内容紹介 推薦コメント スペシャル対談 vs 尾木有里さん スペシャル対談 vs 尾木清さん スペシャル対談 vs 尾木直樹さん
 第26回坪田譲治文学賞を受賞した『おれのおばさん』に続いて、佐川光晴さんの『おれたちの青空』が刊行されます。札幌にある児童養護施設 魴ぼう舎を舞台に展開されるこのシリーズは、現在の教育現場のあり方に鋭い問題提起をしています。教育評論家の「尾木ママ」こと尾木直樹さんをお迎えして、日本の教育の問題、現代の親の有り様などを語っていただきました。尾木さんには八歳違いの娘さんがお二人、佐川さんにもやはり八歳違いの息子さんがお二人がいらっしゃいます。そしてお二方とも「イクメン」として育児、家事をされていたそうです。まずはイクメン談義から話が始まります。

構成=増子信一/撮影=中野義樹

おれたちの青空

『おれたちの青空』


佐川光晴・著
定価:1,200円(本体)+税




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思春期の男の子に特有のイライラ

佐川 尾木さんは元祖イクメンですよね。

尾木 特別な理念があったわけじゃないんですよ。女房は喘息持ちで体が弱く、月に一回は入院していましたから。生きるための必然です。女房も教員をやっていたので、入院時期が試験とぶつかったりすると、看病しながら、ぼくが試験問題つくって、ガリ版切って、採点までやる。

佐川 それはきついですね。

尾木 家事、育児、女房の仕事代行(笑)。
 長女のときは、ミルクも飲ませたし、おしめ替えから保育園のお迎えまで全部やっていました。性格的にも、女房が赤ん坊を抱いてても、危なっかしそうに見えると、つい自分で抱っこしちゃう。出しゃばりなところがあるんですね。元祖イクメンというと聞こえはいいけど、そうじゃないの。何でもひとりでやりたがるよくないタイプ(笑)。

佐川 ぼくは、もの書きになる前に牛の解体の仕事をしていたんですけど、仕事は昼過ぎぐらいで終わってしまうので、子供ができる前から、うちのことは大体ぼくがやっていました。うちの女房も教員で、彼女はもともと外に出て働きたいほうで、一方ぼくは、うちにいたほうがいいやというタイプなんです。性格に応じてだんだんと役割が分かれていったようなところがあって、そのまま自然に今に至っている。だから、もう二十年ぐらい晩ご飯はぼくがつくってます。

尾木 ぼくは、お会いする前はもっと硬派なイメージを持っていたんですけれど、実際には柔和で、もうイクメンの代表みたいですね。イクメン賞として賞状を差し上げたいくらいの雰囲気の方で驚きました。

佐川 子供の相手をする時間が長くなると、だんだん柔らかくなるんですかね。昔の顔は、ひどかったと思います。突っ張っていて、やせていて、始終イライラしていた時期がありましたから。
『おれのおばさん』、それから今度の『おれたちの青空』でも、中学生の男の子たちが、親のこととか学校のこととか、いろんな不満やイライラした感情を抱えながら成長していくわけですね。思春期の男の子が抱えてしまう、あの、どうにもならないイライラ ……。

尾木 ええ、ありますよね。

佐川 『おれのおばさん』を書いたときは、ちょうどうちの上の息子が主人公の陽介と同じ中二だったんです。

尾木 一番大変なときですね。

佐川 ぼくは家にいるものだから、小学校のころから息子の友達のことは知っていて、その子たちが中学生になっていく姿も見ているので、彼らのしんどさもよくわかる。大人たちの無理解から、彼らはさまざまな屈辱を与えられる。でも、子供以上に苦しんで、世の中と軋轢(あつれき)を生じさせながらどうにかこうにかやってきている大人たちもいる。「君ら、こういう大人もいるぜ」ってことを伝えたくて『おれのおばさん』を書いたんです。

尾木 中学二年ぐらいの男の子って、生き辛さというか、本当に得体の知れないイライラがあるんですよ。性に目覚めて、爆発するようなエネルギーのはけ口が見つからない苛立ち、あるいは自己嫌悪に陥る感覚とかね。あれは本当にすさまじい。ぼくは中学校の教員を十八年ぐらいやっていたんですけれど、あの男の子のイライラは独特で、女性教師にはわからないと思います。女の先生は、それはいわなくたってわかってるんだからいっちゃだめってことを平気でいってしまう。
意識せずに男の子のプライドを傷つけちゃう(笑)。
 男の子は、バスケットボールとか野球とか、スポーツにのめり込んで、体力を消耗させ、そういう形で発散させる。女の子にもやはり同じような時期がありますが、女の子の場合は、もっと文学的というか内面的なんですね。だから漫画を描いたり、イラストを描いたり、あるいは小説を書いたり、音楽に夢中になったり、好きなスターの追っかけをしたりとか。そういうふうに、あの時期、男と女の差というのはものすごく大きい。
 ぼくは、もともとが海城中学・高校という男子校の教員でしたから、共学の学校へ行くことになってみんなから脅かされたのは、女の子の気持ちをつかみ損ねたら、授業も成立しないし、学級も崩壊する、と。だからぼくは、女の子の気持ちをつかむのに細心の注意を払いましたね。

