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担当編集のテマエミソ新刊案内

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トロンプルイユの星

  • 紙の本

『トロンプルイユの星』米田夕歌里

定価:1,100円(本体)+税 2月25日発売

第34回すばる文学賞受賞記念対談
私に見える美しいものを小説にしたい
米田夕歌里×高橋源一郎

第34回すばる文学賞は、米田夕歌里さんの「トロンプルイユの星」が受賞しました。今号では受賞を記念して、米田さんと同賞選考委員の高橋源一郎さんの対談をお届けします。
米田さんは前回、最終候補作に残りながら惜しくも受賞を逃し、その悔しさをバネに今回の作品を書きあげ、見事受賞されました。また、米田さんは「共感覚」という独特な感覚を持ち、それが小説を書くきっかけであるとも語ります。
本対談では、応募作を書きあげるまでの道のりや、「共感覚」を小説で伝える難しさなどをお二人に語っていただきました。(この対談は「青春と読書」2011年3月号に掲載されました)

前回のリベンジがかなって

高橋 すばる文学賞受賞、おめでとうございます。

米田 ありがとうございます。

高橋 今回は選考会の雰囲気も非常によかったんですよ。今までいくつかの賞の選考委員をやってきましたが、僕の選考会史上に残る、ちょっと感動的な会でした。

米田 そうだったんですか。

高橋 米田さんの受賞はわりとあっさり決まったんですが、そのあとにあなたが前回の候補作の作者だという種明かしがあったんです。

米田 前回は別のペンネームで書いたので。

高橋 それを聞いて、選考委員全員が「本当によかったね」とにっこりして。というのは、前作が「途中まではものすごくよかったのに着地に失敗した」ということで、意見が一致していたんです。選考会が終わったあとの食事会でもみんなとても残念がって、まるで幼稚園の運動会で自分の子どもが転んだみたいに悲しんでいた(笑)。

米田 私にとっても前回の選評はとても大きかったんです。「最後のほうが破綻している」ということを的確に言っていただいて、リベンジの気持ちが生まれました。同じ選考委員の方々にもう一度作品を読んでいただいて、「私はこういう思いで書いている」ということを伝えたかったんです。そういう経緯があったせいか、贈賞式で選考委員のみなさんのお顔を見たら、思わず泣いてしまって。そんなつもりではなかったんですけど。

高橋 受賞が決まったあとの周りの反応はいかがでしたか。

米田 母は落選することを念頭に置いて、私にどんな言葉をかけるかということしか考えていなかったみたいです。前回落ちてからの、追い詰められた様子を見ていたので。「受賞した」と言ったら、目が点になって「はー」と。落ち着いてから、「おめでとう」と言ってくれました。弟は「ああ、よかったね。じゃんじゃん売れるといいね」という軽いノリでした(笑)。

高橋 米田さん自身の、受賞がわかった時の正直な気持ちはどうだったんですか。

米田 感動して大騒ぎ、にはなりませんでした。自信があったというか、これでだめだったらいったい何をしたらいいんだと思っていたので。

高橋 そうだよね。自信があるような書き方だったもの(笑)。

理系から文系へ

高橋 米田さんは早稲田大学で小説を習われたんですね。

米田 はい。第一文学部文芸専修というところです。

高橋 入学する時には、小説家になろうという意識があったんですか。

米田 高校二年までは理系でしたが、理系の仕事で自分が人の役に立てるのかと考えるようになって、文系に変えたんです。そこで初めて小論文の勉強をしたら、書くことが楽しすぎて。でもその時はまだ、点数を稼ぐゲームみたいな感覚で書いていました。

高橋 他人の意見を加工するような?

