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レンザブロー インタビュー

作家 山内マリコさん

女子目線から見える世界のリアリティ

 幹線道路沿いに大規模チェーン店とショッピングモールが立ち並ぶ、どこにでもあるような田舎町。山内マリコさんの初の著書『ここは退屈迎えに来て』は、そんな日本の地方都市に暮らす女子たちを描いた全八篇の小説集だ。
 東京からの出戻り組のフリーライター、高校時代に好きだった人を忘れられないギャル、地元のスタバで働くフリーターなど、登場人物の境遇はバラバラだが、まだ何者でもない曖昧な自我と、狭い世間から押し付けられる"普通の"生き方に息苦しさを感じながら、ここではないどこかを求めている点は共通している。

「来週また結婚式だよ、ほんとやになる。みんなバカのひとつ覚えみたいに結婚しやがって」――(「やがて哀しき女の子」より)

「この小説には恋愛やセックスも出てきますが、男性との関係というよりは"女の子同士の友情を描きたい"という一心で書いた小説なんです。『ここは退屈迎えに来て』というタイトルも、男の人に迎えに来てほしいわけではなくて、精神的なつながりの深い友達、ソウルメイトが来てほしい、という意味合いです」

ここは退屈迎えに来て 山内マリコ

『ここは退屈迎えに来て』
幻冬舎/定価:1,500円(本体)+税

 

山内マリコさん

【プロフィール】
山内マリコ(やまうち・まりこ)

1980年富山県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒業。
京都でライターとして活動の後、東京に移り、2008年に「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。2012年、受賞作「十六歳はセックスの齢」を含む短編集『ここは退屈迎えに来て』を刊行。

撮影/高橋依里

 登場する女子たちは物語のなかで常に新しい理想の出会いを夢想しているけれど、恋愛に本質的な救いを託すようなエンディングはひとつもない。閉塞感のなかで、生きていくことの面倒くささをやりすごすための本当の命綱として描かれるのは、恋愛よりもむしろ、価値観の共通する親友とのたわいないやり取り。

「小説にしろ、歌にしろ、これまで日本で恋愛至上主義的な表現が広まり得たのは、結局、なんだかんだお金があったからだと思うんです。上り調子で余裕があるからこそ、恋愛の楽しい部分だけを謳歌することができた。今はそういう時代ではないですよね。経済状況によっては恋愛-結婚-出産というありがちなゴールさえ選べないのが現状ですし。しかも、恋愛小説って、異性との意思疎通がうまくいかなくてすれ違いが生まれるところに醍醐味があるじゃないですか。でもいまは携帯もあるし情報があふれているから、そういう切ないシチュエーションは生まれにくい。ただ相手へのイライラが募る一方というか(笑)。だからこの時代に恋愛を作品として描くのは、非常に難しいというか、時流に反したことだと思うんですよね」
 そこで、男女の恋愛そのものを描くのではなく、恋愛というある種のネタを題材に、女子の視点から、女子の本音や女同士の結びつきのリアリティを徹底的に描き出すのが、この小説の新しさであり面白さなのだ。
「恋愛の一番役立つ側面は"自己承認感が得られる"ということだと思うので、もちろん女の子が独力で自立して生きていくうえで恋愛を経ていたほうが自分が強くなれるのは確かだと思うんですけど、それで全ての問題が解決するわけじゃない。やっぱり恋愛至上主義ではなくて、これからの生き方としては、価値観を共有できる気の合う友達を大事にする生き方もいいんじゃないかなと言いたかったんです」
 作中で主人公は自分の親友についてこう語る。
 「わたしたちはお互いのアイデンティティを補完し合っているような感じで、ふたり一緒でないと全力が出せないし、うまく機能しなかった」(「アメリカ人とリセエンヌ」より)
 「私自身、学生時代に初めて親友と呼べる友達と出会って、それがものすごいエクスプロージョンだったんです。思春期は、"己を知る"というのが最重要課題(笑)だと思うんですが、自分が定まらない不安定な時期にその子が合わせ鏡のように作用して、色々なことを教えてもらいました。男性の視線でむやみに傷ついたり、男性へのやみくもな期待も減って、お互いの世界観を肯定しあえることの素晴らしさを知ったり。彼女との関係で、恋愛で承認欲求を満たしてもらう以上のものが成立してしまったので、その満たされた一瞬を、書けたらいいなと」

 現在山内さんは、2013年夏に刊行予定の新刊を執筆している。今作は都会/田舎を対比して外の視点を入れた世界を描いたが、自作はずっと変わらず田舎に暮らし続ける女の子の話になりそうだとか。キーワードは、ミソジニーとホモソーシャル。「最近、政治の世界をはじめとして、日本社会がよりいっそう男性論理によって動き、物事がその視点で決定されている気がしていて。とくに地方の社会における男性性の濃さや硬直化したシステムに対して、女子がどう救いを持って生きていくか、考えてみたいんです。それからネット上などで女性を攻撃するミソジニー的風潮……。いまこうやって話していると、かなり偏った話のように見えると思うんですけど、そういう問題意識をブリタ(*ポット型浄水器)でよーく漉して(笑)、ちょうどいい塩梅の小説にしていきたいと思います」

 
 

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