『生のみ生のままで(上・下)』
刊行記念インタビュー

自由で、オリジナルな、現代に生きる女性同士の恋愛小説

逢衣(あい)と彩夏(さいか)は、25歳の夏に出会い、そして恋に落ちた。
携帯電話ショップで働く逢衣と、芸能界で活躍する彩夏。生きる環境が異なり、これまで互いに男性と交際していたふたりに、幸せに満ちた濃密な日々が始まる。しかし、ある事件をきっかけに、状況は一変。ふたりの関係のゆくえは──。
綿矢りささんの新刊『生のみ生のままで』は、女性同士の鮮烈な恋愛を描いた長編小説です。同性同士の恋愛を描く楽しさ、難しさとは?
刊行にあたりお話を伺いました。

聞き手・構成=山本圭子/撮影=冨永智子

文豪が筆を尽くして描いた同性同士の恋愛を
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今回、女性同士の恋愛を長いスパンでお書きになっていらっしゃいますが、どんなお気持ちからだったのでしょうか。

綿矢

私は主人公たちと同じくらいの年齢ですが、二十代で大恋愛を経験すると、三十代半ばに突入してもそれをひきずってしまう感じを書きたいと思いました。たとえ会わない空白期間があっても、恋愛感情の質が変化していっても、相手への気持ちはどうしても続いてしまう関係。それを長編で表したいと思ったんです。女の人同士の恋愛については、『ひらいて』という小説でふたりの女子高生と男子高生の三角関係みたいなものを書いたときに、もっと書ける余地があるなと感じました。一度本気で書いてみようと、ずっと考えていましたね。

——

ここ数年でLGBTという言葉が広く知られるようになるなど、同性愛をとりまく状況は少しずつ変化しつつありますが、それも執筆に影響していますか。

綿矢

そういう時代の動きはありますが、小説の世界では谷崎潤一郎や三島由紀夫などが本当に美しい言葉で挑戦してきた分野です。「耽美」と言うと、意味が広くなりすぎるかもしれませんが。私としては、彼らが筆を尽くして描いた同性同士の恋愛を、現代に合わせて書いてみたいという気持ちが強かった。同性の恋愛ものを読んでいると、時代によってすごく変わってきたなと感じますが、多分それは世間の反応の変化が反映されているから。この小説を書いたのは平成で、本を出すのは令和になりましたが、今の時代の感じを表すことにはこだわったつもりです。もうひとつ、以前谷崎の『卍(まんじ)』を読んだとき、描写が大好きだなと思いつつ、作者のフェティシズムと自分のそれは違うことに気づいたんです。私なら、日常の延長線上に愛しあうシーンがあったほうがドキドキするだろうな、とか。自分にはしっかりとした好みがあるとわかったことも、書くきっかけになりました。

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出会ったとき、逢衣には颯(そう)、彩夏には琢磨(たくま)という男性の恋人がいました。颯と琢磨が友人だったことから逢衣と彩夏は知りあったわけですが、すでに逢衣は颯との結婚を考えている状況だったにもかかわらず、逢衣と彩夏は恋愛関係になります。打ち解けたきっかけは、雷鳴におびえる彩夏を逢衣が励ましたこと。彩夏の突然の告白に最初は戸惑い葛藤する逢衣ですが、次第に自分の気持ちに気づいていきます。

綿矢

彩夏は、困っていたときに肌を触れあわせて励ましてくれた逢衣を「信じられる」と思った。もしかしたらその感情は、不安を感じたときに一緒にいた人に恋愛感情を抱きやすくなる〝つり橋効果〟によるものだったかもしれません。彩夏は思い込みが強いタイプだし。でもきっかけは何であれ、信じられる力が生まれるのもまた、人を好きになるということかなと思う。一方恋愛体質ではなかった逢衣は、だんだん彩夏に陥落していった感じです。ただ、やっぱりあの雷がなければふたりの恋は生まれなかった。女性同士にかぎらず、「あの日あの時」というタイミングってあるなと思います。