米田 そうです。ただ、紙と鉛筆さえあれば考えを表明できるってすごいなと思うようになって。それで、自分に書けるのは詩なのか評論なのか小説なのかさっぱりわからないけれど、とにかくやってみようと考えました。

高橋 文学少女じゃなかったわけだ。

米田 作文は嫌いだったし、本も極端に読まないようにしていました。物語に取り込まれる感じが嫌だったんです。大学が決まってから「書く前にまず読まないと」と思って慌てて読み始めたのが、父に勧められた筒井康隆さん。父は私が大学卒業後、アルバイトをしながら書いていた時期に事故で亡くなったのですが、かなり本を読んでいたんです。それで一年間はずっと、筒井さんのものばかり読んでいました。

高橋 すごく偏った読書歴だけど、きっとそれがよかったんだろうね。それで、書き始めたらどうでしたか。

米田 最初に書いたのが、人がマリモになる話で三十枚くらい。でも書き方がわからないので、一人称になったり三人称になったり、めちゃめちゃでした(笑)。

高橋 先生にはどんなことを言われました?

米田 とにかく書きなさいと。「ここがちょっと悪いね」というようなことは言われるんですけど、書き方を教えてくれるわけではないんです。

高橋 その頃言われたことで、今でも覚えていることはありますか。

米田 いろんな人に言われていたのが「君はいったい何を言いたいのかわからない」と。それから、「他人が出てこない」ということもよく言われました。出てくるのは全部自分と地続きの人間で、事件が起きないのも問題だと。

高橋 僕も大学で小説を教えていますが、小説家が先生になるとほんとに真剣になっちゃうんですよ。

米田 先生のひとりに宮内勝典さんがいらしたのですが、最初の授業でおっしゃったのが「料理人は下働きをしながら味を盗んで覚えるんだから、君たちも自分で観察して盗んでいきなさい」ということでした。ちょうどその頃九・一一のアメリカ同時多発テロ事件が起きたのですが、宮内さんは書くよりも外の世界に触れようという先生だったので、授業でも戦争について議論したり、ピースウォークに参加したり。もちろん「テロについて書きなさい」ということではなくて、「書くためには自分の目の前にあるものとどう向き合うか考える必要がある」ということだったと思うんです。私はずっと自分の内側の世界で生きてきたので、心のドアをこじ開けられるような衝撃を受けました。

共感覚とともに生きてきて

高橋 宮内さんのおっしゃる通りですね。
その頃は何を書こうとしていたんですか。

米田 「自分の内側の世界で生きてきた」と言いましたが、私には共感覚というものがあるんです。音を聞くと形や手ざわりが生々しく感じられるので、今聞こえている高橋さんの声も、密度的なものやふわっとした感じが伝わってくる。そういうものを小説作品として表したいと、ずっと思ってきました。

高橋 すごいですね。音が物質的に感じられるわけ?

米田 雪みたいに降ってくるんです。みんながそういう感覚を持っていると思っていましたが、高校の終わり頃にそうではないらしいと気づきました。吹奏楽部でクラリネットをやっていたんですが、後輩に「壺をひっくり返した形の音にして」と指導したら、「は?」と言われて。

高橋 音を言葉で説明できるわけですね。

米田 はい。それが「共感覚」という名前だとわかったのが、大学三年か四年の時です。その時は「これからは『私には共感覚があるんです』と言えば、みんなが『ああ、あれですね』とわかってくれる」と思ったのですが。

高橋 ところが、そうはならなかった。

米田 はい。ただ私はみんなとわかりあいたいという気持ちよりも、私に見えるすごく美しいものを残しておきたいという気持ちが強いんです。それが小説を書く動機でもあるのですが、あまりにもこだわり過ぎて、自分にしかわからない小説を書いてしまっていたと思います。破綻していると言われた前作の最後の部分も、モーリス・ラヴェルの「ラ・ヴァルス」という曲から見えてきたものを書いたのですが、幻想的ととられてしまって。

高橋 自分の中では現実でも、他人が読むと幻想的な話を書いていたんですね。

米田 だんだん現実には近づいていたんですけど。だから「トロンプルイユの星」は、「今度こそ最後まで破綻しないものを」と思って、執念で書きました。

パラレルワールドという設定

高橋 今回はどういうふうに小説を作っていったんですか。

米田 共感覚はタブーにして、日常を書こうと思いました。そこで私の日常って何だろうと考えたら、仕事だと。ちょうどその頃、職場の机の引出しに入れておいたチョコレートがごっそりなくなるという出来事があったんです。それを使って、一度書いてみました。

高橋 ミステリーだね。犯人をはっきり決めたんですか。

米田 はい。それで一応現実的な話にはなったんですが、私が書く必然性のない作品だった。これでは一次選考も通らないだろうと思って書き直すことにしたのですが、締切りまで一カ月しかない。でもこのまま引き下がれるかと思って、根を詰めて考えたら、十日間であの話ができました。

高橋 十日間で百五十枚書き上げたの?

