、今、われわれが本当にやるべきことは、現時点でガチっとした理論を作ろうとするんではなく、生命界や生物界におけるいろんな現象の、「例外を集大成」することなんです。いってみればそれは科学者が思い描いている森羅万象、体系学的なものが、博物学の構造によって壊されるということ。それをやっているうちに新しいものが生まれるんです。すごいわくわくすることですよね。
「箕作」はたぶん一個のルールをひねり出すタイプじゃないと思うんだけど、新しいものが生まれてくるときには、絶対にそういう人が必要なんですよ。科学の最先端というのは、やってることは結局、博物学なんです。 伊与原 僕はいまだに「科学者」に素朴な憧れがあるんですよ。たぶん、科学者という人々が好きなんですね。大学院に行ってよかったなと思うのは、たくさんの変人たちに出会えたことなんです。こだわりが強くて、何かを偏愛しがちで、24時間研究だけしていられたらいいと本気で思っている、愛のある科学者たち。「俺は三葉虫に囲まれてたらシアワセなんだ」という。自分がその境地に至ることができなかった分、魅力的だと思ういろんなタイプの研究者を小説で描くのはすごく楽しかったですね。
長沼 わたし、いつも言うんです、「サイエンス」をするということは、車の教習所を卒業した後から始まるものだって。運転を習ったその後は、プロの研究者として研究するのでもいいし、サイエンスコミュニケーターとして活動をするのでもいい。科学財団のような機関で科学のためにお金をばらまいてもいい(笑)。そうやっていろんなサイエンスの実践があっていいなかで、伊与原さんのような人が作家となり小説という場で「科学」をやってくれている。われわれは本当にありがたいし、なにより楽しいんですよ。だからぜひ、シリーズの続きを読みたいですね。それにしても「博物学者」はカッコイイですよ。いつかわたしも箕作のように名乗ってみたいですね。
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