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担当編集のテマエミソ新刊案内

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カテリーナの旅支度 イタリア 二十の追想

  • 紙の本

『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』著者:内田洋子

定価:1,600円(本体)+税 10月4日発売



☆欧州圏外からの移民の増加

陣内 イタリアも近年のグローバリゼーションの中で、地方にも新しい血が入るようになった。
というのは、一つは移民していった人たちが戻ってきますよね。そうすると、ドイツとか、オランダとか、イギリスなど外国を体験して戻ってくるから、イタリアの中のカンパニリズモ(郷土愛)みたいな、それまでの井の中の蛙ではなくて、イタリアのよさもわかるし、外国を知ったことで自分の町のよさがさらにわかるわけ。で、同時に世界も知っている。あるいは、外国に勉強しに行く人も、仕事で行く人も多い。自分の住んでいるところのよさを客観的に対象化して評価できるということで、80年代を経て、特に90年代~2000年代以後、南におもしろい動きが増えてきました。

内田 欧州圏外の移民がものすごく増えましたよね。そういう移民に対して、法律は、むしろ厳しくなっているんですけど。ただし、イタリアっていうのはカトリックの精神がありますので、不法といっても許してしまうんです。ほかの国で全部断られても、最後はイタリアが受け入れるというようなところがあって。で、その移民の人たちの助けがないと、むしろ成り立たないような職種が出てきている。昔の日本でいう3K的な仕事とか。この本の中の「硬くて冷たい椅子」に出てきたお掃除の人や、看護師さんですね。
高齢化社会になってきたので、介護の制度はあるんですが、完全に人手が足りない、施設も足りない。そうすると、自費で雇わないといけないんです。保険、きかないですし。イタリア人を雇うと、ばか高くて、ひと月3、40万円になってしまう。それが、特に東欧だと安く抑えられる。職種によって人種が違うんですが。

陣内 それと、年代によって移民してくる国が変わってきました。例えば大分早い時期にフィリピンの人たちが結構来てましたね。ドメスチックな、家の中に入って家事や育児を手伝う。
マグリブなど北アフリカの人たちは、ホテルやレストランで働いていましたね。彼らは結構マスクがよくて、接客にはいい。だけど、やっぱり宗教が違うし、家の中で子育てとか家族のことをやってもらうためには、カトリックの敬虔なフィリピンの人を雇うのかなと、何となく思った。

内田 数が多いというのもあるでしょうね。安い、静か。ただ、今はフィリピンはないです。

陣内 そうですね。それがなくなった。その次に、今度は東欧の人が。やっぱり東欧が解体したのと、あと……。

内田 ローマ法王の影響があります。ポーランド人だったという。

陣内 東欧の人は増えましたね。観光客も増えたけど。ヴェネツィアへも、大型バスでどんどん来るようになったけど、彼らはお金を全然落とさないので。

内田 むしろ、古道具を持ってきて道で売っちゃったりとかね。

陣内 そうそう、そうそう。

内田 それをまた買いに行くツアーがあったり。東欧市というのがありまして、町の中に来ない、彼らは。高速の脇とか、そういうところで売るんです。

陣内 組織的に。

内田 観光客として来ながら、ランプだの、お皿だの、どうでもいいようなものを置いて売っていますね。

陣内 かつて、こういう経験したんですよ。ヴェネツィア留学中の74年の暮れに、イランまで汽車で旅行する機会があったんですね。イランを50日間、日本人のイスラム建築が専門の先生の調査にくっついて回ったんです。イスタンブール経由で行ったんですが、イスタンブール ― テヘラン間、車中4泊5日ぐらい。乗客が大きなトランクに売るものを持ってるんですよね。

内田 どう見ても旅行ではない。

陣内 パリとかアムステルダムで働いて、稼いで、帰省しているわけですけど、その途中にビジネスチャンスがあれば売ると。旅人であり、乗客であり、バイヤー。

内田 結構そのぐらいの気構えがないと、外国ではやっていけない。

陣内 そうそうそう。それが商売の原点と思えば、不思議なことじゃないのかもしれない。

内田 国境などあまり気にしない。

陣内 たくましく。

内田 自分が国なんだという、そういう感じはありますよね。

☆ありものを信じるな

陣内 イタリア人と接していて、何か事があるとビジネスにつなげたいと思ってるという感じを受けます。いい意味でも、悪い意味でも。

内田 それがないと、自宅に呼ばないとか。ミラノ人なんか典型的にそうです。最初にバチっと言わないと、友達になりたいのか、お金が見えているからなのか。そういうの、ありませんか。

