推薦コメントスペシャル対談著者略歴内容紹介
ご購入はこちらpagetop
pagetop
女だけの幸せ

白河 ドキドキしながら拝読させていただきました。読みだしたら止まらなくて、いろいろなことを感じながら最後まで一気に読んでしまいました。

唯川 ありがとうございます。

白河 これは絶対に映画やドラマになるなと思って、俳優は誰がいいだろうとか想像しながら読んだのですが、テーマはDVというとても重いものなんですね。専業主婦である主人公の可穂子が、夫・雄二の凄まじいDVから逃れ、いろいろな人たちとの出会いや支えの中で自立し、自分で人生を選びとっていく ……という物語ですが、なぜ、これを書こうと思われたんですか。

唯川 「男がいる幸せ」というのもあるけど、「男のいない幸せ」を書きたい、というのが始まりですね。そんなとき、女性だけで農家をやっている方たちを紹介する番組をテレビで見て、すごく楽しそうだったんです。みんなすっぴんで、わいわいやりながらご飯を食べて ……。こういう暮らしができたらいいなという気持ちが私自身の根っこにあって、それで、女だけで暮らすという形にもっていくには、どういうパターンがあるのかなといろいろ考えて、DVから始めたらどうだろうと思ったんです。

白河 なるほど。

唯川 とはいえ、今、DVというのは社会問題として大きくなっていて、本もたくさん出ているし、それこそ小説やドラマもたくさんある。今さらという気もしたのですが、DVから「逃げる」ことではなく、「戦う」ことを書きたかったんです。

白河 素晴らしい。

唯川 それこそ、「殺すか殺されるか」というところまで追いつめられるぐらい、自分の人生を懸けて戦う。主人公が自分で男に頼らない人生を見つけていくという形にしたいなと思ったんです。

白河 私がこの小説の中で一番印象に残っているのも、「女だけの幸せ」というセリフなんです。主人公が夫から逃れて、一時的にかくまってくれるシェルターを経て、女性だけの農園「えるあみファーム」に居場所を見つける。そこの主宰者である「裕ママ」には、一度傷ついた女性たちも、またいい人を見つけて幸せになってほしいという願いがあるけれども、それは、再び男に頼るということではないんですよね。この小説でも、可穂子が最後に行きつくところが、いい意味で予想を裏切っていて、とても新しいと思いました。

唯川 ストーリーの中盤はいろいろと迷ったところもありましたが、最初と最後の結末だけは決めていたんです。

白河 結末はここでは言えませんが、本当に衝撃的でした。

唯川 実際には、結婚して幸せという人もたくさんいるし、すべてがノーとは思っていません。そこが難しいところなんですけど、主人公が女性だけの暮らしの中に幸せを見出していくというところには何とかうまく落とせたと思います。

白河 やはり、「女だけの幸せ」というのは重要なキーワードですね。実際にいろいろな方に会われて取材もされたんですか。

唯川 そうですね。それに、本当に今はDVに関する本がずいぶん出ているんです。シェルターについてもいろいろと調べて、一定期間なら無料のところもありますが、民間シェルターの多くは、そこに入るにもお金が要るということを知ったんです。もちろん、全く持っていない場合、生活保護の手続きができますが。

白河 私も知らなかったので、驚きました。DVから逃れてもお金の問題にぶつかるわけですよね。経済問題が大きいということをあらためて感じました。


pagetop
日本女性の地位は意外に低い

唯川 結局この小説の中でも、専業主婦である主人公にとって、経済力を失うということがいかに大変かということなんです。白河さんもご著書の中で、女性が自分で稼ぐ、経済力を持つということの重要性を書かれていますよね。逆に言うと、男性からすると、経済的なものを妻に持たせないということが、自分の支配下に置くうえで重要なんですね。

白河 そういう面は大きいと思います。

唯川 妻が経済的に弱いという状況は海外でも同じなんでしょうか。

白河 やはり国によって違うとは思うんですけど、とにかく日本は、先進国の中でも男女問題に関して遅れているんです。「ジェンダーギャップ指数」という指標があるんですけど、これも二〇一二年は百一位(百三十五カ国中)です。

唯川 そのジェンダーギャップ指数というのは、どういったものなのでしょう?

