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蛇衆

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『蛇衆』矢野隆

定価:1,500円(本体)+税 1月5日発売

対談 宮部みゆき×矢野 隆
おもしろくて、恰好いい活劇を!

頃は室町末期。戦乱の日本各地を、誰にも仕えることなく、己の技倆と才覚のみで生き抜く最強の傭兵集団「蛇衆(じゃしゅう)」。体術の天才・朽縄(くちなわ)を筆頭に、槍の十郎太、金棒の鬼戒坊、弓の孫兵衛、小刃投げの無明次、紅一点・大太刀遣いの夕鈴。そして渉外担当の宗衛門。彼ら七人が縦横無尽に戦国の世で活躍する、第二十一回小説すばる新人賞受賞作『蛇衆』。
作者の矢野隆さんは前回、『臥龍の鈴音』で同賞最終候補に残りましたが、選考会で同作を高く評価したのが宮部みゆきさんでした。宮部さんの期待に応えて今回、見事受賞を果たした矢野さん。尊敬する先輩作家と歓びを分かち合っていただきました。


テレビゲームからの影響

宮部 今回の受賞作は、『蛇衆』も『魚神』もともに全体の評価が高かったんです。私が小説すばる新人賞の選考委員に加わらせていただいて七年になりますが、その間に二作同時受賞はありませんでしたし、それ以前でもこれほど得点が近接して高い評価を得たのは、第十回の荻原浩さんと熊谷達也さんが出たとき以来だそうですね。ですから、受賞作決定の後はその話で持ちきりでした。熊谷さん、荻原さん以来の組み合わせだから、この二人もきっと大きく伸びてくれるだろう、期待しましょう、と。
応募の時点では、「蛇衆綺談」というタイトルでしたよね。井上ひさし先生も矢野さんの作品を高く評価なさっていましたけど、「タイトルで、なぜか奥ゆかしく『綺談』とつけている。これは遠慮したんですな」とおっしゃったんです。私はお隣に座っていたものですから、先生に向かって「そうですよね。私は『綺談』なんてつけてへりくだるなぁ! と思ったんですよ」と思わずいってしまいました(笑)。ともかく、非常におもしろく読ませていただき、大変興奮しました。

矢野 ありがとうございます。

宮部 お会いしたら、まず伺いたかったことがあります。矢野さんは、テレビゲーム、お好きですか。

矢野 はい。先生ならお気づきいただけるかと思いますが、傭兵で、しかも「蛇」ですから。

宮部 かの有名なスネーク、「メタルギア・ソリッド」ね(笑)。

矢野 ええ。ゲームは全般に好きで、アクション系もやります。

宮部 シミュレーションRPGやRPGでは、どんなものをやっていらっしゃいますか。

矢野 RPGでは「女神転生」とか、シミュレーションだと「信長の野望」や「スパロボ(スーパーロボット大戦)」をやります。

宮部 「幻想水滸伝」のシリーズはやっていらっしゃいません?

矢野 やってないんですよ。

宮部 ほんとに? 私は『蛇衆』を読んだときに、この人は「幻水」シリーズのファンに違いないと思ったんです。蛇衆のメンバーの組み方が、あのゲームのユニットそのものじゃないですか。あそこに魔法使いが一人入ると完璧ですよね。しかも、それぞれの得意の武器の振り分けが、近接戦闘と遠距離戦闘とでうまくバランスが取れている。近接戦闘が、拳士の朽縄と槍の十郎太、剣の夕鈴、金棒の鬼戒坊、ミドル系戦闘が、小刃投げの無明次、そして、遠距離が弓の孫兵衛。「幻想水滸伝」も六人でパーティーを組んで、近接系(S)、ミドル系(M)、遠距離系(L)の三つに組が分かれている。私、いつも選考会にはレジュメをつくって持っていくんですけど、そこに「この人、絶対幻想水滸伝のファンだ」と書いていたんです。それはちょっと外れたなぁ(笑)。

矢野 でも、そういう組み方はRPGの基本ですから。ゲームの影響を受けていることは間違いありません。

宮部 ご自分でゲームをつくるとか、映画を撮るとか、映画のシナリオを書くとか、コミックを描くとか、そちらのほうに興味はいかなかったんですか。

矢野 ぼくはジャンプ世代なので、『キン肉マン』とか『北斗の拳』に夢中になって、小学生のときから漫画家になりたいと思っていました。で、高校はデザイン科を選んで、二十一、二の頃まで漫画を描いていました。漫画の応募規定というのは、頁数が大体二十枚前後なんですけれど、いざストーリーにしていくとどんどん膨らんじゃうので、規定枚数では入らない。その点文字であれば、何百枚か書けるわけですよね。これはもう小説だなというところから、小説に入っていったんです。

