残酷な王と悲しみの王妃 中野京子 『怖い絵』シリーズや『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』がロングセラー となっている中野京子氏の新刊が、いよいよ発刊!! <レンザブロー>でも反響の多かった大人気連載「王妃たちの光と闇」を改題した 本作は、読み応えたっぷりの歴史読み物。現存する肖像画などカラー図版も多用 しながら、王族たちの生き様を独自の視点で辿ります。
作品内容
ヘンリー八世の冷酷さとアン・ブーリンの斬首、エリザベス一世とメアリー・スチュアートの攻防、ベラスケス描くマルガリータ・テレサの肖像画の数々に隠された?メッセージ、歴史に埋もれたイワン雷帝の数多の王妃たちetc
ヨーロッパの王族たちの人生を、あなたはどれだけ知っているだろうか?
本書は、王や王妃たちの壮絶な生き様を肖像画や関係絵画を交えて辿ります。
中野氏の広範で深遠な歴史と絵画に関する知識がベースとなり、西洋画、西洋史初心者にもわかりやすく、もともと詳しい方にも史実、絵画の新たな見方が提案される名著です。
第一章
メアリー・スチュアート
スコットランド王の父が病死、生後一週間足らずでスコットランド女王になったメアリー。スコットランド併合を狙うヘンリー八世の圧力から逃げ、フランスへ。才色兼備の少女は、華やかなフランス宮廷でのびのびと育っていくが・・・。
(画像)12~13歳のメアリー・スチュアート
第二章
マルガリータ・テレサ
画家の中の画家、天才ベラスケスの筆による肖像画が多く残されたマルガリータ。あどけないその幼女時代の表情からは窺い知れぬ、スペイン・ハプスブルク家の血族結婚の連鎖に、彼女もまた否応なく組み込まれていた・・・。
(画像)『青いドレスのマルガリータ』(ベラスケス画)
第三章
イワン雷帝の七人の妃
絶対権力者のもと完全統一されていたとは言いがたい十六世紀のロシア。そんな<非ヨーロッパ的田舎国>の大公を、父の死を受けわずか三歳で継いだイワン四世。玉座を狙う叔父たちや大貴族に怯えながらの雌伏の時が始まる・・・。
(画像)冠をかぶったイワン雷帝
第四章
ゾフィア・ドロテア
十六歳の花のような美しい花嫁は、暗い表情で花婿の横に佇んでいた。実父と姑の過去のいきさつ、婚家の男性たちが野卑で暴力的かを知っていたから。まさに孤立無援、若くて無力なゾフィア・ドロテアの孤独な闘いとは・・・。
(画像)ゾフィア・ドロテア
第五章
アン・ブーリン
成り上がり貴族ブーリン家は、娘に貴婦人としての教育を受けさせ、高位貴族に嫁がせたいという思いから、アンを王妃付き女官としてブルゴーニュに<留学>させる。やがて帰国し、思いがけずヘンリー八世の寵愛を受けることに・・・。
(画像)アン・ブーリン
 
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発刊記念 特別インタビュー!

中野京子氏
 エリザベス一世と覇権を争って完敗し、処刑台の露と消えたスコットランド女王メアリー・スチュアート。王家存続のため血族結婚をくり返すスペイン・ハプスブルク家の「青い血」から生まれたマルガリータ・テレサ。非業な死を遂げながら誰ひとり生年がわからず歴史の片隅に追いやられたイワン雷帝の七人の妃たち。一生の三分の二を幽閉されていたジョージ一世の王妃ゾフィア・ドロテア。英国王ヘンリー八世の寵愛を受け、下層貴族から王妃の座を射止めるも、姦通の罪を着せられ斬首に処されたアン・ブーリン。
 中野京子さんの新刊『残酷な王と悲しみの王妃』は、宮廷という一見華やかな舞台の裏でくり広げられる熾烈な権力争い、渦巻く陰謀と嫉妬等々を、王と王妃を中心にさまざまなエピソードが綴られています。
『怖い絵』『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』等で、絵画と歴史のスリリングな読み解きをされている中野さん。本書でも豊富な図版を駆使しながら、教科書で学ぶ歴史とはひと味もふた味も違う歴史のおもしろさを存分に伝えてくれます。