陣内 あります。イタリア人って、中小企業、家族経営でやっているところが圧倒的に多いってよく言いますよね。ほんとうにそうで、自分のところに親がいて、子供がいると、みんなその能力に応じて役割分担して、マーケティングが強い人、財政的な管理する人、デザイナー、企画とか、家族親族で分担してやってしまう。仕事をつくってきて、見つけて、製品にして売るわけです。

内田 商社がない国なのね。

陣内 商社、問屋、博報堂とか電通のような広告代理店がない。

内田 外国に輸出したいとすると、まず親戚をそこに移住させるんです。リトルイタリアをつくる。信じないから、他人を。
他人にコミッションやるんだったら、身内にやったほうがいい。

陣内 だから、おもしろいといえば、おもしろい。消費者と生産者が直結してる。顔が見える、小回りもきく。うまくいくときには非常にいい。80年代は、それが一番機能したんです。
経済の専門家たちが言うのには、そういう個々の生産母体、家族でやっているところがあって、それを束ねるコーディネーターが地域にいて、それは非常にダイナミックに融通をきかせて、新しいニーズに応えている、と。

内田 プロデューサーですね。

陣内 プロジェクト主義。

内田 アメリカのいうプロデューサーとはまた全然違うんですけどね。でも、気が合わないと、そこで終わってしまう。

陣内 継続がない。だけど、組み合わせを変えて、また立ち上がってくる。

内田 踏んでも、踏んでも。

陣内 日本は、社会の基準が一つになってしまっているというか。みんな振り回される。就職も解禁が決まっていて。

内田 絶対主義ですね。

陣内 大手は大体この時期に内定が決まる、小さい会社はこの辺とか、リズムと尺度が一つしかないんですね。

内田 自分で決められる人が少ないからだと思う。システム的にそういうのは許されないですし。

陣内 そこから離れちゃうと、もう不安でしようがないわけですよ。だけど、そんな中で自分の道を探そうとする人も増えてはいるんだけど、独自のスタイルが持ちにくい。

内田 そうですね。美意識というか、スタイルですよね。

陣内 スタイル。人と同じじゃない方がいいという。

内田 そのスタイルというのは、誰にとっても100点ということはあり得ないわけで、自分にとっての100点という、そういうスタイルの意識というのが、日本人には希薄です。
寄らば大樹的な時期がイタリアにはなかった。古代からいつも上がころころかわってきましたから。そうすると、やっぱり自分しか信じられない。

陣内 自分の価値観をちゃんと持ってないと。だから、自己責任ということも言いやすいんですよ。日本は、自己責任ってなかなか言いにくくて。
例えば、運河に落っこちたら、日本は行政側が責任をとらされるじゃない。

内田 そうそう。例えば水上交通なんかで海運交通法とかありますよね。私が船に乗って住んでいたときはなかったんですよ、規則って。
要する海に出たら、自分の命は自分で守れっていうのがあって、もちろんクラクションをプープーと鳴らしたら右、プーと鳴らしたら左とか、そういうのはあるんですけど。

陣内 まず、小さい船舶は免許が要らないんですよ。

内田 あることはあるんですが、あってないようなもの。

陣内 車の運転でも、日本やドイツはルールがしっかりできていて、皆がそれを守る。イタリアはそうじゃないから、融通がきくというか。信号を赤信号で渡るのは自己責任で渡るわけ。だけど、運転手はちゃんと人間を見てるでしょう。

内田 ものすごく見てます。

陣内 人間は見てる。信号は見てなくても。

内田 横断する人の歩幅と速度をちゃんと見越して運転するから、例えば日本人が慣れてなくて、道の途中で怯えて立ちどまるでしょう。そうすると、怒られるんです。早くそのまま歩けと。

陣内 身体的、本能的だから。

内田 だから、ありものを信じるなというのはもう徹底的なんです。みんなが従う、あるいはみんなに通じるものが出てくると、それはもう終わりだというような感じがありますよね。わかりやすいように言えば、そういうことになりますよね。だから、大ベストセラーとか、あまりない。

陣内 ああ。流行語大賞とかないんじゃない。

内田 あり得ない。

陣内 例えばかつてのティラミスブームとか、パンナコッタブーム、あとバルサミコ酢とか。あるいは最近だと、バーニャカウダ(イタリア北部ピエモンテ州を代表する冬の野菜料理。アンチョビ、ニンニク、オリーブオイルを混ぜ温めたソースに野菜をつけて食べる)。日本ではすぐに有名になるけど、イタリア人、知らないよ。

