蠕動で渉れ、汚泥の川を 西村賢太 RENZABURO

西村賢太さん×六角精児さんトークショー
於:7月12日 八重洲ブックセンター

本書『蠕動で渉れ、汚泥の川を』刊行を記念し、
7月12日に行なわれた八重洲ブックセンターでのトークショーをwebで再現。
西村作品の大ファンを公言する俳優の六角精児さんとのトークは、
満員大入りの観客の皆様を前に、意外な共通点をめぐって、大いに盛り上がりました。

六角精児さん 六角精児(ろっかくせいじ)
1962年、兵庫県生れ。学習院大学中退。劇団「善人会議」(現・扉座)の旗揚げメンバー。個性的なキャラクターで舞台、映画、テレビ等で幅広く活躍。映画「十三人の刺客」「謝罪の王様」「超高速!参勤交代」「ヒロイン失格」、テレビ朝日「不機嫌な果実」、TBS「TAKE FIVE」、NHK「まれ」「水族館ガール」、WOWOW「希望ヶ丘の人びと」など出演作多数。2009年には映画「相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿」に主演。9月10日に映画「超高速!参勤交代 リターンズ」が公開予定。著書に『三角でもなく四角でもなく、六角精児』『少し金を貸してくれないか』、監修本に『六角精児 鉄旅の流儀』などがある。新刊『六角精児 「呑み鉄」の旅』(世界文化社)が8月上旬に発売された。



●世知辛い世の中で……

  大変ご無沙汰しております。いま、舞台にテレビ、そして映画と、ものすごくお忙しいときに、ありがとうございます。
  西村さんの出版記念会ですからね。馳せ参じました。
  世知辛い世の中ですからね。暑い中、こんなにたくさんの人にもお越しいただいて、本当に感謝します。
  たしかに、世知辛い。実際、僕も『週刊現代』で連載をしているんですが、連載をまとめた単行本が1巻、2巻と出て、連載はまだずいぶん続いているんですけれど、そういえば3巻目の話は出ない(笑)。そういうことなんですね。
  コラム集の『三角でもなく 四角でもなく 六角精児』と『少し金を貸してくれないか』(講談社)ですね。
  そう、それです。3冊目が出るのかなと思ったら、担当の方にものすごく軽く、3冊目はいつでもいいですよねって言われたんですよ。いつでもいいですよねって言葉は多分、なかなか出しても見合わないんでしょうね。
  もう2年分ぐらいたまっていますかね、そろそろ。
  ただ、別に僕の場合は、日々、書かせていただけて、ほんとに助かっているんですけどね。もう今となってはその原稿料が自分の月々の収入のベースになっていますから(笑)。ほんとは俳優なんですけど。しかし西村さんの場合、これが本職ですからね。
  いやいや、これが不思議なぐらい売れないんですよ。何でこんなに売れねえんだというぐらい。
  そうですか?
  自作の内容の酷さは棚上げして言っているんですけども、『苦役列車』を買った34万人の方たちは、今どうしているのかな、と(笑)。
  いま又吉(直樹)さんの本がすごく売れてるじゃないですか。あんなに売れちゃって、これからどうやっていくんでしょうかね。
  それはわからないですけど、まあ人様のことはともかく、僕の場合は六角さんを見習って世間的には地味なイメージで、しぶとく行くしかないですなあ……。「相棒」は16年でしたっけ?
  まあ、もうあれは。
  ひとくちに16年といっても、継続するのは実に大変なことですなあ。
  テレビのドラマを続けるのと、小説や文章を地道に連載して、出版するという苦労とは、なかなかこれは比較できるようなことじゃなくて、西村さんがこんなに大変なことを続けていらっしゃるというのは、僕はすごいなと思うんですよね。
 特に西村さんは私小説というジャンルですからね。じつは、僕は私小説というジャンルって、よくわかっていないんですよ。というのも、読む小説といったら、西村さんの作品がほとんどで、つまり私小説しか読んでないから。
  いや、そんなことはないでしょう。
  西村さんの小説しか読んでいないので、これが普通なんじゃないかと思ってしまっているんですけれども、そういうわけでもないんですよね。
  私小説の場合、古来よりごくひと握りの固定読者しかいないっていうのが相場ですけどね。