 ── 第一章には、エリザベス一世との闘争に敗れたメアリー・スチュアートが置かれ、最後の第五章は、エリザベス一世を産んだアン・ブーリンで終わるという、この円環的な構成は最初から考えていらしたのですか。

 いえ、王妃のことを書くということだけが決まっていて、有名な人とさほど有名ではない人を取り混ぜながらやっていこうということで、まず最初に有名なメアリー・スチュアートでいこうということになったんです。
 次がマルガリータ・テレサ。ここでは近親結婚によって滅びる王朝のことを書きました。驚くことに、マルガリータの弟でスペイン・ハプスブルク家の最後の王となったカルロス二世の「近交係数」(近親交配の度合いを表す数値)は、親子きょうだい間の〇・二五より高い〇・二五四でした。「血」を守っていくことが、こうしたおぞましい結果をもたらしたわけですね。
 それなら、血族結婚などせずに臣下の娘をもらえばいいではないかと思うじゃないですか。そうすれば確かに血が濃くなるのは防げるけれども、今度は別のもっと深刻な問題が生じるという実例が、イワン雷帝です。臣下の娘が王妃になる可能性が出てきたということは、その王妃を亡き者にすれば、別の臣下が王妃の親という特権を手に入れることができるわけですね。他の王家から妃を迎えた場合は、やはりガードも堅いし、外交上もそう簡単に殺すわけにはいかない。臣下の娘ならセキュリティも甘くなるので、ライバルの臣下は陰謀をめぐらし、王もまたそれを利用する。イワン雷帝自身、そうした宮廷内の策謀に疑心暗鬼に駆られて人間不信に陥り、拷問と処刑をくり返すことになる。ハプスブルク家の「青い血」と対比することで、イワン雷帝がおこなったことが鮮明に浮かび上がってくるのではと思いました。
 ゾフィア・ドロテアの章では、イギリスの王家は実はイギリス人ではないんだということを知らない人が案外多いので、そのことを書いてみようかと。そこでまずヘンデルを登場させました。ヘンデルはイギリスで活躍した印象が強いから、みんなイギリス人だと思っていますけど、もともとヘンデルはドイツのハノーヴァー公国の宮廷音楽家で、その後イギリスに帰化するわけですね。そしてヘンデルのかつての雇い主であるハノーヴァー公国の選帝王ゲオルク・ルートヴィヒがジョージ一世としてイギリスの王様になる。
 ヘンデルは、ハノーヴァーがつまらなくてイギリスに渡ったのに、当のハノーヴァー公国の一族が新しい雇い主になったのだから驚いたでしょう。ヘンデルという人も結構おもしろい人なんです。血気盛んで、何度も決闘をしている。明るい悪党みたいな感じのヘンデルの音楽は、華やかで祝祭的ですから、宮廷の音楽にはぴったりなんですね。
 そして最後のアン・ブーリンは、跡継ぎを産むことを絶対命題として課せられた女性の悲劇ですね。当時、子どもを産むということは女性にとって非常な負担で、ほんとうに命がけでした。しかも、最初、十四歳くらいで産んで、以後毎年のように産まなければならない。精神的にも肉体的にもものすごい負担です。だから、十六人もの子どもを産んで、ほとんど病気もせず、政治にも関与したという、マリア・テレジアがいかにすごかったかがわかる。彼女は傑物です。傑物たる者、やっぱり丈夫でなきゃいけないですね(笑)。


 ── 今回の本にも図版が豊富に入っていますが、歴史と絵画を結びつけるという手法で書いていこうというのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

 もともと絵は好きだったんです。最初、雑誌の「通販生活」で、何か絵について書いてくださいといわれたときに、カタログ販売の雑誌ですから、絵の中に描かれている「もの」について書いてみようと思ったんです。たとえば、スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』という有名な絵は、女性がさしている日傘が印象的ですね。だから、その絵について説明して、なおかつ、この時代にそれまでの日傘が改良され、ずいぶん軽くなったから女性が一人でも持てるようになったんだとか、絵と連動しながらものの由来や歴史を説くという蘊蓄ものにしたんです。それが結構評判がよくて、今度は、ものではなくてもう少し強烈なものをテーマにして絵のことを書きたいと考えていて、そこで「怖い」というテーマが出てきたんです。ですから、最初から「怖い絵」というタイトルは決まっていました。

 ── 小さい頃から絵はお好きだったんですか。

 絵は好きでした。小学校のときには絵を習いに行っていました。でも自分で描いたのはそのときだけで、その後はもっぱら「見る人」ですけど。

 ── オペラの本もお書きになっていますが、音楽は?

