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光点 山岡ミヤ

汚れた手で彼に触った、どうしたいのかもわからないまま。漫画家松本大洋氏推薦 素晴らしかったです!久しぶりに本物の文字書きさんの文章を浴びたようでした。ヒリヒリとかっこ良かった。。。。。定価:1,300円(本体)+税 2018年2月5日発売 汚れた手で彼に触った、どうしたいのかもわからないまま。漫画家松本大洋氏推薦 素晴らしかったです!久しぶりに本物の文字書きさんの文章を浴びたようでした。ヒリヒリとかっこ良かった。。。。。

第41回すばる文学賞受賞作品
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あらすじ

工場しかない閉じられた町で暮らす実以子。
中学を卒業して以来、手帳に職場の弁当工場にいく時間を記すだけの日々。
自宅では母親が実以子の持ち帰る匂いに顔をしかめて、娘を追いつめる。
「結局あんたみたいなのが、人に迷惑かけても顔色変えずに生きられるのよね。」(本文より)

ある日実以子は「八つ山」と呼ばれる裏山で、カムトと名乗る青年と出会う。
二人は共に時間を過ごすようになり、それは行き場のない者どうしのささやかな交流であったはずが…

母のいらだち、父の無関心、遠ざけられた現実――
不穏な日常をふりきり、二人が求めた光点とは。

光点

光点
山岡ミヤ
定価:1,300円(本体)+税
2018年2月5日発売
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四六判ハードカバー 136ページ
装画 松本峻介「橋(東京駅裏)」(神奈川県立美術館蔵)
装幀 名久井直子

著者略歴

山岡ミヤ(やまおか・みや)
1985年神奈川県生まれ。法政大学社会学部卒業。2007年、「魚は水の中」で第二四回織田作之助賞〈青春賞〉佳作(別名義)。2017年、本作で第四一回すばる文学賞を受賞。

山岡ミヤさん

第41回すばる文学賞対談

山岡ミヤ × 奥泉光 「たくらみ」のある小説の魅力

第41回すばる文学賞を受賞した、山岡ミヤさんの『光点』の主人公は、弁当工場で働きながら、感覚が麻痺したような日々を送る「わたし」。母親も問題を抱え、その鬱屈を娘の「わたし」に向け、言葉の暴力で追い詰めていく。それを見て見ぬふりをする父親。「わたし」が偶然出会った男もまた、暗い過去を封印している……。
この作品の魅力を「目に見えないたくらみ」があると評する選考委員の奥泉光さんをお招きし、受賞理由を含め、小説を書くこと、書き続けることについて、山岡さんとお話しいただきました。

構成=宮内千和子/撮影=chihiro.

あえて既視感のある素材で

奥泉 まずは受賞おめでとうございます。

山岡 ありがとうございます。授賞式の時の奥泉さんのスピーチ、感動しました。まだ何物でもない私の作品を私以上に読み込んで、すくい取ってくださったことに、すごく感激しています。

奥泉 公募の新人賞を審査するときは、自分の好みは、一応括弧に入れて考えるんです。とはいうものの、こういう作品が来てほしいというのは当然ある。僕はどちらかといえば、過剰であったり、小説的な狙いやたくらみが見えやすいものを推す傾向があります。その中で新しいことをやろうとしているなら、少々破綻していても構わないと思っています。

 ところが、山岡さんの『光点』は、そういう作品ではない。僕が従来推しているような作品とはタイプが違うんです。過剰というよりはむしろ静謐(せいひつ)であるし、小説の設定や物語の主人公も既視感があって、悪く言えばありふれている。新しさはあまりない。にもかかわらず、今回僕が強くこの作品を推したのは、はっきりとは目に見えない細かいたくらみや工夫や狙いが随所に秘められていて、その積み重ねが作品の印象を鮮やかなものにしているのではないかと思ったからです。言葉の積み重ねの中にある厚みというか、ある種の艶(つや)のようなものですね。同じ選考委員の江國香織さんは、それを「気配」という言葉で表しましたけど、そういうものは小説を書く上でとても重要なことなんですね。

山岡 ありがとうございます。今おっしゃってくださったことの答えになるかどうかわからないんですが、この作品を公募新人賞に出すことは、私にとって一種の賭けのようなものでした。賭けというと語弊があるんですが、実際、今、奥泉さんが言われたように『光点』の世界や物語、登場人物、どれをとっても似たような既存のものが世の中にあふれかえっている。新しいものは何もない。でも、新しさがないということはもう私の中ではわかっていて、むしろ新しい素材をまったく使わずに、その中で何ができるか試してみたかった。それが今回の作品だったということなんです。賭けというのはそういう意味で、ありふれたモチーフとして一次予選で落とされるかもしれないと思っていました。

奥泉 ほお。あえて既視感のある素材を使ったということね。

山岡 ええ。みなさんは多分新しい素材を見つけて書かれるだろうし、そういうものを面白く書ける作家さんもいっぱいいる。でも今の私は何物でもない。何物でもない私がそういう方たちと肩を並べても多分勝負できないだろう。だとしたら、鬱屈した登場人物たち、信仰や祈りといったよくあるモチーフを使いつつ、どこにもカテゴライズできないようなものが書けないかと思ったんですね。

高校生で小説家宣言

奥泉 そうすると、書いたらこういうのが書けちゃった、というのでは全然ないんですね。僕がデビューしたときは、とにかく何か書いてみたらこういうものができたみたいな感じだったけど、そうではなく、こういうものを書きたいというのが最初からあったわけですね。ということは、これまでもいろんなものを書いていたんですか?