●『蠕動』の魅力

  今回の新刊『蠕動で渉れ、汚泥の川を』は、長篇小説ですね。西村ファンの方には言うまでもないことですが、この作品は西村さんの長篇2作目で、最初は『やまいだれの歌』。これも僕はすごく好きで、僕らが読みたがっていた貫多一人の気持ちだとかそういうものを、一冊全編で描ききっているところに、僕はたまらない魅力を感じました。
  いやあ、ありがとうございます。
  『やまいだれの歌』では、横浜の造園会社で働きますよね。実は、僕は四十過ぎぐらいのときに横浜に住んでいたんです。中村川というのが流れる、わりと“アパッチ”な感じの場所ですね(笑)。もう何もいいことがなくて、すごく自分にひきつけて読むことができたんです。あの小説は貫多19歳かそのくらいの話ですが、僕にとってはつい最近のことなんですよ(笑)。『蠕動』はさらに若くて17歳の貫多ですね。
  でも買ってくださった方には申しわけないんですけれども、ほんとつまんなくて、どうしようかと(笑)。連載をやっているときも2回ぐらい、やめるつもりで。だから、途中で2ヶ月ぐらい連載があいているときがあるんですよ。
  それは投げ出したくなったと……。そういうことって、たまにあるんですか。
  何かもう、内容に飽きちゃうんですね。こんな毎回メリハリもなく、山場もなく、落ちもなく、本当に「やおい」ですよ。こんなの続けていて意味があるのかな、と。
 ただ、1枚書けば原稿料が5千円もらえるんで、まったくの5千円目当てで(笑)。結局、480枚書いて、今までの拙作の中では一番長くなったんですけど。
  計算すると、480枚だと幾らになるんだ、これ。後で計算してもらえばいいんだけどね。
  原稿料だけでも結構な額はもらったんですよ。
  なるほどね。
  だから、単行本の印税のほうはほとんど不労所得みたいなもんで、それを買ってくだすって、この暑い中を、何人かは毎回来てくださる方もいらっしゃいますけれど、ほぼ満員で本当にありがたいことですよ。
 またここ、場所悪いんですよね(笑)。駅から遠いし、東京駅ってなかなかわかりにくいでしょう。
  東京駅といっても、ひとつ出口を間違えるとぜんぜん違うところに出ちゃいますからね。
  だから、定員100人でどれだけ埋まるのかなと。無論、数なんか関係ないとはいえ……今までの純文学系のこういう集まりのワースト記録って、8人って聞いたことあるんですよ。
  それはこういう出版記念の会みたいなものですか。
  サイン会みたいな形で、純文学のカテゴリーの作家で、今まで一番人が来なかった記録が8人だと(笑)。
  それはやっぱり、作家さんの傷になりますよね。
  けっこうな傷になると思うんですよ。だから今回、六角さんがいらっしゃってくださるとはいえ、内心かなりドキドキしていたんです。
  僕らは芝居で一番少なかったのは何人だろう? でも音楽のライブやったときに、僕は4人ってときがありました。
  六角精児バンド?
  そうです。なぜか山口県の宇部でやったんですよ(笑)。呼ばれたから。
  呼ばれて行って……。
  そうしたら呼んで下さった方に「ごめんなさい、実は今日は選挙の日だから、なかなかお客さんはいないと思うから」と言われて、ライブが昼と夜の2回あったのですが、昼の回でお客さんが4人だったんです。
  4人……。
  しかも、演奏途中でひとり帰ったんですよ(笑)。で、バンドのメンバーが4人。
 だから、バンドのメンバーのほうが多くて、ああいう状況ってのは、すごく体力要るんです。こうやって話しているときに、この声が、皆さんの存在に当たってこちらにはね返ってくるから、実はエネルギーってわりと使わなかったりするんですけど、誰もいないでスカスカなところで歌を歌ったり話をしたりするのって、そのままエネルギーが抜けていってしまいますから、ここが思いのほか疲れるんですね。
