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カテリーナの旅支度 イタリア 二十の追想

  • 紙の本

『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』著者:内田洋子

定価:1,600円(本体)+税 10月4日発売



☆経済ではなく文化ありき

内田 ミラノは、コンプレックスが強い人が多いですよね。地方出身の人が多いので、その人をミラノ人と呼ぶのであればですが。もともとのミラノ人というのはいますけど、また違うんですね、現代の住民としてのミラノ人と。
私のざっくばらんな印象ですけど、シチリアの人っていうのはシチリア以外では住めないなというのがあります。一方、同じ南部でもプーリアの人たちは、プーリア以外でも成功している人が結構多い。やっぱり性格っていうかね。シチリアは、長い間、特別州でしたし、島だというのもあると思うんです。同様にして、サルデーニャ人も、シチリアほどではないけれども、難しいんですよね、他の土地に入っていくのが。外国に行っても頑張っている南部出身の人っていうと、やっぱりプーリア。

陣内 そうですね。あちこちに、いい意味で根を張っている。

内田 ミラノでも南部出身者というと、やっぱりプーリアなんです。何割とか、正確な数字は言えませんが、弁護士の過半数がプーリア出身とか。イタリアって、弁護士はプーリアが圧倒的に多い。

陣内 ヴェネツィアの居酒屋も、オステリア(比較的庶民的なレストラン)もプーリアが多い。これは歴史的に意味がある。プーリアは、ワインの輸出をしていました。

内田 そうですね。ワインと呼べるかどうかだと思いますけど、あそこは原材料なので。混ぜて薄めるんですよね。それが最終商品としてのワインと呼べるかどうかというのは、また別の話。でも、そういう人たちなの。自分たちが原材料になって、ほかの町と混じる。
歴史が、すごく交ざったところですし。山越えで、山賊と戦ったところとか、ゲルマンから来たとか、アラブから来たとか、全部交ざってる。

陣内 プーリア地方は、海沿いにいい町が点々とあります。古代からある町が多いんですけど。それから内側の丘の上に、これがまたいい小さい町があって、その海と陸がつながっていたんですね。だから、海沿いの町の魚の行商で内陸の町に売りに行って、そこでラブストーリーが生まれて、結婚したっていう話も、取材して聞きました。モノーポリっていう町でね。両方で持ちつ持たれつで。
今、シラクーザのオルティジアっていう古い島はよくなりましたよ。南イタリアをずっとウオッチングしますが、随分よくなった。かつては、ほんとに怖いところが多かったので。プーリア地方のバーリ・ヴェッキアなんて、もう怖かった、怖かった。以前、グループで写真家たちと取材に行ったときに、日本にずっと長くいるイタリア人の有名なコーディネーターが引ったくりにあい、転倒して怪我もした。特に、南は格差が非常にひどかったし、産業もないので、どんどん移民して、田舎町は寂しかった。今は、行く場所もなくなってきたから。

内田 戻ってくるわけですね。

陣内 戻ってくる。内田さんがおっしゃったように、若い人は仕事がないから、また出ていくということはあるかもしれないけど。

内田 バーリ・ヴェッキアは、ほんとに、外国人は簡単には足を踏み入れられないようなところだったんですけど、上向きになってきたきっかけをつくったのは、実はある本だったんですね。マフィアの撲滅検事がミステリー小説を書き始めて。

陣内 へえーっ。

内田 それで新人賞をとって、これが非常におもしろかった。イタリア人が恥部として、決して人に話したくないことっていうのがあるわけですよ。そういうのを、彼は、バーリを舞台に弁護士シリーズとして次々と書いて、それが、ドイツでものすごい売れたんですよ。そのバーリを見に行くツアーまでできちゃって。その方は、検事を辞めて作家専業になり、二足の草鞋で代議士になり、国会議員になってしまいました。
そのバーリとパレルモって、文化サロンみたいな、純文系の文壇みたいなのがあるんです。イタリアの文学が生まれるルーツです。そこの人たちの目にとまって、ミラノの出版社じゃなくて、パレルモの出版社から刊行されて売れたんですね。それがバーリを新しくした。



