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第38回すばる文学賞受賞作 みずうみのほうへ 上村亮平
内容紹介著者紹介江國香織×上村亮平対談
内容紹介

みずうみのほうへ
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みずうみのほうへ
上村亮平
四六判ハードカバー
定価/本体1,200円+税
装画/近藤佳代
装幀/名久井直子
みずうみのほうへ 第38回すばる文学賞受賞作 江國香織氏「完成度が高く、作品世界に手ざわりがある」(選評より)
父と二人で出かけた七歳の誕生日旅行。「サイモン」という人物を想像するゲームで一緒に遊んだあと、父が船上から姿を消し、ぼくはたったひとり、夜の海に取り残された。
湖のある小さな町で暮らす伯父のもとに引き取られたぼくは、大学卒業後に港町に出て、水産物加工場で働きはじめる。楽しみは週に一度のアイスホッケー観戦だった。
二十代最後の年にぼくは偶然、サイモンそっくりの人物と遭遇。やがて、中古車販売業を営む「サイモン」のもとへ週末ごとに通い、ガレージで過ごすようになっていく。だがある夜、突然「サイモン」が、ぼくと父しか知らないはずの言葉を口にして――。

著者紹介 上村亮平(かみむら・りょうへい) 1978年大阪府生まれ。関西大学文学部卒業。本作で第38回すばる文学賞を受賞。

江國香織×上村亮平対談

旅するように、本を読む、小説を書く

上村亮平さんの『みずうみのほうへ』は、その幻想的な空気感や、小説としての完成度が高く評価され、第38回すばる文学賞を受賞されました。本書刊行にあたって、同賞選考委員・江國香織さんをお迎えして、上村さんとお話しいただきました。

構成=山本圭子/撮影=高橋依里

「書いておかないと」という思い

江國 このたびは受賞おめでとうございます。候補作五作のうち、私は最初に『みずうみのほうへ』を読みました。その時点でもう「今年はいいものがひとつあった」と安心したんです。選評にも書きましたが、すごく完成度が高いという印象を持ちました。特に空気感に惹かれたんですね。空気感がある作品は、プロのものでも少ないと思うので。書かれている部分の良し悪しを言うことは簡単ですが、書かれていないものがその温度まで感じられました。

上村 ありがとうございます。以前にも小説を書こうとしたことはあったんですが、その時は散々苦しんだのにきちんと書き終えることができませんでした。それを書こうとしたのは二十代後半の、本が全然読めない状態が長く続いていた時期のことで、自分の中に溜まっているものを書くことで消化したかったのだと思います。それは数年前、中途半端な状態で「すばる」に応募しましたが、まるで駄目でした。

江國 本を読めないというのは、お忙しかったからですか。

上村 時間はあったのですが、読む気持ちにならないというか、本を読んでいても頭に内容が入ってこないというか。集中力の問題もあったのかもしれないですが、本がただの活字の羅列にしか見えなかったです。

江國 面白いですね。活字が頭に入ってこなくて読めないのに、書けたんですね。

上村 手元には当時の荒書きしか残っていなくて、あまり覚えていないのですが、箇条書きを接いでいったような文章だった気がします。ただ「書いておかないと」という気持ちはありました。

江國 「書いておかないと」という気持ちはすごくわかります。「すばる」のインタビューで「ここには(中略)とても個人的なことが書かれています」とおっしゃっていましたが、個人的なことなら書いておかなくてもよさそうなのに、「書いておかないと」と思う。

上村 本当にそう思いました。

江國 私は十代後半から二十代にかけて日記魔でした。人に見せるわけではないのに、ありとあらゆることを「書いておかなきゃ」と思った。例えば何人かで集まったとすると、誰がどんな服を着ていたとか、どこに座って何を飲んだとか、思い出せる限り、図解も入れたりしながら。起きたことを日記に留めたいという欲求が、とてもあったのだと思います。でも小説を書くようになったら、日記を書かなくなった。日記のような小説を書いているわけではないのに。多分、小説に日記の要素が入るのでしょう。今でも「書いておかなきゃ」と思うことは多いですね。

上村 僕は日記もそうですが、文章を書くことは日常からとても距離のある行為でした。でも四年ほど前にカナダに一か月間滞在したとき、「書いておかないと」と強く思うことがありました。でもそれは日記に書くものとは違う気がしました。それで書いたのがこの小説の一部分です。一方でサイモンについての話を二年ほど前から書き始めていて、膨らみすぎてしまったので、サイモンの話の一部とそのとき書いたものがつながり、ひとつの小説になりました。