  心が折れそうにならないんですか。
  なったんですけど、そのときはベースのメンバーが取り憑かれたようにベースを弾き始めて(笑)。何か知らないけど、俺を励ましてくれる、今までにない、見たことないようなファンキーなチョッパーをやり出したんですよ。多分、俺に頑張れって言ってくれているんだなと思って、何とかしましたけど。だけど、15曲歌うところを少な目に終わりましたね(笑)。
  はしょった(笑)。
  これでいいやと思って。下を向いている人もいたし。あの人たちがなぜライブに来てくれたのかを、逆に聞きたいぐらいでした(笑)。
  僕は2年ぐらい前のちょうど今時分に、扶桑社から『薄明鬼語』という対談集が出たんですよ。六角さんとのも収録させて頂いている。
  その節は、いろいろありがとうございます。
  それで、大阪の、嫌な記憶として消し去っちゃっているんで、ちょっと場所まで覚えていないんですけれど、大阪駅近くの有名書店でサイン会をやらせていただいたら、そのときは20人だったんです。「えっ?」とか思っちゃいけないんだろうけれども、でも何か心に、すごいすき間風が吹いたんですけどね(笑)。
  でも、関西の方は西村さんの本に対して、東京の読者とはまた違った感情をお持ちなのかもしれないですね。これを本気で捉えたら、実はどうしようもなくなってしまう部分もあるじゃないですか。
  そういえば、六角さんは関西のご出身ですよね。
  そうです。それとは別に僕はわりとブルース好きなんですが、西村さんの作品は、僕にとってはすごくブルースなんですね。そこに浸るのが自分の快楽の一つになっています。
  えっ、そうですか。
  貫多がたまに心の中でつぶやいている言葉、あれはほんとに僕にとっては「光る言葉」ですよ。
  いや、そう言ってくださる方が何人かいらっしゃるといいんですけど、あそこでまず大抵の、特に女がすごく不快に思うらしいんですよね(笑)。
  そりゃ、女性は思いますよ。あれを読んで、これ大好きだわという女性は、僕はそれ、おかしいと思うんですよ。すいませんね、女性の方も何人も来ていらっしゃるのに。
  ああ……何人かいらっしゃいますね。うれしいな。
  それはそれとして受けとめられる方もいらっしゃると思うんですけれども、こう言っちゃなんですが、うちの嫁さんは好きじゃないですもん(笑)。
  あはは、でしょうね(笑)。
  うちの嫁さんは、秋恵の気持ちがわからない、と。なぜこの人と一緒にいるの? っていう。
  あれは、自分では言わないようにしているんですけれども、あえて言うなら、裏っ返しのフェミニズムといいますか、優しさなんだ、と(笑)。
  目の前にあるものをむちゃくちゃにしてしまって、後で壁に向かって正座をして泣くという、その感じはとてもよく分かるんですね。こんなことをしてしまったという後悔のあとに、優しい声で、さっきはほんとうに悪かったよっていう。でもじつは、僕はあれすらないんです。
  ほう、そうですか。
  だから、そのままなんですよ。
  やりっ放し?
  やりっ放しです。なので、はじめは寄ってきた人もだんだんといなくなるんですよ。それだから、私は三度も離婚しているんですけれども(笑)。
  それはすばらしいですよね。僕はこの先、結婚も離婚もゼロですから。
  どうですか、そっち方面は最近。
  いや、あいかわらずサッパリです。
  やっぱりバイオリズムが、少しずつ下降線をたどるときがあるんですかね。
  確かにありますかね。読者がいない。まあ、これはもともといなかったんで、引き続き絶不調です。公私にわたって(笑)。

