連続ドラマ化!! 大島吾郎役=高橋一生さん  赤坂千明役=永作博美さん 2019年1月26日(土)スタート(NHK総合) 読売新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、西日本新聞、週刊文春、週刊ポスト、週刊現代、サンデー毎日、女性自身、an・anなど、各紙誌で話題騒然!!昭和~平成の塾業界を舞台に、三世代にわたって奮闘を続ける家族の感動巨編 RENZABURO 詳しくはこちら
『みかづき』ドラマ化記念対談 森絵都×高橋一生 「物語と役が転がり出す時」
『みかづき』ドラマ化記念対談 森絵都×永作博美 「書く覚悟、演じる覚悟」
著者・森絵都さんより
 この小説では、受け継がれていくものを書きたいと思いました。人は人から影響を受けて、そして人に何かを授けて、生きていくものだと思うんですね。〈大島家〉三代にわたる長い時間をかけてそうした人と人とのつながりを物語にしました。 家族だからこそぶつかりあい、壊れもする。同時に、家族だからこそ許しあい、再び受け入れあうこともできる。どんな家族もそうであるように、大島家もたくさんの問題を抱えています。強烈な個性を持つ〈千明〉、のほほんと千明を包み込む、あるいは動じない夫の〈吾郎〉。皆、異なる方向を向いている三姉妹と、ゆとり世代の〈一郎〉ら、書いていて楽しいキャラクターばかりでした。長い年月のなかで、家族の形をさまざまに変容させていく大島家に何か感じていただけたら嬉しいです。「塾」をテーマにしたのは、日本の教育が時代によってバタバタ変わっていく、その裏に何があるのか、気になっていたからです。学校という表舞台ではなく、塾を書くことで、より人間臭い営みや歴史が見えてきたように思います。 実は、タイトルを最初に決めたのは今回が初めてで、「学校が太陽だったら、塾は月」という千明の台詞がきっかけで「みかづき」にしました。それから物語にもいろいろな月を盛り込むようにしました。 刊行後、これまでになく幅広い世代の方から、反響をいただきました。家族や教育といった身近なテーマということで、多くの世代の方が手に取ってくださったのかもしれません。本は「読み手の力」で広がっていくものだと私は思っています。この本を強く温かく受け止めてくださった読み手の方々の力に感動するとともに、心より感謝申し上げます。(談)
撮影/三山エリ

 驚嘆&絶賛の声、続々!
内容紹介 著者プロフィール 登場人物相関図 書店POP 読者からの声 『みかづき』刊行記念対談 森絵都×北上次郎 『みかづき』ドラマ化記念対談 森絵都×永作博美 『みかづき』ドラマ化記念対談 森絵都×高橋一生
『みかづき』 森絵都著 好評発売中 本体880 円+税 内容紹介 「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです」昭和36年。人生を教えることに捧げた、塾教師たちの物語が始まる。胸を打つ確かな感動。著者5年ぶり、渾身の大長編。 小学校用務員の大島吾郎は、勉強を教えていた児童の母親、赤坂千明に誘われ、ともに学習塾を立ち上げる。女手ひとつで娘を育てる千明と結婚し、家族になった吾郎。ベビーブームと経済成長を背景に、塾も順調に成長してゆくが、予期せぬ波瀾がふたりを襲い――。
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著者プロフィール 森 絵都(もり・えと) 1968年東京都生まれ。早稲田大学卒。90年『リズム』で第31回講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー。95年『宇宙のみなしご』で第33回野間児童文芸新人賞と第42回産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を、98年『つきのふね』で第36回野間児童文芸賞を、99年『カラフル』で第四六回産経児童出版文化賞を、2003年『DIVE!!』で第52回小学館児童出版文化賞を受賞するなど、児童文学の世界で高く評価されたのち、06年『風に舞いあがるビニールシート』で第135回直木賞を受賞した。『永遠の出口』『ラン』『この女』『漁師の愛人』『クラスメイツ』など、著書多数。
