著者インタビュー 金原ひとみ

「心の平穏」を求める難しさと切実さ

由依(ゆい)はパリで暮らしていたときに知り合ったフレンチ・レストランのオーナーシェフ、瑛人(えいと)とつき合っている。だが、彼女には小説家の夫、桂(けい)がいた。桂は妻に強く惹かれながら、どうしたら彼女が幸せになるのか、ずっとわからないまま過ごしてきた。そして由依の友人、真奈美(まなみ)は暴力を振るう夫との関係に疲れ、不倫でその不満を発散させている……。
『アタラクシア』は心の平穏を求めながら、欲望に振り回され、手探りで生きる人々の姿を、解像度高く描き出した長篇小説。昨年、パリから東京に戻った金原ひとみさんの東京発第一作でもある。金原さんはなぜ、いま、この日本で『アタラクシア』を生み出したのだろうか。

聞き手・構成=タカザワケンジ
撮影=三山エリ

時空がゆがむような感覚を味わう
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『アタラクシア』は二十代から三十代の男女を描いた群像劇です。どのように着想されたのでしょうか。

金原

いつもは「これが書きたい」という核を見つけてから取りかかるのですが、今回は、明確なプロットはもちろん、ラストシーンも思い浮かんでいない状態で書き始めました。もやもやしたものが立ち上がってきて、それを少しずつ、少しずつ形にしていくという書き方でした。

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『アタラクシア』というタイトルはすぐに思いついたのですか。

金原

仮のタイトルとしてつけていて、後で変えるんだろうなと思っていたんですけど、考えれば考えるほど『アタラクシア』がいいんじゃないかという気がしてきて、結局、そのままにしました。

アタラクシアという言葉は古代ギリシアの哲学者、エピクロスの考え方で「心の平穏」の意味。快楽主義的に解釈されることが多いんですが、本来は欲望を絶って禁欲的に平穏を目指すことなんです。いま、心が穏やかな状態ってどんなに求めても手に入らない世の中になりつつあるんじゃないかという気がしています。平穏を求めながら、なかなかそこにたどり着けない。むしろ遠ざかっていってしまう。書き終えてみたら、そういう人たちを書いた小説になっていました。

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主人公の一人である由依は独特の行動原理を持っていて、他人に惑わされない。「アタラクシア」の境地に近い部分がありますね。一方、周囲の人々は欲望に振り回されていて、由依を異物として非難したり、嫉妬したりします。ただ、由依にも人には明かしたことがない過去があることがわかってきて、印象がまた変わるのですが。

金原

人のことってわからないな、と、ここ数年実感することが多かったんです。親しくなった人に、意外な過去があったり、表面からはわからない問題を抱えていることを知ったりする機会が多くて。そういうときに、いままで知っていたその人と少しブレた像が見えてきて、時空がゆがむような感覚を味わうこともありました。本人たちは必死に平穏な状態を求めていても、ものすごい台風に巻き込まれてしまうようなことがあったり、過去にあった出来事の影響で、いまこういう生活を目指しているんだとか。いろいろなことが複合的に組み合わされて一人の人間ができているんだなと思いますね。

モラルは外部化するしかない
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物語は登場人物たちの一人称がリレーされていく形式で描かれています。一人目は由依です。感情のままに動く自由さと同時に、ひんやりとした冷静さがある人物です。とくに冷静さという点で、これまで金原さんの主人公たちにはあまり見ないタイプなのかな、と。

金原

そうですね。それは私自身がフランスに暮らしていたときに感じていたものが反映されているんだろうと思います。

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金原さんは昨年の夏まで六年間、パリに住んでいたんですよね。

金原

ええ。日本にいたときは、政治だったり、差別であったり、いろいろなことに対して怒りを感じていたんですけど、フランスではそういうものが一切失われて、何があっても「ふーん」くらいの冷めた反応になってしまったんです。言葉の壁や社会システムの違いが大きくて、いちいち憤っていられないくらい大変だったというのもあるし、外国人であるということで他者との断絶を強く感じてしまったという理由もあったと思います。冷めてしまったというか、諸行無常みたいな気持ちで生きていた。そういう平坦な気持ちが由依には反映されたんだろうなと思います。

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なるほど。対照的に、由依の次に語り手として登場する英美はとにかく憤っていますね。見るもの、触れるものすべてに怒るという感じで。

金原

私自身は冷めていたんですけど、周りには怒っている人たちがいたんですよね。そういう人たちの話を聞くたびに、抑圧されている人間の言葉というものもちゃんと拾い上げたいと思ったんです。英美は夫が浮気を繰り返し、同居している実母とは折り合いが悪い。逃げられない状況の中で生きていて、完全に行き詰まってしまった状態。こういう逃げ場のない女性が、私くらいの年代に多いなと実感しています。

