奥泉 そうすると、書いたらこういうのが書けちゃった、というのでは全然ないんですね。僕がデビューしたときは、とにかく何か書いてみたらこういうものができたみたいな感じだったけど、そうではなく、こういうものを書きたいというのが最初からあったわけですね。ということは、これまでもいろんなものを書いていたんですか?
山岡 はい、いろんなものを書いています。じつは今回の『光点』の原形は、二〇歳のときにできていました。それから十数年経って、去年突然、この作品の登場人物たちが頭の中で動き出したんです。それで推敲に推敲を重ねて、原形からはだいぶ違う作品になりましたが、それを応募したんです。書き溜めている中にはこういう作品もあるし、まったく違うばかばかしいお話もあります。
奥泉 そうなんだ。
山岡 その中からたまたま『光点』を見つけていただいて、すくい取っていただけた。違う作品を出していたら、多分今ここにはいないので、これを出して本当によかったなと思います(笑)。
奥泉 そうですか。今までほかに活字になったり、発表したものはあるんですか?
山岡 詩は『ユリイカ』と『現代詩手帖』に一年間ぐらい投稿していたときに何回か載せていただいて。小説に関しては、書き始めのころに大阪の織田作之助賞の青春賞に応募して、そのときに佳作に選ばれて。
奥泉 織田作之助賞の佳作に入っていたんだ。じゃあ、すごく早い時期から小説家になろうとしていたわけですね。
山岡 そこまで明確な目標としてあったわけではないんですけど……。小さいころから絵を描いたり、小説を読んだりするのが好きでしたが、小説家というのは夢のような職業で、誰にでもなれるものではないという感じはずっとありました。でも、高校生のときに大学の進路指導の先生に、「ミヤさん、将来何になりたいの?」と言われて、思わず「小説を書きたいです」と言ってしまったんです。そのころ、そんなにたくさん小説を書いていたわけでもないのに……。
奥泉 でも書き始めてはいたんですね。
山岡 ええ、男の子が三人出てきて自転車に乗る青春の話とか書いていました。
奥泉 へえ、もう高校生ぐらいから小説家だったんだ(笑)。
山岡 そんな……まだまだすごく未熟で。勢いで言っちゃっただけです。