佐川 『おれのおばさん』では、後藤恵子という強烈な個性の女の人がひとりで男女両方の子供たちの面倒を見ているのですが、その男まさりの「おばさん」に対して、男の子たちは「かなわない」ということを思い知らされる。その上で、ようやくお互いの関係ができていくんです。
 あの時期の男の子って、自分に恃(たの)むところがあって、ヘンに自信を持っている。そういう子の目から自分の父親を見たときにどう見えるのか。尾木さんも、今の日本では、エリートと呼ばれる人間たちの劣化が相当あるとご著書で書かれていますが、ぼくと同年代の父親たちを見ていると、大学を出たのがバブルのころだったりしますから、どうしても帳じり合わせの生き方をしようとする傾向がある。要するに、このぐらいの学歴があれば、このぐらいの生き方をして、このぐらいの幸せはつかめるだろうというようなスタンスで生きているところがある。でも、今の息子たちの世代には、そういう考えはもうきかない。

尾木 おっしゃるとおりですね。

佐川 もうきかないんだと子供から突きつけられたとき、父親にせよ母親にせよ、親たちはどうしても腰が引けてしまう。尾木さんたちの学生のころのように、時代全体が反乱に向かっていったときとは違って、今は個別に解決の道を見つけていかざるを得ない。これからの子供たちは、そういう社会にぶつかっていくわけですが、今はその手前で、力が溜まっていてもそれをどう使っていいかわからない。その辺の苛立ちみたいなものを、このシリーズでは書いていきたいと思っているんです。

尾木 それは本来、学校の大きな課題のはずなんですよ。ところが、社会一般の大人だけではなくて、学校自体に力がなくなっている。かつての高度経済成長期とかバブル期であれば、とにかく、いい高校に入って、それなりの大学へ行けば、ちゃんと幸せになれる。大人になればわかるんだから、黙ってついてこい、と。そういう台詞で導くことができたのだけれど、今は完全にそれが通用しなくなった。
 ついていったってその先には何もないし、ついていきようもなくなっている。それなのに、そういう時代における学校教育の役割が、文科省含めて国のリーダー層には何も見えていない。ここ十年間、教育界全体を席捲したのが成果主義、そしてその裏にある競争主義なんですね。今、どのテレビ局に行っても、おネエキャラというか、トランスジェンダーの人のポジションがありますね。「尾木ママ」も含めて、このおネエブームというのは、二〇〇〇年代の成果主義のぎゅうぎゅうした感じに対する反動だと思う。マッチョな強さで突っ走っていたのが、優しさとか安心感だとか、もう強くなくてもいいよといった、そういうものを求めている気分とピタッと噛み合ったんですね。


「離れられる」ことは成長の証

佐川 ぼくは北海道大学で、恵迪(けいてき)寮という旧制高校風のバンカラな寮に入って、寮の執行委員長とかやっていたんです。そこで初めて同世代の人間たちと絡まり合いながらもまれて、それが自分にとっては非常に大きなことでした。小説に出てくる魴ぼう舎という中学生ばかりが集まった児童養護施設も、年齢は違いますが、ぼくが恵迪寮で経験したように、人にもまれながら切磋琢磨して、そこから何かを受け取ってほしいと思っているんです。

尾木 ぼくが練馬区の公立中学の教員をやっているときに、石神井学園という都立の養護施設から生徒が来ていたんです。一年生から三年生まで全部合わせると約二十人ぐらいかな。で、ぼくはその中学に九年勤めていましたけれども、その養護施設の子供たちの気持ちをどうつかむかが非常に重要なことだったんです。彼らは四六時中団体生活をしているから、結束力がすごく強いんです。最初はすごい結束力だなって感心していたんですけど、そのうちに問題も見えてきた。彼らにはひとりになる時間と空間があまりないんです。だから結束して何かをやるときには非常にたくましいものを持っているのだけれど、それに比べると内面がうまく深まっていないということを感じましたね。
 思春期というのは、ひとりになって孤独な自分と向き合ったり、夜中に何か考えていてひとりでに涙が出るとか、そういう体験や保証みたいなものがないと、どんなに寮母さんたちや周囲の人たちが一所懸命、楽園みたいな場所にしてくれていても、内面を深めていく機会がないと、外の社会に出たときにうまくバランスが取れなくなる。