江國 サイモンの話の他のパートも読みたいです。

上村 それはちょっと(笑)。もうひとつきちんと小説を書き終えようと思った理由は、二年前に聴き始めた音楽、ステファン・ウィルキンソン、キーラン・ヘブデン、ロバート・グラスパーがみんな自分と同じ歳だったということです。それは自分も何かを最後まで作りあげたいという気持ちの後押しになりました。


上村亮平さん
作家は職業だけどむしろ性質

江國 この小説で不思議なのは、いろんな場所や時間が出てくるものの、具体的な地名や人の名前はほぼない。にもかかわらず、すごく真実な感じがするということです。例えば水産物の加工場のパートだと、上村さんがそこで働いたことがあるとか、システムが実際と同じとかいうことではなくて、読んですぐに「これは本当」と信じてしまうような感じがある。そこがとても魅力的でした。でも、難しいことなんです。一般的に応募作だと、一生懸命説明してあるし、こちらも読みながら一生懸命信じようとするけれど、なかなか信じられない。

上村 からだで覚えたことが、小説に出てきているのかなという気がします。僕の場合は頭を使うとあざとさが見えてしまうと思って、なるべくそうせずに、生の感覚を残すことを心がけました。心が落ち着いていないと書くことにすっと入っていけなくて、地名などはむしろ邪魔になるという気持ちのほうが強かったですね。

江國 その判断ができるのはすごい。上村さんは、ご自分が書いたものを信じていらっしゃるのだと思います。信じていない作家なんていなそうですが、多くの場合は「本当は疑っているでしょう?」と思う。

上村 ただ、「自分のために」と思って書き終えた小説で、「人に何かを伝えたい」と考えていたわけではないので、受賞についてはうれしい反面、ちょっと戸惑いもあります。

江國 「人に伝えたい」というのは、あまり作家的でないと私は思うんですよね。それだったら、伝道師になればいい(笑)。自分のため、その小説のために人は書いているので、作家は職業ではあるけれどもむしろ性質だと思う。そして上村さんは、性質としてすごく作家な感じがします。私としては作風もご本人の感じも、本当に変わらずにいてほしい。ただ、変わらずにいるためには冒険が要ると思う。だってこの小説が書かれるために、上村さんのそれまでの人生経験が必要だったのだから。この世界観のものを書き続けようとしたら、少なくともそれと同じだけの何かが必要になると思うんです。

上村 人生経験といえるかはわかりませんが、今までに四十以上のアルバイトをやり、きついことも楽しいこともいろいろありました。基本的には体に負担のかかる仕事が多かったです。それが何らかの糧になっていればいいのですが。

江國 それはもう作家になるしかないですね。本当にうらやましい。私はアルバイトをした経験が少ししかないので、仕事の種類をあまり知らないし、ディテールを書くのがすごく難しいんです。

上村 でも江國さんの作品で不自然さを感じたことは全然ないです。いろいろな仕事を経験するのはとても興味深かったので、アルバイトはやったことのない職種を探していました。経験のある仕事だと、単純にお金のためになってしまうので、もったいなくて。旅に行くためにアルバイトをした面もありますが、お金に困っていなければアルバイトをしなかったかといえば、そうではなかったと思います。

江國 「やっていない職種を探す」という選び方も、旅っぽい感覚ですね。

上村 そこは似ていると思います。旅に出ようと思ったのは、何か物足りなさを感じていたということと、単純に空港とかで、そこから先の空気が違うという感じにわくわくするのが好きだったということもあったと思います。行き先は、経済的な理由でアジアが多かったですね。長くても一か月間ぐらいですが、沢木耕太郎さんみたいというか、リュックだけ背負って好きなところに行きました。

 この小説の始まりと終わりに船のシーンが出てきますが、初めての旅の行きが神戸から上海まで船だったせいか、小説を書き終えて、あの旅から船に乗って帰ってきた気がしました。何かがやっと終わって、次に行けるかなという気持ちになれたので、そういう意味では本当に書いてよかったと思います。


江國香織さん
宮崎駿さんに影響されて

江國 この小説の印象は静かですが、よく読むと派手なことも起こっているし、決してやわな感じではない。水産物の加工場での清掃作業の場面は、視覚的にもすごく効果的に表現されている。それらを静かなトーンに閉じ込めたところは力技だと思うし、読めば読むほど驚きます。