●婚姻届

  さきほど大阪のサイン会で20人しか来なかったと愚痴りましたけれども、その20人の方に対してはものすごく感謝しているんです。だから今、何人か目が合った方のなかにはいつも来てくださる方もいらして、ほんとに頭が下がる思いですよ。
 お芝居の舞台で、そういうの気がつきます? この人、よく来てくださるなとか。
  います、います。いるんですけれども、あんまりずっと同じ席に毎回座っておられ続けている人は、それはちょっとかなり奇特な方です(笑)。これは僕じゃないんですが、ある俳優のファンの人で、ずっと観に来ていて、ありがとうございますとか言っているうちに、婚姻届を送り届けてくるんですよ。
  へえ! 女性の方?
  そうです。自分の名前を書いて印鑑を押した婚姻届が、その人宛てのファンレターの中に入っているんですよ。不気味でしょう? でも、その20人の方への感謝というのは、そのとおりですね。
  ええ、本当に。
  僕らのお客さんの中でも必ず見に来てくださる方というのはいらして、いざというときに、ほんとに助かるんですよ。
 ただ、あんまりしょっちゅう誘っていると、実は来なくなるんですよね。
  そうなんですか。なるほど。
  ころ合いというのがありまして、大体半年にいっぺんですよ。それ以上やり続けていると、徐々に「都合が悪い」という人が多くなりますから(笑)。でも、そんなときにも必ず来てくれている何十人かというのが、僕なんかはうれしいなと思いますよね。
  そういう方というのは、名前はともかく、顔は覚えているんですか?
  顔は存じ上げている方が多いですね。
  いると心強いというのもあります?
  心強いですよね。それで、その中でもお芝居はちゃんと見てくれている、あるいは音楽のライブだったら、音楽を好きで来ていらっしゃる方だと、ほんとにうれしいですよね。東京が半年にいっぺん、あとは地方へもたまに行きますが、こういう新刊のトークショーは地方などはないですか。
  在京の書き手だと、東京以外では大阪があるくらいですかね。
  瀬戸内海に真鍋島っていうほんとに小っちゃい島があるんですが、笠岡というところから船で行くところなんですけど、僕の友達で、そこに一軒だけある旅館をやっている人がいて、彼は西村さんのものすごいファンなんですよ。多分その人は新刊だってすぐには買えない。
  アマゾンでも配送してくれないんじゃないですか。
  人口より猫のほうが多いところですから(笑)。彼は、たまに西村さんにお会いするよという話をしたら、いいなあ、いいなあってずっと言っているんですよね。そこまでいいなと言われると、どこがいいのかなと(笑)。
 だから、今日みたいなイベントには行けないけれど、西村さんの本が出たから、うれしいから買っちゃおうかなという方は、いっぱいいますって。これは僕、皆さんの目の前で、今日は西村さんのことを勇気づけたい。
  ありがとうございます。私小説書きだから売れなくて当然、という思いはあります。むしろ僕は私小説書きとしてはうっかり売れ過ぎてしまったという思いもある。だから口では愚痴ってもそんなに落ち込んでもいないんですが、たまーにね、寝つきの悪くなる夜もありますね(笑)。もともとごく少数の読者なのに、その人たちも読まなくなったら、という川崎長太郎の書いていた悩みを真似して(笑)。
  徐々にファンや読者が減っていくことを気にしながら、毎日ひとりで寝ている西村さんを思うと、ちょっと気の毒ですが、そんなことはないです。絶対僕は増えると思う。ちなみに今回の『蠕動』で僕が好きだったのは、洋食屋で働いている青森の男なんですよ。
  コックの木場ですね。

