蠕動で渉れ、汚泥の川を 西村賢太 RENZABURO
白衣を着てコック帽をかぶった北町貫多は、はじめての飲食店でのアルバイトにひそかな期待を抱いていた。
日払いから月払いへ、そしてまっとうな生活へと己を変えて、ついでに恋人も……。
労働、肉欲、そして文学への思い。善だの悪だのを超越した貫多17歳の“生きるため”の行状記!
西村賢太さん×六角精児さんトークショー

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刊行記念特別対談
 山本周五郎賞ご受賞、おめでとうございます。
  ありがとうございます。
 たまたまこの日程になったんですが、受賞決定の翌日にこうして対談をご一緒できるとは光栄の至りです。
  この間、初めてお会いしたのは一月の末でしたよね。テレビ番組(『ナカイの窓』〈日本テレビ〉二月一七日放送)の収録でご一緒させていただいて。西村さん、石田衣良さん、山口恵以子さんらと、作家の生活を赤裸々に語る、みたいな番組でしたけど、収録以来、私はいろんな人に「西村さん大好き」ばかり言っていて……(笑)。
 おや、うれしい。でも、それはまたどうして? ルックス?(笑)
  西村さんって、トークですごく笑いをとっていても、それは自分のことでみんなを笑わせてくれているのであって、絶対に人の悪口とかは言わないじゃないですか。安易にウケ狙いとかはなさらない、本当にいいかただなと思って。
 それ、失礼ながら大間違いですよ(笑)。僕ぐらい人間性の悪いやつはいないから。いやあ、しかし人様って、どう見てくれているか分からないものですなあ。ああいった場で、もの書き風情が何か面白いこと言おうと思って躍起になってる図ほど見苦しいものはねえから、極力置き物然として、当たりさわりのないニコニコ顔の擬態を通しているだけなんですがね。
  拝見していて、やはり西村さんは私小説を書かれているから、自分の表現の仕方であったり、ここは守らなきゃというところが、キチンとされているのかなと思いました。それ以前に、西村さんの印象が私の中でビビっと上がったことがあるんです。何年か前、クイズ番組に西村さんが出られて、「湊かなえ」が正解の問題に、「湊かなえさん!」とお答えになったんですよ。さん付けで、しかも、西村さん、私のことを知ってくれているんだ! と。
 そう言われれば、そんなこともあったような……ご覧になってたんですか。
  はい。すごくうれしかったし、ああ、いいかたなんだな、と。丁寧に「さん」まで付けてくださって、と……。
 大ベストセラー『告白』(〇八年、双葉社。現・双葉文庫)を書かれたかただから、知っていたのは当然というか……それに僕は、こう見えてわりと育ちがいいんでね(笑)、現存の尊敬するかたには「さん」付けです。むしろ僕のほうこそあの収録のときには、大変なミリオンセラー作家なのに、湊さんってどうしてこんなに腰が低いんだろう、と驚きました。初対面時のお言葉一つにしても心がこもっていて……さぞや根が苦労人にできてるかたなんだと感じ入りましたね。
  あのトークの際に西村さんは、締め切りなんて守らなくてもいいんだみたいな話をされて、私はかなり生意気なことを言いましたよね。大人なので締め切りは守りましょう、みたいな(笑)。でも、西村さんが『野性時代』で連載している日記(「一私小説書きの日乗」。六月に同『遥道の章』が刊行。角川書店)を拝読すると、夜遅くまでかかって原稿を仕上げて、ちゃんとファックスで送って、すごくきっちり締め切りを守っていらっしゃる。ああ、失礼なことを言ってしまったなあと思って。
 いやいや、湊さんは何ひとつ間違ったことは言ってません。それに僕、自分の小説中にも書いていることなんですが、基本的にはああいうテレビとかインタビューの場、つまり自作以外の場でいちいち本音は洩らしません。それほど耄碌はしてねえよ、というスタンスで。けど、事実原稿を送っている点に関してだけは、大抵は締め切り日を過ぎたあとのことですから。
  えっ……。そうなんですか……。でも、この間は私の『望郷』(文春文庫)を読んだと日記に書いてくださっていたので、うれしかったです。あっ、読んでくださったんだって。  
 『野性時代』の、あの誰も読んでねえ日記にお目を通してくだすっているなんて……お忙しいのによくそんな暇ありますね。
  だって、何か楽しいですもの。


