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刊行記念特別インタビュー

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求愛

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大病から復活した瀬戸内寂聴氏の最新刊『求愛』は、数え年95歳にして初の掌(てのひら)小説集。男女の機微を描きつくす三十篇、5月2日発売!

定価:1,300円(本体)+税 5月2日発売

『求愛』刊行記念 瀬戸内寂聴氏インタビュー
「ほんとに好きなことは書くことだけですから」


一昨年から、腰部の圧迫骨折と胆のう癌がんのため、約一年の長い闘病生活を送った瀬戸内寂聴さん。その復帰第一作である「どりーむ・きゃっちゃー」を収録した初の掌小説集『求愛』が集英社から刊行されます。凜とした姿勢、華やいだ笑顔からは、病の影はまったく感じられません。
寂聴さんが以前から書いてみたかったという掌小説集には、さまざまな背景を持つ老若男女が繰り広げる三十編の物語が編まれています。ときにエロチックに、ときに残酷で、ときに諧謔に満ちた男女の濃厚な情景が、一編ごとに鮮やかに切り取られています。
「私、数えで九十五歳よ」と年齢を笑い飛ばしつつ、なお書くことへの情熱は衰えない寂聴さんに、作品への思い、そして書き続ける意味について、語っていただきました。
聞き手・構成=宮内千和子


書けないなら死んだほうがまし

――昨年放送されたNHKのドキュメンタリー番組で、ご病気から立ち直られて、初めて文机の前に座って執筆なさる場面を拝見しまして、書くことに対する執念、覚悟のようなものを感じました。あのときのご心境はどんなものでしたか。

 なぜか死ぬと思わなかったの、一度もね。死ぬと思わなかったけれど、寝たきりになるんじゃないかなっていう不安はありましたね。寝たきりになっても書けるかなあと、そればっかり心配していた。私ってね、ほんとに好きなことは書くことだけですから。だから、寝たきりになってもう書けなくなったら、死んだほうがましと思いました。でも、なぜか死ぬ気だけはしなかったんです。でも、こんなに治るとも思わなかったけど(笑)。

――「ガンなんて、歳を取ってからできるニキビみたいなもの」とおっしゃっていますね。

 そうそう、ニキビ。大体、歳を取ったらね、ガンにならないのが不思議なぐらいでしょう? だって今、二人に一人はガンだという。ニキビみたいなものじゃないですか。ガンになってもね、必ず死ぬとは限らないの、この頃はね。
 私たちの若い頃は、結核になったらもう死ぬっていうことでした。結核になるのはね、男の子は非常に頭のいい人。女の子は非常に美しい子。なぜか、そういう人ばかりなったんですよ、かわいそうなくらい。だから私は、ああ、大丈夫、自分はならないって鏡の前でいつも思っていた。不器量な顔を見つめて(笑)。それが今、結核で死んだなんて人は、ほとんどいないじゃないですか。

――はい、薬ができましたからね。

 ねえ。だから、ガンもね、そういうときが必ず来るんじゃないかと思います。医学は日進月歩です。


気持ちのままに 詩を書くように

――六十年の作家生活の中で、初めての掌小説集ということですが。

 面白いでしょう? この掌小説はね、一つが原稿用紙四、五枚、長くて六枚。詩を書くように書いたものです。小説だったら文章をどうするとか構成をどうするとか、いろいろ考えるじゃないですか。そういうのをちっとも考えなかった。そのときの気持ちのままに、湧いてくる一番好きな文章で書きました。
 川端康成さんの『掌(たなごころ)の小説』というのがあって、昔から好きでよく読んでいて、そういうのを私もいつかやりたいとずっと思っていたんです。
 そうしたら、何年か前に田中慎弥さんの掌小説(『田中慎弥の掌(しよう)劇場』)を読んでね、「ああ、こんな若い人にやられちゃった」と思って(笑)。田中さん、うまいですよ。私なんかよりずっとうまいです。彼は掌小説の名手だと思います。

―― 復帰後に最初に書かれたという「どりーむ・きゃっちゃー」は、九十一歳の老女と四十一歳年下の男、その男の愛人をめぐる、ちょっと怖いお話です。

 あれはね、男女の三角関係で、肉体関係がある女が、ない女に嫉妬するお話。肉体関係があれば、嫉妬します。肉体関係がないとね、感情がちょっと違うのね。
 やっぱり一番純粋な恋愛っていうのは、肉体関係がないものだと思うわね。肉体関係があると、どうしてもそっちのほうに意識が行くじゃないですか。途中でもう、この人下手、イヤ! なんて思ったりするじゃない(笑)。でも、そういうのがないと、心だけになるでしょ? そのほうが楽しいような気がする。プラトニックだと、年齢も関係ないもの。