陣内 何年ごろですか。

内田 10年近く前。

陣内 その頃から、南イタリアは大きく動き始めたというところはありますね。レッチェがよくなったっていう話も、同じく10年ぐらい前に聞きました。

内田 レッチェはすばらしいです。

陣内 市長さんの力。バーリも市長さんがよくしたっていうんです。だから、個人の力で町は変われるということですよね。

内田 カリスマ政治家によってね。

陣内 カリスマ政治家が変えられると。プーリアの市長さんの話も、いろんな人から、聞いているし。映画のロケ地にプーリアをどんどん選ぶとか。

内田 それはすごいですね。チネチッタ方策ですね。

陣内 そうやって、やっぱり必然性があるんです、よくなってくるときは。やっているんですよ、いろんなこと。

内田 文化から入っていくというのがいいですよね。

☆町に惹かれて、人に惹かれて

内田 イタリアで、どこの町がお好きですか。

陣内 トレヴィーゾ、いいですね。トレヴィーゾ、詳しい?

内田 いえ、詳しくないですけど、知っています。

陣内 トレヴィーゾは有名な建築が全然ない。だけど、全体がすごくいい。

内田 民主主義がきっちりしていたのですね。

陣内 そうですね。水路がいっぱいあって、産業用水路というか、運河が町の中をめぐっているから、水の流れがあってきれいなんですよ。かつては水車がいっぱいあった。その町並みが、碁盤の目じゃないのがいいんです。緩やかに曲がったりして、しかも建物がいいスケールで並んでいて、ポルティコ(柱廊)があるんですね。ダイナミックで落ちついた感じのよさがある。もっとダイナミックなのは南に行けばいくらでもあるんだけど。
グルメな町でもあって、立ち飲み屋がたくさんあります。ヴェネトにあってヴェネツィア共和国。南は、いくらでもいい町がありますね。

内田 ここ掘れワンワン的な。

陣内 プーリア州のコンヴェルサーノも、いい町でしたよ。

内田 プーリア、濃そうですね。

陣内 プーリア地方でもオストゥーニとか、ダイナミックないい町があるんですけど、住むのにはどうかなと思ってしまう。住むのに安定していて、ショッピングもできて、レストランもあり、適度な賑やかさがあるというような。そこまで入れて考えて、格好いいという最初の印象だけじゃないところで選んでいくと、コンヴェルサーノは、いいです。

内田 コアな情報、ありがとうございました(笑)。

陣内 建築的な視点からすると、ガッリーポリ(プーリア州)という町がいいです。

内田 ガッリーポリは人もいいですよ。

陣内 人もいい、人もいい。新市街の先に島があるんです。要塞都市みたいな。20年ほど前に、航空写真でガッリーポリを、上から見たんですね。ここは絶対に調査で行こうと、思っていたんです。

内田 今、ミラノの人たちの間でブームになってますよ。ガッリーポリの爆発っていう。みんな別荘を買っちゃって、次から次へと。

陣内 ああ、そうでしょう。まだ物件、安いんですよ。
それでね、ガッリーポリは、ほんとに迷宮なんです。レッチェも実は迷宮なんですけど。
ヨーロッパは石の建築で、日本は木だって言うけど、実は半分嘘だと思うんですね。パリにしても、アムステルダムにしても、16世紀、17世紀はほとんど木造に近い。で、火事になったので反省して、ロンドンも、コペンハーゲンもレンガ造りにした。ミラノやフィレンツェでも、壁はレンガや石だけど、梁とか、屋根を支える構造はみんな木なんですね。だけど、プーリアとアマルフィだけは全部石。だから、ど迫力なんです。壁が50センチ、60センチあるでしょうね、太いのは。それが集合しているので。
石灰岩という素材がいいから、迫力がある。ヴォールト天井(アーチ型の石造り天井)というんですけど、天井が高いわけ。これをレストランでも、住宅でも、リノベーションすると、ものすごく格好いいんですよ。そういうことを担える建築家、技術者が南部でいっぱい出てきた。そうすると、当然、オーナー、経営者も、そういうおしゃれなものをつくりたいと。そうなってくると、もうおもしろい作品が、作品と言っていいような住宅やホテルが、次から次へと出てくるわけです。

内田 

そうですよね。インテリアデザイン誌などを買うと、必ずプーリアのカフェとかが出ていますよ。

陣内 ガッリーポリは、17世紀~18世紀にオリーブオイルを照明用でたくさん作って、それを北の国に売ったんです。

内田 カストロ時代に。

陣内 それでもう稼いで、稼いで、そのとき特に、ガッリーポリはお金持ちになった。だから、立派なパラッツォ、邸宅、それから中産階級がお金持ちになって、そういうタイプの住宅ができたわけ。みんなバロックなんですね。バロックって、普通ローマしか思い浮かべない。あるいはナポリか、シチリアの一部どまりなんですが、プーリアのバロックが一番おもしろい。レッチェとか。

