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新刊ブックレビュー

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武士マチムラ

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『武士マチムラ』 著者:今野 敏

定価:1,600円(本体)+税 9月26日発売

警察小説の旗手であり、「隠蔽捜査シリーズ」や「安積班シリーズ」など、数々の人気シリーズをもつ今野敏氏の最新刊『武士マチムラ』は、幕末の沖縄を舞台に繰り広げられる、空手に生きた男の物語です。今野氏のライフワークといえる「琉球空手シリーズ」の第四作となる、一気読み必至の熱い長編小説です。
刊行にあたり、押井守監督から、書評を寄稿していただきました。



空手家・今野敏の面目躍如たる労作『武士マチムラ』

【評者:押井 守(映画監督)】

 作家・今野敏には、もうひとつの顔がある。
 とある席上で、空手道今野塾を主宰する空手家・今野敏を、「作家・今野敏が空手をしているのではない。空手家・今野敏が小説を書いているのだ」と評した高名な武道家もいたが、そのどちらが真相であるにせよ、今野敏が現代において文武両道を実践する稀有な存在であることだけは間違いない。
 『武士マチムラ』は警察小説の第一人者である今野敏が、その傍ら――というよりは、むしろその執筆活動の本流として書き継いできた、「武道家評伝シリーズ」とでも呼ぶべき作品群の最新の成果であり、沖縄においてすら忘れ去られつつある『手(ティー)』の歴史を綴った一連の作品としては『義珍の拳』『武士猿(ブサーザールー)』『チャンミーグヮー』に続く四作目ということになる。主人公である松茂良興作(まちむら・こうさく)は前三作で描かれた富名腰義珍、本部朝基、喜屋武朝徳に較べるなら、その武道家としての生涯はけっして波乱に満ちたものではないかもしれないが、彼が生きた時代は沖縄に生きる人々にとっては、苦難の歴史そのものだった。琉球処分と廃藩置県による琉球王国の消滅、という沖縄(ウチナー)の危機の時代に、武道家としていかに生きるべきか。それが本書において描かれた「武士マチムラ」こと松茂良興作の生涯の主題であり、そして本書のテーマでもある。
「この時代に手が何の役にたつのか?」
 松茂良興作は繰り返し自らに問い、弟子からもまた同じ問いを投げかけられる。沖縄の存立の危機は、そのまま沖縄人(ウチナンチュー)としてのアイデンティティーが問われることでもある。時代の行く末の見えぬ不安と苦難の時代に、武士(ブサー)として「手」に生きる意味とは何なのか。
「手に対する疑問のこたえは、手の中にしかない」
 だが稽古を続けることで、本当にその答えに到達することはあるのか――。
 その問い掛けは、実は現代において武道に生きる者すべての問いでもあるだろう。
 前三作でも繰り返し問われた主題であり、歴史に翻弄された沖縄という地で、伝統に生きた空手家たちに固有の主題でもあるのだが、本作におけるその問いはかつてないほどに深く、重い。それは執筆のための聞き取りに繰り返し沖縄を訪れ、理解を深めた結果であるだけでなく、沖縄に古老を訪ねては古流の型を学び、それを持ち帰って道場で実践してきた――謂わば「身体で沖縄を考えてきた」ことの帰結なのではないか、と思えてならない。
 今野敏という作家の、そして武道家・今野敏の沖縄への想いはそれほどに深い。
 現代において文武両道を追求して来た、今野敏という特異な作家の面目躍如たる労作であると同時に、沖縄をめぐる錯綜した言論に、武道家の立場から一石を投じた一篇として読者に強く推奨したい。
 最後に、冒頭で触れた「作家が空手を修めているのか、空手家が小説を嗜んでいるのか」という問いに関して一言。
 空手は、武道は人生であり、小説は生業である。
 その軽重を問うところではない――。
 今野敏に問うなら、そのように答えるのではないか。

(文中、敬称は省略させて戴きました)



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