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そんな僕の人生最大の勘違いは、今から十年前に遡る。当時、不真面目なサラリーマンとして営業に行くフリをして時間を潰すことだけに人生のすべてを捧げていた僕は、縁あって小さな舞台の台本を書く機会を得た。中学生の頃から脚本家になることを志してきた。だから全身全霊で物語を紡いだ。そうして書き上げた脚本は二〇〇九年五月に上演された。
舞台初日、客席の隅で緊張しながら観劇していると、驚くべきことが起こった。
ぐすん、ぐすん……。そこかしこからすすり泣く声が聞こえるではないか。しかも一人や二人じゃない。何人もだ。もちろんその涙の根源は舞台上で頑張っている役者さんの好演のおかげなのだが、僕はその声を聞きながら大きな勘違いをした。
「あれれ? 僕ってもしかして物語を書く才能があるんじゃないのか?」
その勘違いは僕の人生をあらぬ方向へと動かした。サラリーマンを辞め、脚本家を目指すことにしたのだ。きっとあのときの勘違いがなければ今日の僕はいなかっただろう。今も品川の川べりで営業に出かけたフリをして缶コーヒーを飲んでいたに違いない。あの日の勘違いは僕の人生を大きく変えてくれた。
そして九年の時を経て、あのとき書いた物語を小説『この恋は世界でいちばん美しい雨』としてリライトすることになった。内容は大きく変えたものの、当時僕が書きたかったテーマやエッセンスはそのまま残した。今の僕が書ける力をすべて用いて紡ぎ直した物語は、僕の創作活動の原点であり、僕という作家が歩むべき道を示してくれた“道しるべ”のようなものだ。
この物語では『雨』がキーアイテムになっている。九年前、僕は雨が嫌いだった。雨が降ると会社へ行くのが億劫になるし、仕事をサボって営業に行くフリも面倒だ。会社の窓の外を降る雨を眺めながら「あーあ、雨なんて降らなければいいのにな……」と何度思ったことだろうか。
しかし脚本を書きはじめた日、偶然にも雨が降っていた。その雨を見て「これもなにかの縁かもしれないな」と雨をキーアイテムとして登場させた。そして舞台の千秋楽。上演が終わって外へ出てみると、空から雨が落ちてきた。その雨を見上げていたら、隣にいたお客さんが友人同士でこんな話をしはじめた。
「さっき雨のシーンがあったのに外に出て本当に雨が降るなんて、なんか奇跡みたいだね」
なんとなく言ったであろうその言葉は、しかし僕にとってある種の天啓のように感じられた。僕が雨を好きになった瞬間だった。
そして今、物語をリライトする僕に、雨は再び“勘違い”という彩りを添えてくれた。
それはタイトルを付けるための打ち合わせをした日のこと。今まで晴れていたのに突然雨が降り出したのだ。嘘のような本当の話だ。その突然の雨が、『この恋は世界でいちばん美しい雨』というタイトルを付けることに力を貸してくれたのかもしれない。僕はそう勘違いしたのだ。
カバーのデザイン打ち合わせをした日もそう。打ち合わせを終えて外に出ると激しい夕立に襲われた。打ち合わせ場所に自転車で訪れていた僕は、おかげでずぶ濡れになった。でもその雨のおかげか、素晴らしいカバーができあがった。もちろん、イラストレーターさんとデザイナーさんの才能の賜物だ。でも僕は「これもきっと雨の恵みだ」と勘違いをしている。
そんな風に雨は節目節目でこの物語に彩りを与えてくれた。それはまるで、あの日、舞台の千秋楽にお客さんが言った『奇跡』と思いたくなるような素敵な素敵な勘違いだ。この勘違いがどうかこれからもずっと続いてほしい。そして次に雨が連れてきてくれる奇跡は、この物語がたくさんの人の手に届くという幸福になるだろうと、僕は今から勘違いをしている。
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(「青春と読書」2018年12月号掲載)
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