山岡 はい、いろんなものを書いています。じつは今回の『光点』の原形は、二〇歳のときにできていました。それから十数年経って、去年突然、この作品の登場人物たちが頭の中で動き出したんです。それで推敲に推敲を重ねて、原形からはだいぶ違う作品になりましたが、それを応募したんです。書き溜めている中にはこういう作品もあるし、まったく違うばかばかしいお話もあります。

奥泉 そうなんだ。

山岡 その中からたまたま『光点』を見つけていただいて、すくい取っていただけた。違う作品を出していたら、多分今ここにはいないので、これを出して本当によかったなと思います(笑)。

奥泉 そうですか。今までほかに活字になったり、発表したものはあるんですか?

山岡 詩は『ユリイカ』と『現代詩手帖』に一年間ぐらい投稿していたときに何回か載せていただいて。小説に関しては、書き始めのころに大阪の織田作之助賞の青春賞に応募して、そのときに佳作に選ばれて。

奥泉 織田作之助賞の佳作に入っていたんだ。じゃあ、すごく早い時期から小説家になろうとしていたわけですね。

山岡 そこまで明確な目標としてあったわけではないんですけど……。小さいころから絵を描いたり、小説を読んだりするのが好きでしたが、小説家というのは夢のような職業で、誰にでもなれるものではないという感じはずっとありました。でも、高校生のときに大学の進路指導の先生に、「ミヤさん、将来何になりたいの?」と言われて、思わず「小説を書きたいです」と言ってしまったんです。そのころ、そんなにたくさん小説を書いていたわけでもないのに……。

奥泉 でも書き始めてはいたんですね。

山岡 ええ、男の子が三人出てきて自転車に乗る青春の話とか書いていました。

奥泉 へえ、もう高校生ぐらいから小説家だったんだ(笑)。

山岡 そんな……まだまだすごく未熟で。勢いで言っちゃっただけです。

小説家的スタンスとは

奥泉 なぜそういう話をするかというと、僕は昔、小説を書く人間が小説家だとあたり前に思っていたんです。僕は二〇代後半から小説を書き始めましたが、最初の小説の書き出しの一行目はほとんどカフカの引用でした。他人の言葉を一行書いてからでないと、自分の言葉がスタートできないと感じていた。で、そうやって書き出して、書いていくなかで自分は小説家になったんだと思っていた。でもね、最近考えが変わったのね。じつは、小説を書く前に自分は小説家になっていたのではないかという気がしているんです。

山岡 小説を書く前にすでに小説家だった。すごく格好いいですね。

奥泉 それはどういうことかというと、小説家というスタンスをとって世界と関係する、そういうスタンスを自分はそのときとり始めていたんじゃないかと今にして思うんですね。昔はそういうことをまったく考えてなくて、小説を書いた人間が小説家だと思っていたけど、そうじゃないかもしれないと思うようになってきた。

山岡 小説家的スタンスって、どういうものでしょうか。すごく興味あります。

奥泉 それは非常に説明が難しいんだけど、一種の末(まつ)期(ご)の眼(め)のようなもの。大げさに言えば、死んだ人間がこの世界を見ているというようなスタンスかな。そういう態度は社会人としてはよくないわけだけど、社会人としてちゃんと暮らしていこうと思っている自分とは違う、この世界からある種離脱してしまった、そういうスタンスのとり方といえばいいのかな。僕はね、山岡さんの『光点』を読むと、何かそういう雰囲気を強く感じるんですよ。小説の中の対象物、創造されたイメージを言語化していくときの粘り強さ、あるいは自分がイメージしたものを粘り強く見るといった、作家として必須の技術もあるように思えました。

山岡 対象物を見る目があるんじゃないかとおっしゃってくださったのは、すごくうれしいです。私自身、自分の作品の感想って言語化できないんじゃないかと思っていたんです。それを細かいところまで丁寧に読んでいただいて、いろいろな視点から言葉にして評価してくださったのは、もう感謝しかないです。

奥泉 まあ、新人賞の選考委員は丁寧に読みますからね。でも今後難しいのは、一般読者はそんなに丁寧に読まないですよ。けっこういいかげんに読んだりするわけです。さささっと読んじゃう。小説というのは丁寧に読まないとだめなんだけれど、必ずしもそういうふうに読まれるとは限らない。これはもうどんな作家も抱えている問題で、いずれ山岡さんもそういう問題に直面するかもしれない。

山岡 はい、そうですね。この先は一読しただけですーっと入っていけるようなものも書いていきたいという思いもあります。ただ、あっちでこう言われたからこう直そう、こっちでこう言われたからこう書こうというふうにはしたくないですね。そんなふうにブレていたら、たぶん一年後にはいなくなっている気がします。だから自分が書きたいものはちゃんと見定めていたいと……。

