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担当編集のテマエミソ新刊案内

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眠る魚

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『眠る魚』著者:坂東 眞砂子

定価:1,300円(本体)+税 5月19日発売

樽の滝の家。
遠くに見える樽の滝高知土佐山の山あいに佇むその三階屋は、生前の坂東眞砂子さんが、帰国するたびに過ごした家です。
絶筆長編となった『眠る魚』の見本を高知のご家族にお持ちした際、お姉様にご案内いただきました。
山と渓流に囲まれ、観光名所でもある「樽の滝」を背景にしたその家は、ミラノ工科大学でデザインを学んだ坂東さんのこだわりが凝縮された空間でした。
料理好きだった彼女らしい使い勝手のよさそうなキッチン。ストレージには、高知名産の柚の絞り汁が入った一升瓶が数本ありました。
自著のほか、国内外の歴史、風俗などの資料が並ぶリビング壁面いっぱいの書棚。
最後まで尽きることのない好奇心を体現したような蔵書でした。

広々としたキッチン壁面に書棚があるリビング

晩年暮したバヌアツから持ち帰った木で作った間接照明。
同じくバヌアツの自宅から持ち込んだ木製の便座をつけた明るいトイレ。
高知の山奥にいながらにして、もう一つの住処である南方の海を感じさせるしつらえが、そこここに施されています。
窓辺に面した仕事机には、パソコンの横に『眠る魚』連載時のゲラが残されていました。
ここで、たくさんの物語が、文章がもっと紡がれたはずなのにと思うと、万感胸に迫ります。仕事机
この家は、坂東眞砂子という小説家が作り上げた、文章ではない最後の未完の作品。
家も、パソコンの中に残されているであろう物語の片鱗も、『眠る魚』と同様、完成を待たずに主をなくしてしまいました。
故郷のこの地に、丹精を込めて少しずつ作り上げていた宝物のような空間は、新緑と清流のせせらぎに包まれていました。

『眠る魚』は、舌癌という抜き差しならない病を得てからも、坂東さんが執筆を続けた絶筆長編です。後世に残る骨太な作品を数多く残した作家が、死の間際まで何を思索していたかがよくわかる貴重な記録とも言えます。
入院生活自体を「取材になっている」と、メールに書いていらしたり、亡くなる数週間前、「闘病記を書きたい。医者の耳元でささやく悪魔、家族、友人……役者は揃っている」と仰っていたのが、いかにも坂東さんらしい。
余命宣告を受け、看護師同行で飛行機に乗って帰郷してから、四日間。
外国のどこにいても、希求し続けた故郷で、坂東さんは最期を迎えました。
亡くなってすぐ、綺麗にお化粧した彼女を、知人数名でこの家にお連れしたそうです。
独自のアイデアで作り上げた心地よい空間。数々の文学賞を受賞した名作揃いの小説、エスプリの効いたエッセイ。毎日のように嗜んだお酒と、作るのが早くて美味しいと評判の手料理。そして、個性的な友人知人たち。坂東さんの人生は、そのようなものに彩られていました。
確かに短かったですし、もっと生きたかったに違いありませんが、なんと豊穣な人生を歩まれた方でしょうか。
こちらの遺作を始め、坂東さんはもっと認識され、読み継がれるべき作家だと思います。
様々な示唆に富んだ既刊本は、いずれも読み応えのあるものばかりですが、坂東さんが主治医に薦めた一冊は『曼荼羅道』(集英社文庫)だったことを付け加えさせていただきます。


(編集K)


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