難しかったのは、からだで愛情を確かめあうシーン
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逢衣も彩夏も、お互いのからだ、顔、髪、表情などの美しさに鋭く反応します。ディテールまで見逃さない目線は、女性同士の恋愛だからこそ、という感じがしました。

綿矢

女の人には〝細かく見る力〟があるから、男性よりも辛口だと思います。この人、やせているけど腰の位置が低い、とか(笑)。それだけに、きれいだと感じたら、なぜそう見えるのかを考えてしまう。ディテールをくわしく書いたのは、私自身が女で、女の人の身体に関する知識がたくさんあったからかもしれません。ずっと女性誌を読んできているから、この子にはこういう良さがあるけれど、男の人の前では見せないだろうな、とか、この顔立ちの人はこういう髪型をすると素敵、とか、いろんな情報を持っているんです。男の人の顔やからだもカッコイイと思うけれど、くわしいかというとそうでもなくて(笑)。今回女の人をくわしく書いてみて、人間のからだの部位ってすごく細かく分かれているんだな、という発見もありました。たとえば腰には、この線とこの線があってここにくぼみがある、みたいな。そういうことを考えながら文章化していくのは、単純に楽しかったですね。

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「生のみ生のままで」というタイトルからイメージするように、女性同士の恋愛は純度が高いものになりえるという印象を受けましたが、それは描きたいことのひとつだったのでしょうか。

綿矢

小説のなかに互いの脱毛を手伝うシーンがありますが、書きながら、ああいう、女の人の「素」で無防備な姿はとてもかわいいと思いました。子どもっぽいかもしれないけれど欠点ではないし、夫婦になった男女が見せる顔とも違う。逢衣と彩夏は、ナチュラルな部分を目撃しあって恋愛関係になっていくので、相手の「好き」を受け入れていく過程を描くことに違和感はありませんでした。今まで読んできた小説の中にも、そういうものがあったので。ただ、からだで愛情を確かめあうシーンは難しかったですね。お互い好きだとわかっていても裸はショックかなとか、心とからだのせめぎあいをどう書くのがいいんだろうとか。スリリングで、しかも自然な流れにしたくて、何度も書き直しました。

——

男女の恋愛を描くのとは違う難しさもありましたか。

綿矢

そうですね。男女の恋愛の場合は、ふたりを一緒にいさせれば、それだけで「お互い好き」ということを表せる。でも同性の恋愛の場合は、友だちでも一緒にいるものだから、それができないんです。芸能事務所に交際を禁止されている彩夏は、友だちを装うことで逢衣と一緒にいられるけれど、それだけに、気持ちを確かめあうのが難しい関係性だなと思いました。会話の中に好きとか結婚しようという言葉がしょっちゅう出てくるわけではないから。この小説は逢衣の目線で書いているので、とくに彩夏の気持ちをどう描くかは難しかったですね。時間が経ったときの変化とか、変わらなさとか。

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逢衣と出会って輝きを増した彩夏は、またたく間に芸能界で頭角を現していきます。美しさと強さを兼ね備えた彩夏が自分の道を突き進んでいく姿に、逢衣はどんどんひかれていきますが、そこには逢衣が「探検家やルポライターになりたい」と思いながら断念した過去が影響しているのでは、と感じました。

綿矢

逢衣はもともとやんちゃな子どもだったんだけど、成長するにつれ、親を心配させたくないとか、スタンダードな生き方のほうが幸せになるのかなと考えて、保守的になり夢をあきらめたんです。つまり、本当はもっとはじけて生きたかったけれど、女だからしかたがないと気持ちを抑え込んでいた。颯と結婚したい気持ちもあったし。そんなときに彩夏と出会って、男とか女とか関係なく、彼女にあこがれるようになったんです。もしかしたら、逢衣に夢をあきらめた経験がなかったら、彩夏を好きにならなかったかもしれません。彩夏ほどわかりやすくないけれど、逢衣も根っこには枠にとらわれない獰猛(どうもう)さを持っていて、似たところがあったから、ひかれあったのだと思います。