小説のたくらみ方

奥泉 ちょっと話を変えると、山岡さんはエッセイも書かれたでしょう。作家というのは、エッセイと小説がまったく質が異なるタイプと、あまり変わらないというツータイプに分かれるんですよ。それでいうと、山岡さんは後者の、エッセイを書いても小説を書いても質が同じというタイプですね。つまり、小説もエッセイも、テンションとか文章の質感とか全体の雰囲気があまり変わらない。僕なんかはまったく違うタイプなんだけど。

山岡 ああ、はい。そうかもしれません。

奥泉 これは文章を書くときの、たくらみの仕方の違いだと思うんですよ。山岡さんは、エッセイを書くときも小説を書くときも、質の変わらないたくらみをするタイプだなと思いました。

山岡 ありがとうございます。書くものに関しては、どんなものでもテンションやスタンスは変わらないかもしれません。

奥泉 うん。エッセイを読むと、何かたくらみがたくさんありげに書いてある(笑)。

山岡 たくらみ、いっぱいあります(笑)。それが伝わればいいなと思って書いたので、ちょっとうれしいです。

奥泉 じゃあ、こういうことをやってみようかなということは、現在もたくさんあるわけですね?

山岡 あります。たとえば『光点』の実以子という主人公は、一見何を考えているのかわからない、感情を出しそうな場面でも押しとどめて出さないという形で書きました。でも、今書いているものでは、感情を押しとどめず、噴き出させるという形で書いていくということをやっています。

 先ほどの小説のたくらみの話で思い出したんですけど、奥泉さんの小説『三つ目の鯰』の中には印象的な釣りのシーンが前半と後半に二回出てきて、「ポテト団子にする?」という同じ会話が出てきますよね。すごく好きな小説なんですが、私はとくにそこがすばらしいなと感じたんです。そういうリフレインが効果的に出てくるものって、映画でも小説でもすごく好きだし、いい作品にはそういうたくらみが随所にあるなって思うんです。

今は九回裏満塁のピンチ

奥泉 『三つ目の鯰』は一人称で書いているんだけど、人称の問題はどうですか?

山岡 フローベールの『ボヴァリー夫人』は、冒頭の人称から変わっていったり、そういうのはすごく面白いです。奥泉さんの『シューマンの指』も、最初は手紙だったのが、次に行くと、あれ、これは誰が語っているんだろうと違う人物になっていたりする。そういう仕掛けは刺激的ですね。人称が章ごとに変わっていく形も今ちょっと考えているし、前に二人称というのも試したことがあります。

奥泉 うまくいきましたか?

山岡 いや、失敗しました(笑)。

奥泉 でしょう。二人称でうまくいった作品ってほとんど見たことないですね。みんな一回はやってみたいと思って失敗する(笑)。でも、いろいろ実験してみるのはいいですよ。今も違う作品を書いているんですか。

山岡 はい、全然違うタイプのものを三つ、並行して書いているんですけど。

奥泉 それはすごいな(笑)。でもね、これからが大変ですよ。すばる文学賞をとってチャンスをつかんだと思っているかもしれないけど、じつは大変なピンチなんですよ。

山岡 はい。それは肝に銘じて……。

奥泉 野球でいえば、チームが九回表に一点取って一対ゼロで迎えた九回の裏にマウンドに立ったら、いきなりノーアウト満塁だったみたいなね(笑)。そこで三人抑えなきゃいけないというところですね。ほんとにそのくらいのピンチなんですよ、今。

山岡 うわ。かなりのピンチ。どうしよう。

奥泉 唯一アドバイスすれば、ここから二、三年は無茶苦茶書かないとだめ。五年くらいそれでやれたら余裕が出ます。

山岡 はい。頑張って書きます。

奥泉 でも、もうずいぶんおやりになっているし、やれそうだなと思います。九回裏のピンチ、抑えてください(笑)。

(「青春と読書」2018年2月号より)

※「青春と読書」2018年1月号

奥泉光さん

奥泉光 おくいずみ・ひかる
作家。1956年山形県生まれ。著書『ノヴァーリスの引用』(野間文芸新人賞・瞠目反文学賞)『石の来歴』(芥川賞)『鳥類学者のファンタジア』『神器 軍艦「橿原」殺人事件』(野間文芸賞)『虫樹音楽集』『東京自叙伝』等多数。

書店員さんより

  • 他人に人格を傷つけられるより、家族に傷つけられるほうがずっとつらい。

    ジュンク堂書店三宮店 三瓶ひとみさん
  • 救いなんて簡単には転がっていないけれど、それを気づかせてくれるのはやっぱり人ではないのかなと思いました。

    喜久屋書店阿倍野店 市岡陽子さん
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    三省堂書店営業企画室 内田剛さん
  • ループ状の薄暗い洞窟を彷徨っている様な暮らしぶりの実以子。果たされない輪廻転生を待ち続けるカムト。二人の邂逅にランタンの光は何を灯そうというのか?
    行間に情感溢れる名作の誕生。

    大垣書店高槻店 井上哲也さん
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