米田 結局二百枚近くになりました。仕事も一番忙しい時期で本当に大変でしたが、最後は通勤電車の中でも書いて、何とか間に合わせました(笑)。

高橋 最初に書いたものから使われている部分はあるんですか。

米田 登場人物や事務所の中、交差点の様子は一度作ったものです。ただ、話は全然違うものになりました。

高橋 パラレルワールドというか、少なくとももうひとつは世界があるという設定にしたんですね。

米田 もう一度、自分が書きたいのは何なのか考えてみたんです。今までは「私の感覚はどうせわからないでしょう」と思いながら、言葉のボールを投げていたところがあった。でも相手をもうちょっと見据えて、うまく届くように言葉を投げることが、今の私にとって大事なことだと思いました。だから「トロンプルイユの星」は「わたし」と久坂の恋愛物語ではなくて、「わたし」が自分の感覚を言葉にし、それを投げる相手 ……久坂について考える話にしようと思ったんです。それがパラレルワールドという仕組みを使うと、うまく説明できそうだと感じました。

高橋 設定を作ったら、あとは登場人物におまかせだよね。

米田 登場人物が勝手にしゃべり出すので、慌てて追いかけて書きましたね。

高橋 書いていてどんな感じでしたか。

米田 すごく面白かった。初めて面白いと思いました。

高橋 でしょう。うまくいっている時って、書いていて楽しいものね。そうすると、今までどれだけうまくいってなかったんだ、と思うんですよ。

米田 確かに、なんて不毛なことをしていたんだろうと思いました。

幻想と現実の距離のとり方

高橋 僕、最近思うんですけど、小説家は「存在している」ものしか書けないんじゃないかって。ないものを書くのはすごく難しい。例えば、夢とか希望とか永遠とか。

米田 書きにくいですね。

高橋 パラレルワールドもそうだと思うんです。ただ"パラレルワールドというもの"は書けないけれど、個別の現実は書ける。それをひとつひとつ積み上げていくと、本来書けないものが書ける。米田さんが共感覚を書こうとしてうまくいかなかったのも、おそらくそのままを直接書こうとしたからだと思うんです。

米田 そうですね。リンゴを描き写すのと同じ感覚で、音の質感をそのまま細かく書いていました。

高橋 多分、そのままというのは無理なんですよ。

米田 そうみたいです。ようやくわかりました。
 ところで高橋さんにぜひお聞きしたいのですが、高橋さんの小説にも『「悪」と戦う』や『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』みたいに、幻想に片足を入れた感じのものがあると思うんです。私の場合、共感覚が現実だと思って書いているのに「幻想ですね」と言われる【齟/そ】【齬/ご】が何年も続いて、現実と幻想の距離のとり方がわからなくなっているのですが、高橋さんはその区別をどう考えていらっしゃるのでしょうか。

高橋 共感覚によって見えるものが幻想だから言葉にできないのではなくて、米田さんに自分固有の体験を言語化する技量や方法がまだないだけの話だと思います。幻想には、共通語みたいにわかりあえるものもあれば、共感覚のようにその人固有の説明できないものもある。後者は言わばレアメタルみたいな隠し財産で、言語化されるのを待っているんですよ。ただふたつのタイプの幻想を七・三で混ぜるか、六・四で混ぜるか、小説家はみんなそれぞれのレシピを持っていると思うんです。

米田 はい、そうですね。

高橋 同時に現実もまた、みんなに同じように見えているのではなくて、人それぞれのフィルターがかかって見えている。そう考えると、みんながある種の共感覚を持っていると言えるかもしれませんね。
「トロンプルイユの星」で米田さんは初めて、幻想のミックスがうまくいったんじゃないかな。