 音楽というより、劇が好きなんです。だから、オペラ以外の音楽はあまり聞かないですね。オペラには前奏曲がありますね。よく冗談でいわれるんですけど、「前奏曲はもういいから、早く人間が出てこい」って。どちらかというと、私もそんな感じですね。音だけよりも、やはりドラマが好きなんです。それから、修士論文がクライストだったんですけれど、やはり戯曲が好きだったからでしょうね。
 ですから、同じ絵を見るのでも、その背景にあるドラマをより身近に感じることができれば、興味が出てくるわけです。イコノロジーのような、美術史の専門的なアプローチから絵画を読み解くという方法もありますけれども、私の場合、もう少し身近なかたちで絵を読み解いていくほうがいいのじゃないかという思いが常にあって、『怖い絵』でも、あまり美術用語を使ったりせずに、気楽に絵を見る楽しさを伝えられればいいなと思って書いたんです。


 ── 専門用語などが出てくると、どうしても「お勉強」という感じがしてしまいます。

 美術史の区分けにしても、バロックとかロマン主義だとかというのは、要するに学問をするための枠づくりであって、絵を見る人にとってはあまり関係ないことですよね。そういう専門用語にこだわらずに、この絵が描かれた時代の背景や、そこに描かれている人物について知ったほうが、絵を楽しめると思います。
 たとえば、プラディーリャの「狂女フアナ」という絵を見るときなどでも、ヘンリー八世の王妃キャサリンがカール五世の叔母で、そのカール五世の奥さんのイサベルが、「狂女フアナ」と呼ばれたカスティーリャ王女フアナのお姉さんだとか、そういう関係がわかったほうが断然おもしろいんです。ただ、歴史書というとどうしても国別に扱うことが多くて、個々の人間のつながりというのは、案外書かれていない。
 そうした背景を知らずに、十六世紀、十七世紀の地図とか系図をいきなり見せられても、なかなか関係がつかめないし、固有名詞も覚えられません。やはり、そこに物語とか絵とかがあってはじめてわかるし、興味も湧いてくると思うんですね。
 私が歴史のおもしろさを知ったのは高校生のときで、世界史の先生がすごくよかったんです。教科書は自分で好きなところを読めという感じで、かなり自由にやらせてくれたし、興味のあることはすごく熱っぽく語る。その先生のインパクトが強くて、歴史のおもしろさを知ったのだと思います。


 ── 今度の本では、王の残酷ぶりも凄まじいものがありますが、王妃たちの運命の過酷さがとても印象的です。

 かつては、歴史は男性が書くものというところがあって、どうしても男性の目からの記述になりがちでした。ですから、政治に直接かかわらない王妃への関心はあまりなかったんですね。そして、男性中心的な見方ではいけないといって出てきたのが、フェミニズム的な視点です。ところがフェミニズム的な見方が強すぎると、すべての女は抑圧され、虐げられ、被害を被ってきたといった視点ばかりになってしまう。私はそれも嫌だなと思ったんです。表面的には虐げられているようでも実はしたたかに生きている女性がいるし、男が威張っているように見えるけれども、その実、女の人に巧みに操られているようなこともある。
 実際、ロシアのエカテリーナ二世は、夫を斃して王冠を奪い、毎晩人を変えて若い男たちを寝室に引き込んでいたというし、「悪女」とか「毒婦」と呼ばれたカトリーヌ・ド・メディシスのような、みずから表舞台に出て権力を握り、政治、外交を動かすような人もいる。そういう面もきちんと見ていくことが大事だと思います。


 ── 本書の中で、カトリーヌ・ド・メディシスは「小太りで冴えない地味な女」と形容されていますが、掲載されている肖像画を見ても、そんな感じがします。それほどの権力をもっていれば、絵描きにもっと綺麗に描けと命令することもできるように思えますが。