宮部 つまり、ご自身にとって得意な武器は、コミックではなく、活字、小説のほうだと思ったわけですね。

矢野 はい。欲張って、これ恰好いいぞと思ったら、とりあえず何でもかんでも入れちゃえという傾向が強いので、やはり、小説という器はありがたかったですね。

宮部 その段階で、長編のコミックを見てあげるというような編集者にもし会っていたら、コミック作家になっていたかもしれない?

矢野 ただ、絵のほうにも限界を感じていましたから。むらっ気があるというか、キャラクターを中心に書いていくのは好きなんですけど、背景を書き始めると、そこでスピードが鈍ってしまうというか……。絵は向いていなかったのかなと、今でも思います。

宮部 それは小説界にとっては幸いなことでした(笑)。

活字でアクションを書く喜び

宮部 これぐらいダイナミックで外向きの応募作というのは久々だな、そう思いながら選考会に行きましたら、井上ひさし先生が「この人は外に開いている作品を書く人だ」とおっしゃって、そのときに大きく手を広げて、外に開いているという手振りをなさったのが印象的でしたけど、私もまったく同じ気持ちでした。
外に開いているというのは、読者を楽しませよう、スリリングな戦いを味わってもらおう、素直に泣いたり笑ったりしてもらおうというサービス精神に溢れていて、作者自身のエモーションが先に立っているということです。最近の応募作というのは、内省・内向して端正な作品が多いんですけれど、その中にあって、今度の『蛇衆』は、外に向かう若いエネルギーをすごく感じました。

矢野 前回の『臥龍の鈴音』の場合は、ここを書きたいという一つの要素に絞り込んだところがあったのですが、今回はあまりあれこれ考えず、恰好いいと思うものをとりあえず全部詰め込んじゃえ、と。一応、ストーリーの辻褄合わせは考えましたけど、個々のシーンは、頭の中に浮かんだものをそのまま書いています。

宮部 私も同じような書き方をしているので、辻褄合わせに苦労するんです。こことここのシーンは決まっている。これは絶対書く。連載のときには、このシーンを書くためにはどうすればいいんだろうということで繋いでいくんですね。でも、単行本にするときには、全体の辻褄を合わせるために、あちこち繋ぎ換えをするので、極端な場合には、連載のときと単行本のときで犯人が変わったりとか(笑)。
書き出すときに、全体の構想は決まっている。構想が決まっているというのは、書きたいシーンが決まっているということでしょう。シーンが決まっているということはお尻が決まっているということなんですね。『蛇衆』もそうでしょ?

矢野 そうです。

宮部 ストーリーの重要なポイントにハーケンを打っていって、そこを手がかりにしながら結末へ向かって登っていく。あとは、どのルートで登るかということですよね。

矢野 宮部先生の作品はとても緻密なので、そういう方法で書かれているとは思えないですね。

宮部 だから、書き直しが多くなるんですよ(笑)。
だけどこの『蛇衆』は、方法云々よりも、活劇を正面切って活字で書こうということ自体がまず非常に思い切ったことですよね。私も、ファンタジーSFでは、チャンバラシーンみたいなのを書いたりするんですけど、書けば書くだけ無力感みたいなのを感じることがある。しょせんCGでやられたら敵わない、生身の役者さんの身体能力には敵わない、映像にされたら敵わない、コミック作家の画力には敵わない……と、ついつい消極的な書き方になってしまうんです。矢野さんには、それがまったくない。何よりもまず、活字でアクションを書くことの喜びがあるんですね。

矢野 ともかく、おもしろくて恰好いいところを、たとえ剣が折れてもどんどん繰り出していこう。それしか考えなかったですね。

宮部 読む者をわくわくさせるような戦闘シーンが書けるというのはすごい力だと思いますけれど、ご自分がそれだけ打ち込み楽しんで書かれたことが一番の要因だと思いますね。

矢野 格闘技とかも好きなんですよ。

宮部 そうなんだろうな、やっぱり(笑)。

初めて観た映画は『八つ墓村』

宮部 この辺で、ちょっと人定質問を(笑)。お生まれは?

矢野 久留米です。

宮部 久留米から離れたことはない?

