第27回小説すばる新人賞受賞 砂漠の青がとける夜 中村理聖
内容紹介著者略歴受賞記念エッセイ
内容紹介

砂漠の青がとける夜 第27回小説すばる新人賞受賞
 東京で雑誌編集をしていた瀬野美月は、姉が亡き父親から譲り受けたカフェを手伝うため、京都に移り住んだ。日々を過ごす彼女の心をよぎるのは、東京での仕事と不倫相手の記憶だった。飲食店の紹介記事で使う言葉への違和感、別れを告げた不倫相手から送り続けられるメール……。自らの気持ちと、それを表現する言葉とのギャップが、美月の心にわだかまりとして残っていた。そんな美月の前に、他人とは異なる世界が見えるという男子中学生が現れて……。
 みずみずしい感性で静かな感動を呼ぶ、小説すばる新人賞受賞作。

著者略歴 中村理聖(なかむらりさと) Nakamura Risato 1986年福井県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。「砂漠の青がとける夜」で第27回小説すばる新人賞を受賞して作家デビュー。

砂漠の青がとける夜
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砂漠の青がとける夜
中村理聖
集英社 文芸単行本
四六判ハードカバー
定価 本体1200円+税
ISBN978-4-08-771597-2
装丁/岡澤理奈
受賞記念エッセイ

無言カフェ

 受賞作の舞台は京都のカフェだが、京都には至る所に個性的なカフェがある。店主の趣味で選んだ本やCDを楽しみつつ、まったり物を考えるのにピッタリなお店が多い。鴨川や大文字山が見え、文化遺産だらけの街を歩くと、次々とカフェに出会う。受賞作もカフェめぐりの傍ら、構想を練り、何度も推敲を重ね、出来上がっていった。
 店主と仲良くなるまでの過程は楽しい。まず、話しかけていいのかダメなのか空気を読んで、相手が心地よく感じる距離感を探る。するり、と店主の世界に入り込めたら、じっくり様子をうかがって、「私の小説を読んでくれませんか?」と意を決して聞いたこともある。運が良ければ冊子にしたものを店内に置いてくれ、物好きなお客さんがそれを読む。たまに店主から、そういう人の感想を聞き、喜んだり落ち込んだりする。この作品を書くにあたって、カフェという場はとても大きな意味を持っていた。
 作中のカフェは「こんなお店があったらいいな」と思って書いたものだけれど、言葉を書く場所ということに特化するなら、もっとエッジの効いたカフェがあってもいい。例えば、こんなお店。
 まず、「一人であること」が自明で、それすら忘れられるカフェ。顔を突き合わせて座る席がなく、一人客しか来ない。店主とお客さんの間には必要最低限のやりとりしかなく、コーヒーをいれる音や、料理を作る音だけが響く。新しい物語の産声は、「無言」の世界で、自分自身の中に入り込む時に聞こえる。そこに距離感のある人の温もりがあれば、言葉がゆっくり立ち現れる心地よさを深く味わえる。
 そして、自分が今何処にいるのか、分からなくなるカフェ。様々な国の小説が沢山あり、大きな世界地図が貼られている。店内の明かりはぼんやりしていて、窓もブラインドや格子があり、読み書きするのに必要最低限の光しか入ってこない。並べられた本を開くと、フランス、イタリア、アメリカ、色んな土地で繰り広げられる人の生き様を垣間見られて、それがネタに繋がる。あらすじを考えながら世界地図を眺めると、頭の中で登場人物がどんどん国境を越えてゆく。外の世界から程よく遮断され、今いる場所が、日本の何処なのかも曖昧になる。毎日、仕事をしたり、家族とご飯を食べたり、友人や恋人と喋ったり、そういう感覚が遠のいて、カフェ自体が何処にでも繋がる場所のように思えたら、楽しい。
 もしそんなカフェがあったら、個人的な妄想を吐き出してゆく小説を書くという行為も、のびのび楽しめる。作中に登場する儚げな美少年を、カフェで他人を意識しながら書くのは、結構恥ずかしい行為だった。けれど、もしこんなお店があったら、子どもっぽい空想を書こうが、くだらない愚痴を書こうが、自分の言葉だけに集中できる。お客さんの頭の中にはそれぞれ、声にならない言葉が渦巻く。「無言」の中で生まれる言葉の気配を感じながら、物語を静かに作り上げてゆく。どんな奇想天外な言葉も、誰かに聞かれることはない。けれど、人の温もりは傍にある。まるで、見知らぬ海外の土地で、外国語を喋る沢山の人とすれ違いながら、日本語でひとり言をつぶやき、歩き回っているような気持ちになる。
 人と喋ることで解消される葛藤もあると思うけど、無言の空間に浸ることで消えてゆくモヤモヤもあるはず。そこにはたぶん、日常の手垢から切り離された新鮮な言葉が現れて、私はそういうものを無心に拾い上げてゆくような思いで、「砂漠の青がとける夜」を書いた。けれど舞台は、ごく普通の女性が営むカフェにした。なぜなら、野菜を包丁で切ったり、ポットでお湯を沸かしたり、掃除をしたり、レジのお金を精算したり。そんな日常の営みに言葉達が帰っていって、きらきら輝いて欲しいと思ったからである。
 「理想のカフェ」は、小説だけでなく、手紙を書くのにもいいと思う。受賞作を初めに読んでくれた鳥取の友人は、あまりメールが好きではなく、私は思いついた時に手紙を書く。受賞に至るまでの間、彼女は私の書く小説を気に入ってくれ、ずっと励まし続けてくれた。「理想のカフェ」の店主と過ごす「無言」の世界は、大切な人への言葉を吟味する時間にピッタリだと思う。もしそんな店主に自分の小説を読んでもらいたければ、特に言葉を交わさないまま何度も何度もお店に通う。「こいつは『一人の空間』を楽しんでるぞ」と店主が思い始めた時期を狙い、便箋にあらすじを書いて渡す。その後も店主の変化を観察し続け、いつも無表情な顔にうっすら笑いが浮かぶ瞬間を待つ。その時が来たら、原稿を渡して立ち去る。その後も何事もなかったかのようにお店に通い、店主からいつもと違う言葉が立ち現れるまで、ゆっくり待つ。そういうお店があったら、面白いと思う。
(「青春と読書」2015年1月号より)
京都の古書店・レティシア書房にて

作品の舞台ともなった鴨川三角デルタ (写真/佐藤佑樹)


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