profile 著者プロフィール
奥田亜希子(おくだ・あきこ)
1983(昭和58)年、愛知県生まれ。愛知大学文学部哲学科卒業。2013年、『左目に映る星』(「アナザープラネット」を改題)で第37回すばる文学賞を受賞。
story profile book-review editor's column

story 内容紹介 どうせ誰も自分を見ない。誰からも見えやしない。

暗くて地味、コミュニケーション能力皆無の実緒は、高校3年生の時、ある出版社の小説の新人賞を受賞する。ペンネームは「佐原澪」。当時は高校生だったこともあり話題となったが、6年経った今、佐原澪の名前を覚えている人間はいない。実緒はデビュー以降、スランプに陥り一作も小説を書けなくなっていた。自分のデビュー作が未だに置かれている書店へ行っては、誰か手に取らないかと監視する日々。するとある日、実緒の本を手に取る大学生風の男の姿を目撃する。思わずあとをつけ、彼の住むマンション、そして「千田春臣」という名前を突き止めた実緒は、それからというもの、今まで一行も書けなかったことが嘘のように小説を書くよう になる。その小説を春臣に送りつけることで満足感を得ていた実緒は、ひょんなことから彼の恋人・いづみと仲良くなり、奇妙な三角関係が始まる――。

透明人間は204号室の夢を見る
奥田亜希子
1,300円(本体)+税
2015年5月1日発売
装丁:セキネシンイチ制作室
装画:オチマリエ
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book-review 書評
豊崎由美(ライター・書評家) 東えりか(書評家) 奥田亜紀子(漫画家)

 2013年に、第37回すばる文学賞を受賞してデビューした奥田亜希子の第2長篇『透明人間は204号室の夢を見る』の主人公・実緒は、書けなくなった小説家だ。6年前、高校在学中に書いた作品で新人賞を受賞したものの、〈デビューから半年後、文芸誌に中編が掲載された。さらに一年後、同じ雑誌に今度は短編が載った。そのあと、書いても書いても編集者から渋い顔で却下される時期が来て、そして四年前、とうとう書けなくなっ〉ってしまったのだ。以来、編集者からもらったおこぼれのようなライター仕事と棚卸しのアルバイトで何とか生活している有様。
 〈実はこの本は自分にしか見えないのではないかと、実緒はときどき不安に駆られた。しかし、現実に本はある。書店で触れることも可能なら、新聞の書評欄で紹介されたこともある。本は確かに存在している。/だけど、見えない、私以外の誰にも〉
 物語は、大型書店でたった1冊棚にささっている茄子紺の背表紙のデビュー作に、誰かが手を伸ばしてくれるのではないかと淡い期待を抱き続けている実緒の願いがかなえられるシークエンスから滑り出す。彼女の本に手を伸ばしたのは若い男性。結局買ってはくれなかったものの、〈このまま彼と別れてはいけないと思った〉実緒は跡をつけ、男性の住んでいるマンションを突き止める。そして、〈実現不可能なことは想像すればいい。細部にまで強度のある想像ができれば、それは経験したのと同じこと〉と23年間信じてきた彼女は、透明人間になって彼の家を訪ねる空想に耽るようになるのだ。
 小学5年生の時に出会った少年を忘れられないまま大人になり、恋愛感情なしに性的関係だけを結ぶようになった26歳の女性の物語『左目に映る星』で作家になった奥田亜希子が、2作目に選んだ主人公はこじらせ度をさらに深めているといっていい。コミュニケーション障害気味で常にクラスで浮いた存在になり、小中高とついに友人ができなかった実緒。他人を恨むことなく、こんな自分なのだからしかたないという諦念だけを募らせてきた実緒。孤独から心を守るために幼い頃から本ばかり読んできた実緒。
 そんな実緒が妄想の恋を育んで創作意欲を取り戻し、掌編ではあるけれど作品を書き上げられるようになり、それを愛しい男の家のポストに投函する。行為だけを取り出せば気持ち悪いとしか言いようがないのだけれど、作中フラッシュバックのように蘇る、実緒のあまりにもつらい過去を知るにつれ、夢中になって短い物語を書きつづる姿に励ましの声をかけずにはいられなくなるのだ。
 実体験こそが人を成長させる──そうだろうか。妄想は精神を歪ませる──そうだろうか。必ずしもそうではないことを、この小説は伝えようとしている。物語の中で、実緒は正しい行動をほとんど取れなかったし、きっとこれからの人生だってコミュ障で苦労することのほうが多いだろう。けれど、透明人間になれる妄想力で彼女は彼女なりの幸福を手に入れるにちがいない。居場所を勝ち取るにちがいない。そう読者が空想できるラストを、作者は実緒のために、そしてもしかすると小説家としてはまだ未完成の自分のために用意している。がんばれ、実緒。がんばれ、奥田亜希子。

東えりか(書評家) 豊崎由美(ライター・書評家) 奥田亜紀子(漫画家)

