ハート満たされ、お腹が空く、感動のストーリー。 マダム・マロリーと魔法のスパイス 映画オフィシャルサイトはこちらから
あらすじ 訳者あとがき 書評
マダム・マロリーと魔法のスパイス
マダム・マロリーと魔法のスパイス リチャード・C・モレイス/著 中谷友紀子/訳 定価780円+税

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あらすじ

突然の悲劇に故郷を追われたインド人少年ハッサン。家族で放浪の末、フランスの田舎町にやってきた彼は、豪傑な父のひと声で始めたインド料理店<メゾン・ムンバイ>の厨房を任される。ところが、通り向かいにはマダム・マロリーがオーナー・シェフを務めるフレンチの名店<ル・ソル・プルルール>があった。激化する両店の対立はやがて、とんでもない事件に発展。そんな中、マロリーに類稀な料理の才能を見出されたハッサンは、人生を変える決断をする……。彼の持つ料理の“絶対音感”は、立ちはだかる文化の壁や人々のわだかまりを変えることはできるのか?
訳者あとがき 中谷友紀子

「おいしそうな料理の香りが、ページから立ちのぼってくる」
 映画《スラムドッグ$ミリオネア》の脚本家、サイモン・ビューフォイから本書に寄せられた賛辞です。まさに同感。スパイシーなカレーに、タンドール窯で串焼きにしたチキンやエビ。風味よくマリネし、鉄鍋でことこと煮込んだ野ウサギのシチュー。アンズを詰め、黒トリュフを皮一面にはさんでローストしたヤマウズラ。ページをめくるたび、妙なる香りに鼻腔をくすぐられる気がして、くらくらしそうになる――本書はそんな、おいしいもの好きな方にはたまらない、魅惑の一冊です。
 くすぐられるのは嗅覚だけではありません。活気あふれるボンベイの食堂、ロンドンの移民街の屋台、色あざやかなフランスの田舎町の朝市、そして洗練をきわめたオート・キュイジーヌの世界。五感を刺激する豊かで官能的な描写には、酔わされ、圧倒されるばかりです。
 とくに印象的なのは、料理人たちが、野菜の下ごしらえをし、肉や魚をさばく、その動作の美しさではないでしょうか。漆黒の肌をした見習いの少年たちによってみじん切りにされ、あっというまに細かな緑の霧に変わっていくコリアンダーの葉。二つ星シェフの手によって一枚一枚萼を切りとられ、目にも美しく形を整えられていくアーティチョーク。豚がさばかれる場面でさえ、食べ物への愛と敬意にあふれていて、感動的ですらあります。

 物語の主人公は、ボンベイのイスラム教徒の家庭に生まれた少年、ハッサン・ハジ。ストーリーは、四十代に入り、パリでフランス料理のシェフとして成功したハッサンが、自分の人生を回想する形で語られていきます。
 はじまりは一九三〇年代。弁当配達から食堂へと家業を大きくした祖父母の奮闘が描かれます。跡を継いだバイタリティーあふれる父アッバスは、さらなる事業拡大に乗りだし、料理店は大いに繁盛します。ところが、やがて悲劇が襲います。
 追われるように祖国をあとにし、ロンドンの移民街サウソールで暮らしはじめた一家を待っていたのは、〝冷たくてべちょべちょした卵サラダのサンドイッチ〟みたいな冴えない生活でした。
 さらにあてどのないヨーロッパ放浪の末にたどりついたのは、フランス東部の山あいの町、リュミエール。一家が新しいわが家となったのは、十八世紀に建てられた美しいお屋敷でした。そこで料理の得意なハッサンをコックとして、にぎやかで気軽なインド料理店〈メゾン・ムンバイ〉を開くことにしたのです。けれどその向かいには、気難しく傲慢な女シェフ、マダム・マロリーが君臨する上品な二つ星レストラン〈ル・ソル・プルルール〉がありました。
いずれ劣らぬほど我の強いアッバスとマロリー。当然、二店のあいだにはおかしくも激しいバトルが繰りひろげられます。やがて、ある事件をきっかけに、ハッサンの運命はがらりと変わることに――あるいは、生まれたときから定まっていた運命を見いだすことに――なります。フランス料理のシェフを目指しはじめるのです。
 ひかえめで、どこか愛すべきキャラクターのハッサン。その彼に愛情を注ぎ、手を差しのべる個性豊かな周囲の人々。先輩シェフとの恋模様も彩りを添えています。魅力的な料理の描写におなかはすくけれど、あふれるようなノスタルジーと涙と笑いで胸をいっぱいにしてくれる、やさしくて心温まる物語が展開していきます。
 
