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人工物しか目に入らない都会でも、路地を覗けば、神社には石でできた狛犬が存在し、手水舎には龍や亀が水を出し、拝殿の上を見上げれば鳥や唐獅子など、様々な生き物の造形がある。どれだけ時代が進んでも、人間は動物と共生し、そして崇めてきた。なぜ人は動物に神を見るのか?狼、狐、竜蛇、憑きもの、猫、鳥、狸など、加門氏の今までの霊能体験、知識の集大成を存分に発揮し、日本に古くから存在する動物たちの起源に霊能的観点から迫る力作。

加門七海が辿る、数々の史料や体験談に残された動物達の足跡。

加門七海
発売日/2014年11月5日発売
定価:1,400円(本体)+税
装丁:山影麻奈 カバー動物絵:松森胤保 酒田市立光丘文庫所蔵




著者プロフィール 加門七海(かもん・ななみ) 東京都生まれ。多摩美術大学大学院卒。美術館の学芸員を経て、1992年『人丸調伏令』で作家デビュー。著書に『203号室』『祝山』『猫怪々』『鍛える聖地』『怪談を書く怪談』『ぼくらは怪談巡礼団』(共著)などがある。

担当編集者より
加門七海さんの新作は、「霊能動物」についてまとめた一冊です。
狼、狐、竜蛇、狸、鳥、馬、憑きもの、猫、人魚。「彼らと人間との関係は一筋縄ではいかない」と断言する加門さんが、日本に存在する「霊能動物」の起源を、わかりやすく丁寧に、自身のエピソードを交えながら紐解きます。怖さあり、笑いあり。オカルト好きの方はもちろん、動物好きな方にとっても目から鱗の280ページとなっております。是非ご一読ください!




都内に存在する“猫ゆかりの寺社”を加門七海が巡る。『霊能動物館』発売記念、特別エッセイ!
 霊能力という言い方が正しいかどうかはともかくも、動物と共にいる人は誰でも、彼らの勘の鋭さに驚いた覚えがあるはずだ。
 ボケッとした我が家の猫ですら、こちらがひと息つこうかとパソコンから顔を上げた途端に、隣の部屋で寝ていても、ご飯くれだの遊べだのと寄ってくる。
 インドネシア・スマトラ沖地震のとき、津波到達前に海岸にいた象達が鳴き叫んで逃げたニュースを知っている人も多いだろう。地震と津波による超低周波音を感知したのだろうと言われているが、あれもまた、理屈はどうであれ、人には持ち得ぬ能力だ。
 こうした動物の鋭さは、ほとんどが己の命を守り、また食べ物を得るために発達したものという。しかし、それだけには収まらない摩訶不思議な能力を動物達は持っている。
 いや、彼らにとっては当たり前、ごく普通のことなのだろう。摩訶不思議と思うのは人のみだ。
 人間はあまりに鈍いから、霊能力を特殊な力だと考える。
 無論、私も人間だから、彼らの能力にはいつも驚く。そして、「霊能動物」などという名前で呼んでしまうのだ。


 拙著『霊能動物館』刊行間際、改めて霊能動物にまつわる場所を回ろうという話になったとき、担当N山氏に迷いはなかった。
「猫です。猫しかないでしょう」
 霊能動物を祀ったスポットは、都内ならお稲荷様が最多なのは間違いない。しかし、N山氏は猫好きの猫奴隷で、猫に取り憑かれてしまっている。そして、同じく猫に憑かれた私にも、否やのあろうはずはなかった。
 秋の一日、我々はまず東京都中央区にある三光(さんこう)稲荷神社に向かった。
 猫に縁があるといえ、ここのご祭神はお稲荷様だ。それがいつ、猫と縁づいたのか。正確なところは不明だが、当地は「三光新道のニャン公さま」と親しまれ、神様は「猫族守護神」として知られていた。そして、猫に関するすべての祈願――特に迷い猫を戻す祈祷を得意とする「猫返し神社」として有名だった。いや、現在においても有名なのだ。