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紀伊國屋書店 横浜みなとみらい店 安田有希さん
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読者からの声
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『みかづき』刊行記念対談 森絵都×北上次郎 構成=砂田明子/撮影=三山エリ 昭和から平成にかけての激動の塾業界を舞台に、三代にわたる大島家の奮闘を描いた渾身の長編小説『みかづき』。刊行にあたり、デビューから森さんの作品を読み続けてこられた書評家・北上次郎さんとお話しいただきました。 「圧倒された」という北上さんの興奮のひと言から始まる対談、お楽しみください。
縦のつながりを書きたかった
 圧倒されました。これまで森さんの作品は、それぞれに面白かったし、楽しかったし、堪能してきたんですが、圧倒されるという体験は、初めてだった。
  ありがとうございます。
 なぜ圧倒されたのかと考えると、この小説にはすべてがあるからです。まず教育とは何かという大きなテーマが背景にあります。その前面に〈吾郎〉と〈千明〉という塾を経営する夫婦がいます。その二人をめぐって、夫婦の問題や経営上の問題、例えば対立や離反、和解や再会が起こり、それらがテーマと密接につながっていく。
 それから夫婦には三人の娘がいます。彼女たちの個性の違いによって、親子の問題や姉妹の問題も出てきます。また成長するにつれて生き方の模索、恋の悩みも生まれてくる―と、そういうすべてを、この作品は包含しているんです。
 まだまだ言いたいことがありますが、続けて喋っていいでしょうか(笑)。
  もちろんです。お願いします。
 僕が一番びっくりしたのは、最後に、吾郎と千明の孫に当たる〈一郎〉を主人公とする章が出てきたことです。つまりこの小説は、最初は吾郎、次に千明という夫婦の視点で描かれていて、その間、もちろん紆余曲折あって、しかしそれで終わるのかなと思ったら、もう一人、別の世代の視点が出てきた。これは森さんのこれまでの作品には見られなかった展開で、驚きました。一郎の視点で描くことは最初から考えていたんですか。
  はい。仰るように、これまで私は家族にしても、友人にしても、人間同士の横のつながりを主に書いてきたんです。でも今回は最初から、縦のつながりを書きたいと思っていました。人はさまざまな人から影響を受けて、そして人に何かを授けて生きていますよね。そうした個々の受け継ぎには、血のつながりから生じるものもあれば、血縁以外のものもあると思うんですけど、そのどちらもひっくるめて描きだせたらいいなと。
 そう考えたときに、吾郎と千明の視点で終わるより、彼らから何かを受け継いだ人物を出すことで、縦のラインがより生きるのではないかと思ったんです。
 なるほど、最初から考えられていたんですね。では戦後の教育、理想の教育という大きなテーマは?
  三代にわたる物語を書くにあたって、何か一つ、そこに大きな柱がほしかったんです。それがなんなのか考えているうちに、あるときふと思いついたのが塾でした。教育の変遷は以前から気になっていて、よくゆとり世代が批判されますが、じゃあなぜゆとり教育は生まれたのだろうかとか、自分の中で、時代時代の背景を整理してみたいと思っていました。単純に、学校を舞台にするよりも、塾のほうが面白いと思いまして。
 森さんの小説は、常に未来を見ているんです。未来が待っているから、現実がどんなに苦しいものでも懸命に生きようという、今を肯定する力が物語の根底にある。だから読者を感動させるんだと思うんですね。今回の物語は夫婦がいて子供がいて孫がいてと、構造自体がまさに未来につながるものになっていて、実に森さんらしい小説であると同時に、これまでの集大成でもあると僕は読みました。


悪人より、善人の揉め事を書くほうが難しい
 キャラクターにはユーモラスなところがありますよね。教育というシリアスなテーマにもかかわらず、だから笑っちゃうんです。千明の母親が〈一緒になるなら、ほどよく鈍感でおおらかな男を選びなさい〉と言う通り、吾郎もそうだし、他の男もみんなそう。ちょうどいい感じにいい加減で、横にいたら友達になって酒を飲みたいタイプなんですが、こういう男性を森さんが書くのは初めてじゃないですか?