――作品によって手紙形式や、会話、独白調と、形式も多彩で、趣向が凝らされていますね。

 それは、とくに意識していなかったです。書いていて同じ調子は自分が退屈なので、そのとき、自分が楽しいように書くものですから。読み手のことは考えていない。どんな方が読んでくれるのか、わからないから(笑)。小説のアイデアもね、前もって考えていない。締切りが来たときに考えるの。
 たとえば私の好きな「サンパ・ギータ」は、空港に近い町のホテルでのお話ですが、地方の空港で飛行機が欠航して、ホテルに泊まらなければならないときがあるでしょう。空港のある町って、裏手に行くととっても侘(わび)しいの。そうした町の侘しい空気がふと思い浮かんで、ああ、これは小説になるなあ、とね。

――『源氏物語』をモチーフにした「浮舟」も、過去に関係のあった男女が意外な形で再会する印象的な物語です。

 これも、ふと浮かんだんです。もう二十年も前になりますけど、『源氏物語』の現代語訳をやりました。あれは、私は三年半でできるかなと思っていたのに、六年半もかかりました。円地(文子)さんも谷崎(潤一郎)さんも六年半かかってらっしゃる。でも私は、それまで密かに勉強していたから、三年半でできるだろう、と。とんでもなかった(笑)。長い、大きな仕事になりましたね。


死ぬまでわからない心の摩訶不思議

――「サーカス」という作品の中に、「この年になって、わが心の奥に何があるのかさえわからない人間の、摩訶不思議さ」という九十二歳の老女が語る言葉があります。

 やっぱり、死ぬまで何かあるんじゃないですかね、人間の心の中には。
 八十歳なのにみっともないとか、九十歳なのに恥ずかしいという意識は、みんな頭にはあるんですよね。だけど、人間というのは、死ぬまで、二十歳ぐらいのときの気持ちが続いています。嫉妬とか、欲望とか、そういうものも。それを習慣によって、努めて見まい、行うまいとしているから、表向きは出てこないですけどね。心の中は、みんなそうじゃないかとこの頃思います。人間には、死ぬときまで、何か恥ずかしくて人に言えないような気持ちがあるんじゃないかしら。

――そして、自分自身でさえわからない部分があるということですね。

 ええ。私もね、六十歳ぐらいのときに、そういうものはだんだんなくなるんだろうと思っていたんですけど、今もおんなじ。ちっとも変わらないです。六人男が並んでたら、やっぱり自分が好きなタイプをじっと見るもの(笑)。
 うちは寂庵というお寺ですから、いろんな女の人が集まって来ます。法話のあとに、好きなことを言ってくださいという時間を必ず作るんですよ。そうすると、もう、亭主の悪口、それから自分が浮気したとか不倫してるとか、そんな話がぼこぼこ出てくる(笑)。百人くらいいる前で、夢中になって話してくれるんです。みんなそういうものを抱えているし、言いたいんですね。
 ヨン様が流行っていた頃は、仏壇の横に、ヨン様の写真を飾っているっていう人もいたの。そしたら、お嫁さんに、「お義母(かあ)さん、それだけはやめてください。法事のときに恥ずかしいから」って言われたって(笑)。

――そういう気持ちは、いくつになっても変わらない(笑)。

 ええ。変わらないですよ。私はね、ヨン様じゃなくてね、えーと、そうそう、イ・ビョンホンが好きなんですよ。好きだと言ったら、あなた方のようなマスコミの方が、会うチャンスを作ってくれてね。

――会えました?

 会った、会った。もう嬉しくて、いそいそ出かけて行ったのね(笑)。それで、ドアから彼が入ってきたときに、フッと見たらね、片手に数珠を持っているんですよ。男性用のね、とてもいい数珠を。あら? 仏教徒なのかな、と思って、私が「その数珠は?」って聞いたら、「(私に)会うと母に言ったら、『あの方は尼さんだから、これをかけていきなさい』と持たせてくれました」ですって。映画より実物のほうがずっとよかった。素敵な人でしたよ。