芸能界で消費されずに輝き続けるには
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ふたりが最初に出会ったとき、颯にお酌をする逢衣に対して彩夏は「別に酌なんてしなくたっていいんじゃない」と言います。その後、逢衣は「颯への媚(こび)を見透かされた」「元々そんなしおらしい性格でもないくせに」「つい彼の好きなタイプの女性でいようと振る舞ってしまう」と考える。逢衣の複雑な心理に共感する女性は多そうです。

綿矢

彩夏の言葉で自分の本心に気づかなければ、逢衣は颯とそのままやっていけたと思います。でも、出会ったことがやっぱり運命だった。颯はいい人ですが、逢衣にとっては高校のあこがれの先輩だから、好かれるようにしなきゃという気持ちが先に立って、自分を出せなかった。世間的に見れば逢衣の態度は「良い」とされていることだし、当時彼女はすごく結婚したがっていたから、多少無理があったとしても、むしろそれが自然だったと思います。もしかしたら、颯や琢磨が大人すぎたのかもしれません。彼らが成熟していた分、女性ふたりは彼らに内心距離を感じていた気がします。ただ書いていくうちに、性別の境界線を越えるというか、こだわらない気持ちが強くなりましたね。逢衣たちも颯たちも、女とか男とかいうより「こういう人間」というふうに見えてきました。

——

『夢を与える』『ウォーク・イン・クローゼット』など、綿矢さんの小説には芸能界で生きる女性がたびたび登場しますが、彼女たちのどういうところに興味をひかれますか。

綿矢

芸能人の場合、ニュースなどを通して彼らの〝人生〟を垣間見ることができると思うんです。いろいろと難しいことがあった人を思い浮かべて、どうやったら彼らはまた軌道に乗って幸せにやっていけるんだろうと考えたりしますね。『夢を与える』を書いたのは二十代の、自分自身が悩んでいた時期だったせいか、物語は暗い方向に進んでいきましたが、それだけではなく、芸能人が消費されることへの恐怖もあったと思います。

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芸能界は人気に左右されるだけに、タフに生きていくのが難しい世界という印象があります。

綿矢

そうですね。一度名前を知られるようになったとしても、どの程度を成功と言うのか、いつまで輝き続けられるのかわからない。正体不明の大きなものと戦っている感じがします。それに芸能人にとってファンはありがたい存在ですが、そちら側の欲求にばかり応え続けていたら、磨り減ってしまうだろうし。自分自身に対する強い期待がなければ生き延びるのが難しいと気づいたから、彩夏は悩んだのだと思います。

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さきほど「いろいろと難しいことがあった人を思い浮かべる」とおっしゃいましたが、たとえばどういう方ですか。

綿矢

レスリー・チャンの生き方に、本作を作る上でずいぶん影響を受けました。香港の俳優で2003年に自殺しましたが、理由についてはいろいろな噂があって。彼のように才能があって繊細なまま亡くなった人がすごく気になるので、彩夏にとっての逢衣みたいな人がレスリーにいたら、人の目にさらされて追い詰められたとしても、少しは違ったのでは、と考えてしまいますね。完成度が高い人ほど、その完成度を保って仕事を続けていく苦しさがあるだろうなと思いますし。

——

逢衣と彩夏は、悪いことをしているわけではないのに、彩夏が芸能活動をしているため、ふたりの関係を周囲に隠さなければならないだけでなく、タブーの度合いが高まってしまう。このあたりはとてもリアルですね。

綿矢

芸能人がデビューするときの初期設定は、ファンに夢を見させるものが多いですよね。「彼氏・彼女はいない」とか。いつかあの人の隣に立てるかも、という余白を残すためには必要なことかもしれないですが、見守っていた芸能人が恋をしたら気持ちが離れていくファンばかりだと、情がうすいというか、厳しいなと思いますね。海外はもう少し恋愛に寛容な印象があるから、日本には独特のファン心理があるのかなという気もしますが。