佐川 あまりに行き届いた教育環境になってしまうと、そこが人生における頂点というか、自分の一番よかった時代ということになってしまって、外に出ていけない。たとえ出ていっても、結局帰ってきてしまう ……。

尾木 ええ。養護施設の子は、よく帰ってきていました。

佐川 恵迪寮でもそうでした。恵迪寮があまりに居心地がよかったものだから、北大を出て社会に入っても、そこで不適応になってしまう。
 魴ぼう舎も、後藤恵子さんの迫力でもってある空間をつくり、そこで成長していくんですが、子供たちにとっては、魴ぼう舎自体が狭くなって、そこから出ていくということがとても大事なんですね。『おれたちの青空』では、陽介と卓也の二人が北海道から出ていくわけですが、最初、陽介のほうは札幌にいさせておこうかと思っていた。でも、あ、これは出なきゃだめだよなって思い直したんです。
 ぼく自身、神奈川の茅ヶ崎で育って北大に行くのですが、茅ヶ崎にいたときから、親の家は狭い、茅ヶ崎って町は狭いと感じていた。で、恵迪寮も最初は非常に面白かったのだけれど、徐々にそこも狭くなってきて、その集団生活から離れて結婚する。そこからさらにまたいろいろ考えて、牛の仕事を始めることになる。
 陽介は一流進学校に入って、順当に行けばトップエリートになるはずだったのが、父親がしくじってくれたおかげといいますか、エリートコースから外れて、恵まれない人間たちが切磋琢磨する環境の中に入っていく。そこである程度鍛えられて、今度はそこを離れていく。陽介だけでなく、魴ぼう舎から離れられるというのが、あの子たちに力がついたという証なんですね。
 子供たちはそうやって旅立っていくのだけれど、彼らの父親たちがひとりになれたのかという問題も一方にある。今、五十、六十ぐらいの人たちは、企業戦士として高度経済成長からバブルを経て、先ほど尾木さんがいわれたように、何もしなくても自然に幸せが手に入るという形で育ってきたわけですが、実はずっとひとりにならないまま、なれないまま大人になってしまったのではないか。

尾木 そうなんですよ。ぼくは今、六十四ですけど、まさにバブル期を駆け抜けてきた世代です。今の日本社会をグローバルな視点で見ると、世界から異常な遅れ方をしてしまっている。それはやはり、ひとりになっても生きていける、個を確立した上で他の人とつながりながら生きていく、そういう個の確立ができていないからなんですよ。

佐川 尾木さんは、それまでの教員生活を辞めて独立されるわけですが、そのときに具体的なきっかけがあったのですか。

尾木 ぼくは今の佐川さんと同じ、四十六歳のときに学校を辞めました。三十代のころから、本を出したり、テレビに出ていたりして、先生たちの間に、ぼくのファンがたくさんできていたんです。そうすると、よくも悪くも、ぼくの発言の持つ重みが大きくなってることに気がついた。たとえば、運動会のやり方を議論していても、ぼくが賛成というと、反対の人もそのひと言で黙ってしまい、深い討議をされずに決まってしまう。
 それから、同僚にぼくのファンなんですという英語の先生がいて、その先生が、生徒を横で正座させて体罰をふるっている。これが、どうしてぼくのファンなんだろう、と(笑)。ところが、「先生、体罰はだめだよ」といえなかった。その先生を傷つけてはいけないと思うから。でも、そんなことをしていたら子供を守れない。それがすごく辛くて、心身症が出てくるし、狭心症にもなった。真剣に悩みましたね。
 じゃあ辞めようかと思って、それで辞めた。めちゃくちゃ簡単です。それで自由になった。独立して臨床教育研究所を立ち上げ、教育の学会と現場、あるいはお母さん方との虹の掛け橋になりたいと思って、「虹」という名前にしました。そうやって続けていたら、六十四でいきなり「ママ」になって、そこから大きな虹が掛かってるんですけどね。


次作の主人公は陽介の父親

佐川 今回『おれたちの青空』という明るい題名を、あの子たちの旅立ちのためにつけたんですけど、それは晴れやかな気持ちを表わしているだけではなく、自分がどうにかたどり着いて築き上げたはずの共同体から、成長とともに、また離れなきゃいけなくなることの辛さを抱えることも意味しています。
 共同体には負の側面もあるのですが、多分そういう辛さを抱えた先に、さらなる共同体が築かれるのではないかとぼくは思っているのですが、いかがですか。