●文学とアルバイト

  昔、ああいう人が、僕のアルバイト先にもいたんですよ。倉庫でミュージックテープの箱詰めのバイトをしているときに。その人も東北の人だったんですけど、今なにをしていますかね。僕よりも十幾つ年上の人だったんですけど、芝居なんて現実離れしたこと考えずに、ここで社員になる道を考えたほうがいいって、すごく説得されたことがあって。僕はそこに3年か4年勤めていて、芝居がないときはバイトをさせてくれて、稽古があるときは抜けても大丈夫なところだったんです。
 ただ、芝居は観てもよくわからなかったようで、僕が芝居で舞台の上に倒れていたら、いちばん前の席から小さい声で「おい、いつバイト復帰するんだ」って言うんですよ。芝居の最中にそんなこと答えられないじゃないですか(笑)。でも、とてもすてきな方です。
  面白い方ですね。僕のほうは作中では木場という名前にしたんですけれども、多分あの方もちゃんと生きていれば、もう55歳くらいになるんじゃないですかね。
  『蠕動』に書かれていたのは、ほぼ実話だと思ったんですが、他にも食べ物屋で働いたことがあるんですか。
  あります。水道橋の駅のスタンドで。
  スタンド? 立ち食いそば?
  いや、焼きそばメインで。ホームをおりて改札の左側にあったんです。
  焼きそばメインって変わってますよね。
  昭和59年か60年ごろですね。あと、牛丼屋も数時間だけ。
  数時間っておかしいでしょ、それ。
  年ごまかして入ったんです。17歳のときに18って言って。で、働き始めて、すぐ帰りました。何かこれ、自分に合わないなと思って。
  帰った?
  帰りました。でも、僕が途中で帰ったのって、2回だけですよ。これまでの数多くのバイト歴の中で(笑)。
  まだあるんですね(笑)。
  あとは、宅配便の仕分け。東雲のでっかい倉庫で。
  仕分けは僕も経験があります。
  あそこに夜中に行って、これはほんとに1時間もたなかったです(笑)。要領がまずわかんなくて、誰も何も教えてくれない。1時間近くボーッと立っていたら、何か非難的な目で見られるんで、ちょっといたたまれなくなって、即、見切りをつけました。
  ムチを持った人、いませんでした?
  それはさすがにいなかったです(笑)。
  僕がやったときは、ムチを持った人がいて、それでパーン、パーンとやってベルトコンベヤーの方角を指示していました。あと、荷物を送るローラーみたいなのがあるじゃないですか。そこに手を挟んだりしてけがするやつがいるんですけど、そんなことしたらぶっ殺すって言われたんです(笑)。けがする上にぶっ殺されるのかと思って。休憩までがこれまたとてつもなく長い。
  ああ、あれ、基本12時間労働ですしね。
  休憩室に入ったら、見たこともないようなでかい灰皿があって、その灰皿が山盛りになっているんですよ。その瞬間、怖くてしょうがなくて。この人たちはどこにいるんだというようなおっさんたちが、狭い休憩室で密集していて、それも恐怖で、12時間は働いたんですけど、バイト料もらわずに1日でやめました。
 あとつらかったのは製本補助のバイトですね。茗荷谷あたりにある某製本会社で一度やったんですが。
  本をひもがけする結束機があって、あれ、僕はしょっちゅう絡ませちゃうんですけど、そうするとものすごく怒られるんですよ。
  怒られますよ。僕がやったのは、結束した本をすのこに載せるバイトだったんですが、あれはつらかった。三段まで載せたらフォークリフトが持っていくやつ。それも『小学×年生』とか自分じゃ絶対読まないような、それをえんえんと載せていく。
  扱っている本によって、こっちの気持ちも変わってくるんですよね。自分の興味のある本や、読んだりしてる雑誌とかだと、何となく気も紛れるんですけど。
  『コロコロコミック』とかね(笑)。これは絶対俺は読まないだろうというものを結束だけする孤独。
  僕の行っていた製本所では、新潮文庫を専門に製本していたんですよ。その当時は純文学にまったく興味なかったんで、嫌だな、嫌だなと思ってやっていたら、それから20年後に拙著の『暗渠の宿』というのが文庫になったときに奥付見たら、そこの製本所だったんです。そのときは、何か変なうれしさを感じましたね。
  くるくる回っている感じですよね。本と自分がくるくると、製本所を中心にして回っている感じ(笑)。
 僕は結局大学をドロップアウトしてしまって、それで先がないという時代がとても長かったんです。もちろん、西村さんの場合は中学を卒業して、そのまま社会に出たわけですから、その感覚は僕よりずっと色濃いと思うんですけれども、自分がこれからどうなるかわからないその真っ暗闇の中に、非常に愚かな男が出てきて、その愚かな男を見ていると、すごくかわいそうだし、昔の自分を見るようだし、そこが僕はおもしろいんですよね。