 ボンベイを舞台に語られる最初の部では、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒のあいだの根深い対立が、ハジ一家の行く先を左右する大きな要因として描かれています。
 たとえば、インド独立史における最大の悲劇と言われる一九四七年のインド・パキスタン分離独立。一千万人を超える人々が故郷を追われ、ごく短期間での移住を強いられるなかで、衝突や虐殺によって百万人もの死者が出たとされています。
 そして、ヒンドゥー教徒の暴徒に襲われる、いたましい事件。こちらは、一九九〇年代初頭に激化した両宗派の対立を下敷きにしているものと思われます。当時、ウッタル・プラデーシュ州アヨーディヤーのモスクが建つ場所に、ヒンドゥー寺院を建立しようとする運動が高まっていました。一九九〇年にはヒンドゥー至上主義を掲げるインド人民党が大規模なデモ行進を組織し、それをきっかけとして各地で衝突が生じます。一九九二年末にはそのモスクがヒンドゥー教徒によって破壊されたことを契機に、ボンベイでも大暴動が発生し、九百名もの命が奪われました。
 パリでの生活が描かれる後半にも、長年記者として活躍してきた著者のジャーナリスティックな視点が投影されています。登場するキャラクターが実在の人物をモデルとしていることもそのひとつでしょう。
 ハッサンの友であり、第二の師匠となるポール・ヴェルダンのモデルは、三つ星店〈ラ・コート・ドール〉のオーナーシェフ、ベルナール・ロワゾーだと思われます。没年や料理の方向性などの設定は変えてありますが、ヴェルダンと同じように、食品関連のブランドを立ちあげ、パリ証券取引所に上場するなど、実業家としても活躍したことで知られる人物で、二〇〇三年、レストランガイドの格下げを苦に、自ら命を絶ったと言われています。
 そして、作中でシャルル・マフィットが提唱している分子調理法と言えば、エスプーマ(泡)で知られるフェラン・アドリアの〈エル・ブリ〉。スペイン・カタルーニャ地方にあり、世界でもっとも予約がとりにくいことで知られたこの店は、二〇一一年に閉店しましたが、〈エル・ブリ財団〉として形を変え、再オープンする予定とされています。
 そのほかにも、正規雇用者を解雇しにくい法制度や、イスラム系移民の多さ、ややこしい付加価値税の仕組み、名物とも言われるデモ行進の様子など、リアルなフランスの社会事情が数多く盛りこまれています。
 こんなふうに、歴史や現実社会の出来事をたくみに交えてはいるものの、この物語にはどこかおとぎ話のような、ファンタジックな味わいがあります。四十代になったハッサンが生きているのは、おそらくいまから数年後のフランス。外国出身のシェフが閉鎖的なオート・キュイジーヌの世界に受け入れられ、高みへとのぼっていく、ちょっとだけ先の未来が描かれています。そこに、長らく外国に生活し、つねに異邦人として社会のなかで暮らしてきた著者の願いが込められているように思えます。