日本の大人はダメだけど若い子は大丈夫

――何といっても、SEALDs(シールズ)の若い女性の口調で書かれた「さよならの秋」には驚きました。あの文体はまさに二十歳(はたち)です。

 私たちの言葉と勢いが違うでしょう。私からすると彼らの言葉は非常に滑稽なんだけど、それを面白いと思う。面白いと思うと、書こうって気になるじゃないですか。そういう刺激がある。
 寂庵には今、私と六十六歳差の秘書がいるんです。その秘書にね、原稿をワープロで打ってもらうと、「私たちの世代はこんな言葉は使いません」なんて言ってくるんですよ。「じゃ、そこ何て言うの?」と聞くと、「私たちだったらこう言います」って教えてくれるの。それで、ちょっと直すとね、もう違います。私は、自分は年齢のわりには古臭くないと思っているんです(笑)。それでも、もう今の子たちはそんな言葉使わないって。何回かそういうことがあったので、この頃は、「こういうとき、何て言うの?」って、書く前に聞きます。

――昨年の夏には病み上がりの身体をおして国会議事堂前の安保関連法案反対デモに参加され、今年はSEALDsの若い人たちとも語り合いました。すごい情熱です。

 デモに行ったあのときはね、これはもう、じっとしていられない、行かなきゃいけないと思ったんですよ。うちにずっと前からいるスタッフたちはね、もうそんなときは止めても無駄ってことを知っているんですよ。だから、私が行くって言ったら、誰も止めないの(笑)。
 安保関連法案に反対するいろんな組織があるでしょう。そういうところから、一緒に行ってほしいって誘われていました。でも、一人で行きたかったんです。どうしても、一人で行きたかった。

――お一人だからこそ、あの行動力にはインパクトがありました。

 行ってみたら、若い人たちがずっと前のほうにいてね、「あ、これはいいな」と思ったんです。あのときはもう本当に病み上がりで動けなくて、車椅子に乗っていましたけど、帰るときにね、その若い人たちが、私のほうを向いて手を振ってくれたの。「ああ、わかってくれている」と、とても嬉しくて。
 日本はね、もう、大人がダメなんですよ。男たちは働かなきゃならない、家族を養わなきゃならない。思い切ったことができないんですよね。だから期待を持てるのは、やっぱり若い子たちなんですよ。私は、もう日本はダメだ、その滅亡を見ないで死ねるのはよかったと思っていたんですけど、でも最近、日本はこれからもやっていけるんじゃないかなって気持ちになっています。それは若い子たちが、本当にしっかりしてきたから。SEALDsのみなさんにも会いましたけど、みんな明るくて、さわやかで、非常にいい子たちでしたね。
 デモに行った親しい男の編集者が、「自分の前にいる若者たちが、『瀬戸内寂聴が"青春は恋と革命だ"と言ってる。だから、俺たちもやろう』って言っていますよ」なんてメールを送ってくれて、そのときのデモには私は行けなかったけど、それは嬉しかったですよ。

――今、とても楽しそうに書いていらっしゃる感じがします。この掌小説集の続きはあるんでしょうか。

 私はね、しんどいし、もう終わろうと思っているのに、「すばる」編集部が「二か月ぐらい休んで、また」なんて言うんですよ。でもね、若々しい文章で自由に書けるのは楽しいし、この数年は本当に、周囲の若い人たちのおかげで、楽しく過ごせているんです。考えることが違うでしょう? 今日もね、うちの秘書が、ホワイトデーだから、バレンタインのチョコレートのお返しをくださいと言うの。しかもホワイトデーは通常三倍返しだって(笑)。そんなこと全然知らなかった。
 これからもね、いくらでも書きますよ。若い人たちからの刺激もあるし、昔の思い出もたくさん、心の奥に、鮮明に残っています。ふたを開ければ人間みんな同じですからね。そんな心の奥のことを書いていきますよ。楽しみながら。だって、私は、本当に、書くことだけですから。

(「青春と読書」2016年5月号より)


瀬戸内寂聴さん瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)
1922(大正11)年、徳島生れ。東京女子大学卒。1957(昭和32)年「女子大生・曲愛玲」で第3回新潮社同人雑誌賞を受賞。61年『田村俊子』で第1回田村俊子賞、63年『夏の終り』で第2回女流文学賞を受賞。73年11月14日、平泉中尊寺で得度。法名、寂聴(旧名は晴美)。1992(平成4)年『花に問え』で第28回谷崎潤一郎賞、96年『白道』で第46回芸術選奨文部大臣賞、2001年『場所』で第54回野間文芸賞、11年『風景』で第39回泉鏡花文学賞を受賞。1998年『源氏物語』の現代語訳(全10巻)を完成。2002年『瀬戸内寂聴全集』(全20巻)が完結。06年文化勲章を受章。『花芯』『かの子撩乱』『美は乱調にあり』『青鞜』『女人源氏物語』『いよよ華やぐ』『死に支度』『わかれ』など著書多数。歌舞伎、能、狂言、オペラの台本も手がけている。


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