矢野 若い頃に少し福岡のほうに出ていたことはありますけど、二十五の頃に本格的に小説家になろうと決めて、そのために仕事も制限する――平たくいえばフリーターですね(笑)。三十までは我慢してくれと親に頭を下げて、久留米に帰ってきたんです。

宮部 ご両親はそのとき何ておっしゃいました?

矢野 漫画家になりたいといったときも、好きなことをやってもいい、そのかわり、自分のけつは自分でふけ、という感じの親でしたから、割とすんなりと。

宮部 近くに本がたくさんある環境だったんですか。

矢野 母親が横溝正史の大ファンで、その手の本は身近にありました。ぼくが初めて観た映画は『八つ墓村』で、まだ小さくて何もわからないぼくの頭の中に、『八つ墓村』のあの祟りが入り込んでしまったんです(笑)。

宮部 尼子の落ち武者のね。それは一生武者ものを書かなきゃならないと決定づけられたようなものですね。

矢野 小学生のとき、土曜サスペンスなんかで、毎週、横溝正史ものを見せられたので、「もう嫌だ。○○君のうちは見ないのに」と泣いて訴えたら、母が「○○君のところの子供になりなさい」って(笑)。小さいときは怖くて怖くてしょうがなかったんですが、十七、八ぐらいのときに読んでみたら、結構おもしろいんです。それが案外役立ちました。

*以下、小説の内容と深く関わる発言が出て来ますので、本文をまだお読みでない方は、読了後に読まれることをお勧めいたします。

「そうこなくっちゃ」と「そうだったのか」

宮部 これはちょっとネタバレになってしまうんですけど、ある主要な人物が途中で命を落とすじゃないですか。私、あっ、あれだけつくり込んだキャラなのにここで死なせちゃうんだと、勿体ないと思ったんです。でも、最後まで読み通すと、たしかに、あそこで死ななきゃいけないことがわかる。それでも、死んだときには、ほんとにびっくりしました。しかも非常にむごい殺され方でしょう。心痛みませんでした?

矢野 自分の中に、人は死んだら戻ってこないんだということを書きたいというのが明確にあったんです。最近のゲームなんかだと、主人公が生き返ったり、一度死んでもリセットしてまた最初から始められる。そうじゃないんだというものを書きたかったんです。
二度と生き返らないからこそ、自己犠牲というのも生きてくるんだと思います。昔、ぼくは一連の角川映画が好きでよく観ていたんですけど、『里見八犬伝』のような、ああいうヒロイズムみたいなものを書きたかった。ですから、自分にとって、今度の結末はあれしかなかったんです。

宮部 たしかに、あの幕切れはとてもきれいで、王道だと思います。そうこなくっちゃという幕切れだし、そこまでの一人一人の結末への向かい方もとても納得がいくし、一つ一つ心に染みる。それはやはり、あの無念な死があったからですよね。

矢野 ええ、そこを書きたかったんです。

宮部 私、デビューしたての頃に、先輩の作家から、エンターテインメントの小説というのは「そうこなくっちゃ」か、「そうだったのか」の二通りでいいんだと教わりました。『蛇衆』には、さっきいったように「そうこなくっちゃ」というのと同時に、「この人は実は……」と読者を驚かすような「そうだったのか」もとてもいい感じで入っていますね。
「そうだったのか」については、私はミステリー作家なので、ミステリー系の作品を読むときにはそのつもりで読むんですけど、逆にジャンル外のものに対してはまったく無防備で、とりあえず刀を置いて読むという感じなんですね(笑)。だから、「あっ、ここでひっくり返されたか」「えっ、これ、そういう読み方しなきゃいけないんだ。どこかに伏線張ってあったかな」と思って、ほんとにびっくりしました。

矢野 あれは推理小説というよりも、歌舞伎の「やつし」の感じなんです。歌舞伎には、「実は○○が××だった」という形が結構多いじゃないですか。それを意識したところはあります。

宮部 そこに、家の怨念を背負って復讐の鬼と化すみたいな因縁話も絡んでくる。まさにさっきの『八つ墓村』みたいですよね。いままで、ご自分がお好きで読んでいらしたもの、傾倒していらしたものが濃縮されて、ある喫水線を超えて書き始めたという感じなんですね。
それから、終盤の夕鈴のあの行動も、ほんとうに切ないですね。