 短いがきちんとした参道には、愛猫が戻った御礼にと奉納された碑が建っており、境内には「失せ猫祈願」の祈祷申し込みについての説明が貼り出されている。張り紙の下に並ぶ招き猫達は、猫が無事に戻った御礼に奉納されたものと聞く。
 大したものだ。猫と暮らしている人にとっては、なんとも心強い神社である。
 ただ、数年前、私がここを訪れたとき、祈祷申し込みの張り紙はなかった。招き猫ももっと少なかった。インターネットなどで話が広まり、最近、またニャン公さまは話題になっているのかもしれない。
 奉納された招き猫発祥の地のひとつとされるのが、台東区にある今戸(いまど)神社だ。


 ここの招き猫の由来はこうだ。
 ――幕末、貧しい老婆が愛猫を手放した折、夢枕にその猫が立ち、「自分の姿を人形にすれば福徳を授かる」と告げた。言葉通りに猫を今戸焼で作って売ったところ、たちまち評判になったという。
 境内に入ると、拝殿の巨大招き猫をはじめ、大小さまざまな猫の作り物が目に飛び込んでくる。特に黒猫の形をした如雨露(じょうろ)の数はものすごい。植え込み、社殿の脇、ベンチの横……と、年々数が増えている。
 今戸神社は近年、縁結びの神社として人気があるので、恋が実ったとき、如雨露を奉納するというならわしでもあるのだろうか。

 この今戸神社の猫は夢で主人を助けたが、泥棒をして主人の困窮を救った猫が眠っているのが、墨田区両国の回向院(えこういん)。日本最古の「猫塚」だ。
 塚は既に摩耗して、文字すら定かに読み取れないが、石の下には実際に猫が埋まっているという。

 江戸時代には、この回向院に引っかけた「両国猫う仏施」という物乞いがいた。
 猫の面(目鬘(めかつら))を着けた托鉢僧姿で「にゃんまみ陀仏」と念仏を唱え、鉄鉢代わりの大鮑にお布施を入れると、「おねこ!」と叫んだのちに杖を突き「にゃごにゃごにゃご」とか言ったらしい。
 この愉快な猫坊主のアイディアは、猫塚から得たのかもしれない。
 のちに回向院からの苦情によって禁止されてしまったが、こんな人達が来たら、私も絶対、小銭を入れてしまうだろう。
 回向院は「万霊供養」のお寺なので、無縁仏の供養から動物達まで分け隔てない。
 境内にはペットの供養塔があり、オットセイの供養塔もある。また、奥の墓地には主人と共に愛馬が眠る墓所もある。

 ここは、人の心を癒やすという麗しき霊能を発揮した動物達の憩いの場なのだ。
 しかし。
「あれ? 今日はいないなあ」
 私は周囲を見渡した。
 回向院には生身の猫もいるのだが、その姿が見当たらない。私は妙に寂しくなった。
「ナマ猫がいない……」
 N山氏も悲しそうだった。
 どうやらN山氏の目当ての半分は、ナマ猫にあったようである。
 ――否。「どうやら」ではない。
 N山氏は最初から「猫です」と言っていたではないか。
 霊能動物は伝説の中に存在しているわけではない。私が自分の猫の所行にしょっちゅう
驚いているように、今、我々と共にいる動物達こそ一番の霊能動物なのだ。
 つまり、我々は間違えたのだ。
 猫の霊能を探るなら、行くべきは猫ゆかりの寺社ではなく、猫カフェか猫集会だったのだ!
「……仕方ないから、帰りますかね」
 ナマ猫のご尊顔を拝せぬままに、回向院を去る我々はどことなくテンションが低かった。
 あの小さな体ひとつで、大人ふたりを翻弄するとは、やはり都会最強の霊能動物なのだろう。
 伝説は伝説で愛おしいけど、霊能動物は、特に猫は生身に限る。
 そんなことを思うのは、既に私も完璧にしてやられている証拠だろう。





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