小説を書き始めてから、今まで趣味で本を読んでいた時間を執筆にあてるようになったので、最近全然読めていないんです。近代の名著みたいなものをあまり読んでいないのも気になって。
薬剤師をやっていらっしゃるんですよね。
はい。だから書いたり読んだりする時間は平日の夜か、土日になります。今のところは、薬剤師の仕事も続けるつもりですし。
受賞者に対して、純文学の新人賞の選考委員は「仕事を辞めるな」と言い、エンタメの新人賞の選考委員は「早く辞めて筆一本で生活できるようになれ」と言うようです。はっきり分かれて面白いですよね。今までで一番好きな作家はどなたでしたか。
好きな方はたくさんいますが……筒井康隆さんは特別な存在のような気がします。角田さんは小さい頃からずっと読むのがお好きでしたか。
そうですね。でも私もデビューした頃は近代の名著とか、あまり読んでいませんでした。自分ではいろいろ読んできたつもりでしたが。先輩方に「○○は読んだか」とよく訊かれて、正直に「読んでいません」と答えたら、「それでよく作家になろうとしているな」と言われましたね。
こわいです。
それで頑張って読むようにしましたが、名著をすべて読もうとしても結局追いつかないじゃないですか。だから「読んだ」とも「読んでいない」とも言わずに黙っていることにしました(笑)。ただ、自分は基礎工事の一部を抜かしているというコンプレックスはずっとあります。そういう思いは春見さんも残るかもしれません。
名著を読んでいないし、文学がわかっていないんじゃないかという思いは強いです。わかっていないのは文学に限ったことではないかもしれませんが。仕事中はずっと薬局の中にいて患者さんと接することもあまりないし、付き合っている友人も高校時代から仲のいい子だったり。年齢を重ねても感覚が変わらないので、友人の話を聞いて「会社ってそういうものなんだ」みたいなことをよく感じます。
私も学校を出てすぐこの仕事に就いたので、世の中にどういう仕事があるのかとか、あまりわかっていないんです。以前小説に、課長が部長に何かを命じる場面を書いたこともありました。部長のほうが役職が上なんですってね(笑)。
生まれ育った北海道から離れて暮らしたこともないんです。「そういう生き物」は今住んでいる札幌が舞台のつもりですし、主人公のひとり・千景も私と同じ薬剤師。そもそもそれしかわからないからそうなった、という部分もあります。知っていることだけで小説を書くわけにはいかない、とは思っているのですが。
自分の生まれた土地などにこだわって書く方もいらっしゃいますよね。ただ文学についても世の中についても、先ほどの話と同様に、春見さんの中に「それってこういうものでしょ」という考え方を拒むところがあるような気がします。
特定の性別、世代の「普通の人」を書こうとすると、「どういうしゃべり方が普通だっけ?」とわからなくなったりします。考えてみればどんな性別、世代でも「普通の人」なんてわからないのですが、知っているサンプルが少ないと余計に。
わかったフリをするのが嫌で「本当はわからないんじゃないの?」と考えてしまう。それは小説を書く上ですごく強みになると思います。そういう資質を持っていらっしゃるのだから、ぜひ長く書き続けて下さい。急がなくてもいいので。やめるのは書かなければいいだけだから、簡単だと思うんです。書き続けていれば、絶対あとからいいことがついてきますから。次作を楽しみにしています。
ありがとうございます。
(「青春と読書」2017年2月号より)