上村 ありがとうございます。自分では意識して書いたわけではなかったので、そういうふうに読んでいただいたということにむしろ驚いています。

江國 今はお仕事がお忙しいから、なかなか旅ができないですね。

上村 全然行けていないです(笑)。

江國 じゃあ旅の代わりに書くことにするのはどうでしょう(笑)。書くのも旅に似ているから。

上村 ああ、すごく似ています。それから、いい本を読んだときも、旅に行って帰ってきたみたいな気がします。この小説の中にジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』が出てきますが、船が難破する日と僕の誕生日が同じ三月九日で、クリスマスか何かに買ってもらいました。ただの偶然ですが、そのことはすごく覚えています。

江國 思い出の本が小説に出てくるって、いいなあ、それ。ぐっときます。

上村 先日宮崎駿さんがお薦めする児童文学の本を読んだら、知っているものがだいぶありました。もしかしたら小学生時代が、一番本を読んだかもしれません。ファージョンの『ムギと王さま』という本の中に、大きな本棚のある物置のような場所で本を読む子供の挿絵がありましたが、本当にそんな感じでした。

江國 それって夢ですね。今も憧れます。

上村 僕が中学生くらいの頃、宮崎さんが何かの記事でサン=テグジュペリの『人間の土地』とバーナード・エヴスリンの『ギリシア神話小事典』を紹介されているのを読んで以来、この二冊は何度も読み返しています。そういう意味では、宮崎さんにだいぶ影響されているのかなと思います。

江國 宮崎さんのアニメーションもお好きですか。

上村 すごく好きです。僕が小さい頃の映画館は完全入れ替え制じゃなかったので、『天空の城ラピュタ』とか、夏休みに何回も見たのを覚えています。

頭で書く、感性で書く

江國 小学生の頃山村留学されたそうですが、ご両親と離れて暮らすのはつらくなかったですか。

上村 小学四年生のとき奈良の御杖村というところへ行って、五年生で一回帰ってきて、次は長野の小谷村というところへ行きました。最初は兄と一緒だったので、つらくはなかったです。やはり自然がすごくよかったですね。

江國 そこでは外で積極的に遊ぶような生活でしたか。

上村 昼間は外で遊んで、夜は本を読んで、という生活でした。寝るときは本をぱたんと閉じて「おやすみなさい」。だから、本が友だちみたいでした。一応親にも電話してはいけなくて、テレビもなかったんです。

江國 厳しいですね。

上村 この小説にもちょっとそういう場面が出てきますが、四年生で行ったときは他の子どもたちに「都会もん」みたいに言われて。最初は周囲から浮いた感じだったので、それで本を読んでいたということもあります。まあそのうちに仲良くなっていきましたが。

江國 それでもひるまなかったのですね。

上村 どうしようもなかったですから。でも帰りたいという気持ちはなかったです。山村留学から自宅に戻ったときは、アスファルトの中に木が立っていることに違和感があったし、町は知らない人だらけで何だか落ち着かなかったくらいです。

 ところでぜひお聞きしたかったのですが、僕はこの小説の登場人物との距離感がとれていないというか、「この人をこうしてあげていれば」と罪悪感みたいなものがあり、今でも悩むことがあり困ることがあります。

江國 そうなんですか? 私はないなあ。技術的な至らなさを反省することはあっても、登場人物が悲しい目に遭うという意味で罪悪感を持ったことはないです。物語の必然なので。

上村 そうなんですね。多分僕の中に「この書き方でいいのか」という不安があるのだと思います。最後にもうひとつお聞きしたいのですが、江國さんはご自分の感性で小説を書いていらっしゃるのか、それとも設計図みたいなものを思い描いて、感性を動力に書いていらっしゃるのか、ということです。僕はあまり頭で考えると書けない気がしていますが、設計図を描いた上で書く訓練もしておかないといけないのかなと思って。

江國 上村さんは絶対そのままでいいと思います。私もわりとそっちですが、いくつも書くうちに違うやり方をしてみたいという欲が出てくるので、そのときにやってみてもいい。

上村 選評を読ませていただいたのですが、どの選考委員の方のものも「あ、ばれている」という感じがして、技術的なこととか勉強しなければいけないことが膨大にあると思いました。

江國 読むことも暮らすことも小説にはプラスになりますから、特に勉強しなくてもきっとそうなっていると思います。考えないで書こうとしても、ちょっとは考えてしまうし。それに、書いているときは同時に読んでいますよね。そのときの読者としてのクオリティーが高ければ大丈夫ではないでしょうか。

上村 とても大切なことをうかがえました。今日は本当にありがとうございました。


(この対談は「青春と読書」2015年2月号に掲載されました)


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