  どうだろう。これまではナイーブなタイプが多かったのかな。そうですね、初めてかもしれません。
 失敗する男とかミスをする男は書かれていたと思うんですけど、吾郎はそれだけではないですよね。教育に燃えているからといって堅い男ではなく、女の押しに弱いし、マザコンだし、かつ、そういう自分を〈助平吾郎〉と反省している。ディテールがリアルなんですよ。
  書いているうちにのんき者になっていった感じです(笑)。深刻な場面をずっと書いているとつらくなってくるので、自分自身が救いを求めたくなるところがあるんです。それは読んでくださる方も同じだと思うので、少し風穴をあけようというのは常に意識しています。
 それからこの小説には嫌なヤツが出てこないんです。癖のあるヤツや変なヤツはたくさん出てきても、塾の金を持ち逃げするとか、陰口を吹き込むといったいわゆる悪事を働くヤツはいない。悪人が出てこない小説を批判する人もいるんだけど、僕に言わせれば、そういう小説は世の中にいっぱいあるし、悪人を出して揉めさせるなんて安易なんです。善人同士が揉めたり喧嘩したり不幸になったほうが自然だし身につまされるし、書くのは難しいと思いますね。
  一度すごい悪人を書いてみたいな、とも思いますが(笑)。
 ただ誰であれ、一人の人間の中に良い面、あるいは悪い面ばかりがあるはずはなくて、教育者の吾郎にだって助平なところもあれば、ずるいところもある。その両方を当たり前のこととして書いていきたいなとは思っています。


大河小説は“女系”。男を描くと一代記
 僕はちょうど吾郎の一世代下になるんです。物語には昭和三十六年から二〇〇八年までが描かれていて、吾郎は二〇〇八年に七十歳目前。吾郎に託して昭和からこれまでの来し方を振り返ることができました。吾郎の子、あるいは孫世代に自分を託す人もいるでしょう。非常に入り口が広い小説ですね。
  だいぶ資料と格闘しましたので、そのように読んでいただけるのは嬉しいです(笑)。
 つまりこれは長大な大河小説と言えると思うんです。女系を描かれたのは意図があったんですか?
  最初から意識はしていませんでした。章を追うごとに千明が強いキャラクターになってきたので、彼女に引っ張られた感じですね。
 昔から大河小説って基本的に女系なんです。
  え、そうなんですか。
 三代続くものはほとんどがそう。例えば何度もドラマ化された『石狩平野』(船山馨著)がそうですよね。血をつなぐのが女性だからという気がします。一方で男を主人公にすると、そいつがくたばっておしまい。梶山季之としゆきさんの『赤いダイヤ』や獅子文六ししぶんろくさんの『大番』のように、男を描くと一代記になるんです。男は自分のことしか考えていないのかもしれない(笑)。
  それは面白いです。長いスパンで三世代を書いていく中で、作中人物たちの変化に追いついていくのに、私自身も必死でした。とくに今回、各章ごとにどんどん年代を飛ばしていきましたので。
 確かに章が変わると十年くらい経っていて、結婚したり、別れたり、大きな変化が起きている。その空白が物語的な効果を生んでいると感じました。
  思いきって飛ぼうと、毎回、とにかくそれだけを心がけていました。守りに入らないこと、それが物語のダイナミズムにつながると思いまして。
 それから、この小説は初めての長編連載だったのですが、二年にわたる執筆中に、現実の社会は刻々と動いていました。例えば格差が広がり、子供の貧困問題が頻繁に報じられるようになってきた。そうしたリアルな変化が、物語の終盤に影響したところもあります。
 はい、社会性を帯びた小説にもなっていると思います。ところで初めての長編連載だったんですね。いかがでしたか。
  疲れきりました(笑)。最初から怖くてたまらなかったんです。小説って絶対にどこかで道を踏み誤るんですね。こっちじゃなかったとわかれば戻らざるを得ないんですが、連載だとそれができない。だからこれまで長編は書き下ろしのみでやってきました。でも、ずっと同じ場所にいても仕方ないから今回挑戦したわけですが、いつ踏み誤るか、いつ踏み誤るかと思いながら慎重に進んでなんとか着地できたので、今はとてもほっとしています。
 踏み誤っても大丈夫ですよ。直せばいいんですから。
  え! でも連載だと、そのまま進んでいかないといけないですよね……。
 単行本を出すときに直すんです。そういう作家はたくさんいます。だから気楽に、今後もどんどん連載を書いていただきたいですね。
  はい。これを機に、また色んな挑戦をしていきたいと思っています。


ストーリーか、文章か
 森さんご自身は塾に通われていたんですか?
