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RENZABURO書評スペシャル

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みのたけの春

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『みのたけの春』志水辰夫

定価:1,800円(本体)+税 11月5日発売

書き下ろし長編時代小説『みのたけの春』
刊行記念書評スペシャル

北上次郎

 あ、そうかと気がついた。志水辰夫の小説をなぜ好きなのか、それがようやくわかったような気がする。

 たとえば本書の冒頭近くに、清吉が庭を見るシーンがある。満開の山桜に鶯がいる。縁側で母が繕っているのは清吉の野良着だ。肩はもちろん前身ごろまで、元の生地がわからなくなるくらい継ぎがあたっている。もとはといえば父が着ていたものだ。

 庭の竿には布団が干してある。太陽が西に寄り、日射しがいまでは縁先から離れようとしている。そこから引く。
「目の前にひろがっているのは、新芽の萌えはじめた山里の風景だ。正面にひときわ高く鉢伏山。芽吹きの季節を迎えて山々は桃色に染まり、谷間の雪は日ごとにやせ細っている。濃くなってきた空の青。一年のうちでいちばん美しい季節を迎えていた」
「塀もなければ門もない茅葺きの小さな家だった。はじめのうちはあまりのみすぼらしさに心が騒いだ。いまでは越してきてよかったと思っている。西山の中心から離れているので、周囲が気にならない。母の病気がこのところ落ち着いているのも、ここに住まいを移したことと無縁ではないような気がする」

 なんでもない描写だが、このシーンに私は引き込まれていく。

 京都から因幡に抜ける山陰道沿いの、養蚕が盛んな土地が舞台である。時代は幕末で、新時代の風がこの土地にまでやってきて、何人かの友は一旗揚げに京都に出掛けていくが、清吉は行動をともにしない。病気の母がいるから、というのは半分は本音だろうが、もう半分はこの男の性分といっていい。目立つことを避ける男なのだ。勉学でも剣でも目立たず、好きな女に土産の櫛を渡すことも出来ない男の日々がこうして活写されていく。

 鮮やかなストーリー展開(読み始めたらやめられなくなる!)とわき役たちの彫り深い人物造形(民三郎の弟妹たちの健気さを見られたい)はホント、うますぎるが、しかしここでは清吉の造形に絞って考えたい。
「この風景のなかに、自分のすべてがあるといまでは思っている。すぎてみれば、人の一生など、それほど重荷なわけがない。変わりばえのしない日々のなかに、なにもかもがふくまれる。大志ばかりがなんで男子の本懐なものか」

 と考える清吉の人生がとても他人事とは思えないのである。時には感情が爆発して道の真ん中をずんずん進んでいくが、それもまたよし。これまで志水辰夫の小説を好んで読んできたのはその文体が心地よかったこともあるけれど、それだけではない。この作者が世界を見る、その見方が好きだったからではないか、ということに気づくのである。だから、とても自由に、のびのびと描いていることが嬉しい。志水辰夫にとって時代小説は最適な衣装であることを、いましみじみと実感するのである。いい小説だ。胸に残る小説だ。


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