内田 バロックはレッチェ人の自慢です。

陣内 ガッリーポリはレッチェよりおもしろい。町が複雑だから、複雑な迷宮のような。

内田 町が生き物のようですね。

陣内 中産階級の邸宅には、前庭があって、入り口の上にミニャーノというバルコニーがつくんです。かつて女性たちはあんまり自由に町に出られなかったから、バルコニーの上でくつろぐんですね。その前を通る男たちとやりとりしたり、そういうくつろぎの場だった。それが建築的に格好いいんです。
そういうのがいっぱいある。そこに花を飾ったり。観光客のためより、自分たちの演出をしているんです。
もっと庶民の人たちは袋小路にぎっしり住んでいます。血のつながったファミリーがいっぱいいたりして。階級ごとにタイプが違うんだけど、すごい格好いい家に住んでいるんですね。

内田 動かないですね、あの人たちはあそこから。
私の場合は、町に惹かれて引っ越すっていうことはあまりなくて、人の後をついていったら、そこに行ってしまったという。だから、どこでもわりと順応できる、する自信があって、選んでどこかに住みに行くというようなことをあまりしてこなかったんで。
特に島が好きなんですよね。島、すごくおもしろいです。

陣内 どうしてですか。

内田 全部、交通手段がなくなって、どこにも行けなくなったときに生まれる、あの人間関係というのがゾクゾクする(笑)。貧しいところが多いですよね、島というのは。そうすると、内陸にみんな外敵を避けて逃げていく。

陣内 イスキアとかプロチダなどの大きな島しか知らないんですが。どういう島?

内田 刑務所のある島、ゴルゴーナとかね。コルシカ島とリヴォルノとの間に幾つかあるんです。

陣内 あんなところにあるんですか。

内田 地図にも載ってないんですけど、わざとね。海図には載ってますけど。昔の収容所だった、ドイツの収容所だったところとか、そういうところで結構おいしいワインがとれたりする。刑務所ワインとか。サルデーニャも好きでしたけど、やっぱりあそこは島というよりか、イメージ的には内陸の高地というか、山の土地というか。そう思いませんか。

陣内 そうですね。あるとき、調査で3年続けてサルデーニャに行きました。山奥の、バルバージャ地方という羊飼いの村が点在している所です。

内田 私は、それを下りたところの港に泊まっていました。すごいところですよね。

陣内 すごい。山間の町の外れの、わりかし大きなホテルに泊まっていたんですけど、夜、山道を戻って、車を降りて坂道を行ったら、低音で淡々と、朗々と歌う、そういう男性グループとちょうどすれ違った。大分飲んでたんだと思うけど、歌ってくれたんですよね、目の前で、深夜に。伝統音楽ですよね。

内田 その人たちが、ミラノまでクリスマスになるとやってくるんです。YouTubeに出てますよ。

陣内 だから、サルデーニャの人に言わせると、ほんとはローマよりもずっと早く文明をつくり上げて、建築的にもすごいんですよ。

内田 すごいです。

陣内 ところが、イタリアの中学や高校の歴史の教科書に、サルデーニャのことがほとんど出てこないんですね。地理には出てくるのかもしれませんが。おもしろいのは、古代ローマ文明で大分イタリアの都市ができたし、それを受け継いだルネッサンスにまた古代を規範にした文化ができて、二つの大きい変革期があるんだけど、サルデーニャにはそのどちらもない。
もっと古いヌラーゲという時代の、紀元前1500年から、ローマに滅ぼされる紀元前300年ぐらいまでの、羊飼いの大自然の中で培われた文明があるわけ。その後、中世に、ビザンツの修道士とか来てキリスト教が広がっていくんですけど、それがまたそういう聖地みたいな、井戸とか、湧き水とか、大地の聖なる場所を受け継ぐんですね、壊さないで。ローマ人は大分壊しちゃったけど。中世は連続して地域ができていって、ルネッサンスはないものだから、聖なる場所の力のようなものがずっと今までつながっているんですよ。そういう連続性がおもしろくて。

内田 南部に関しても、お話が尽きませんよね(笑)。近く、イタリアにはいらっしゃいますか?