白河 いろいろな比較の仕方があるんですけど、男女の格差を指数化したもののひとつで、意思決定の場にどれだけ女性が参加しているか、例えば国会議員の数とか、会社の課長以上の数とか地方議員の数とかですね。そして日本の指数ランクは、自由がないといわれているヒジャブやチャドルといった黒いベールを頭にかぶった中東の女性たちとかなり近いんです。だから、私たちはこんなに自由で、好きな服を着ておしゃれをして好きなところに行けるようでいて、実は世界的に見て、日本女性の地位は意外に低いということです。

唯川 なるほど。

白河 今、男子の草食化が進んでいるというようなことが言われていますけれども、一方で、主人公の夫の雄二みたいに暴力で女性を制しようとする男性は少なくなっていない。私がインタビューする20代女性の中にも、恋人から暴力を受ける、いわゆる「デートDV」の被害者は少なくないんです。

唯川 本当ですか? 確かに、この小説を書くにあたって調べてみたら、精神的も含めてですが、六組に一組の妻はDVを受けているというような統計もあったんです。DVをする男性が実際に私の身近にいるわけではないんですけど、そういう衝動を心の中で抑えている人が、表に出ないだけで結構いるのかもしれないですね。

白河 会社でのパワーハラスメントや、今問題になっている体罰、そしていじめも根っこは同じなんですよね。自分より弱い者に対して、暴力を振るったり、理不尽なふるまいをする。

唯川 原因はやはり教育でしょうか。

白河 社会的なストレスもあるかもしれませんが、親の育て方というのは大きいと思いますね。小説の雄二も、親に愛されていないという設定です。でも、雄二の中では、可穂子への愛なんですよね。まさに女子柔道の問題と一緒で、「愛ある体罰」は許されるという論理 ……。

唯川 自分を許すための言い訳が「愛」とか、「おまえのため」という論理に最終的に行きつくというのは、結局どの世界においても、同じなのかもしれません。

白河 私は、小説家の方の書く話というのは、いつも現実を凌駕していると思うんですけど、まさに最近の事件の加害者には、雄二のような人がいますよね。この執拗さ、追い詰めて追い詰めて最後には相手の女性を殺してしまうような心理というのは、女の人にはあまりないように感じるんですけど、この心理の奥底にあるのは何なんでしょう。

唯川 執着心というよりも、妙な自尊心につながっているのかなと思うんです。男性の自尊心って本当に細やかなものだと思うんですけど、だからこそ、そこを傷つけられると本当に深い憎しみを覚えるんでしょうね。


pagetop
女性だけの暮らしへの憧れ

白河 可穂子だけではなく、この小説にはいろいろなケースのDVのほか、ストーカーの話なども出てきますよね。女性たちが追い詰められていく、その恐怖の度合いが激しい分、農園の描写に癒される部分がすごくあります。その振れ幅が大きいのでジェットコースターのようなスリルも感じました。結末を明かせないのが本当に歯がゆいのですが、やはり小説でしか書けない形でそれぞれに決着がつくんですけど、そこは胸がスカッとするものがありました。

唯川 多分、ノンフィクションだと書けないことでも、小説では書けるというのはありますね。

白河 そうだと思います。小説はフィクションなんですけど、逆に書き手の言いたいことがストレートに書かれていて、しかもそれが世の中の現実に一番近いということがあるように思うんです。可穂子を執拗に追い回して、相手が怯えるほど追い詰める雄二の性格設定の恐ろしさ、異様さというのも、本当に真に迫るものがあるし、それと対比するように描かれる女性たちの集まりの癒しの場が、同じ痛みを知っている人たち同士の空間としてリアルに感じられ、とても感動しました。特に、最後の結末部分は、本当に読んでいて爽快だったんですよね。ノンフィクションだと、「これは言えないな」というのが結構あるんですけど、小説を読んでいると、例えばこういうDVものにしても、子育てものにしても、婚活ものにしても、ノンフィクションでは言えないことをズバッと書いてくださるところに本当に痛快感があります。

唯川 そういう意味で、小説は自由に書けるし、一番思っていることをストレートに書ける部分があるんです。女性たちだけの農園、「えるあみファーム」と、後半に出てくる「かたかご農園」も、私が小説の中で現実化したいと思ってきたことです。よく女性って、「年取っても独身だったら一緒に暮らしましょう」なんて言うじゃないですか。私の中にも、そういうものへの憧れがあるんですよね。