 「作家になりたい」という人は多い。確かに魅力的な仕事だ。デビューの年齢は問われないし、15歳であろうが60歳だろうがどんな経歴であっても、ベストセラーをモノにする可能性はある。だから各出版社の主催する新人賞への応募はものすごい数になっている。
 人気作家の大沢在昌が著した『小説講座 売れる作家の全技術』(角川書店)という新人作家必読の本がある。それによると公募の新人賞はこの本が出版された2012年当時で200以上あり、一つの賞に平均300人の応募があるそうだ。延べ人数6万人が、毎年、作家を目指している勘定になる。
 ではその約200人の受賞者のうち、5年後に生き残っている率はどれくらいだろうか。5人か6人か、ともかく絶望的に少ない。新人賞受賞は小説家としてのスタートには間違いないが、職業作家になれるとは限らない。一作だけで消える「小説家」がほとんどなのだ。
 本書の主人公、佐原実緒もそんな「小説家」のひとりである。高校生だった6年前、ある出版社の新人賞を受賞し「佐原澪」というペンネームでデビューした。デビュー作である茄子紺の装丁の本が、彼女の著作のすべてだ。
 それからずっと小説は書けない。作家になるため、大学進学せずに上京し、今では口を糊するために雑誌のライターと商店の棚卸のバイトに明け暮れている。
 最近では書店で見かけることも少なくなった茄子紺の本だが、駅ビルの最上階を占める大型書店では、なぜかずっと1冊だけ棚差しになっている。自分が本を書いたという確認をしたくて、実緒はときどきその本を見に行く。
 ある日、一人の青年が茄子紺の本を手に取ったのを目撃する。パラパラと開いてくれた、目を留めてくれた。狂喜した実緒は、その青年のあとをつける。白いタイル張りのマンションの204号室。そこが彼の住まいだった。
 書けない理由はいくつも挙げることができるが、コミュニケーション能力が低く、人と上手く付き合えない実緒にまず必要なのは、読んでくれる他者だった。誰とも知らないその青年に宛てた掌編の創作が始まった。
 私の頭の中に、何人もの作家の名前が浮かんでは消える。大きな期待を受けてデビューし、そのままいなくなってしまった人たちだ。特に20代前後の若い作家たちが気にかかる。編集者の期待、読者の反応、書評家の評価に気遣い疲れ果て、筆を折ってしまった人。 1作目が大ベストセラーになった後、行方不明になった人。精神を病んでしまった人、命を絶ってしまった人……。
 実緒にとっては希望でも、定期的に届く小説らしき文章は、青年にとっては恐怖でしかない。意図せず彼の恋人を巻き込んで、実緒は今まで諦めていた青春っぽいキラキラとした経験を積み、浮かれていく。コメディともホラーともつかない、ちょっとイタくて、でも切ない物語は続く。
 奥田亜希子にとってはデビュー2作目、勝負作だ。この作品が読者にどう読まれるかで、この作家の道が見える。デビュー作『左目に映る星』から、不穏な雰囲気を持つ作風に惚れたのだ。多くの人に読んでもらいたい。切にそう願う。

奥田亜紀子(漫画家) 豊崎由美(ライター・書評家) 東えりか(書評家)

野鳩


editor's column 担当編集者より

 一昨年にすばる文学賞を受賞された奥田亜希子さん待望の2作目が5/1(金)に発売となります。
 『透明人間は204号室の夢を見る』。書き下ろし小説です。
 あらすじを読まれた方は、暗いテイストの作品だと思うかもしれません。もちろんそういった「負」の部分もありますが、本作は主人公・実緒の行動や心情に思わずニヤニヤし、思わず共感してしまう要素が満載の、青春小説となっています。
 23歳になる実緒は、地味で冴えなく、孤独で不気味、こじらせています。彼女の妄想は度を越えています。やがてそれが暴走する片思いを生じさせますが、反面、実直に生きる彼女にはどこか可愛らしさもあります。
 著者の奥田亜希子さんは本作の主題を「"意思"や"自分と他者"、"現実と物語"」という言葉で表現しました。作中では、実緒の小中高生時代の痛々しい思い出話が次々と出てきます。過去を引きずり、現在進行形で周囲と馴染めず、読み手はそのこじらせた姿に悶々とするかもしれません。しかし、だからと言って悲しい気持ちにはなりません。読了後に勇気のもらえる、メッセージ性の強い小説となったのは、主人公が自分自身の世界を真摯に生きているからに他なりません。自分だけの境界線を持つことの強さを、私は実緒の姿から知りました。著者がこの作品を通して何を伝えたかったのか、考えてみるのも面白いです。
 本作、一番初めのタイトルは『全裸小説』でした。文字通り、色々な意味で服を脱ぎ捨てた作品です。こじらせた先にあるものとは。孤独を突き詰めた先に見える光景とは。弱者に寄り添いつつも、ありきたりに肯定するわけではない。奥田亜希子さんにしか書けない小説、お楽しみください!



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