米澤穂信×青崎有吾 対談

青春とミステリの、特別な関係
米澤穂信×青崎有吾 対談

米澤穂信さん二年ぶりの新刊『本と鍵の季節』は、図書委員の男子高校生コンビが謎に挑む、爽やかでちょっとほろ苦い図書室ミステリ。一月刊の青崎有吾さん『早朝始発の殺風景』は、始発電車や遊園地の観覧車などさまざまな状況で推理劇がくり広げられる連作短編集です。デビュー作以来、ともに本格ミステリの実力派として名を馳せてきたお二人。それぞれの新作にこめた思いとは? 意外な初対面のエピソードから、〝青春とミステリ〟の関わりまで、たっぷり語り合っていただきました。

聞き手・構成=朝宮運河/撮影=chihiro.

「小説好きとミステリ好き、それぞれの心に響く」

──青崎さんはデビュー前にも米澤さんに会われているそうですね。

青崎

はい。初めてお会いしたのは二〇一一年です。当時大学のミステリ研究会に所属していて、部誌の企画で米澤さんにインタビューさせていただいたんです。今思うとたいへん拙いインタビューで、冷や汗が出そうなんですけど(笑)、すごく真摯に対応してくださったのが印象に残っています。

米澤

お恥ずかしい。青崎さんのご活躍はめざましいですね。今や「平成のエラリー・クイーン」ですから。

青崎

そんな二つ名がつくとは夢にも思っていなかったんですよ。エラリー・クイーンは大好きな作家だけに、畏れ多いですよね。もうじき平成も終わるので、そろそろ呼ばれずに済むんじゃないかな。きっと次の元号のクイーンが控えています(笑)。

米澤

確かに怖いですよね。

青崎

なぜインタビューさせていただいたかというと、米澤さんの作品が学生の間で絶大な人気があったからなんです。特にミス研に入ってくるような学生なら、誰もが読んでいました。僕の在籍中に『折れた竜骨』が刊行されて、仲間と感想を語り合ったのを覚えています。

米澤

『折れた竜骨』が青崎さんの学生時代ですか。ちょっと前の気がしますが、その頃の学生さんが書く側になっているんですね。

青崎

しかも、現役の後輩たちにどんな作家が流行っているか尋ねると、やっぱり米澤さんだという。米澤さんの「古典部」「小市民」の両シリーズは、青春ミステリの定番として、ミステリ好きの学生がまず手に取る作品、というポジションなのかなと。

米澤

嬉しいですね。書き手としてはちょっと不思議な気がしますけど。

青崎

部室ってなぜか『ジョジョの奇妙な冒険』のコミックスが揃っていたりするじゃないですか(笑)。あれに近い感じで、先輩から代々受け継がれていく。

米澤

なるほどね(笑)。私の学生時代はそういう青春ミステリって、あまりなかったんです。辻真先先生のいわゆる青春三部作が好きでしたが、リアルタイムの作品ではなかったです。

──『本と鍵の季節』はその米澤さんの二年ぶりの新刊です。青崎さんのご感想は?

青崎

いやあ、素晴らしかったです。久々の高校生ものということで、わくわくしながら読ませていただきました。米澤さんの青春ミステリが持っている魅力を、さらに洗練させたような素敵な連作短編集だなと思います。

米澤

ありがとうございます。ここ数年、大人の登場人物を書くことが増えていたんですけど、今回「小説すばる」から機会をいただいて、私のファンに「こういうものから米澤のミステリを好きになった」と思ってもらえるような作品になっていればと思います。

青崎

もちろん、近年『王とサーカス』や『満願』でファンになった人も、楽しめると思いますし。タイトルがいいですよね。小説好きとミステリ好き、それぞれの心に響く「本」と「鍵」という言葉が並んでいる。これだけでもうテンションがあがります。

米澤

このシリーズは色んなミステリのパターンに挑戦する、というのが目標だったんです。密室ものとか、アリバイものとか。

青崎

連作の中でバリエーションを出すということですね。

米澤

もともとは連作じゃなかったんですよ。一本目の「913」を書き上げた時は、独立した短編のつもりでした。それを読んだ編集さんが、登場する男子高校生たちの先を読みたいといってくださったんです。

青崎

堀川次郎と松倉詩門、確かにいいコンビですよね。

米澤

それで全体を連作小説として再構成しました。

青崎

僕の『早朝始発の殺風景』と成り立ちが似ているかも。

米澤穂信(よねざわ・ほのぶ) 作家。1978年岐阜県生まれ。大学卒業後、書店勤務の傍ら小説を執筆。2001年『氷菓』で第5回角川学園小説大賞(ヤングミステリー&ホラー部門)奨励賞を受賞しデビュー。著書に『折れた竜骨』(日本推理作家協会賞)『儚い羊たちの祝宴』『満願』(山本周五郎賞)『王とサーカス』等多数。