陣内 アマルフィと美濃市が紙の文化の交流をやっているんですが、12月にシンポジウム、ワークショップがあって、そこに行きますよ。

内田 陣内さん、アマルフィ名誉市民でいらっしゃいますものね。聴きに行きます。電車を予約しないと取れなくなりますよね。いざとなったら、ミラノから車を飛ばして行きます(笑)。では、アマルフィで、お目にかかりましょう。

陣内 ぜひ、いらしてください。

(了)
人物撮影/chihiro.
編集協力/中嶋美保



内田洋子(うちだ・ようこ)
●1959年兵庫県神戸市生まれ。
東京外国語大学イタリア語学科卒業。
UNO Associates Inc.代表。2011年『ジーノの家 イタリア10景』で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『ジャーナリズムとしてのパパラッチ イタリア人の正義感』『ミラノの太陽、シチリアの月』『イタリアの引き出し』、翻訳書に『パパの電話を待ちながら』などがある。



陣内秀信(じんない・ひでのぶ)
●1947年福岡県北九州市生まれ。
東京大学工学部建築学科卒業。
73年~75年にかけて、イタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学に留学、翌年にはユネスコのローマ・センターに留学した。83年東京大学工学博士。
90年法政大学デザイン工学部建築学科教授、07年法政大学デザイン工学部教授。イタリアを中心にイスラム圏を含む地中海世界の都市研究・調査を行う。
著書に『都市のルネサンス―イタリア建築の現在』『ヴェネツィア―水上の迷宮都市』『南イタリアへ!―地中海都市と文化の旅』『イタリア 小さなまちの底力』などがある。
*陣内秀信さんの講演情報



担当編集テマエミソ

 その本に出会ったのは、旅行ガイドブックコーナーでした。
 講談社エッセイ賞と日本エッセイスト・クラブ賞をのちに受賞することになる、内田さんのエッセイ『ジーノの家』のことです(今現在は、ほとんどの書店で、通常のエッセイ 本コーナーにも置いてあるようです)。
 微妙なブルーのシックなカバーは、色の氾濫する各国各地のガイドブックの中で、独特の存在感を放っていました。静謐感に包まれてひっそりと、でも力強く。
 イタリアに暮らす人々の日常と息遣いが、繊細かつ鮮明に描かれたその内容に、読んですぐ引きずり込まれました。
 ステェファニア、ブルーノ、パトリツィア、ルチア。
 ミラノ、シチリア、リグリア。
 知らない街に生きる、知らないイタリア人たちが、まるで旧友か隣人でもあるかのように、くっきりと残像を残していく――。
 もっと知りたいと強く思いました。イタリア在住30余年の内田さんが知るイタリアを、イタリア人たちを。
 そして出来上がったのが、こちらの『カテリーナの旅支度 イタリア 二十の追想』です。
 裏キーワードは「モノ」。鞄、本、椅子、ヨット、哺乳瓶など、取り上げられている「モノ」は多岐にわたります。モノを通して見える人々の思いや人生が、さりげなく、でも、思いもかけない方向から照射されているのです。
 読み手はやがて気づくでしょう。大切にしているかどうかにかかわらず、自分の身の回りの「モノ」には、それぞれに物語がつきまとっていることを。
 遠い異国に暮らす外国人のエピソードでありながら、自分に置き換えて、我が身の半生、過去、思い出を見つめなおすきっかけとなる20篇。どこかに、あるいは登場人物複数に自分を重ね合わせることが、きっとあるはずです。

 縁あって、ミラノからヴェネツィアへ短期間の予定で引っ越した内田さんに、かの地でお会いする機会がありました(この引っ越しにまつわるエピソードは、本文「ヴェネツィアで失くした帽子」をお読みください)。
 サン・マルコ広場そばの待ち合わせ場所のホテルの前で、内田さんは佇んでいらっしゃいました。静かに、でも力強く。
 瞬間、『ジーノの家』との出会いを思い出しました。一見、クールでシック、でも中味はあたたかく、深く、熱い。
 お書きになるものの目線そのもの、内田さんのお人柄に助けられて、ヴェネツィアでご一緒した時間が忘れがたいものになったことは、言うまでもありません。
 ヴェネツィアでも楽しい道案内をしてくれた、常に内田さんを見つめる美男子犬・レオン君は、新連載エッセイ初回を飾ります。
 必読の内田さんの連載、こちらもお楽しみに。

(編集K)




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