 ええ、ゴヤの「カルロス四世家族像」なども、中央のマリア・ルイサ王妃は品位のかけらもない不器量な女に描かれていて、あんな情け容赦ない絵をよく許したなあと思います。私だったら、絶対嫌です(笑)。
 今回取り上げた中でも、いい肖像画が残っている人とそうではない人がいて、その辺の運、不運も歴史のおもしろいところですね。
 たとえば、アン・ブーリンは絵が少なくて、これはアンの後にヘンリー八世の王妃になったジェーン・シーモアがすべて捨てさせたとも言われています。英国の宮廷画家だったホルバインが描いた宮廷女性の上半身像は、アンかどうかの確証はまだありません。彼はジェーン・シーモアをはじめとして、多くの宮廷人を描いているので、アンだけ描かなかったとは考えられない。きっと全身像も描いたと思う。ホルバインほどの画家が描いたものであれば、捨てられずにどこかに残っている可能性もありますから、この先、どこかから出てくるかもしれませんね。
 ゾフィア・ドロテアも、スウェーデン貴族と恋仲になったことで、夫のジョージ一世に三十二年間も幽閉されるなど、興味深いエピソードがたくさんあるのに、いい肖像画があまりない。生まれがドイツ系だからいい画家がいないんですよね。でも、結婚して嫁いだ先がイギリスで、イギリスにはドイツに輪をかけていい画家がいないから、残っているのはつまらない絵ばかりです。
 その正反対がマルガリータ・テレサで、彼女自身は特段の個性もなく、平板な人生を送ったのですけれど、ベラスケスという天才的な画家に描かれたことよって、彼女の名は後世に残る。皮肉といえば皮肉ですが、これもその人のもっている運命なのでしょうね。


 ── ベラスケスを宮廷画家に引き上げたのは、フェリペ四世の功績ですね。

 ほんとうにそうです。フェリペ四世の綽名は「無能王」で、政治音痴で意志薄弱、おまけに女好きと、いいところはほとんどなかったのですが、天才を見抜く審美眼だけはたしかだったんですね。

 ── 今回お書きになられていて、この人物はちょっと書くのに苦労したとかいうのはありましたか?

 イワン雷帝はおもしろい人物だと思ったんですけど、いかんせん、王妃たちの情報がほとんどないんです。イワン雷帝は全部で七人の王妃がいたのですが、生年がはっきりしている人は一人もいない。ひとつには、同時代のロシア人がイワン雷帝について赤裸々に書くことはできなかったということもあるでしょうね。イワン雷帝の伝記で一番有名なのはアンリ・トロワイヤの『イヴァン雷帝』ですが、書かれたのは二〇世紀になってからです。それに、トロワイヤはロシア生まれですが幼いときにパリに移住していますから、書くのはフランス語で、使われている文献もイギリスとか西洋のものが多く、どうしても「野蛮な国ロシアの王」という感じが出てしまう。それに、当時の外交官はスパイですから、外交官がロシア王室の状況を故国に知らせるわけですね。だから王室側も情報が漏れるのを怖れて、王妃を外交官に会わせない。そんなこともあって、余計に記録が残っていないんです。
 しかし、王妃の記録が少ないというのはロシアに限らず、イギリスのアン・ブーリンもはっきりした生年がわからないんです。王様と結婚したんですから、何らかの記録が残っていてもいいように思うのですが、どう探しても残っていない。女性は公的な存在として見られてはいなかったわけです。そんなところにも、当時の女性の置かれた地位が透けて見えてくる気がしますね。


 ── 一つの絵から実に多くの興味深いエピソードが聞こえてきます。

 ええ。今度の『残酷な王と悲しみの王妃』では、個性豊かな王や王妃たちのエピソードや人生がたくさん出てきますから、読者の方がいろいろな角度から楽しんでいただければうれしいですね。
インタビュー・文 増子信一
撮影 田尻光久
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著者プロフィール
中野京子(なかの・きょうこ)
北海道生まれ。早稲田大学講師。専門はドイツ文学、西洋文化史。
著書に『怖い絵』『怖い絵2』『怖い絵3』『「怖い絵」で人間を読む』『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』『名画で読み解く ブルボン王朝12の物語』『危険な世界史』『恐怖と愛の映画102』『歴史が語る恋の嵐』『おとなのための「オペラ」入門』『メンデルスゾーンとアンデルセン』など多数。
訳書にシュテファン・ツヴァイク『マリー・アントワネット』などがある。
著者ブログは「花つむひとの部屋
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