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次に語り手となるのが真奈美です。由依の仕事仲間であり、友人でもある。真奈美は暴力を振るう夫に不満があるけれど、子供がいることもあって別れられない。その不満を会社の同僚の荒木との不倫で解消して心の安定を保っています。でも、不倫をしている由依に対して、良心がない、善悪の物差しがないと批判的に見ています。

金原

真奈美自身の中に、自分自身の行為を受け入れがたい部分と、こうせざるを得なかったという葛藤がありますよね。由依との会話の中で、真奈美の人となりが見えてくるところが面白いんです。私の友達にも、自分も不倫しているのに他人の不倫に対して厳しい人がいます。どの口が、と思わず笑ってしまうんですが、恋愛におけるモラルというのは個人差が激しく、自己正当化しやすいんだなと気付かされました。

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真奈美の批判に対して由依は「結局モラルを人の心の中に求めるのは不可能だから、モラルを外部化しようって流れの方が主流だと思うよ」と反論します。日本では不倫バッシングが激しいですけど、他人の色恋沙汰をなぜあそこまで過激な言葉で叩くのか、不思議ですよね。

金原

日本の不倫バッシングは、ただのいじめですよね。フランスに暮らしているといろんな宗教の人がいて、一夫多妻制の国の人なども身近に生活しています。そういう社会において、モラルとしてこれが唯一正しいみたいなことは言えない。いろいろな出自があって、さまざまな文化があって、その中で守られているものと阻害されているものとがある。そういう自分とは違う価値観を持った人々と共存する力が、日本にいると培われにくく、結果、排除、いじめになってしまうのだと思います。

わかり合えなさが救いになる
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男性では、由依の夫の桂と、恋人の瑛人が語り手として登場します。桂は非モテ系で、同じような非モテ系の男の人の欲望を満足させる小説を書いているという自己認識を持つ作家です。尾行癖もあります。

金原

『アタラクシア』では、それぞれ変態性を持った人たちを書きたいと思っていました。その中でも桂は象徴的にわかりやすく変な人なんですよね。でも、私は桂に対して、すごく愛しい気持ちがあります。

——

由依の妹の枝里(えり)は「彼はなかなかいい男だ」と思っていますよね。「まあでも見た目的にはもちろんNOPE」とすぐに続けるんですけど。

金原

桂は卑しさがないんです。何の責任感もなく、モラルもなく、ただ個として存在しています。そういう潔さを書きたいと思いました。最近は父権的なものの力が薄まってきて、父として、夫として、といった役割を果たそうとしなくても、それぞれが満足した状態であれば夫婦も家庭も成立するということがわかってきた。父も母も親も子も、女も男も、これまでのような役割を押しつけられることが減りつつあって、その中で個人的な性癖を温存させながら人と関わっていくことが可能になってきたんじゃないでしょうか。由衣と桂は、こういう夫じゃなくちゃ、こういう妻じゃなくちゃ、といった定型化したイメージをそれぞれが無視している夫婦なんだなと思います。

——

二人は他人から見ると不思議な夫婦なんですけど、それなりに機能している。でも、由依はもう一人の男性、瑛人と恋愛関係にあります。瑛人は桂と違って見た目もよく、一般的な意味でいい男ですよね。

金原

フラットでいい人という感じですね。

——

瑛人と由依で印象的だったのは、由依はいま好きだということだけでいいんだけど、瑛人のほうは、自分の過去を語って、丸ごと受け入れてほしいと思っている。それに対して由依は壁を感じる。このすれ違いは興味深かったですね。

金原

過去を話しておかないと、というこだわりのある人って意外と多いですよね。別にそんなの知らなくていいのに。

——

しかも、自分の過去を話したい人って、相手が過去を話し始めると引いたりする。その機微がとてもうまく書かれている。

金原

めんどくさいですよね、そういう人って(笑)。桂と由依は話が一方通行でかみ合わないというところはあるんですけど、過去にこだわらずいまの瞬間瞬間を生きているという点では似通ったところがあると思うんです。人間関係を築く上でその一致は大事なんじゃないでしょうか。話が合うとか趣味が合うということよりも、現在・過去・未来のどこに意味を見出しているか。そういうところが一致しているだけで意外とつながれたりとか、うまくやれたりするのかなと。

——

たしかにそうですね。そこで、じゃあ、由依はなぜ瑛人と恋愛をしているのかが謎として浮上してくる。由依は瑛人とはわかり合える部分があって恋愛関係になった。でも桂とは一緒に暮らせるけど、恋愛にはならない。その違いって何なのか、と。