  『蠕動で渉れ、汚泥の川を』(集英社刊)、大変面白く読ませていただきました。
 いやあ、ありがとうございます。あれもいつもの如くの失敗作です(笑)。
  私、ずっと、貫多頑張れ、頑張れ貫多と思いながら読みました。西村さんのほかの作品も読ませていただいているし、西村さんは私小説を書かれていて、「貫多=賢太」と思って読む部分がありますし、日記を拝読してるので、何だか以前から知っている人のような気分もあって……。『蠕動〜』は昭和五九年(一九八四年)、貫多十七歳のときのエピソードですよね。中学卒業後、貫多はアパートでひとり暮らしして、洋食屋さんのアルバイトを始めて、それまでうまく行かなかった自分の生活を、立て直そうとする。でも、家賃滞納でアパートを夜逃げしたり、洋食店に置いてある募金箱から小銭をくすねたり……。店の屋根裏部屋で寝起きすることになって、「貫多、住み込み大丈夫かな」とか、「あっ、ついに店のビールに手をつけて、こっそり晩酌するようになってしまったか」とか、ハラハラして読みました。店長の浜岡からは殴られるし……。だけどずっと、「貫多、あなたは大丈夫だから」と言ってあげたい気持ちでした。
    私は小説家になる前、高校に講師に行っていたりして、十七歳の子たちと接することも多かったんです。そういうなかで、「これに出会えてよかったね」というものに出会える子と、なかなか出会えない子がいるんじゃないかなとか、いろいろ思うことがありました。昔なら、努力と根性でスポーツ選手になれたり、そんな一発逆転の人生がありそうに見えた。でも今って、そういう世界にも英才教育があったりして。じゃあ、一発逆転できる職業って何なんだろうと思ったら、それはもしかしたら、小説家なのかな……とも。私の場合、本があって人生救われたこともあるし、小説を書くことで自分の世界を表現することができたり、自分を知ってもらうことができたり、自分の半生を振り返れたり。私小説だから、きっと貫多は西村さんで、と思ったときに、ああ、小説というものに出会えて貫多は本当によかったなと思って。なので少し安心して読める部分もあり、「貫多は小銭盗んでいるけど大丈夫、まだ貫多は大丈夫」と……。やっぱり一つ自分の世界とか、西村さんは藤澤清造さんの「歿後弟子」を任じていらっしゃいますが、そういう尊敬できる人にめぐり合えるのって、とても大切なことですよね。そういうものに出会えた西村さんが、すごくうらやましいです。
 「一発逆転」……湊さんほどのかたがおっしゃる分には、説得力のある言葉だと思います。でも、たしかに小説書いて成功するとか多少売れるとかそういうことじゃなく、湊さんが言うように、ただ読むことだけでも精神的にはかなりの挽回ができるし、売れなくても、書いていることによって少しは吐き出せるという、そういうものはあるんだなと思いますね。


  西村さんの本を読んでいると、自分が書いているエンタメの舞台と全く違うのに、世界観とかどこかに共通するものがあって……。それは人の嫌らしさや弱さだったり、ダメ人間を頑張れよって応援したくなる心理だったり、欠けているもの同士を補ってみんな生きてるんだろうなという認識だったり……勉強になることがたくさんあって。貫多が小説に出会えてよかったと、そのように人の生き方について考えるときに、やっぱり自分も小説に出会えてよかったのかな……と。
 うちは以前、父親が因島の造船会社に勤めていたんですが、造船不況で会社が閉鎖。祖父母と母がみかん農家をしていたのでその収入はあったのですが、今度は牛肉・オレンジ自由化が来て、一気に家が貧乏に。その頃を私は、本を読んで乗り越えていったのかな、と今になって思います。やっぱり本に出会えてよかったな──貫多を追いかけながら、痛感しました。
 だから西村さんの貫多シリーズを読んでいて、もっと本を読んでみようかとか、地に足つけて、向き合える何かを見つけてみようとか、思う人もたくさんいるんじゃないでしょうか。貫多は小銭盗んだり──さっきから小銭盗んだばっかり言ってるけど(笑)──そういうところを見ながらも、貫多にいろいろ教えてもらえる。『蠕動〜』の時期の貫多はだめだけど、でも西村さんは結局、必要なものを見つけていったんだということを、すごく教えてくれる。
 教えてくれるって、それはまずないと思いますよ、僕の手クセの悪いのは、持って生まれた病気みたいなものだし(笑)。けど、そういうふうに読んでくださったかたがいるのはありがたい。間違いなく湊さんだけだと思うんですけどね。文芸評論家とか、新聞の文芸記者なんかは馬鹿だから、その辺りには一生気付けない。まあ、いいんだけどね……どうです、人格劣悪でしょう(笑)。