米田 確かに、今までは分離していました。

高橋 だから共感覚について書くことをやめる必要は、まったくないんです。どこかで壮大なリベンジを、ぜひやって下さい。

米田 そうですね、ここまでこだわってきたので。

破綻しないために必要なこと

高橋 お仕事もあってお忙しいでしょうが、本は読んでいますか。

米田 一カ月に十冊くらいが今は限界ですね。

高橋 働きながらでそれはすごいよ。

米田 読書を始めるのが遅すぎたというコンプレックスが大きいんです。本の選び方も人見知りな感じで、ひとりの作家に慣れるとその人の作品ばかり読んでしまって。だいぶ片寄っていたので、今は目についたものを片っ端から読むようにしています。

高橋 次の作品はもう書いているんですか。

米田 すでに一度通しで書いて、何回か直しているという状況です。「トロンプルイユの星」では周りとずれていることの美しさを書いたので、今回は見苦しさのほうを書きたいと思って。ただ、破綻が出てきました。

高橋 得意の破綻が(笑)。破綻するというのは他者の目が持てないということなので、自分の小説のファンであるという熱い目と他者の冷たい目を持ちながら、ふたつを対話させなきゃいけないと思うんですよ。「意図はわかるんだけど、この話破綻してない?」とか。

米田 そうですね。自分の小説に潜りっぱなしだと、窒息しますね。突き放すときもないと。

高橋 でも、あなたの小説なので、書き終わるまで我々には何の発言権もないんです。書き終わったら言いますが。こういう賞の選考委員をやっていると、受賞した人はみんな自分の子どものような感じがしてくるんです。それと同時に、小説を書く仲間、同志という気持ちもある。次回作をすごく楽しみにしていますので、お互い頑張りましょう。

米田 ありがとうございます。頑張ります。

(構成=山本圭子/撮影=隼田大輔)

よねだ・ゆかり●1980年千葉県生まれ。「トロンプルイユの星」で第34回すばる文学賞を受賞。

たかはし・げんいちろう●1951年広島県生まれ。著書に『優雅で感傷的な日本野球』(三島賞)『いつかソウル・トレインに乗る日まで』『「悪」と戦う』等。

 「共感覚」という言葉をご存知ですか? 聞こえてくる音が形を持っているように見えたり、黒いインクで印刷されている文字に色がついて見えたりする、特殊な知覚現象のことをそう呼びます。

 今回、『トロンプルイユの星』ですばる文学賞を受賞しデビューした米田さんも共感覚の持ち主です。最初にそのお話をうかがった時は、びっくりするよりも、なるほど!と納得してしまいました。なぜなら、物語で描かれる日常の世界があまりにも色鮮やかで美しく、怖いほどだったからです。

 物語は、イベント事務所で働くサトミのまわりで、ある日突然、次々と人や物が消えていくところから始まります。机のなかに入れていたハッカ飴の缶、採用されたはずのアルバイト、中心になって進めていたはずのプロジェクト……。

 それらが何の法則もなく突然消えていくのに、同僚たちはその変化に気づかず、消失したものは最初から「なかった」ことになっていく。サトミは、これまで当たり前のように過ごしてきた日常が、実はとても不確かで危ういものだと気づいていきます。

 いつ、何が消えていくのか分からない。大切な人の存在も、自分の存在さえも、次の瞬間にはここから消えて、別の場所に飛ばされてしまうかもしれない。そして、何にも気づかないまま、新しい場所で疑問を持たずに生きてしまうかもしれない。

 サトミが抱える恐怖は、特殊なもののようでいて、実は、とても普遍的なものです。いつもと変わらない今日が、明日も明後日もずっと続いているなんて、誰の人生にもありえませんよね。私たちはみんな、サトミと同じように、失われ続ける世界のなかで今を生きている。そう言えるのかもしれません。

 混乱し、ただひたすら怯えるだけだったサトミは、あるきっかけで世界の消失に立ち向かっていきます。彼女は果たして、消失することなく今をつかみ続けられるのか。美しくて怖い「現代版不思議の国のアリス」(ある書店員さんが、こう評してくださいました。まさに!)、ぜひ迷宮に足を踏み入れてください。

 追伸
 タイトルの「トロンプルイユ」とはフランス語で「だまし絵」という意味です。
 このタイトルの意味は、物語のラストで浮かび上がってきます。お楽しみに!

(編集H・I)


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