白河 実際に、女性だけで暮らしている方たちというのはいらっしゃいます。でも、同じ一軒の家というのは間取りなどいろいろと問題があるようで、私が取材したケースは同じ分譲マンションの別々の部屋を買って鍵を持ちあうという方たちでした。

唯川 楽しそうでしたか。

白河 とても楽しそうでした。みなさん、リタイアされたといってもまだ六十代なので、介護などはまだ切実な問題ではないんです。それでもやはり何かあったときに、常に誰かがいてくれるというのがいいみたいですね。それも、全然べたべたしていないんですよ。普段はむしろ、ボランティアとか地域貢献などでみなさん外へ出るのに忙しいんですね。でも、ちょっと連絡がないなということになると誰かが鍵を開けて様子を見に行くんです。

唯川 やはりそれは、男の世界では成立しないかもしれませんね。

白河 上野千鶴子さんが「選択縁」という言葉を使っていますけど。

唯川 そういう意味でも、人とコミュニケーションを取ることに柔軟な女性の方は強いですね。

白河 男性が女性と一対一で関係を築いていくという文化が日本には乏しいんですよね。今までのシステムだと、それは家庭の中に組み込まれていた部分もあったけれども、それが崩壊してしまったので関係を築けないことのほころびみたいなものがいろいろなところで出てきている。そういう問題の一端もこの小説には描かれているのかなと思います。


pagetop
大切なのは「迷い」と「想像力」

唯川 可穂子もそうなんですけど、女性は自分を責めるんですよね。自分に原因があるんじゃないかって。

白河 DVの女性は特に、自己肯定感が低いんです。それに比べて、加害者側は、葛藤とか迷いがない。自分の楽しいことだけを見つめて、それだけを追っていく。自分の世界を壊させないということですよね。

唯川 人というのは常に迷うものです。何かを言っても、言った瞬間から迷い、葛藤し、だからこそ言葉を探したりコミュニケーションを取ったりしていくと思うんです。でも、自分しか見えていない雄二のような人にはそういう迷いはないだろうし、そのことが怖いんだと思いながら書いていました。

白河 迷いもないし、想像力もない。人を蹴ったら痛いだろうとか、ぶったら痛いだろうということが全然想像できないわけじゃないですか。小説の中でも、雄二はあくまでも可穂子を所有しようとして、一方の女性たちは生きていくために野菜とか、パンとか、自分が食べるものを自分たちの手で作り、人との関係性もしっかり作ってやっていこうとする。暴力性むきだしの夫と楽園のような農園の暮らし、その対比が鮮やかだと感じました。

唯川 男性の側からしたら恐ろしい小説かもしれない(笑)。

白河 いえ、むしろ男の方に読んでもらいたいですね。それに、読む人の中には、DVと気づかずに受けている人もいるかもしれないんです。こういう問題というのは、人から言われて気づくことも多いんです。

唯川 やっている方も分からないんですよね。分からないままでいるから、いつまでも同じことを繰り返す。でも、若い人が読むと絶望するかもしれないですね。

白河 私も普段、お金持ちと結婚して専業主婦になりたいという、頭の中がお花畑になっている女の子たちの夢を打ち砕き、彼女たちが絶望するような現実しか教えていないですけど、それも大事なことなのかもしれません。

唯川 確かに、ころんだり傷ついたりすることはあるけど、大事なのはそこからどう立ちあがっていくかですから。

白河 ここには、立ちあがるときに人の力を借りていいんだよ、ということもたくさん描かれていますよね。それが意外にできない人が多いから、勇気づけられるんじゃないでしょうか。

唯川 可穂子も最初は誰にも言えなくて、外では幸せな結婚生活を装っていますけど、力を貸してくれる人たちと出会って戦っていく。

白河 主人公を支える弁護士の女性なんかもかっこいい。現実社会でも、警察の対応とか、声を上げることに関してはだいぶよくなってきましたけど、まだまだなんですよね。だから、想像力というのは重要です。その意味でも、小説が誰の近くにでも寄っていけるものだということは大きいと思います。やはり想像力のない人が多いし、自分とあまりに違う立場の人のことって想像できないですけど、小説の中では寄り添うことができるじゃないですか。それこそ、遠い国の戦火の中にいる人たちもそうですし、可穂子のような人もそうですし。遠いと思っていても寄り添えるのが小説の力だと思います。

唯川 貴重なお話、ありがとうございました。

構成=八木寧子/撮影=織田桂子

pagetop


pagetop

RENZABURO topへ戻る