── 『悪寒』には、パワハラや単身赴任、介護問題などが物語の背景に登場します。現代的な題材を盛り込むことについてはどうお考えですか。
少子高齢化とか、介護の問題とか、年金の問題とか、ワーキングプアといった、社会の大きな流れは入れようと思いますが、あまり時事的なことは取り入れないように心がけています。たとえば現実のアイドルの名前のような具体的なものですね。
── 固有名詞は入れない。
クルマだけは入れますね。クルマって、その人の価値観とライフスタイルを表していると思うんですよ。あるいは、そう思ってもらう象徴として使いますね。この人はちょっとキザでどうのこうのと描写するより、白いジャガーに乗っていると書くと、それだけで、ああ、そういうやつか、と伝わるんじゃないかと。
── 『悪寒』でも賢一が勤める会社のオーナー一族がどんなクルマに乗っているかが印象に残りました。
それぞれ人物に合わせたクルマを用意しました。自分では乗ったことがないですけど(笑)。ディーラーに行って外からのぞいたりとかして、どんなクルマなのかを把握して書いています。
── 賢一が巻き込まれた事件に、会社の上層部が絡んできます。そのパートも人間関係が複雑で面白いですね。賢一が生理的に受け付けない男が出てきますが、本当に嫌なやつです。
嫌なキャラクターを考えるのは好きですね。弱い人と嫌な人を書くのが楽しい。賢一の上司もねちねちといじめるじゃないですか。そういうキャラを考えるのが好きですね。
── 『悪寒』もそうですが、『代償』にしても、伊岡さんの作品の登場人物たちの輪郭ははっきりとしていて、読んでいてその世界に入っていきやすいと感じます。人物を描く上で意識されていることはありますか。
テクニック論になると思うんですが、視点は意識していますね。神の視点で、テーブルの上に置いた人物を動かすようにして書かれた小説もありますが、私の場合は、視点を登場人物と同じ高さに置こうと思っています。たとえば、登場人物が三人いる場面を書くときには、眼に見えない四人目としてそこにいる。彼らが話していることをふんふんと聞いて、それを聞き書きするイメージですね。
── なるほど。たしかに伊岡さんの小説には臨場感がありますね。だからこそ、読者は「自分だったらどうするか」という問いを突きつけられているような気持ちになる。主人公の混乱とか戸惑いとか、そういうものがやっぱり直に伝わってくる感じがしました。文体についてはどうですか。
もともとハメットやチャンドラーのハードボイルド小説が好きなので、文体もハードボイルドがベースになっているとは思います。しかし、今回は、ハードボイルドタッチをちょっと抑えて、少しぐじぐじした心理描写を多めに入れて書いています。ハードボイルドタッチの乾いた文体にすると、主人公が強い男になってしまう。すると、この物語が成り立たなくなるな、と。
── 主人公のキャラクターとのバランスを考えて文体が決まったのですね。
一見、弱いんだけど、それでも強く生きるような男だと、ハードボイルドタッチのほうがいいと思うんですが、この主人公は途中までしゃっきりしない(笑)。心理描写をしないで行動だけを描写していると、行動的な人物に思えてしまうなと思ったんです。
── 伊岡さんは小説家としてデビューされて今年で十二年。『代償』はベストセラーになり、昨年、【Hulu/フールー】(動画配信サービス)で連続ドラマ化もされました。振り返ってみていかがですか。
作品の数がちょっと少ないかなあ、と思いますね。いろいろなものを書いてみたいという色気があって、作風やテーマ、モチーフを毎回変えて書いているんですが、それがよかったのかどうか。私の小説が好きだと言ってくださる方のなかには、次にどんなタイプの作品が出てくるのかが楽しみだとおっしゃる方もいますが、たいていの読者は同じテーストのものを求めているのかな、と思ったりしますね。作家としてどういうものを求められているのか、まだ模索しているところです。
── 『悪寒』はこれまでの伊岡さんのキャリアの厚みを感じさせるサスペンス。読者の反響が楽しみです。
「青春と読書」2017年8月号再掲