矢野 彼女の性格から考えて、あそこはああするしかなかったと思います。

宮部 夕鈴が仲間が止めるのを振り切って、敵の中に乗り込んで行こうとする。たくさんの武将もの、戦乱ものをお書きになっている北方(謙三)さんが、「彼らは非常に戦闘能力の高い集団なので、一回戻って態勢を整えて、情勢を冷静に分析してから夜襲でもかければもっと勝ち目があったはずだ」とおっしゃったんですよ。それもこれも彼らを死なせたくないからで、よくわかるんだけども、私は、「北方さん、夕鈴は一晩待てないんですよ!」と言っちゃったんです。「そうか」「そうなんですよ、女は!」って(笑)。

矢野 戦いというものの根柢を支えているのはやはりメンタリティーなんだと思うんです。ある相手に対して、なぜそいつと戦わなければいけないのかというのは、やむにやまれぬ気持ちなんですね。それは理屈を超えている。だから、受賞後にそのご指摘をいただいたんですが、終わり方はあれしかあり得なかったんです。それには、あの夕鈴の決死の覚悟が必要だったし、それができるのは、やはり女性である夕鈴だったんですね。

宮部 でも、仲間は彼女を一人で行かせるわけにはいかないよね。だから……すごく感動しました。

矢野 そういっていただけて、すごくうれしいです。

宮部 『蛇衆』を書いていて一番苦労したシーンはどこですか。

矢野 冒頭ですね。

宮部 どうやって幕をあけるか、読者をつかむかということですね。

矢野 あそこは、演劇でいうところの序みたいな部分というか、歌舞伎の花道での語りじゃないですけど、まだ幕はあいてない状態なんですね。だから、蛇衆が出てきてからはある熱をもって書いていけるんですけど、あそこだけ熱量が違うというか。舞台の装置と口上とがなじまないような感じがあって、どれだけ手直ししても、その空気感をうまく描くことができませんでした。

宮部 でも、そこは空気違っていてよかったと思いますよ。あそこで因縁の系譜の発端を書くわけですけど、一つ間違えると伝奇ものだと思われてしまいますから。ただ、冒頭に非常に暗く残酷なシーンがあって、一転して野戦のシーンが始まって、広々と視界が開けていく。そこに、大槍を振り回しながら十郎太をはじめとする蛇衆が登場してくる。あのシーンはすごく鮮やかですね。

矢野 「真・三國無双」の呂布的なことがやりたかったんです。

宮部 やっぱり、「無双」やります?

矢野 はい。

宮部 呂布倒せた?

矢野 倒せたり倒せなかったり、逃げ回ったりとか。

宮部 私は何回やってもダメでした(笑)。
あのゲームの醍醐味は、圧倒的多数の敵の中に飛び込んでいくと道がパーッと開けるというところですよね。あの快感が『蛇衆』にはあるんですよ。帯に、「無双ファンは絶対読め」って、うたうべきですね(笑)。

死んだ人間は、生き返らない

宮部 一番楽しんで、こんなにぐんぐん書けちゃっていいのかなというぐらい、調子よく書けたところはなかったですか。

矢野 楽しくて好きだったのは、無明次の戦いの場面ですかね。

宮部 無明次って、ニヒルですよね。

矢野 飛び道具っていうのは、速さが命じゃないですか。彼の集中力が極限に達したときの表現をどうしようかというときに、時間が止まったように感じて、敵の動きの一つ一つが手に取るように見えてくる――。書いていてすごく楽しかった。

宮部 逆に書きにくかった、書いて難しかったキャラは?

矢野 鷲尾城主、ですね。

宮部 たしかに、あれは複雑なキャラですよね。

矢野 正直迷いました。彼の意図というのを自分に問い続けましたね。彼は果たして何がしたかったんだろうか、と。それは一番難しかったですね。

宮部 非常に不可解で、闇のある人物ですよね。実は『蛇衆』という作品の要石でもある人物だから、書くのは難しかったでしょうね。

矢野 因縁の発端でもありますから。

宮部 嶬嶄の跡継ぎの兄弟が二人で争っているじゃないですか。あの辺なんかも、細かいところだけど、おもしろいなと思いました。戦国時代には、織田信長だって、弟の信勝を殺しちゃうわけだから、実際にああいう骨肉の争いはあったわけですよね。また、それぞれに応援団がついているだけに余計に始末に負えないんだけれども、その辺の妙に生っぽいところがよく出ている。蛇衆のみんなは傭兵だから、その辺はドライでいられるようなものだけれども、仲間内の情は、一緒に困難を乗り越えていけばいくほどに、高まっていく。仲間の返り血を浴びても戦い続けるということになれば、傭兵には傭兵の身を切られるつらさがあるわけですね。
先ほどおっしゃったように、死んだ人間は生き返らない。戦というのはそういうものだということは、私なんかも、ファンタジーとかを書きながら、いつも自分にも言い聞かせているし、そのことを作品の中でも書きたいと思っているんです。死んだ人間の穴は埋まらないんだということですね。歴史は、ある人間が死んでも、流れる方向へ流れていくけれども、その人間を知っていた周りの人間にとっては、その人の死は埋まらないんだ、それが歴史の流れと個人の生の違うところなんだということは、いつも書きたいと思っています。そういう考えが根柢に流れているから、私は『蛇衆』という作品に心打たれたんだなと思います。