「こういう短編集は読んだことがなかった」

── 青崎さんの新刊『早朝始発の殺風景』は五編からなる青春ミステリ短編集です。

青崎

「早朝始発の殺風景」という短編を、読み切り短編として書きました。その後、担当さんから「高校生が出てくる、こういう感じのミステリをもっと読みたい」という感想をいただいて。

米澤

たいへん面白かったです。この短編集はすべてが一幕ものですよね。

青崎

はい。ワンシチュエーションで完結する短編が五つ入っています。

米澤

こういう短編集は読んだことがなかった。読んでこれは演劇的な発想だな、と感じました。

青崎

あ、まさに。お芝居が好きで、大学でも演劇学を専攻していました。演劇には場所と時間、筋が変わらない「三一致の法則」と呼ばれるセオリーがあって、それにのっとった作品を書きたいな、と。

米澤

「夢の国には観覧車がない」は、そうした演劇的発想の最たるものですね。二人の主人公が観覧車の席に着くシーンで始まって、席を立つシーンで終わる。このまま舞台にかけられそうです。ふつう、こうした構成的によくできた作品は鮮烈さが失われがちですが、これはウェルメイドでありつつ、ちゃんとビビッドさを残している。こういう作品はあまり読んだことがないと思いました。

青崎

ありがとうございます。大変嬉しいお言葉です!

米澤

一幕ものは私も好みなんです。何度か書きました。

青崎

一幕ものはやはり〝日常の謎〟と相性がいいですよね。スケールの小さい世界で物語が完結しますから。先の部誌のインタビューで、米澤さんに短編の魅力についてうかがったんです。その際に「景勝の地をゆっくり歩き回るのが長編で、その景色を一枚の写真で切り取るのが短編だ」という意味のことをおっしゃっていて。

米澤

それはずいぶん小癪なことをいいましたね(笑)。

青崎

その発言にも僕は影響を受けているなと、記事を読み返してみてあらためて思いました。ところで一幕ものミステリの定番といえば『九マイルは遠すぎる』(ハリイ・ケメルマン)。

米澤

小耳に挟んだ「九マイルは遠すぎる」という一言の真意を推理する、名作です。

青崎

あれと同じテイストを、『本と鍵の季節』の「ロックオンロッカー」から感じたんですよ。美容師さんの発したある一言から、推理が広がってゆく。

米澤

おっしゃるとおりです。その一言がなぜ発せられたのかを主人公二人が延々推理する話で、「九マイルは遠すぎる」のスタイルを踏襲しています。

青崎

やっぱりそうでしたか。「ロックオンロッカー」はどこに話が向かってゆくのか分からない面白さもあって、大好きでした。ところで舞台になっているのは、四十人も同時に座れる美容院ですよね。あんなに大きな美容院、本当にあるんでしょうか。

米澤

あるんです。前に通っていたお店がそうでした。まさかそんなに美容師さんは雇っていないだろうし、どうしてこんなに席があるのか不思議だったんです。私なりに推理したのは、成人式や卒業式シーズンに、髪をセットしに来るお客さんを座らせるためじゃないかと。

青崎

なるほど、そうか。

米澤

ところが数日前にある方と対談してこの話をしたら、美容師の技術研修用じゃないですか、というんですね。系列店のスタッフが集まるセンターも兼ねているんじゃないかと。それはそれで説得力があるでしょう。

青崎

うーん、ちょっとした日常の謎ですね(笑)。どっちなんだろう。この短編は美容師さんとの気まずい会話が描かれているところも好きなんです。僕の今回の短編集も〝青春の気まずさ〟みたいなものをテーマとしているので、嬉しくなりました。

青崎有吾(あおさき・ゆうご) 作家。1991年神奈川県生まれ。『体育館の殺人』で第22回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。著書に『水族館の殺人』『風ヶ丘五十円玉祭りの謎』『図書館の殺人』『ノッキンオン・ロックドドア』の他、「アンデッドガール・マーダーファルス」シリーズがある。

「あまり〝今〟を捉えることに興味はないんです」

──『早朝始発の殺風景』の最終話「三月四日、午後二時半の密室」には、「青春ってきっと、気まずさでできた密室なんだ」という象徴的なフレーズがあります。

米澤

あの短編、素晴らしかったですね。舞台の片側にだけライトが当たっていて、ラストシーンで登場人物が移動すると、それまで暗かった側に光が当たる、というイメージが浮かびました。

青崎

密室劇だから気まずいムードになっても逃げられない。どうも僕はそういう話が好きみたいで。今回書かせてもらった五編はすべてそんな感じです。

── お二人はデビュー以来、高校を舞台にした青春ミステリを何作もお書きですね。年齢を重ねるにつれて、作品に対する意識は変わりましたか?