  中学三年生のときに近所の塾に通ったくらいです。勉強熱心でもありませんでしたから、塾に対して良いイメージも悪いイメージもなかったんですね。一生懸命通った方ほど、塾には悪いイメージを持っているようですが、私は真っ白でした。北上さんはいかがですか。
 全く通っていません。ただ、僕の時代は塾なんてなかったと思い込んでいたんだけど、この本を読んで、えっ、あったんだ! と。隠れて通っている子はいたのかもしれないと思いましたね。
  世代や環境によって"塾観"ってかなり違って面白いですよね。本は小さいときから読まれていたんですか?
 中学三年生まで全く読んでいませんでした。
  そうなんですか!
 今でもよく覚えています。中学三年生のときに、野球仲間が面白いと言っていた『点と線』(松本清張著)を貸本屋で借りて読んだんですね。これが面白かった。それから高校三年間で、その貸本屋の本を全部借りて読みました。
 この経験でわかったんですよ、エンターテインメントの面白さというのは絵が動くことなんだと。だから、エンタメにはストーリーが大事とよく言われますが、僕は必ずしもそうではないと思っています。絵を動かすには文章やキャラクター、プロットの巧みさも重要ですから。
 歳をとり、最近はとりわけ文章派になりました。文章が良ければストーリーはなくてもいいくらい。森さんはストーリーと文章をどのような比重で考えていますか。
  どうでしょう……あまり分けて考えてはいませんね。自然と連動してくるというか、ストーリーによって文章の質感が変わってきますから、いつも最初に文体を捕まえるまでにちょっと手間取ります。今回の本で言うと、時代に合った言葉を選ぶようには心がけました。吾郎の時代にはできるだけ片仮名を使わないとか、一郎の時代になると今っぽい言葉が出てきてもいいなとか。その辺の微調整はしました。
 書く前に、ストーリーのプロットはつくられたんですか?
  初めての長編連載だったので、ある程度はつくりました。ただやはり、書いていくうちにどんどん変わっていきましたね。
 タイトルも素晴らしいですね。読み終わってはじめてすべての意味がわかるというタイトル。
  なるべく広く受け止められるタイトルにしたいということと、字面が綺麗だと自分もテンションが上がるなと、そのくらいで、深くは考えていなかったんです。連載初回の千明の言葉、〈学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在〉〈今はまだ儚げな三日月にすぎないけれど〉という箇所から取ったんですが、そのタイトルを頭の隅に置くようになってから、色んな要素が「みかづき」にリンクしてきた気がします。
 今後の展望はありますか?
  やったことがないことをやりたいという気持ちは常にあります。
 個人的な希望を言っていいですか。
  はい。
 僕、タイムトラベルものが大好きなんです。過去に行くか未来に行くかはどちらでもいいんですが、森さんがお書きになったらと想像しただけで……。
  女性より男性のほうがタイムトラベルものが好きな印象があるのですが、どうでしょう。乗り物が好きだから?
 確かに、近年のタイムトラベルものは『流星ワゴン』(重松清著)、『地下鉄(メトロ)に乗って』(浅田次郎著)など、男性作家ばかりですね。たぶん男にはもう一度人生をやり直したい、あるいは新たな人生を送りたいという願望があるんじゃないかな。
  未来を書きたいな、という気はしているんです。未来が舞台の世界を考えていたのですが、タイムトラベルも仕掛けとして面白いかもしれません。あまり期待せずに待っていてください。
 はい。でも僕、古希なので、書いていただけるならあまり待たせないでください(笑)。
(「青春と読書」2016年9月号より)

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北上次郎(きたがみ・じろう) 書評家、評論家。1946年東京都生まれ。明治大学卒業。76年、椎名誠氏らと「本の雑誌」を創刊。2000年12月まで発行人を務める。著書に『冒険小説の時代』(日本冒険小説協会賞最優秀評論大賞)『冒険小説論』(日本推理作家協会賞評論その他の部門賞)『勝手に!文庫解説』等。
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