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レンザブロー インタビュー

アニメーション監督 新海誠さん

「アニメーション監督の自分にしか書けない小説を」

 文字を指でなぞりながら、一行一行、大切に文章を読み進めたくなる。紡ぎだされる言葉はどれも繊細で綺麗だ。ディテールにこだわった情景描写によって、映像が次々と頭に思い浮かぶ。アニメーション監督・新海誠だからこそ作れる独特の世界が、『小説 言の葉の庭』にはある。

 2002年、監督・脚本・美術・編集など制作作業のほとんどを1人で行ったアニメーション作品「ほしのこえ」で鮮烈なデビューを果たし、数々の賞を受賞する。その後「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」などのアニメ映画を発表。遠い過去の自分を思い起こさせるセンチメンタルな脚本、克明に描かれた背景、セリフのみならず微細な表情や音を巧みに使うことで表現される心情描写は、国内外で高く評価される。2013年「言の葉の庭」が劇場公開。自身によるノベライズは『小説・秒速5センチメートル』に続いて本作が2冊目だ。

言の葉の庭 新海誠

『言の葉の庭』
KADOKAWAメディアファクトリー/定価:1,500円(本体)+税

 

新海誠さん

【プロフィール】
新海誠(しんかい・まこと)

1973年、長野県生まれ。アニメーション監督。2002年、短編アニメーション「ほしのこえ」で注目を集める。その後「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」「星を追う子ども」「言の葉の庭」を発表。国内のみならず海外でも高い評価を受ける。小説作品には『小説・秒速5センチメートル』がある。

 靴職人になる夢を持つ高校生・秋月孝雄は、雨の朝には決まって学校をサボり、都心では珍しい緑の生い茂る公園へと足を運ぶ。大好きな雨音や新緑の匂いを感じながら、靴のスケッチを描くためだ。いつものように東屋へ赴くと、ビール片手に座る年上の女性の姿が。
 遠雷の響く雨の朝、孝雄は雪野百香里と出会う。やがて雨の日だけ会うようになった2人は、徐々に距離を縮めてゆく――。

 思春期特有の焦りや大人への落胆、まだ何者でもない自分への葛藤、誰からも理解されない絶望感――。主人公2人の感情が痛いほど伝わってくる。読者の想像力をかき立てる情景描写の積み重ねが、登場人物の心情を浮かび上がらせているからだ。
 “田んぼの向こうを予讃線の三両列車が通過していて、その黄色い窓明かりが陽菜子先生の顔を柔らかく照らし出す。雪野を守り励まし続けてきた、大好きな優しい笑顔。”
 「情景描写は、僕の映画の中でも期待されているというか、よく『いいよね!』と言っていただける部分です。僕もそこに面白さを見出しているので、小説でも情景描写を入れないわけにはいかないと思い、ポイント毎に書こうと決めていました」
 深い悩みを抱え、一歩前に踏み出すことの出来ない雪野。孝雄は、彼女に前を向いて歩いて欲しいと、彼女のための靴を作る決心をする。しかし、2人を巡り合わせた梅雨も明け……。
 近づけそうで近づけない、ひと夏の淡い恋の物語だ。

 子供の頃から本が好きだったという新海さん。小学生の頃に出会った本で一番印象に残っているのは、乙骨淑子著『ピラミッド帽子よ、さようなら』。SFの要素を取り入れた冒険小説で、後に新海さんが手がけたアニメーション映画「星を追う子ども」の着想は本作から得ている。
 「著者の乙骨さんは執筆途中で亡くなってしまったんですね。謎がちりばめられた作品だったんですが、それがほとんど解かれないまま、未完のエンディングを迎えたんです。後に別の著者によって補完はされましたが、子供心にこの話はどう終わるはずだったのか、自分の中で色々と想像したのを覚えています」
 中高生時代は海外SF、中でもアーサー・C・クラークにのめりこむ。科学技術がディストピアにつながる話ではなく、技術が人間性も含めて明るい未来をもたらす物語に魅力を感じた。クラーク作品をきっかけに、人間が到達していない遠い場所に憧れを持つようになる。
 「よく読むのはSFなんですが、執筆中は、同時代の日本の作家さんの小説を多く読んでいました。僕にとってはまだ2冊目の小説なので、未だに書き方に迷うことがすごく多いんです。次はこういう展開にしたいけど最初の1行をどう始めればいいんだろうって。そこの迷いは、とにかく隣に本を積んでひたすら読むことでなんとかしました。大学時代から読み続けている村上春樹さんの作品もそうですし、大人になってから影響を受けた角田光代さんの作品も繰り返し読んで参考にさせていただいて」

 新海さんが楽しみながら小説を書いていることが伝わってくる。映像にはない、文章で表現することの魅力とは一体。
 「1つには比喩表現、特に直喩です。映像では語り言葉とかメタファーとしての表現はできるんです。男女が言い争いをしている時、2人の関係性を土砂降りの雨によって表現することはできます。気持ちの動揺とかですね。でも、柔らかい布のような雨、みたいな映像はなかなか作れないんですよね。柔らかそうな細かい雨を描いたとしても、そこから見ている人が布を連想してくれるとは限らないので。小説では1文でそれを伝えることができるので、書いていて凄く楽しかったです」

 映像で表現できないことを文章で。その反対もある。映像であれば見ている人を1カットで圧倒することができる。しかし、その一要素を切り取って文章に翻訳することはできない。「意図的にやったのは、比喩の中に食べ物の色を出すことです。レモン色の夕陽、とか。人の感覚に訴えるような表現を目指しました」。何人もの手で作り上げる映像に敵わない部分のディテールは、全く別の切り口にしながら書き進めた。映像的な感覚をそのまま落とし込むことによって、今までに読んだことのない小説の味わいが広がる。

 映画では孝雄、雪野の視点のみで話が進む。小説では、映画で登場回数の少ない人物にも焦点を当てた。第三者の視点を入れることにより、2人の造形がより立体的に浮かび上がる。映画、小説双方を楽しんでいただければ、と新海さん。
 「アニメでは描かれていない部分が小説になっていて、アニメを一回見ている人には驚きがあると思います。小説から入った人は、読み終わったらアニメを見て欲しい。あの文字の羅列がこういう映像に繋がるんだと、逆の驚きがあるのではないでしょうか。セットで見る必要はないですが、他の小説との違いを何か感じていただければ嬉しいです」

 
 

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