●特技は家賃滞納

  『蠕動』でも家賃が払えなくてまた追い出されとるじゃないですか。
  そうなんですよ。その味を覚えて、そろそろ板に付いてきた頃です。
  でも、よくそんなにたまりますね。
  最長4年とちょっとためて、先方から弁護士が来ました。ためることだけは、本当に得意中の得意なんです(笑)。今もけっこう。
  いまもためているんですか!
  家賃じゃなく、何となく古本屋の支払いとか、まだいまだに払いが滞ることがあって。払えないんじゃなくて、忘れてそのままになってしまうんです。知人からの寸借なんかも。
  僕は7ヶ月ためて、それが最高です。逃げ回っていたんですよ。電話に出なかったり、誰かが直接訪ねてきても出なかったりするので、最後は内容証明が郵便局から来ました。それで仕方なしに支払いましたけれど、あとは何ヶ月かな。4ヶ月ぐらいためて、でもそのときは大家さんの家の目の前を通らなきゃいけないから、ほぼ匍匐前進で行きました。根が臆病なんですよね、絶対。
  ええ。不思議な法則があって意外と臆病者に限って、ためるんですよ。しかもそれを、自分でものすごく気にはしているんです。この『蠕動』にも、家賃を滞納しているところで、どうしても昼間出ていかなきゃいけないときは、大家の家の前を心底びくびくしながら歩いている。
  通り過ぎた後で、背中に声をかけられたときのやられた感、アッという感じ、あれは今でも恐ろしいですもん。
  たまに思い出します?
  ええ。僕、本名が山地というんですが、「山地さん?」って呼ばれると、電流が走ったみたいに感じますからね。
 この作品では、その辺のことを、自分の若さゆえでしょうか、正当化しているでしょう? これが非常に僕は好きでした。こんな狭い空間に金を払う必要はないんだ、と。
  こんなむさくるしい××小屋に払う金はねえよ、と。あと、こんな僕のような人間に部屋を貸すほうが悪い(笑)。
  あの感覚は何ですかね。
  でも、それは本当にそう思いますよね。あんまり払えないと、せっぱ詰まると、もう相手のせいにするしかなくなってくる。
  ギャンブルで全部カネを溶かしていたころがあって、やっぱりこんな俺に貸したほうが悪いんだと思ってました。ギャンブルで全部銭をすった後、ものすごく家賃をためている部屋に帰るのは、ほんとにつらかったですね。
  六角さんはギャンブルが滅法お好きじゃないですか。
  好きですね。
  俺はギャンブルにまったく興味がなく、それやる金があったら、何か形で残るモノとか、自分の肉体的な快楽とか、そっちのほうに使いたいと思ってしまう。ギャンブルで増やすとか、そういう発想がないんです。
  僕のギャンブルはずいぶんへなちょこなギャンブルで、そもそもやった時点でカネを増やそうとは思っていないんです(笑)。ものすごく消極的で、やった時点でもう負けたも同然なんです。こんなに最低なギャンブル、ないですよ。
  あはは。それ、ただの中毒ですよね。
  まったくそうです。「俺がこんなものを持っているのが悪いんだ」って、金を破いているギャンブル依存症の人を見たことがあります(笑)。そこでしか生きられない人たちは、そこからほんとは脱したいのに、それなしでは生きられない。いまはそこから抜け出せて本当によかったと思ってます。
  ほんとによかったですね。でも僕もギャンブルをやっていれば、もうちょっと書くものに幅なり奥行きなりが出るかもしれないなと思うときがありますよ。
  いや、西村さんは、ギャンブルをやってないところがいいと思います。確実に何かを上り詰めているような感じで、結局上っていないところ(笑)。結局のところ、そこにこそ若いころの全てがつまっていると思うんですよ。
 ギャンブルというのは一つの偶像ですから、そういうものが一つあると、僕は「ローンウルフ」というものがだめになる気がするんですよね。ローンウルフはほぼ何もせずにそこにいて、誰にも知られずにいてこそローンウルフ。ほかに逃げるものがあったら、ローンウルフは純度が低くなるんです。ローンウルフはあくまでも自分の中の世界がそこにしかないから、僕はおもしろいんだと思うんです。
  いや、それは大変に勇気づけられる言葉ですよ。目が覚めたといいますか。
 今日ちょっと体調も悪くて、サウナに行かなかったんで、何かぼーっとしているんです。サウナで汗を出さないと、頭がはっきりしないんですよ、最近。なので、つい本の売れ行きの悪さを針小棒大に愚痴りもしましたが……。
  でもサウナって、そんな毎日いくもんじゃないでしょ?
  いや、毎日行っていますね。
  具合悪くなりませんか。
  それがギャンブルじゃないですけど、中毒になっていますよ。サウナ依存症です。
  サウナ依存って……(笑)。
  今日は、しかし何といいますか、一方的に僕が勇気づけられるかっこうになって、なんだか申し訳ないですね。
  自分が好きな文章を書かれている方に、こういう形で自分の熱意を告げるのは、非常に僕も幸せです。
 実際にこうやってお集まりになっていらっしゃる方というのは、西村さんに対して、きっとそれぞれいろんな思いがあると思うんですよ。だからこそ皆さんいらっしゃっていると思うし、ここに来られている方というのは、この新刊が出ることをほんとうに待ちに待った方だと思う。この貫多モノの長篇が、またこうやって続々と出てきたら、とてもすてきだなと思いました。

(おわり)






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