 著者のリチャード・C・モレイスは一九六〇年、リスボンに生まれ、スイスで育ったアメリカ人で、前半生のほとんどを海外で過ごしてきました。ニューヨークのサラ・ローレンス大学を卒業後、二十五年にわたり《フォーブス》誌で記者として活躍し、ロンドンに十七年のあいだ駐在、ヨーロッパ支局長も務めています。一九九一年にはピエール・カルダンの伝記『PIERRE CARDIN : The Man Who Became a Label』を発表。二〇〇三年にアメリカに帰国後は、金融専門紙《バロンズ》の季刊誌《ペンタ》の編集者を務めながら、執筆活動をつづけています。
 本書の原題 THE HUNDRED-FOOT JOURNEY は、ハッサンがリュミエールのわが家を出て、フランス料理の修業に向かう、ほんの百フィート(約三十メートル)の旅を指しています。
 そのわずかな隔たりのあいだにあるのは、文化の違いや、そこから生じる偏見や憎しみ、無関心などといったものでしょう。異文化のなかで生き、自分自身もその百フィートを埋める旅をしてきたという著者。読者にとってこの作品が、よりどころを見失いがちな現代世界のなかで、自らの進むべき道や本物の故郷を探す助けになればうれしい、と語っています。
 そしてもうひとつ、本書を書くきっかけとなったのは、友人の故イスマイル・マーチャント(ジェームズ・アイヴォリー監督とともに《眺めのいい部屋》、《日の名残り》などの名作映画を生みだした映画プロデューサー)との約束だった、と謝辞で明かされています。著者は料理をテーマとした映画作りをマーチャントに勧め、その原作として本書を書きはじめたものの、完成を見るまえに友を亡くしてしまいます。「いつの日か、映画化されたこの作品を亡き友へ捧げることができるように」という願いが聞きとどけられたかのように、デビュー作の本書は二十九か国で出版されるほどのベストセラーとなり、映画化も実現しました。
 映画の製作陣にはオプラ・ウィンフリーやスティーヴン・スピルバーグが名を連ね、監督はラッセ・ハルストレム、そしてマダム・マロリー役を務めるのはヘレン・ミレン(まさにイメージどおり!)です。《ギルバート・グレイプ》、《ショコラ》など、土地にどっしりと根をおろし暮らす人々と、なにものにも縛られずに自由に生きる人々との心の交流を温かく描くハルストレム監督。きっと今作も、笑って泣ける幸せな作品にしあげてくれていることでしょう。アメリカでは今年八月に公開、日本でも秋に公開が予定されているそうですので、こちらも楽しみに待たれるところです。
 さらに二〇一三年には、著者の第二作『BUDDHALAND BROOKLYN』も発表されています。ブルックリンに仏教寺院をひらくため、日本からやってきた僧侶が主人公で、この作品もまた、見知らぬ土地に新たな故郷を見いだしていく異邦人の物語となっているとのことです。
書評 遠藤彩見(作家、脚本家)
ページをめくる手が止まらない美味しさ

 時に心の距離は物理的距離よりも遠い。戒律を守って豚肉を口にしないイスラム教徒のインド人少年が、「動くものなら何でも食べる」美食の国フランスで出会うのは、“百フィートの旅”(本書原題)。わずか三十メートル、されどフランスとインドの距離七千キロに匹敵する隔たりだ。
 熱帯ボンベイ(ムンバイ)のレストランの息子ハッサンは、祖母の手ほどきで“料理の恍惚”を、母の導きでフランス料理の存在を知る。突然の悲劇に見舞われ、家族とともにインドを脱出。大食漢の父に連れられてヨーロッパを巡り、ムール貝、ガチョウ、鹿肉、ポレンタ、ポルチーニとグルメ三昧。美味探求の果てにたどり着いたのは、温暖なフランス・ロワール地方。そこで運命の出会いが待っている。
 ディズニー配給の映画原作で料理男子の物語、主な舞台はフランス。想像していたのはジャガイモのポタージュ、ヴィシソワーズのような優しい口当たりだ。インドから始まる物語の幕開けも、ほんのり甘めのテイスト。ところが読み進むにつれて、カレーのように辛さがじんわりと効いてくる。差別、老い、別れ、失望、そして非業の死。カラい、そしてツラい人生のスパイスがいくつも入っている。
 時に辛さに心を焼かれながらも、ハッサンやマダム・マロリーたち登場人物は人生のスパイスと格闘する。インドの家庭料理から本格フレンチまで、ページから溢れんばかりの美味が登場するが、一番魅力的なのは料理する彼ら自身だ。
 巧みに加えられたスパイスは、人を癒しもする。凍えた体を温め、火照った体を冷やす。人生のスパイスも同じだ。心を熱く奮い立たせ、恋の甘みを引き立て、夢への食欲をそそる。そして、心の距離を越えるエネルギーへと変わっていく。誇り高きフランス人マダム・マロリーとハイテンションのインド人・ハッサンの父との仁義なき戦い、インド人の愉快な家族愛という薬味も効いていて、ページをめくる手が止まらない美味しさ。
 ぴりりと辛いスパイスは、新陳代謝も良くしてくれるという。心をリフレッシュしたいという方には、とりわけお薦めの小説。


『青春と読書』2014年10月号より





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