金原

由依と瑛人には「わかる、わかる、そうだよね、話が合うじゃん」というつながる喜びがあるけど、そのときに話した内容は記憶に残らなかったりすると思うんですよ。桂と由依のほうは、わかり合えなさとか、通じなさが前提となっている関係なんですよね。人と長くつき合っていくということは、この人と私はこういうところが違うとか、こういうところがわかり合えないとか、わかり合えなさの輪郭をたどるみたいなことなのかなと思うんです。無理やり溝を埋めようとするより、溝があるままどうやって一緒に生きていくかを考えないとうまくいかないんじゃないかなと。ディスコミュニケーションがかえって救いになることがあると思うんですよ。

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溝があって当たり前、ということを認め合う関係のほうがいいと。

金原

私自身が夫婦生活でわかり合えなさに救われることがあるんです。うちの旦那は私と正反対のタイプで、私が憂鬱だったりすると「水を浴びるといいよ」みたいなことを言うんですよ(笑)。旦那は毎朝シャワーを浴びた後に絶叫しながら水を浴びる習慣があって、「何で声を上げるの?」と聞いたら、冷た過ぎて声を上げないと耐えられないって。

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フィジカルに解決しては、という提案なんですね(笑)。

金原

私が鬱っぽくなると、「走ったら」とか、「一緒に合気道に行く?」とか、もう全くわかってくれない。でも後で考えると、一緒に暮らしている人から憂鬱な気持ちを完全に無視されることで、何となく憂鬱が晴れていったりもするんです。反対に、わかってくれる男性だと、かえってお互いに落ち込んで共倒れしちゃうことも多いので。

「すべてが本当の顔」の時代をどうサバイブするか
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平行線の平穏、みたいなものかも知れませんね。でも、小説的には、求め合って共倒れしていくほうが面白かったりします。『アタラクシア』の中でも、真奈美とつき合う荒木なんかは、共感しているような顔ができるタイプの男性です。

金原

ナイスキャラだなと思うんですよ、荒木って(笑)。

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ある意味、『アタラクシア』のキーパーソンですよね。多面的で闇が深い。映像化されるとしたら俳優が演じてみたい「おいしい」役だと思いました。

金原

いま、表面上はこういう人だけど、実はこういう人だった、というストーリーが通用しなくなってきている時代だと思うんです。荒木はほかの人の視点から見た彼しか出てこなくて、それぞれに違う顔を見せますけど、どれが本当とは言えない。すべての顔がその人自身であるという感じなんですよね。

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SNSのハンドルネームや、ゲームのアバターに代表されるように、多面的な自分を操る時代なのかも知れません。どういうコミュニティの中で発言するかで自分自身のキャラを変えていく。平野啓一郎さんが「分人主義」と名付けていますけど、現代では、自己同一性って神話なんじゃないか、という感じになってきていますよね。

金原

一人の人間の中にいろんな面があって、それぞれが全部本当。あの顔はうそだった、というのはないと思います。荒木は不倫をしていたりはちゃめちゃなキャラで、いろんな顔を持っていますが、根本にあるのはただ「人を救いたい」という思いなのかもしれない、と振り返って思います。

——

一人の人間の中の多面性という点では、やはり主人公の由衣が興味深い。

金原

由依は桂との生活や、瑛人との恋愛など、いろいろなもので自分を成り立たせているんだと思います。いろんな要素とともに自分を少しずつアタラクシアの状態に持っていく。それがいまらしいやり方なんじゃないかなと思います。結婚相手にすべてを受け入れてもらうとか、恋愛相手にすべてを肯定してもらうことだけではもう埋められない空虚さを人は抱えています。仕事も終身雇用ではなくなってきているから、アイデンティティにはなりにくい。友情や恋愛、結婚や仕事、趣味や勉強など、いろいろな要素を組み合わせてサバイブしていかないと、つらい状況に陥ってしまうという感じがします。由依は、直感的に自分にいま必要なものを取り入れて心の平穏を得ようとしている。でも、それは楽しみとして得ようとしているのではなく、本当にわらにもすがる切実さで求めているんです。

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私たち読者も現実をサバイブしている。ただ、生きるためには解像度を下げて問題をぼんやりさせて直視しないようにしている。でも、金原さんの作品や、ある種のアート作品は、解像度を上げて、実は自分たちが生きている世界はこうなんだよというのを見せてくれます。解像度がずっと上がりっ放しだとつらいけど、小説やアートを通じて解像度を上げるのは、生きる力になると思います。

金原

そうですね。私も自分ではできないことや抱えきれないもの、理解できないものを登場人物たちに託し、その体験に救われていたりします。いま、小説にしかできないことってそんなにたくさんはないのかもしれないけど、それでも小説だからできることを追求していきたいと思っています。

(「青春と読書」2019年6月号掲載)

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アタラクシア

アタラクシア金原ひとみ
定価:1,600円(本体)+税
発売日:2019年5月24日発売
四六判略フランス装
ISBN:978-4-08-771184-4
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