  作中に、十七歳としてはダメだけど、人間としてまだダメと決まったわけじゃない、みたいな言葉がありました。
「確かに貫多は、中学卒業時点で学歴社会の落伍者としての烙印を押されはしたが、けれどまだ人生の落伍者までには至っていない」とか、「凡百の、ただの落伍者では終わらせぬ道もあるはずだ」とか、「〈青春の落伍者〉にはなりつつあるが、しかしながら、まだ〈人生の落伍者〉には至っていないのだ」とか。すごく響きました。このごろは高校生とか、一回の失敗で人生終わったかのように受け取る子が少なくないんだけど、「そうじゃないんだよ、これは〝今年の失敗〟に過ぎないんだよ」と言ってあげたくなる。
 そうそう。今年の失敗、今月の挫折。
  人間においての挫折じゃないんだって。そうだよ貫多、それだよって。
 いやあ、そんなスカしたこと書いたかなあ。
  うん。これは十七歳の貫多の話だけど、その十七歳の貫多の話を、十代の人にぜひ読んでもらいたいなと。
 それ、ぜひともあちこちで言ってくださいよ(笑)。
  学校の中でうまくいかないと、世の中でもうまくいかないだろうみたいに思ってしまう子って、いっぱいいます。それは十七歳では残念なことにはなってるけど、人間としてではないんだ──そんな貫多の思いを読んで、ぜひ線を引いてほしい。栞をはさんでおいてほしいです。
 僕、または貫多の場合、十一のときに家が瓦解しているわけですわね、父親の性犯罪で。それは僕や貫多のせいではまったくないんだけれど、それでも石もて追われるように、母、姉と夜逃げしなくてはいけなかった。そんなんで中学入ってもいつも絶えず引け目があるし、勉強にも全然ついていけない。もうね、落ちこぼれたことをいちいち気にしていたら生きていけなくなるぐらいの、ケタ外れの落ちこぼれでした。その辺になると、完全に自分のイジケ根性が原因の、自業自得のことに過ぎねえんですがね。でも、そのイジケ根性を自分でも持て余してたからこそ逆に意地も生まれて、無理にでもね、今の挫折は人生そのものの挫折ではない、という考え方になったんでしょうね。湊さんみたいな読み巧者は、そこまで読んでくださるんですよ。
 ところでそんな貫多は、『蠕動〜』中で、店に置いてある女性アルバイトのキュロットスカートの股間部のにおいを、こっそり嗅いだりしている。ああいうのは許せる話ですか?(笑)
  そのにおいがひどくて、給料もらったら彼氏のために新しいショーツ買えとか、余計なことを……(笑)。
 そこは、少しは貫多の思いやりでもあるんですよ。今のままだと彼氏に嫌われちゃうよと(笑)。まあ、いわゆる上から目線ってやつですがね。その女は国立大で近代文学を勉強している。さっきのと同じ理屈で、貫多としては無理にでもそこで上から目線にならないと、自分のプライドが保てないんでしょうね。野暮な野郎だ。
  貫多はその彼女に告白したりしたわけでもないのに、彼女は仕事の合間の雑談で、私の彼氏も小田和正が好きなんです、などと言う。これ、「私には彼氏がいるんだから、ヘンな色目は使わないでよね」という、貫多への牽制ですよね。ああ、こういう女いるいるって思いました。「私の彼氏がね」みたいな「彼氏いるアピール」って、むっちゃ腹立つことがある(笑)。男性は、何言ってるんだこいつと思うでしょうし。私も振り返ればそういう同性の知り合いがいて、話の流れに関係なく唐突に「私の彼氏、小田和正の音楽が好きでね」……その子に対して、そのときは別に嫌という気持ちをぶつけたり、悪口とかも言わなかったけど、そのぶん、『蠕動〜』で貫多がめっちゃ言うてくれてるわけじゃないですか(笑)。痛快です。
撮影/中野義樹


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