米澤

青春時代特有の感覚、私は〝ひりつき〟と呼んでいるんですけど、それがいずれ消えてゆくことは分かっていました。この感覚が消えないうちに書いておこう、と意識的に執筆したのが『さよなら妖精』と『ボトルネック』でした。

青崎

『ボトルネック』はおいくつの時でしたか?

米澤

二十八歳(二〇〇六年)ですね。

青崎

僕は今二十七で、まさにひりつきが消えかけている時期です。二十歳でデビューした当時は、高校時代のノリや感覚がまだ残っていたので、等身大の青春が書きやすかったんです。ここ数年、高校生のリアルな生活が分からなくなって、昔のようには書けないな、と思っているところです。

米澤

私はあまり〝今〟を捉えることに興味はないんです。どんなに社会状況やテクノロジーが変化しても、その時々にきっと変わらない悩みや葛藤がある。その核になる部分さえ押さえられたら、そこまで現代を描かなくとも、いい作品になるんじゃないかと思うんです。

青崎

変わらないといえば、学校の図書室ってこれからも変わらない気がしますね。十年後、二十年後も変わらないものがあるとすれば、図書室の風景だと思う。

米澤

それは面白い発想ですね。

青崎

『本と鍵の季節』で一番好きなのは、図書室の本が手がかりとして出てくる「ない本」なんですよ。

米澤

ありがとうございます。あの作品では、読者が今まさに手にしている本のどこかに手がかりがある、という形にすることができました。

青崎

本って思っているより以上に、色んな使い方ができますよね。僕も『図書館の殺人』を書いた時には、本をためつすがめつして謎を作りました。

米澤

といってあまりブッキッシュな雰囲気にもしたくなくて。主人公二人はふつうに本を読む高校生、という感じで描いています。

「十代の人間関係って、どこか密室みたいなところがありますよね」

青崎

今回あらためて、ミステリと青春は結びつきが強いと感じました。高校生くらいまでの年頃って、現実との距離がうまく掴めずに、ちょっとの嘘や悪意にも過敏に反応してしまう。「ない本」もまさにそうですけど、そういうセンシティブさが〝謎を解く〟というミステリ的な行動と親和性が高いと思うんです。

米澤

今回の短編集は私が大人になって、青崎さんがいうような感覚を失ったからこそ書けた作品でした。ここでは詳しく語れませんが、最後まで読んでいただければ、どういう意味か納得してもらえると思います。

青崎

『本と鍵の季節』の中に「学校という小空間」という表現があって、深く頷きました。十代の人間関係って、どこか密室みたいなところがありますよね。

米澤

そうですね。だからこそ『早朝始発の殺風景』の最終話が卒業式を描いていることに、大きな意味があると思います。密室を描くなら、最後にドアが開かなきゃ嘘ですよねって。

青崎

自分でも「三月四日、午後二時半の密室」を書いて、綺麗に終われたと満足していたんです。ところがエピローグをつけ加えて欲しいといわれてしまって……(苦笑)。

── 青崎さんはすべてのエピソードを繋げるエピローグを、米澤さんは「友よ知るなかれ」という短編を、それぞれ単行本化にあたって書き下ろされています。通して読むと、雑誌掲載時とはまた違った発見や面白さがありますね。

米澤

編集さんの気持ちも分かります。エピローグなしで終わられると「捨て猫と兄妹喧嘩」に出てきた猫がどうなったのか、気にする読者もいるでしょう。

青崎

そこは他の方にもいわれました。

米澤

あのエピローグは舞台に喩えるならカーテンコール。出演者全員が挨拶してくれた気がして、気持ちのいいラストだと思いましたよ。

青崎

カーテンコール! いい喩えをいただきました。今回の次郎と詩門の物語は今後も続いていくんでしょうか?

米澤

続けてみたいなとは思っています。

青崎

それは楽しみですね。この物語を経て、二人の関係がどう変化しているかも気になります。

米澤

何事もなかったように、これまでと同じ生活を続けている気がしますね。男子って案外そういうものじゃないでしょうか。

青崎

それにしてもミス研のインタビューから七年経って、こうして対談できたのが夢のようです。今日はありがとうございました。

米澤

こちらこそ、お話しできて楽しかったです。

(「青春と読書」2019年1月号掲載)

本と鍵の季節

『本と鍵の季節』米澤穂信 著
発売中・単行本
本体1,400円+税

早朝始発の殺風景

『早朝始発の殺風景』青崎有吾 著
1月4日発売・単行本
本体1,450円+税
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