名称がないからこそ、自由でオリジナルな関係を
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後半でクローズアップされてくるのが、逢衣と彩夏の親との関係ですね。

綿矢

同性愛の小説を読んでいると、親とのかかわりが肝になっていると感じることが多いんです。多分それは、親が最初に接する「世間」だから。彩夏と難しい恋愛をしながらも逢衣が素直でメンタルの底が強いのは、間違いなく両親のおかげだと思います。娘から恋人が女性だと告白された逢衣の両親は、戸惑いながらも彼女を受け止めようとしますが、そうできるのは彼らの懐が深いから。先進的な考えの人たちではないけれど、時間をかければわかってくれそうな両親のもとに生まれたから、彼女は前向きなキャラクターになったのだと思います。

——

逢衣の母親は「あなたは子ども好きなのにそれについてはどうするつもりなのか」と、現実的な問題についてもはっきり口にします。

綿矢

彩夏もそうですが、逢衣は相手を好きになった場合に得られるものと失うものを、好きになる前でなく、好きになってから考えるタイプ。最初に考える人だったら、彩夏との恋愛に踏み出していなかっただろうなと。自分の人生のベースを考えるとき、何よりも好きな人と一緒にいたいという気持ちを優先するから、こういう進み方になるのでしょうね。

——

一方、彩夏をひとりで育てた母親には、お金で苦労したせいか、〝毒親〟的なところがありますね。

綿矢

彩夏は結構ガツガツしたところがありますが、そういうハングリー精神は厳しい環境で頑張ってきたからこそ培われたものじゃないかな、と考えました。ふたりのキャラクターをどう書きたいかで、親の性格が決まったというか。
でも、どちらの親も、娘に苦労させたくないと思っているのは同じで、自分しか言う人がいない、自分が言うことで娘は目を覚ますんじゃないかと思うからこそ言ってしまう。それは自然なことだと思うんです。友だちだったら、「実は恋人は同性」と告白されたら「頑張れ」でいいと思うんですが、肉親だからこその違った反応はあるかなと考えました。

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物語は下巻に入ると、それまでとは違った方向に大きく動き出します。ふたりの恋愛のゆくえをどのように考えていかれましたか。

綿矢

男女関係には、同棲相手とか、内縁の妻とか、元彼とか、いろいろな名称がありますが、同性同士にはそういうものがあまりない。ずっと一緒にいたい気持ちは同じでも、名称がないと周囲に示せないので、関係があいまいになりそうな恐怖を抱くだろうなとは思いました。一方で、同性同士には伝統的なかたちがない分、オリジナルに動きやすくて、ずっと自由でいられるのではないかと。男女ほど役割などを気にしないだろうから、ふたりの関係によけいなものが入りにくいのでは、というのが書きながら思ったことです。

——

女性の多様な生き方について考えさせられる本作ですが、これから書いていきたいテーマはありますか。

綿矢

やはり女の人の人生を書いていきたいですね。よく若い女性はみんな似たようなファッションをしているなどと言われますが、私はひとりひとり違うと感じるし、似たようなものを着たいのだとしたら、それもまたひとつの個性だと思う。最近は人をカテゴリーに分ける傾向もありますが、実際は境界線があいまいで、みんな迷いながら生き方を選んでいる。これからさらに自分の年齢が上がれば、見える景色も変わってくるはずなので、幅を広げていろいろな人生を書いていきたいと思っています。

(「青春と読書」2019年7月号掲載)

綿矢りさ(わたや・りさ)

1984年京都府生まれ。早稲田大学教育学部卒業。高校在学中の2001年『インストール』で第38回文藝賞を受賞しデビュー。2004年『蹴りたい背中』で第130回芥川賞を受賞。2012年『かわいそうだね?』で第6回大江健三郎賞を受賞。『勝手にふるえてろ』『意識のリボン』など著書多数。

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生のみ生のままで 上綿矢 りさ
2019年6月26日発売
1,300円(本体)+税

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