内田 バーニャカウダなんて、南部の人は知らないでしょう。ワン・オブ・ゼムの料理だし、似たようなお料理もありますし。むしろ、騒がれれば騒がれるほど、決して食うものかとか(笑)。

☆太陽と青い海がインダストリー

陣内 イタリア南部で工場地帯をつくろうというので、日本の企業を誘致した時期もあったんだけど、みんなことごとく失敗しましたね。

内田 日産や味の素、新日鉄も。

陣内 YKKもありました。南部のターラントには新日鉄がいっぱい行っていたんですけど、ともかくみんな失敗した。観光も重要なんですけど、イタリアとしては、新しい時代に対応した経済をつくらなきゃいけないと試みたんですが・・・・・・。組織化して、大企業が経営していくというのは、南には合わないんじゃないですかね。

内田 インフラもなかった。助成金が出るので行ったんですよね。

陣内 そう。南イタリア公庫というんですか、日本語でいうと。それも失敗して。

内田 私の卒論のテーマでした。

陣内 ヴェネツィアでは車は必要ないし、学生たちと調査で回るのに事故を起こすと嫌だからと全然運転しなくなったら、ペーパードライバーになってしまって、フィールドワークなどで必要があるときは運転手を雇ってイタリアを回るんです。イタリアの運転手としゃべるのは楽しいですよ。
みんな何かいっぱしのこと言ってくれるんです。哲学があるというか。あるとき、運転手が、南イタリアの工業とか全部失敗したけど、自分たちには太陽と青い海がインダストリーとしてあると言ったんですよ。新しいインダストリーって言ったんですよね。つまり、経済的な資産、資源だという意味だと思うんだけど、これ、ちょっといいなと思った。
工業は海をだめにしたって。それで、自分のところの風景も台なしにしたと。それに替わって、南イタリアが持っている、これから期待できることは太陽と海と言うんですよね。
それから、イタリアの国立の専門学校って随分いろんな分野があるでしょう。観光に関しても。

内田 レストラン、ホテル、観光。

陣内 日本の大学には、観光学科コースの最初が立教で、あちこち、いっぱいあることはあるんですが、日本の観光のために役に立ってない。もっと実践家を育てないとだめでしょう。
イタリアでは、国立の観光学校などで学んだ人たちがいろんなことで活躍するんですね。
先ほどの話に出たイタリアの運転手さんは、自分もタクシードライバーとして観光というのは、すごくおもしろいと思うと言うわけ。なぜかというと、IT産業でコンピューターに向かっているよりは、いつもいろんな人と出会えるし、話ができるし、異文化と交流できるし、何でも知識が得られるし、ダイナミックだと。常に動きがある。これは自分の人生にとって非常におもしろいと言っていました。日本にも、こういう発想が必要なんじゃないかな。おもてなしもするわけですよね、人と出会って。
こういう発想が、一人でちゃんと生きていって、時代を切り開いて、新しいニーズに対応していく生き方の源だなと。僕自身も毎日、コンピューターにばかり向かっているけれど、日本人はみんながそうなってしまっているでしょう。
アマルフィやラヴェッロのホテルと組んで、ナポリ空港まで迎えに来てくれるような、そういう仕事をやっている、なかなかイケメンの若いドライバーとよく会うんですけど、アマルフィみたいに観光で稼いでいるところは、夏、半年稼いで、あとはキリギリスみたいに冬眠しているか、あるいは遊んでいるのかと思ったら、とんでもなかった。冬場は冬場で、例えば段々畑状に造成されているレモン畑のメンテナンスとか、結構遠い町でも、リクエストがあれば車で建設現場にも行ったり。
もし暇な時間ができたら、ロンドンに行って英語の勉強をするとも言ってましたね。その次の年は、スペインに行ってスペイン語を勉強する。いいなと思ってね。ごくごく普通の若者ですよ。



内田 イタリア人は、結構目標のスパンが短いんですよね。あまり長く立てても、国自体がどうなるかわからないので、とりあえず来年まで。

陣内 それはあるね。

内田 それか、いきなり国家公務員になることだけを目標にする人もいますけど。仕事がないので。でも、陣内さんがおっしゃるとおり、10年計画とか、あの会社に入って出世してというように考える人はあんまりいない。南部に関しては特にない。転職もあまりしない。辞めるわけがない。失業率4割を超えた先進国ってないです。

陣内 そうですね。今、きついですね。

内田 この2年は激変していますので、日本人が持つイタリア像と現実は全然違うんです。


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