矢野 そういっていただいて、大変光栄です。

現代にはないもう一つの真実を描きたい

宮部 しめくくりに、今後の展望を。これからどんなものをお書きになりたいですか。

矢野 小説を書き始めた頃から書きたいものは変わらなくて、楽しくて恰好いいと思うものを一つ一つ書いていきたいですね。

宮部 時代は、やはり今度と同じ室町あたりが舞台ですか。

矢野 それに限らず、どの時代にも興味はあります。

宮部 そうすると現代もあり?

矢野 『蛇衆』もそうですけど、自分が走らせたいキャラクターは、現代の倫理観と微妙なずれがある気がします。たとえば、たとえ復讐のためでも人を殺すことは法治国家の下では許されない。でも、法を超えた心情、現代にはないもう一つの真実というものもあると思うんです。それを表すには、やはり時代小説のほうがやりやすいと思います。

宮部 すごくよくわかりますね。私もどうも、最近の日本人の死生観がわからなくなってきているところがあって、私がかくあるべきと思う死生観を表すには、やはり時代もののほうが書きやすいんです。
実在の武将をメインに登場させるような計画はありますか。

矢野 前々から秀吉は書いてみたいな、と。

宮部 秀吉は闇の部分が多い人ですから、いろいろおもしろいことが出てきそうですね。先行作品も多いから大変だとは思いますけど、是非チャレンジしていただきたいですね。

矢野 まだまだ、階段を上り始めたばかりですけど、ともかく一歩一歩上っていって、いつか実現させたいですね。

宮部 多作しろとは申しませんけれども、コンスタントに、体に無理のない範囲内で書いていっていただきたいと思います。なにしろ『蛇衆』という生きのいい作品で小説界に躍り出たわけですから、あまり長いこと沈黙せずに、早く次の作品を読ませてくださいね。

矢野 はい、ご期待に添えるように。

(構成・増子信一/撮影・秋元孝夫)

※この対談の一部は、「青春と読書」2009年2月号にも掲載されます。

宮部みゆき●作家。1960年東京都生まれ。著書に『火車』(山本周五郎賞)『蒲生邸事件』(日本SF大賞)『理由』(直木賞)『模倣犯』(毎日出版文化賞特別賞・司馬遼太郎賞)『名もなき毒』(吉川英治文学賞)等。 注*司馬遼太郎の遼のしんにょうは点ふたつ

矢野隆●1976年福岡県生まれ。2007年、第20回小説すばる新人賞最終候補に。2008年、「蛇衆綺談」で第21回小説すばる新人賞を受賞(受賞後、「蛇衆」に改題)。

蛇衆矢野 隆 著
『蛇衆』
発売中
定価:1,500円(本体)+税
室町末期、荒喰(あらばみ)とよばれる傭兵集団「蛇衆(じゃしゅう)」が各地の戦で力をふるっていた。頭目・朽縄(くちなわ)ら6人は、皆天涯孤独ながら、今は寝食を共にし、老人・宗衛門の手引きでそのときどきの雇い主のもとに赴き銭を得ていた。一方、筑後と肥後の国境近くの鷲尾領では、当主・鷲尾嶬嶄(ぎざん)の2人の息子による家督争いが、家臣を巻き込み激化しつつあった。隣接する我妻家との戦いのため鷲尾家に雇われ、めざましい働きをみせる「蛇衆」。その戦の後――どこからともなく、朽縄が、生後まもなく死んだとされる嶬嶄の嫡男ではないか? という噂がささやかれるようになる……。

(担当より)ゲーム世代の若い才能による、“新感覚の超絶アクション時代小説”が誕生しました! ……とはいえ、ゲームを全くやらない私も、スピード感あふれる合戦シーンに目が釘付けになり、蛇衆の面々の強い絆に心打たれました。“熱い”物語がお好きな方におすすめしたいです。(編集I)


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