尾木 ぼくの大学生のころは、労働組合運動とか学生運動とかがすごく盛んで、寮や自治会なども強かった。ある種の共同体が力をもっていた。しかし、それらが本当に個が確立した上での共同体だったのかというと、そうじゃないかも知れません。共同体という中に安住しているだけで、個としての自覚ができていなかった可能性すらあります。この二〇一一年になっても、私たちの運動や活動も、そこから脱出できてない危険性もありますね。
 たとえば、いろいろな団体から講演などで呼ばれて行くでしょう。そうすると、最初の責任者のあいさつを聞けば、あとは聞かなくても見当がつく。どこでもみんな同じようなことをお話されてるわけ。自分の頭で考えて、自分の地域の教育をどうするのか、あるいはこの学校をどうするのかという課題に本気で取り組めていない。徹底してひとりになり、個を確立し、確立したところで他者とつながっていくという形やプロセスになっていないんですね。もし、おっしゃるような共同体ができるのだとしたら、やはり"個の確立"が大きな問題になってくると思います。

佐川 今おっしゃったような組織の停滞をどこで打破していくかというと、完全な処方箋なんてないんですけど、自分で子供を育ててみると、息子たちがまさに身もだえしながら成長していくのがわかる。そうやって必死に自分と向き合っている息子たちの姿を見ていると、大人である自分も背筋を伸ばさざるを得ない。大人同士だと、さっきいったように帳じり合わせでどうにかしてしまえというところが出てしまうんですね。でも、帳じりを合わせることができないで身もだえしている子供たちの成長に向き合うことでしか、大人は自分たちの中の硬直した考えを解(ほど)いていくことができないのではないか。
『おれのおばさん』『おれたちの青空』の世界は、ある意味理想郷なんですね。「おばさん」の後藤恵子は、せっかく北大の医学部に入ったのに、そこを辞めて芝居の世界に入っていく。結婚したかと思ったらすぐ離婚して、すったもんだした挙げ句に児童養護施設の責任者となる。その猛烈な人間のローリングする世界と、親と一緒に暮らせない子供たちのローリングする世界、この二つの世界が絡み合いながら、ある強い世界をつくっていく。
 はじめにいったように、この小説を書き始めたときに、ぼくのまわりにいた息子を含めた中学生たちに、こんな世界もあるよ、こんなやり方でもどうにか生き延びていけるよっていうことを、自分の経験に即して教えたかったし、小説の中で子供たちが精いっぱいやり切っていく姿を書きたかったんです。

尾木 ありがたいですね。おっしゃるとおりだと思います。そうした気概が、この二〇〇一年以降、教育界からは一気に失われてしまったんです。そんなのは理想論で甘っちょろいみたいな言い方に押し籠められてね。

佐川 女房が教師をやっていますから、教育現場の大変さはよくわかります。でも、制度的な面からの押さえつけっていうのは、いつの世の中でもあることで、肝心なのは、人が成長していきたいというエネルギーであって、そのエネルギーがあれば、そういう制度的な押しつけも凌駕できるはずだと信じているんです。人と人との出会い、絡まり合いの中から、それまでとはまったく違う光景を生み出せるはずだという信念があって、そういうものを、これから先、『おれのおばさん』シリーズという形でやっていければいいなと思っています。

尾木 ということは、これからも続いていくわけですね。今後はどういう展開を考えていらっしゃるんですか。

佐川 そもそもは、父親が横領して、その金を愛人に貢いだことが原因で、陽介は施設にやられることになったわけですが、その現況をつくった父親の物語というのを今書いています。五十になっていながら、まったく個を確立できないまま生きてきてしまい、自分のしくじりによって子供や妻を大変な目に遭わせてしまう。どうやら子供や妻はうまくその危機を乗り越えたらしいが、さて、おれはどうするのか、と。残された父親の話を今書いてて、これから山場になっていきそうなんです。

尾木 なるほど。個を確立できない大人の物語ですね。陽介のお父さんにはそこで存分にもがいてもらいたいですね。期待しています。




おぎ・なおき
教育評論家、法政大学キリアデザイン学部教授、早稲田大学大学院教育学研究科客員教授。
1947年滋賀県生まれ「尾木ママ」の愛称でテレビ出演や教育関連の執筆・講演等で活躍中。
著書に『尾木ママの「凹まない」生き方論』等多数。


さがわ・みつはる
作家。1965年東京都生まれ。
2000年、「生活の設計」で新潮新人賞を受賞して小説家デビュー。
著書に『ジャムの空壜』『縮んだ愛』(野間文芸新人賞)『家族芝居』『銀色の翼』『牛を屠る』『おれのおばさん』(坪田譲治文学賞)等。


『おれたちの青空』
東京の名門校に通う中学生・陽介は、父が横領罪で逮捕されたため、おば・恵子が営む札幌の児童養護施設に放り込まれる。その陽介とともに施設で暮らす同級生・卓也が、受験を前に自らの過去と対峙する姿を描く「小石のように」、恵子が劇団女優から児童養護施設の運営者へ転身するまでの波乱の人生を描く「あたしのいい人」ほか、全三編収録旅立ちの季節を迎えた中学生たちと、それを見守る大人たちの姿を爽やかに描く感動の青春小説。



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